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2005年7月

2005年7月12日 (火)

ラビリンス 魔王の迷宮

「ラビリンス 魔王の迷宮 コレクターズ・エディション」が8/24に発売とのこと。
待ちわびておりました。
デヴィッド・ボウイのとりたててのファンというわけではないけれど、「ラビリンス 魔王の迷宮」にだけは深い思い入れがある。
幻想的な仮面舞踏会のシーンは、このためだけにDVDを買っても良いと思うくらいに美しいし、「As the world falls down」は名曲。

同時期に「ジャスト・ア・ジゴロ」も出るらしいけど、こっちはDVDよりもサントラを強く希望。
マンハッタン・トランスファーが歌う「奥様お手をどうぞ」が艶っぽくて良かったんである。

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愛しのジュリエット

先週発売の週刊文春にオリビア・ハッセーのインタビューが。
「ロミオとジュリエット」のジュリエット役について語っていた。

どんな仕事でも必ずジュリエットを求められてしまう。なかなかそれ以外の私を見てもらえることがなかったです。だから、時々、「あのとき、『ロミオとジュリエット』に出ずにロンドンに残っていれば、もっと舞台も踏めただろうし、いろんな役にチャレンジできたのになあ」と思うことあります。

俳優にとっての「ハマり役」って、つくづく難しいものだと思う。
ナタリー・ポートマンのように、良い時期に複数の良い作品に巡り合えれば幸運だけど、たいていは少女期に決定的な作品に出演してしまうと、その後が難しい。
そういえば、ナタリー・ポートマンはディカプリオ版の「ロミオとジュリエット」のオーディションを受けて落ちたんだっけ。
ただ、オリビア・ハッセーはこうも語っている。

「でも、プラス面もたくさんありますから。やはりこれは映画史上に残る、永遠に生き続ける作品だということが一つ」
「そういう映画は滅多にないから、出演できたことはとても光栄です。」

今や決定版といってもいいオリビア・ハッセーのジュリエットだけど、すんなりと彼女に決まったわけではなく、もともとは従来のイメージに沿って金髪で青い目のジュリエット役をキャスティングしていたのが、撮影準備期間にうっかり髪を当時流行のショートカットにしてしまったために降板。
次に選んだのがオリビアだったと、ゼッフィレリの自伝に書いてあった。
運命的というかなんというか。

何度も見るくらいに好きになる映画って、最初はもちろんストーリーから入るのだけど、なん十回も見るとストーリーはどうでもよくなってきて、それよりも衣装の質感であるとか、音楽であるとか、役者のちょっとした表情とか、ディテールに目を凝らすことが多くなる。
なので、「ロミオとジュリエット」も、昔は、別れのシーンで泣き、ロミオの死で泣き、ジュリエットの死で泣き、ラストシーンで泣く、という具合だったけど、今はわりと淡々と見るようになっている。
だけど、こんなふうに擦れてしまっても、ジュリエットがロミオにキスをして「Thy lips are warm!」と取りすがって泣く場面(そしてニーノ・ロータの音楽がたたみかけるように流れる)だけは、泣いてしまうんだな。
エンディングクレジットが流れる後ろで、モンタギュー家とキャピュレット家の面々が和解していくところも、ひそかに涙のツボです。

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2005年7月11日 (月)

ドレスデン国立美術館展

上野の国立西洋美術館の「ドレスデン国立美術館展」に行ってきた。
絵画の目玉はフェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」だろうか。黄色の使い方が印象的。
個人的に一番気に入ったのは別の絵だったけど、タイトルを忘れてしまったので、それはまた後で。
絵画以外も、トルコ趣味、マイセンと有田焼きの比較などが面白かった。

トム・ハリスの「ハンニバル」に「世界中のフェルメールの絵を見てまわりたい」という登場人物がいるけど、私はこれでようやくフェルメール2枚め。

ドレスデンで一つ思い出すのが、「心の地図」という映画のドレスデン爆撃の場面。
陳腐な言い方になってしまうけど、戦争の悲惨さを思い知らされた映像だった。
この映画自体は、「心はこもっているんだけど、なんだかチクハグ」という感じで、爆撃場面以外で印象に残っているのは、音楽とアンヌ・パリローの背中の美しさと彼女が着ていたフェルメール・ブルーのドレスくらいなのだけど。

