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2006年2月

2006年2月26日 (日)

探偵事務所5“のサントラ

R25で「探偵事務所5“」の特集をやっていて、3月23日に待望のオリジナル・サウンドトラックが発売されるとのこと。
ずっと、あなたを待っていたんですよ!!

探偵をテーマにした曲を集めたコンピレーションアルバム付ということです。

3月1日には「探偵事務所5”」のDVDが出るので、そちらも当然楽しみにしているのだけど、サントラはまた別の楽しみがある。
あのかっこよい曲を聴きながら通勤したり、ウォーキングできるかと思うと嬉しい。

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女子フィギュア雑感(追記あり)

トリノ五輪・女子フィギュアスケートの雑感です。

荒川静香は、落ち着いて自分の力を出しきっての金メダルで、コーチを替えたこと、曲の変更は大きな賭けだっただろうけれど、決断が吉と出て良かった。
小手先でメダルを狙いにいったのではなく、荒川らしいプログラムで金メダルを獲得できたことがなによりでした。
アルベールビルで、伊藤みどりが圧倒的な高さとスピードのあるトリプル・アクセルで勝ち取った銀メダルにも感動したけど(いまだに、ラフマニノフの第二番の第三楽章を聴くと、伊藤みどりが三回転半を成功させた瞬間を思い出すくらい)、日本人選手が完成度と優雅さでメダルを獲得するようになったことには、また違った感慨があります。
ましてや「金」だし。
これからは、ネッスン・ドルマを聴くと、荒川静香のイナバウアーが思い浮かぶんだろうな。

スケーティング、選曲は素晴らしかったと思うのだけど、個人的な好みをいうとフリープログラムのコスチュームはあまり好きじゃないです。
荒川は肩と腕のラインが美しいのにそれが生かされていなくて、全体的にいかつく見えてしまった。トゥーランドットのイメージを出そうとしたのはわかるのですが。
蝶々夫人の時も着物をイメージしたデザインを取り入れていたけど、"くの一"か"あずみ"みたいだったし、東洋風なモチーフ自体は決して嫌いではないのだけれど、形やシルエットは奇を衒わないほうが良いと思う。
中途半端なオリエンタリズムよりは、選手の美しさを生かした衣装を希望。
で、安藤美姫のコスチュームはさすがワダエミだと思った。フィギュアスケートの衣装ということを尊重したのか、形はオーソドックスだけど、微妙な薄緑の色合いとわずかに見えた赤い色が「蝶々夫人」のイメージに合っていました。(追記:安藤が着こなせていたか、安藤を生かせたか、というと、そこには疑問符が付くけれど、あくまで「蝶々夫人」のフィギュアの衣装的解釈という点での評価です。)

エキシビションの荒川静香の衣装はきれいでしたね。こっちのほうが好きだなー。
まあ、あれを本番で着るわけにはいかないのだろうけども。

荒川静香とスルツカヤに注目していて、銀メダルのサーシャ・コーエン(クリスティーナ・リッチ似?)はあまり視野に入っていなかったのだけど、「ロミオとジュリエット」のオリジナルサウンドトラックからの選曲は一気に好感度が上がってしまいました。

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2006年2月24日 (金)

写真集「ヴィスコンティの遺香」

「ヴィスコンティの遺香」という写真集があります。
映画「山猫」のロケ地、生前の状態に戻したルキノ・ヴィスコンティの自宅や別荘等を篠山紀信が撮影した写真集で、「ルートヴィヒ」と「山猫」の衣装、ピエロ・トージ(衣装デザイナー)のデッサン、関係者のインタビュー、全作品リストなど資料としても貴重な写真やデータも収録されている。
ヴィスコンティ家は遡るとミラノ公国を支配していた家なので、その邸宅や別荘となると、歴史的な興味だけでも楽しめるし、建物や調度の数々は、ただ豪華なだけでなく格調の高さ、趣味の良さをしみじみと感じます。
買ったときは生涯で一番ビンボーな時期だったけど、思い切って買ってよかった(涙)。

