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2006年1月23日 (月)

最近の歴史ドラマにおける距離感の欠如

スカパーのTBSチャンネルで再放送されていた「関が原」を見た。
オン・タイムで見た時にも面白かったと思ったものだけれど、全然色あせていなかった。
ナレーションの石坂浩二をはじめ、加藤剛(石田三成)、三船敏郎(島左近)、森繁久弥(徳川家康)、本多正信(三国連太郎)etc.と配役も豪華。
特に、森繁久弥の家康と三国連太郎の本多正信が謀をめぐらす場面、家康の打つ手が次々と決まっていく様子は、見ていてワクワクした。
関が原で東西に分かれる武将たちの動向を、どちらに肩入れすることなく描いていて、その「どちらにも肩入れしない描き方」が今見ると非常に気持ちが良いし、人物描写も立体的。
石田三成は、有能だけど時として策に溺れるし、豊臣家への忠義を忘れない信念の人だけど、理想主義過ぎて現実が見えていないところがある。
一方の徳川家康はリアリストで、政治家としては悪賢いまでの手腕を持ち、それでいて人間味もある。
もちろん、このあたりは司馬遼太郎の原作でしっかりと描かれているところなのだけど、その原作を無視して、妙な人物造型をするのが最近のドラマだから。
「関が原」にも一応、反戦というか厭戦を匂わす台詞も出てくるけど、それは物語のメインストリームとは関係のないキリシタンの青年に言わせている。

ほぼ絶賛モードなんですが、一つ不満だったのは音楽が安っぽかったなーと。主演が加藤剛ということもあって「大岡越前」みたい。

「大岡越前」の音楽と関が原の合戦シーンはミスマッチ。
でも、音楽担当の名前を見たら山本直純で、NHKの大河ドラマでは重厚な音楽も作曲しているから、TBSがそういう注文を出したのかもしれない。
それと、個々の繊細な感情表現とか、方言の台詞は、現在の若手・中堅どころの俳優もそんなに遜色はない、というか、この頃の役者よりも、むしろ上手い人が多くなっていると思った。主役の4人はちょっと別格だったけど。

加藤剛、森繁久弥、三国連太郎は普通に「ものすごく上手い」んだけど、三船敏郎って、台詞は棒読みで表情もあまり変わらないのに、その場面で何を考えているか伝わってくるから不思議。
「竹取物語」の時は、年齢のせいか、ただの棒読みになってしまっていたけど。

で、「関が原」の良かった点を挙げれば枚挙にいとまがないのだけれど、最近の歴史ドラマ、大河ドラマと決定的に違うのは、脚本に「距離感」がしっかり描かれていること。
自分が何に違和感を感じていたのかが、このドラマを見たことによって少しはっきりしてきた。

今月初めに、時代劇チャンネルで「利家とまつ」の終盤部分を見たのだけれど(オン・タイムは2ヵ月で脱落)、とかく言われた主役の2人はそんなに悪くなかったと思うのです。唐沢寿明はもとより松嶋菜々子も。
で、なにが悪かったかといえば、それはもう脚本と演出に他ならない。
たとえば、「前田家に家康に対する謀反の疑いがかけられて、疑いを晴らすために芳春院が人質として江戸に向かうまで」という場面。
「利家とまつ」では、家康が廊下(大坂城?)にいる芳春院(まつ)に近寄っていって、「仏になれ」とかなんとかいう。
「関が原」では、前田家が家老を釈明に向かわせる→家康が家老に「芳春院を人質に」と言う→芳春院が人質になることを決意、という流れで、場面も金沢城→大坂城→金沢城と移り変わる。
「関が原」の描き方は、オーソドックスといえばオーソドックスなんだけど、前田家と家康の力関係、地理的な距離感が視聴者に感じ取れるように描かれている。芳春院の人柄もしっかり伝わってくるし。
「利家とまつ」の描き方は、史実を知っていれば「こんな重要なことで謎かけしてどうするの」とか「家康と芳春院が同時に大坂城にいるという偶然が、一体どのくらいの確率で起こるのか?」とかツッコミたくなるし、史実を知らない人にとっては不親切もいいところで、これで前田家や法春院の置かれた状況が理解できたとは思えないし、脚本家が自分の考えた抽象的な台詞を使いたいがために無理やり設定を作ったようにさえ思える。

例に挙げた場面だけでなく、「利家とまつ」は、とにかく「まつ」があり得ないくらいにいろんな場に顔を出して、それに嫌気がさして見るのをやめてしまったドラマだけど、今にすると、あり得なさそのものよりも、あり得ないことを描いたことによって、歴史の空間、人間関係、時間等の距離感を歪めてしまったことが不快感の理由だったのだと思う。
無理を通したから道理が引っ込んだ、と。
NHKの大河ドラマは昔から無名の若手を起用していたし、演出もけっこう斬新で、そこが魅力でもあった。
ただそれは、原作と脚本という背骨がしっかりしていたからこそ成り立っていたのに、今は脚本からして暴走することが多いから、収拾がつかなくなってしまう。

ところで「関が原」の脚本は早坂暁だったのですね。
物語の展開、大勢の登場人物のさばき方、スポットのあて方、心理描写、どれも過不足がない。
早坂暁といえば、「夢千代日記」とか、「天下御免」、「天下堂々」といったユニークな作品というイメージだったけど、「関が原」のような一切奇を衒わない、王道中の王道の歴史ドラマを手がけていたとは知らなかった。それも見事な出来栄えで。
「天下堂々」みたいな才気に溢れたドラマを書いた人が、「関が原」ではオーソドックスに徹したところに、題材へのリスペクトとプロ意識を感じました。

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