「窓辺で手紙を読む若い女」を見ていたら、そばにいた若い女の子が「自愛に満ちた顔ねぇ」と感に堪えたようにつぶやいたのが聞こえた。・・・そうかぁ?
普通に手紙を読んでいる若い娘の顔だと思ったんだけど。
まあ、人がどう感じようが自由といえば自由なんだけど、つい最近も、湿度の高い場所で試合をして、消耗したサッカー選手の顔を見て魂の抜け殻と評したのを見たりしたもんでちょっと気になってしまった。
あんまり読みが浅いのもどうかと思うけど、深読みするのもなんだかなと思う。

ところで、国立西洋美術館は常設展の展示内容が若干変わっていて、グイド・レーニの「ルクレティア」が展示されていた。
説明付きだったのは、やはり「美の巨人たち」の影響かしらん。
ジョルジュ・ド・ラトゥール展の時にも見たような気もするけど、記憶が定かでない・・・。
この「ルクレティア」は「美の巨人たち」に出てきた聖母と同様にふくよかな感じで、顔も似ているので、「ベアトリーチェ・チェンチ」とは異質な感じ。
まあ、「ルクレティア」にしても聖母の絵にしても、いってみれば想像画で、ベアトリーチェ・チェンチは肖像画という違いなのかな。

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2005年7月 7日 (木)

ベアトリーチェ・チェンチ再び

7/2の「美の巨人たち」
メインはフェルメールの「真珠の耳飾の少女」だったのだけれど、内容的には去年の秋に放送したグイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチ」の回の再編集+α。
「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」は去年の放送時に深い感銘を受けたものの、録画していなかったので、とても残念に思っていたんである。
今回はしっかり録画できて、とても幸せ。

放送時にはほとんど無名だった絵が「絵画史上もっとも美しい女性の肖像画は?」の第三位に入ったということで、今頃はローマのバルベリーニ宮殿に足を運ぶ日本人観光客が増えていることでしょう。
かくいう私も、去年の放送でグイド・レーニに興味を持ったクチなので、この5月の連休にマルタ島を旅行した時に、国立美術館にグイド・レーニの絵画があるということで、これは見逃せないと見に行ったりした。
ただ、このマルタの国立美術館というのが、それはそれはこじんまりしていて、なかなか見つからない。
展示品もグイド・レーニ以外は「~派」みたいなものが多く、「国立美術館」と期待していくと肩透かしをくらってしまう。
時間に余裕があれば、あのこじんまり具合も楽しめたのかもしれないけれど、タルシーン神殿に行く予定をやめてまで探し回ったあげくのことだったので、ちょっと失望を禁じえなかった。

同じマルタの聖ヨハネ大聖堂にはグイド・レーニと対比されていたカラヴァッジォの絵を集めた部屋があって、そちらは質・量ともになかなか見応えがありました。
大聖堂も一見の価値あり。

メインで紹介されていたフェルメールの「真珠の耳飾の少女」は、去年公開された映画が面白かった。
映画の中のデルフトの町の「暗さ」が美しかったし、フェルメール役のコリン・ファースは、こんな主人と一つ屋根の下に暮らしていたら、そりゃ17歳の少女はドキドキしてしまうよね、という感じ。
少女役のスカーレット・ヨハンソンも絵から抜け出たようだった。

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2005年7月 4日 (月)

ささやかだけど気になること

掲示板やblogでプロではない人たちの文章を読む機会が多くなったけど、そこで気になるのが「さん付け」の「さん」を「サン」とカタカナ表記すること。「くん」を「クン」も同じく。
それと漢字の名前をカタカナにすることも、かなり気になる。たとえば「隆行」を「タカユキ」とかね。
どうみても鈴木より年下らしい子が「隆行くん」と書いているのをみるとかなり複雑だけど、本題とは違うので、この際それは置いておく。
カタカナの入力しか受け付けない機械とか、手書きでメモ書きする時なんかで漢字がわからない場合とか、表現方法として揶揄的にカタカナにしたりするのはわかるけど、そうでないなら普通に漢字で入力すればいいじゃないかと思う。
変換する手間は一緒なんだし。

こだわりついでに、もう一つ。
「ん」だけカタカナにするのも妙な違和感がある。
例:「そうなンだけど」「ちがうンだよ」
これについては、あえて違和感を狙ったのなら狙い通りですが。

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