本の中にイスキア島の別荘の寝室の写真があるのだけど、暖炉の上にヴィスコンティのお母さんの肖像画と輝くばかりのヘルムート・バーガーのポートレートが飾られていた。
ヴィスコンティとヘルムート・バーガーというと、その関係についてはいろいろいわれている(というか事実、ですね)ことがあるわけだけど、その写真を一目見て、すっかり胸打たれてしまいました。
ヴィスコンティの母親への思い入れはそれは深くて、そのことは「ベニスに死す」、「家族の肖像」等からもうかがえるけれど、その最愛の母親の写真と並べて写真を置くほどにヘルムート・バーガーを好きだったのか、と思って。

そんなヴィスコンティが、ひとたび映画の撮影になると、ヘルムート・バーガーには周囲には残酷に思えるまでに厳しかったということだけど、それこそが「映画監督」の「俳優」に対する愛情なんだと思う。
適当なところで妥協してOKを出すのは決して役者のためにも作品のためにもならない。
で、プライベートではヴィスコンティに対して驕慢な態度を取っていたというバーガーが、撮影中は監督に従ったというのも、根っこのところでは偉大なる監督への敬意があったからでしょう。
ま、撮影中にも生意気な態度を取るようでは「顔が良いだけのバカ」ということになってしまうので、いくら美形でもヴィスコンティが愛するはずはないですが。

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2006年2月22日 (水)

少年少女世界名作全集の思い出

少し前に書店で創元推理文庫から「メトロポリス」の復刻版が出ているのを見て、懐かしくて手に取ってみたりした。
この「メトロポリス」は実家にあった少年少女世界名作文学全集に収録されていたのを読んだのだけど、今にして思うと、ずいぶんマニアックなチョイスだったような気がする。子供の頃はただ無心に読んでいたけど。
その後、フリッツ・ラングの映画版がSF映画の古典的名作といわれていることを知り、深夜にテレビ放映されたのを見て、戦前に作られた映画とは思えないクォリティの高さと斬新さに驚いたりもしたけれど、原作は世界名作文学全集に入れるには、いささかマイナーな作品だったんじゃないか。
自分が編集する立場だったら選ばないかもしれない、いえ、選ばないだろう。
「子どもに読ませたくない」とかそういうことではなく、数ある少年少女向けのお話の中から、敢えて"これ"を選ぶということを思いつかないだろう、と思うのです。

で、その全集の収録作品リストを調べてみたのだけど、やっぱりユニークな編集だったと思う。
いえ、決して非難ではなく、むしろ、全集を編んでくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱいなんですが。
全集に入っていなかったら読まなかっただろう、でも読んで良かったと思う話があるから。

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2006年2月21日 (火)

冬季五輪の新たなる楽しみ

冬季五輪の楽しみというと、1にフィギュアスケート、2にジャンプ、だったのだけど、今回はスノーボードクロスが面白かった。
枠の色が決まっていて着順を競うところは競馬みたいだし、体を張った競り合いがあるところはサッカーみたい。
大どんでん返しがあったりするから、ゴールするまで目が離せない。
競馬ファンでサッカーファンにはこたえられない面白さでした。

これ、「スピード○、競り合い△」とかって予想したら楽しめそう。

-----+-----+-----
ところで、女子フィギュアは、これ以上、選手たちに余計なプレッシャーがかからなければ良いがと思う。
特に、マスメディア。
美姫大泣きで会見打ち切りって、なにをやっているのやら。
それも、たまたま地雷を踏んだというのではなく、前からタブーとされていた質問だという話もあって、どうしてわざわざそれを言うかな?
もちろん、選手の側だって、多少のことで動揺しているようでは上位にいくことは望めないし、メンタルを強くすることは必要だと思う。
でも、だからといってマスコミが無神経なインタビューをしていいことにはならない。
世論を代表しているつもりでいるのなら、なおのこと。
自国の選手の失敗を望む人は(普通は)いないのだから、動揺させるような質問は慎むべきでしょう。
ましてや、相手はまだ18歳の女の子ですよ。

