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2006年3月

2006年3月23日 (木)

功名が辻・第11回

昨日の春分の日は花見がてら新宿御苑へ出かけた。
今の時期の見どころは白木蓮。
ちょうど満開には行き合わせたけど、寒かったせいか例年よりも花の一つ一つがこぶりで、その代わりというか、びっしりと咲いていた。
梅、木瓜、桜、木蓮が一度に見られるという、妙なのか幸運なのかわからない花見だった

ところで、大河ドラマ「功名が辻」は治兵衛(秀次の幼少期)が登場。
可愛らしい健気そうな子で、今から感情移入してしまいそう。
子役をここまでフィーチャーするということは、成人後の秀次にもかなりスポットライトが当るということだから期待は大きい。その分最期はせつなさが増すだろうけど。

「功名が辻」は面白い回と面白くない回が混在しているけど、前回は面白かった回。
初回の「かぁかぁれぇぇぇ」で先行きがどうなることかと頭を抱えてしまった舘ひろしの織田信長が、思いのほか凄みが出ていた。
数珠を引きちぎるという演出もよかった。
高橋幸治、高橋英樹の信長には及ぶべくもないけれど、藤岡弘、石橋凌よりはこっちのほうが好き。
個人的には緒形直人の信長はそんなにきらいじゃないんだけど、諫言されて自分の体に刀を突き立てる場面には呆れたものだった。でも数珠ならわかる。
浅野ゆう子もこれまでワンパターンの演技が好きじゃなかったけれど、寧々役は「複雑な思いを抱く賢妻」という感じが出ていて見直してしまった。
今の時点なら千代よりも寧々のほうが魅力を感じるな。千代は可愛いけど、まだ底が浅い。
三谷幸喜の足利義昭は大健闘で、けっこう伊丹十三に近づけている。
光秀と秀吉を対比させた描き方も面白かった。
一豊役の上川隆也は最初から期待していた人の1人で、期待通りです。
一豊夫妻は原作よりもドラマのほうが魅力的だと思う。

司馬遼太郎原作で戦国時代というと、どうしても「国盗り物語」と比較してしまうけど、「功名が辻」もそれなりに特色は出しているし、踏襲すべきところは踏襲しているので、だいたいのところは好印象。時々、さしはさまれる千代の反戦思想は鼻につくけど。

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2006年3月22日 (水)

親切と憐憫

文藝春秋に村上春樹が寄稿したことについて、一部に批判的な意見があるのをみて、最初は「被害者なのになんだかなー」と村上春樹に同情的な意味合いでわりきれなく思っていたのだけど、考えてみると、故人に対しても必ずしも優しくはないのですね、一連の擁護の意見。
で、村上春樹への批判を分類するとおおまかにいってこんな感じ。
・原稿の所有権に関する主張について
・死者を鞭打つのはいけない
・何年も経ってから言い出すべきじゃない
・小説を書いていたことを持ち出すのは気の毒
・強者(知名度の高い、影響力のある人間)が弱者を叩くのはフェアじゃない
論外な意見として
・お金を持っているんだから自費で買い戻せ(オイオイ)

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2006年3月20日 (月)

リチャード三世

NINAGAWA SHAKESPEARE DVD-BOXのもう一本、「リチャード三世」についてです。
リチャード三世については、エドワード四世の2人の王子殺害の黒幕という通説も一応は知っていたけれど、苦悩する誠実な人間として描いた森川久美の漫画「天の戴冠」と、伝えられる数々の悪行は冤罪だったとするジョゼフィン・テイの小説「時の娘」のイメージが強かったりする。
シェイクスピアのオリジナル作品(っていうのかね)は、戯曲を読んでいない作品でも、ラムの「シェイクスピア物語」でおおよそのところを知っているけれど、「リチャード三世」は歴史劇なので「シェイクスピア物語」には含まれておらず、したがってシェイクスピアが描いたリチャード三世像については長いこと知らないでいた。
かなり前にBBC製作のシェイクスピア劇場を見てはいるのだけど記憶が薄くて。
なので、しっかりと意識して見るのはこの蜷川版が初めてです。
で、まず感じたのは「このリチャード三世、悪いヤツだなー」ということでした(笑)。
斟酌なく思いっきり極悪人として解釈しているなあ、と。解釈というかシェイクスピアがそう書いているのだけど、

