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2006年2月17日 (金)

最期の顔、撮りません

朝の情報番組(ザッピングしていたのでチャンネルはさだかでないけど、たぶん4ch)の新聞の紙面コーナーで「葬儀の最期のお別れの際にカメラ付き携帯で故人の写真を撮る30~40代の人が増えている」という記事を紹介していた。
これですね。

葬儀でカメラ付き携帯を取り出すこと自体も不謹慎だけど、それ以前の話として、死に顔を撮ろうという気持ちになることが不思議。
撮りたいという気持ちも、人の死に顔の写真が自分の携帯のメモリに入っていることが平気だという感覚も、どちらも信じがたいです。
だいたい、故人が、写真を手元におきたいと思うほどにつながりの深い人ならば、生前の写真くらいは持っているんじゃないだろうか。
また、写真を持っていないのなら、そういう間柄だったということだし、それでも欲しいのなら遺族にお願いするなりすればいいことで。

最期のお別れをする時って、どんなに可愛がってくれた祖父母でも、親しかった人でも、実はちょっと見るのが怖い。ひとたび見れば「眠っているようだ」と思ってホッとするのだけど。
で、この「怖い」という気持ちは、別にオカルトチックなものではなく、自分にとっては未知のものである「死」に対する本能的な畏れだと思うのですね。

「死」への畏怖を失った人が「生」をどんなふうに捉えているのか、心配です。
しかも、30~40代が「当然のように撮る」というのがまたなんとも。

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昨日は珍しくSeesaaのサーバー障害で、 まったくブログが見れずやっと更新ができました。 お陰でアクセス数が166で最小アクセス数更新ですね。 さて毎日新聞でこんな記事がありました。 「お葬式:カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派」 お葬式の際、亡..... [続きを読む]

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