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2006年1月12日 (木)

感動=涙、かな

「純愛」、「感動」についての、ちょっと天邪鬼な意見です。
個人的には、映画やテレビドラマを見る時は、「泣くぞ、泣くぞ」と思いながら見るよりも、「泣くまいと思ったのに不覚にも泣いてしまった」というタナボタ的な涙のほうが好き。
そうはいっても「泣いてスッキリする」というのは精神衛生には良いことなので、ドラマに癒しやカタルシスを求める気持ちは自然なことだと思っている。
ただ、最近、映画やドラマの感想を読んでいて気になるのが「泣けなかったからイマイチ」と、どれだけ泣けたかで作品を評価してしまう傾向があること。

「思ったより泣けなかった」という不満を持つのはわかるんですよね。涙を流してスッキリしたかったのに、なんで?と感じてしまうのは、心情として無理のないことだから。
だけど、思うように泣けなかったからって、それで作品の評価まで決めてしまうのは、ちょっと極端かなと思う。
「泣けたから良い作品」かというと、そういうものでもないと思うし。
なかには単に泣くツボを抑えただけのベタな作りのモノもあるし、賞賛するにしろ批判するにしろ、流した涙の量を作品の評価の基準にしてしまうのは、短絡的じゃないかと思うんである。
泣くかどうかなんて自分のその時の精神状態にもよるし、人によって「泣きのツボ」も違うから。
まあ、最終的には人それぞれなんだけど、作品の楽しみ方としてもったいない気がするのです。

ところで、今さらながら「いま、会いにゆきます」の公式BBSをのぞいて見て、ドラマのラストの描き方が「わけがわからない」という意見があったのにちょっとびっくりした。
本放送の時、たまたま最終回を途中から見ていて、映画も原作も知らなくても(今も原作は未読だけど)「ああ、澪はタイムスリップしていたんだ」ということは、かなりいい加減な視聴のしかたをしていても自然と感じたことだったんですよね。澪のナレーションで具体的に説明もされていたし、回想シーンも時系列に沿っていたし。
そのあたりをすんなりと理解できるかどうかは、タイムトラベルの概念になじみがあるかどうかなんだろうけど、「時空を超える」という類の話って、ハリー・ポッターにも出てくるし、ファンタジーにはよく使われるくらいに思っていたのだけど、思いのほか浸透していなかったんだなーというのが意外でした。
年末年始に実家で「いま、会い」のDVDを見ていた時に、母にストーリーをかいつまんで説明したところ、「SFなの?」とやや面白くなさそうに言われたりしたので、「実はタイムスリップだった」というSF的な種明かしが気に染まない人はいても不思議ではないと思っていたのですが。

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コメント

こんばんは
感動=涙のご意見よくわかります。
泣けたらよいというものではないですよね。泣けなくても、よいものはよい。感動するものは感動しますもの。
ただ、作り手側の「さあ、泣け」みたいなものにも問題があるような気がします。
実は「あいのうた」は全然泣けなかったんです。
「いま、会い」も涙を流したのは、9・10話だけで。(あとは、ウルウル程度で)
私にとって映画やドラマで「泣く」というのは、どこまで「感情移入」ができるかみたいです。

また、すてきなご意見読ませてくださいね。
いつもまとまりがなく、ごめんなさい。

投稿: ひろろん | 2006年1月13日 (金) 00時00分

コメントありがとうございます。
成宮君の出演作では、たとえば「深呼吸の必要」は黙々とキビを刈り続ける起伏の少ない物語で、泣いたりはしなかったけれど、しみじみとした良い映画でした。
「いま、会い」も号泣はありませんが、今は好きな場面を次々見つけているところです。
「あいのうた」は私も全然泣けなかったというか、途中からドラマとしての不自然さのほうが気になって、感情移入できなくなってしまいました。
登場人物や物語の世界に感情移入できるかどうかって大きいですね。

投稿: きつね | 2006年1月14日 (土) 12時14分

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