こういうのも、「情緒」と「惻隠の情」の欠如じゃないですかね。
マスメディアの人間にそれを求めてもむなしいかもしれないけども。

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藤原正彦著「国家の品格」

人に勧められて読みました。感想は概ね同感。
情緒、惻隠の情、国語教育の大切さを、"海外で生活した経験の豊富な数学者"が説いているところがミソです。
「武士道」とか、ちょっと極端じゃないかと思えるところはあるし、どんな本にもいえることだけど、主張に100%同意とか共感ということはほとんどないので、「国家の品格」をまるごと肯定するつもりはない。
ただ、「今のこの時期に」この本がベストセラーになっている、ということは、それだけ今の状況に危機感を持っている人が多いということなんだと思う。
モラルの無さを論理(というより屁理屈)で正当化するような風潮が多々みられるような現状には、武士道くらい持ってこないとインパクトがないともいえるし。

個人的には「『国際人』になるためには、英語なんて二の次で、もっと国語を勉強しなさい!」に深く共感するところがあります。
日本をよく知らないまま海外へ行って、望むようには認めてもらえなくて、それを自分の英語が未熟なせいだと思い込んでさらに語学学習に精を出すけれど、それでも思うような成果が出なくて、次第に自信と主体性を失っていった、という例を知っているので。

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2006年2月17日 (金)

最期の顔、撮りません

朝の情報番組(ザッピングしていたのでチャンネルはさだかでないけど、たぶん4ch)の新聞の紙面コーナーで「葬儀の最期のお別れの際にカメラ付き携帯で故人の写真を撮る30~40代の人が増えている」という記事を紹介していた。
これですね。

葬儀でカメラ付き携帯を取り出すこと自体も不謹慎だけど、それ以前の話として、死に顔を撮ろうという気持ちになることが不思議。
撮りたいという気持ちも、人の死に顔の写真が自分の携帯のメモリに入っていることが平気だという感覚も、どちらも信じがたいです。
だいたい、故人が、写真を手元におきたいと思うほどにつながりの深い人ならば、生前の写真くらいは持っているんじゃないだろうか。
また、写真を持っていないのなら、そういう間柄だったということだし、それでも欲しいのなら遺族にお願いするなりすればいいことで。

最期のお別れをする時って、どんなに可愛がってくれた祖父母でも、親しかった人でも、実はちょっと見るのが怖い。ひとたび見れば「眠っているようだ」と思ってホッとするのだけど。
で、この「怖い」という気持ちは、別にオカルトチックなものではなく、自分にとっては未知のものである「死」に対する本能的な畏れだと思うのですね。

「死」への畏怖を失った人が「生」をどんなふうに捉えているのか、心配です。
しかも、30~40代が「当然のように撮る」というのがまたなんとも。

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2006年2月16日 (木)

現代国語の教科書と「故郷」

「いま、会いにゆきます」のDVDのパッケージの写真をなんとなく眺めていたら、パラパラ漫画が描かれている国語の教科書の文章が目に入ったのだけど、あれ、魯迅の「故郷」なんですね。
中学の時の授業を思い出して懐かしかった。
本編では別のページが映っているのでその写真のみのようだけど、こういう形で好きな小説を目にするのって、なんだかうれしい。
同じ出版社の教科書だったりして。

ただ、私が使った教科書は、人名などは「宏児、水生、閏土」と漢字にルビで表記されていたのが、写真中の教科書は「ホンル、シュイション、ルントー」とカタカナのみの表記になっていた。
改訂されちゃったんですかね。変えちゃったのか。どうして?
「漢字にルビ」でも、「中国ではこういう読み方をするのか」と特に疑問にも思わなかったし、中学生ならそれくらいの情報処理能力を持っていると思うのだけど。
中国は近代小説というと、少年少女世界文学全集に収録されていた「駱駝祥子」と、この「故郷」しか読んだことがないのだけど、「故郷」の最後の部分は本当に大好きなので、せっかく今も授業で取り上げているのなら、元のまま収録してほしかった。
「ホンル、シュイション、ルントー」ってなんだか味気ないし、こういうことをしているから、子供の読解力や思考力がどんどん落ちていくんだと思う。
もしも、ついていけなくて混乱する子がいても、それをフォローしてあげるのが教師の役目。