つねづね「史実とフィクションは別物」と思うことにしているし、この悪人のリチャード三世像のほうが長く伝えられてきたものであることはわかっているのだけど、善人説のほうが刷り込まれているもんで違和感が強かった。なにしろ真逆の人間像だから。
しかも舞台では、リチャードが亡霊たちに「絶望して死ね」と罵倒されているかたわらで、リッチモンド伯(やけにかっこいい)が励まされているし。
2王子殺しは実はリッチモンド(ヘンリー7世)が真犯人という説もあるから「二人の王子よ、呪う相手が違っているぞー」と思わずにはいられませんでした。
舞台上の市村リチャードは絵に描いたような狡猾で冷酷な悪人で、亡霊たちに「絶望して死ね」といわれるにふさわしい人物なのだけど。

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2006年3月14日 (火)

ある編集者の生と死について

手書き原稿流出事件について
村上春樹の名前を見かけたので、この件に関するニュースだとかネットの意見だとかを興味深く見ていたのだけど、問題の編集者がわりと有名な人で、村上春樹を罵倒していたことなどは初めて知った。
村上春樹は、一時期・・・というか、相当期間ハードカバーの発売日に書店に駆けつけるくらいに好きだったけど、「好きだから読む」というそれだけなので、批評だとか村上春樹が誰の世話になったとか、そういうことには興味がなかったもので。
手書きの原稿についても、高値がつくといわれれば、そういうものに価値を見出す人、欲しがる人はいるだろうし、今の知名度ならばさもありなんという程度の認識です。
この件、出版社のコメントも出ているし、村上春樹は過去の言動から、この手の話でいい加減な発言はしないと思われるせいか、事実関係よりも当事者同士の心境についていろいろ推察や憶測が飛び交っているのが「へぇ」という感じだった。

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2006年3月13日 (月)

注目の若手俳優100人に

「日本映画navi」というムックの「日本の映画界を面白くする注目の若手俳優100人」に成宮君が(当然のことながら)入っていた。
割かれているスペース自体は小さいのだけど、「『ラヴァーズ・キス』では少女漫画から抜け出したようなルックス」云々、「あずみ」の壮絶な討ち死のシーンに言及していたりと、非常にツボをおさえた紹介文で、「これを書いた人、なかなかわかってらっしゃる」とちょっとニコニコ。

「少女漫画的」っていいほうにも悪いほうにも使うけど、映画「ラヴァーズ・キス」については、私は最大の賛辞として使っている。
良い意味での少女漫画のエッセンスがちりばめられた映画だから。
原作を描いた吉田秋生については、どちらかというと少女漫画らしくないというか、少女漫画の枠を超えた漫画家と捉えているけれど、「ラヴァーズ・キス」は、その「枠を超えた少女漫画家」が珍しく描いた少女漫画の王道的な作品という印象を持っている。
で、「ラヴァーズ・キス」における成宮君の「少女漫画から抜け出した」っぷりというのは、単純に顔や髪型ではなくて、もっと深いところで感じるものです。それがなんなのか、具体的に伝えるのは難しいのだけど。
(この映画をキライな人って、少女漫画自体がキライか、原作の少女マンガらしくないところを好きな人なのかなーと思ったりする。)

「あずみ」についても、ただ出演作の一つとして名前があがるのと、「うきは」の最期のシーンについて触れてあるのとでは全然違うから、ちゃんと書いてあったことはうれしかった。

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2006年3月10日 (金)

映画「ナルニア国物語」

「ナルニア国物語~第一章~ライオンと魔女」を観てきました。
このところ立て続けにファンタジー映画ばかり観ていたせいで、ファンタジーというものに、さすがにちょっと食傷気味になっていて、実のところ「ナルニア国」には、そんなに期待していなかったのです。ディズニーも最近はネタ切れの感が強かったし。
でも、予想していたよりもはるかに面白かった。
この映画の4人の子どもたちは普通の子どもたちで、そこがいい。
基本的には映画では普通の容姿の俳優よりも、美男美女、美少女と美少年を見るほうが好きなんですけどね。

