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2005年11月21日 (月)

外国人が見た日本?

映画館で「SAYURI」の予告編を見た。
テレビで流れているCMの映像にも軽い違和感を感じていたけど、スクリーンで見るロング・バージョンの予告編はそれどころの騒ぎじゃなく、思わず絶句。
髪型も着物の着付けも色使いも、そして女優の表情も日本じゃないし、お寺が関帝廟に見えた。

予告編で映画を判断すると失敗することがあるのは承知しているけど、ストーリーはともかく、映像の色使いは1分だろうが2時間だろうがあまり大差はないはず、と思うのです。

今までも、外国映画の中の数々の「妙な日本」を見てきたし、いちいち腹を立てたりはしなかった。
日本や日本人をパロディ化したものはむしろ余裕で笑えるし、考証を厳密にしろというつもりもない。
ないんだけれど、「SAYURI」(の予告編)の微妙な「これは日本じゃないぞ」加減には、受け入れがたいものを感じてしまった。
お金をかけて真面目に作っているらしいだけに、よけいに。

これが「外国人が見た日本」だとしたら、イヤな現実を見たというか、なんだかがっかり。
日本人に潜在的な美意識を自覚させようという壮大な作戦じゃないか、と思いたくなるくらい、強烈な違和感だった。

追記:
邦画で花柳界を描いたというと、思い浮かぶのは「香華」かなー。
何年か前にBSで放映されたのを見たけど、原作でかなり補完しながら観たので、映画自体がどのくらい詳細に描いていたかは思い出せない。それと京都と東京の違いもあるし。
とりあえず有吉佐和子の原作は面白かったです。

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具体的なところで一番強く違和感を感じたのは、「襟」。
襟の抜き方と襟元の合わせ方と。

以下、追加:
この前の日に、カナダに住む日本人から「日本人の役に中国人ってどういうこと」と、たいそうおむつかりのメールを受け取っていた。
その日本人っていうのは妹のことなんですが、英語で演技ができる日本人女優というのも限定されるし(ハリウッド製作の映画で英語以外の言葉を使うことはまずあり得ない)、日本人俳優が日本人以外の役を演じることも多々あるわけだから、中国人が演じる云々は「まあしかたないんじゃないの」と、その時はそう返事をしたのだけれど、自分の目で予告編を見て、役者の問題はともかくとしても、「これが日本のイメージとして広まるのはイヤだな」と思ったんである。

それにしても、チャン・ツイイーも胸元のラインと半襟の出し方に違和感があるけれど、これはまだ許容範囲だとして(10歩くらい譲って)、ミシェル・ヨーとコン・リーは、まるで極妻。
で、これは演じる女優ではなく、製作側の姿勢の問題だと思うのですよね。
日本からしかるべき人を呼んで監修させるなり、着付をまかせるなりすれば、少なくとも、着物の着方に違和感を感じることは避けられたはず。
「トロイ」のように写真も絵も残っていない時代ならいざ知らず、明治時代の祇園は写真も資料も残っているし、それどころかモデルになった芸妓の写真まで存在しているのに、なんで、あんな「ハリウッド流」にしてしまったものか。
なんだか、「これって、ハリウッドの驕り?」とさえ思ってしまう。

思えば、「正統派」の日本映画を持ち出すまでもなく、時代考証も衣装もハチャメチャだった「あずみ」でさえも、「着物の襟の合わせ方」なんてことで違和感を感じたりしなかったし、日本人が映画を作る時には自然にできていることなのですね。

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