「故郷」の日本語訳
中国語テキスト

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外国語の発音練習と滑舌

セルビア・クロアチア語のテキストを買いに神保町へ。
彼の地にいる狼のガブズヴェスタの19番の情報収集のため・・・といいつつ、クラブの公式サイトは比較的英語の掲載が迅速なため、実は興味本位です。
で、その際、三省堂書店で面白いものを発見。
「千と千尋の神隠し」のフィルムコミックっていうのかな、そのフランス語版。
台詞の部分はフランス語だけど、擬音は日本語のままなのがおかしい。
こういうのって無性に好きなのだけど、一冊2500円くらいするし5巻あるので、さすがに手が出なかった。
フランス語の台詞が知りたかったらDVDを見ればいいのですけどね。

お金と労力はかけず、もっぱら教育テレビの語学講座を視聴したりと、非常に漫然とした学習態度ではあるけれど、語学を勉強するのが趣味(の一つ)です。
ただ、中国語のみは短期集中講座を受講したり、ネイティブの先生に教わりに行っていたことがあって、口の形や舌の位置を基本から教えてもらったのは役に立った。
肝腎の語学力のほうはさして向上したとはいえないけれど、外国語には日本語にない音があるので、それを学ぶことで日本語の発音をかなり意識するようになったと思う。
日本では「ら」行と認識されている「R」が中国語では全然違う音(yに近い音)だったり、「H」「G」が喉の奥で出す音だったり、など。

日本語も表記は五十音に簡略化されているけど、実は曖昧な音がたくさんあって、「滑舌が悪い」というのも、単純に発声と口の動かし方が悪い場合もあるけど、子音や母音を曖昧に発音していることが原因ということもあるような気がする。
もっとも、世の中には外国語は流暢なのに日本語の滑舌が悪い人もいるので、一概にはいえないけれど。

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2006年2月15日 (水)

映画「山猫」

BS2 衛星映画劇場放送予定
山猫 完全復元版 IL GATTOPARDO 1963年・イタリア/フランス 3月24日(金) 後7:30~10:38

DVDを買いたいと思いつつ、6300円という価格に躊躇していたので、放送されるのはとてもうれしい。
この映画は、高校生の時にテレビで見たのが最初。
その時は、やたらと長く感じて、「バート・ランカスターがアメリカ人なのにちゃんとイタリアの貴族に見えるのはすごい」とは思ったものの、「クラウディア・カルディナーレ(アンジェリカ役)が下品」とか「アラン・ドロン(タンクレディ役)が貴族に見えない」とか難癖をつけて、途中で見るのをやめてしまった。
でも、それから何年かしてから原作の文庫版を読んで、折りよくリバイバル上映をやっていたのでそれも見にいったら、かつての自分の鑑賞力が未熟だったことを思い知りました。
アンジェリカは「粗野だけど勢いのある新興勢力」を象徴しているわけで、それが監督の狙いなのだから「下品」というのは批判として的はずれだったし、タンクレディも老公爵との対比になる「若さ」を示す存在なので貴族らしさはそもそも主眼ではなく、でも、実はちゃんと貴族に見える。そう見えなかったのは自分の知識不足のせい。
タンクレディが「サリーナ公爵邸を訪れて、猟犬とたわむれながら公爵一家に挨拶する」というシークエンスがあるけど、颯爽とした身のこなしが闊達な貴族の若者そのものだったし、舞踏会のシーンでも微妙な心の動きを表現していて、「アラン・ドロンって演技の上手い人だったんだー」と認識を改めた。
だいたい、私が気づくような「貴族らしくなさ」があれば、監督のヴィスコンティが気づかないはずがなく、OKを出すはずがないのですね。正真正銘の貴族出身なのだし、完ぺき主義者で俳優の演技指導には厳しいことでも知られていたのだから。

それ以外も映画全編に原作が細部にわたって反映されていて、「映画と原作は別物」派なんだけど、「山猫」に関しては原作を読んでから見るほうがわかりやすいと思った。
ただし、映画が「原作を読まないとわからない」という描き方をしているわけではなく、映像の中の情報量が多くて、うっかりすると見過ごしてしまいそうだから、です。
これは原作に忠実でありながら、原作を超えた稀有な映画、だと思う。

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2006年2月13日 (月)

ティムシェル(汝、意思あらば、可能ならん)

土曜夜のテレビ朝日のSmaStation5でジェイムス・ディーン特集をやっていて、長年にわたる勘違いが一つ判明。
ずっと「エデンの東」で、ポール・ニューマンがジェイムス・ディーンとキャルの役を争ったと思っていたのだけど、ポール・ニューマンがテストを受けたのはアロン役だったのか、と。

「エデンの東」は、映画→テレビドラマ→原作の順で見ている。
原作は三代にわたる長大な物語で、善と悪の対立、原罪からの解放がテーマ(「BOOK」データベースからの受け売り)。
映画は原作の最後の一部分を描いたもの。
設定もストーリーもほとんど原作どおりでありながら、映画と原作でここまで異なる印象を与える作品も珍しい。どちらも紛れもない傑作なのだけども。
テレビシリーズはサリナスのレタス畑の風景などは映画と同じだったけど、ほぼ原作に忠実な内容で、やはり全体的に映画とは印象の異なる作品になっていた。こちらも面白かったけど。

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2006年2月10日 (金)

マスコミっていつから風紀委員になったの?

この元モー娘・加護亜依が喫煙で処分というニュースですが、法律で禁止されているということはおいても、喫煙は健康上の理由で、飲酒も酔っ払った時の不始末の責任を自分で取れないわけだから、未成年は手を出さないほうがいいに決まっているし、NEWSの件があったばかりなのに、人前で吸って写真に撮られてしまうなんて芸能人としての自覚に欠ける・・・。
・・・とは思うけど、大騒ぎするほどのことか?とも思う。
いえ、法律違反であることは確かなので、事務所が迅速に謹慎処分という措置をとったことは、まあ妥当でしょう。管理・指導不足はそのとおりだし、ヘタに開き直ったりしたら非難は激しくなるだろうし。
ただ、それはそれとして、最近のマスコミが風紀委員みたいになっているのは、なんだかイヤな感じがするのです。

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2006年2月 9日 (木)

カラヴァッジォと白い魔女

本とか映画を選ぶ時、基本的には自分の好みから逸脱しないというか、あまり冒険はしないほうなんだけど、ほんのときたま、自分の本来の嗜好ではないものに手を出して、予想外に影響を受けてしまうことがある。
映画「カラヴァッジォ」と、カラヴァッジォの絵画がそれだった。

映画の「カラヴァッジォ」は最初レンタルビデオで見たのだけど、きっかけは勘違いというか魔がさしたようなもの。
コスチューム物が好きなので、16世紀の画家の話だから借りてみるかと見始めたら、たしかに16世紀なのだけど、衣装は現代と変わらないし、暴力的だし、枢機卿の使者は突然バレエを踊りだすし・・・と、内容も描写も到底好みとはいえないものだった。
だけど、薄汚れた格好をした娼婦レナが、豪華なドレスを身にまとった瞬間から顔つきが変わり、野心を抱いていく様子、レナをモデルに「マグダラのマリア」を描く場面が妙に心に残って、ビデオとDVDを買ってしまった。はい、この2つの場面を見るために。

その後、都内でカラヴァッジォ展があった際に、映画を見たのも何かの縁だと思って出かけたのだけど、見た当初は、とにかくリアルで激しくてグロテスクな絵が多いし、展示会場である庭園美術館のアールデコの装飾とのミスマッチもあって(バロックとアールデコは合わない!)、感銘を受けることもなく、わりと不満たらたらでその場を後にしたのだった。連れは人ごみで不機嫌になるし。

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2006年2月 5日 (日)

BOYS~GRASSROOTS

連続だけど、「BOYS」という雑誌の話題。
ナイキが出している、1人のファッションディレクターが全体のスタイリングと写真を担当した本で、サッカーとファッションをコンセプトにしたムック、とでもいうのかな?
成宮寛貴、松田龍平、神木隆之介がメインで、他に小栗旬をはじめ若手俳優の写真とインタビューが掲載されています。
撮影風景の写真もあって、それも面白かった。

成宮寛貴のインタビューは、これまでいろいろな雑誌で細切れに載っていたものが、まとまった形で言葉になっていた。
言葉の端々に若さゆえの硬さ未熟さは見られるけれど、自己分析はできているし、強烈にプロ意識があって真面目なんだなと思う。
松田龍平はサッカー少年だったとのことで、これは意外だった(だって「NANA」のお腹・・・)。
でも、たしかにボールとの絡みは自然。

ナイキなので特別付録に「ロナウジーニョの技」というDVDがついていて、これもなかなか見ごたえがありました。やっぱりすごいよ、ロナウジーニョ。

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誠実さの中に見え隠れする意地の悪さ

2006年になって今更という気もするけれど、2002年の日韓W杯を巡る報道や著作物の中で、沢木耕太郎が露骨に前監督のトルシエへの嫌悪感を露にしていたのが、ちょっと不思議だった。
そういう作家じゃないと思っていたもので。
「シネマと書店とスタジアム」という本に、日韓W杯、長野五輪、シドニー五輪等に関する文章が載っているのだけど、それを読んで感じたのは、沢木耕太郎って意外と意地悪な人かもしれない、ということ。
ただ、断っておくと、私は意地悪な作家というのを必ずしも嫌いではないのです。
歯に衣着せぬ毒舌なんかは好きだし、チクッとした辛辣さも面白がるほう。
それに、多少の意地の悪さがないと物事の分析などはできず、したがってプロの文章は書けないと思うけど、ここでいう「意地悪さ」というのは、そういうプロの作家ならば誰しも持っている類のソレではなく、もっと個人的で特徴的なもの。

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2006年2月 4日 (土)

馬の装具をつけた騾馬

週刊文春の林真理子のエッセイで「SAYURI」についてとりあげていた。
「SAYURI」は国辱映画という感想には全面同意だし、「SAYURI」を誉めていた映画ライターが日本の伝統文化に疎いだろうという考察にもおおむね賛成。
でも、その理由が「私たちのように着物を来てこういう場にくる機会がないから」というのは違うと思う。
昔よりは日本人が着物に触れる機会が少なくなったとはいっても、「着物を来て特別な場に出る機会」などなくても、日常の生活の中で日本の文化に接して理解している人、「SAYURI」の日本の描写に違和感を抱いた人はたくさんいるでしょう。

こういうことを言ってしまうあたりが、林真理子の「背伸び」の限界だと思う。
世間には、お金の有無に関係なく、日本の伝統文化が好きで、生活に取り入れてきた人も少なくない・・・というか、そういう人のほうが多いはず。
コンサートでも観劇でも、好きで好きでたまらなくて、潤沢ではないお小遣いをやりくりしてチケットを買って観にいく、という人が大勢いるのに。
「お金がないと貴婦人になれない」といった「風と共に去りぬ」のスカーレットみたい(そういえば好きだったのでは?)。

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2006年2月 3日 (金)

顔文字について思うこと

興味の範囲が広がると、いままで見なかったblogとか掲示板を見るようになるものだけど、このところ、顔文字多用で文章もコギャル系なので女子高生が書いているのかな?と思った書き込みや記事に、よくみると「ダンナ」とか「子供」という単語があって、「あれ?」と思ったら主婦が書いたものだった、ということが幾度かありました
顔文字については、多用しすぎると文章できちんと表現できなくなりそうで使用を控えるようになったけれど、以前はよく使ったものだし、ニュアンスを伝えるのには便利なツールだと思う。
今でも(^_^)(^_^;)あたりなら使うし、某掲示板の力作AAを見るのは好き。
ここ数年来にメールやインターネットを始めた友人は、わりと顔文字を多用しているから、最初はどうしても使いたくなる魅力があるのかもしれない。
そういえばネットを始めたばかりの頃は、"パソコン通信「暗黙のご了解」事典"を読んでマナーのお勉強をしたこともあった。今思えば懐かしい・・・。

ただ、顔文字多用はともかく、「コギャル系文章を書く主婦」の存在は正直「想定外」でした。
主婦といっても年齢の幅は広いし、それだけパソコン及びインターネットのユーザーが広がったということなのだろうけども、ちょっと複雑。

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2006年2月 2日 (木)

「西遊記」と「魔界転生」のこと

成宮&釈がゲスト出演、好演を誓う…フジテレビ系「西遊記」
初回、キムタクが出ている場面を見て、「なんで番組が始まる前にスマスマのコントやってるの?」と思って以来、まともに見ていなかった。
成宮君出演という話を知った時は「金角、銀角のどちらか?」と思ったけど、人間の役ですね。
「西遊記」は、堺正章版も見ているし、子供向けの原作も読んでいるけれど、香取版は設定以外はオリジナルで、原作とは一切関係なさそうなので、どういう展開になるのか予想もつかない。設定にしても重要なキャラクターの馬が出てこないし、チラッと見た限りでは、孫悟空はなんだか怒鳴ってばかりいる。
香取慎吾は演出によって演技の質が激しく乱高下するタイプのようで、成宮君も脚本がしっかりしていないと迷いが見られることがあるので、ちょっと不安。
ただ、演出と脚本に左右されてしまうというのは、別の見方をすればそう悪いことでもないけれど。
どんな演出や脚本でも持ち味を発揮できれば役者としては得なのかもしれないけど、これは一歩間違えると「何をやっても○○」になる危険性もあるわけで、流動性があるほうが、不安定だけど可能性は大きいともいえる。

まあ、いずれにせよ、肩の力を抜いて楽しめばいいのですが。西遊記なんだし。
ところで、後ろ頭は半カツラだろうか。
従来の中国を舞台にしたドラマなら、まとめて髷かなにかにしそうだけど、時代考証も気にしてなさそうだから、そのあたりはよくわからない。

橋之助夢実現 舞台で「魔界転生」 自ら柳生十兵衛、天草四郎に成宮寛貴
こちらは本気で期待できそう。
「魔界転生」って、題材としては興味を持っていたのだけど、山田風太郎の原作を読むには、それなりの覚悟が必要だし(表現がね)、過去の映画化作品はビジュアル的に天草四郎のイメージが合わなかったので未見です。
ジュリーの天草四郎は、イメージという点では当時ではベストの配役だったと思うけど、映画化した時は33歳で、年齢はともかくとしても、見た目にかるーーく貫禄がつきはじめた頃。あと3~4年早く映画化されていたら、と思った。
窪塚洋介版は、年齢と雰囲気的には合うと思ったけど、スチール写真を見たらカツラが似合っていなかった。
演技力でかなりの部分をカバーできる役と、ビジュアルが優先する役があるけど、天草四郎は後者だと思うのです。若さとカツラと衣装が似合うかどうか、は重要な要素。ただし、ビジュアル優先といっても、演技ができることが前提ですが。

成宮君は殺陣もこなせるし、ビジュアル的にもタイミングも良いし(ヅラもOK)、相手は中村橋之助だし、非常に期待しています。
※橋之助、成宮君は「功名が辻」では石田三成と豊臣秀次だけど、大河出演が縁になっていたりするんだろうか。

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2006年2月 1日 (水)

小早川秀秋

ザッピングしながら「戦国自衛隊・関が原」を見ていたら、藤原竜也が小早川秀秋役で出ていた。これは適役ですね。
TBS版「関が原」では、小早川秀秋の「木の枝に止まりそうで止まらない蜻蛉」に象徴される儚げな様子から狂気にいたるまでを国広富之が演じていたのだけど、今の役者が演じるなら藤原竜也か成宮寛貴だな、と思っていた。
「功名が辻」も、ガイドブックで概要を知る前は、成宮君が演じるなら小早川秀秋のほうが良かったのにと思ったりもしました。
小早川秀秋って、歴史的には大物ではないけど、破綻があるところが演技者としては見せ場が多く、かつ、20歳そこそこで亡くなっているから「若くなくてはならない」役でもある。
しかも、関が原の戦いのキーマンでもあって。
あまりにもドラマチックな役割を背負わされたことに耐え切れなかった、ともいえるけども。
ただ、先日の再放送を見た印象では、「国広富之演じる小早川秀秋」に近いのは二宮和也かもしれない。表情とか挙措が。まあ、近くなくてもいいんだけども。

それにしても、反町隆史の台詞が全然聞き取れないのは相変わらずで、これまで聞き取りにくい印象のあった渡部篤郎が妙に聞き易かったのが意外だった。矯正したのか比較の問題なのか。
滑舌をうるさく言い過ぎるのは自分としてはあまり好きじゃないんだけど、「なにいっているかわからない」レベルはちょっと困る。表情の演技は良いのに、もったいない。

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