「ロード・オブ・ザ・リング」の叙事詩的な壮大さ、迫力ある戦闘シーン、「ハリー・ポッター」のクィデッチの疾走感みたいなものはこの映画にはないけれど、そのかわり、子ども時代に読んだ(もしも読んでいれば、ですが)おとぎ話の世界が凝縮した楽しさに満ちている。
100年間冬のままのナルニア国もさることながら、4人の子どもたちが疎開する田舎の古くて広い屋敷が特に気に入りました。

もともと英国の古い屋敷が出てくる小説や映画は好きなのだけど、ナルニアに出てきたのは、趣のある黒ずんだ木の手すり、どっしりとしたドア、子どもが入り込める戸棚etc.がたくさんあって、こんなところでかくれんぼをしたら本当に楽しいだろうなと思う。
ただし、「夜に肝試し」だけはお断りしますが。
登場人物がきれいなクイーンズ・イングリッシュを話すのも好きなところ。
末っ子のルーシーとフォーンのタムナスさんがお茶を飲みながら話す場面も、ルーシーのティーカップの持ち方から会話まで、英国のムードにあふれている。

映画の冒頭でロンドンの空襲の場面が入るけど、これは原作にはないとのこと。
でも、現代の観客に物語の時代背景や子どもたちが置かれた状況を説明するうえで重要かつ必要な場面だった。
こういうのを「脚色」っていうんだなと、ひとしきり感心。

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2006年3月 5日 (日)

技術と表現と音楽と

トリノ五輪フィギュアスケートのエキシビションの録画を改めて見たのだけど、「アイーダ」から「椿姫」と、いかにもオペラの国の五輪、というプログラムが続いたのが楽しかったです。
「アイーダ」は今ではサッカーのイメージも強いけど。

エキシビションを見ていて、フィギュアスケートは表現力と技術の両方あってのものなんだ、と今更ながら感じました。
採点をする本番が技術勝負になるのはいうまでもないけど、採点のない、自由な表現の場であるエキシビションでも、メダルに手が届かなかった選手たちも工夫を凝らして面白い試みはしていたけれど、メダリストたちのより高度なテクニックに裏づけされた表現力の前には見劣りした感がいなめなかった。
本番の緊張から解き放たれた場での演技を見て、改めてコーエン、スルツカヤ、荒川は技術的には同じレベルにいて、3位以上と4位を画する一線がある、と思った。
で、技術的には同レベルの選手たちのメダルの色を決するのが、その日の身体的なコンディションであり、表現力であり、メンタルなんだろう、と。
メダル云々を抜きにしても、村主のスピンの軸足がもっと真っ直ぐ伸びていたら、一つの動作をもっと長く続けることができたら、もっと観客に与える感銘は大きかったと思う。凝った演出よりも、長いスパイラル、イーグルのほうが見ていて楽しい。荒川のイナバウアーはいうまでもなく。
ジャンプにしても、滑りや他の技がきれいにできてこそ、生きるものだと思うし。

で、私にとってのエキシビションのハイライトは、やはり荒川静香と"鼻王子"プルシェンコでした。

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2006年3月 2日 (木)

クラシックへの入り口

五輪のエキシビションで荒川静香が使ったセルティック・ウーマンの「You raise me up」をいいなーと思っていたのだけど、CDショップに行ったらSisselが唄ったバージョンが入ったCDが並んでいたので衝動買いしてしまいました。
Sissel版もアレンジ、歌唱ともに良いです。
Sisselって、なによりも透明感のある声が好きなのだけど、クラシックとポップスで微妙に発声と唄い方を変えているところも好きです。
ところで、フリーで使用したヴァネッサ・メイの「トゥーランドット」も再発売されるということで、これも朗報。
2004年のグランプリファイナルの時に欲しくなって、探したものの見つからず、やむなく「誰も寝てはならぬ」の部分のみが入っているベスト盤を買いました。これも良いんですけどね。

漫画「のだめカンタービレ」ヒットの影響もあって、巷はクラシック・ブームであるらしく、五輪はそれに拍車をかけそうですが、よい傾向だと思います。
トリノ五輪でオペラを好きになった人は、クラシック音楽と幸せな出会いかたをしたと思う。
ポップスもクラシックも、好きな比重はかわらないけど、クラシックにはポップスとは一味違った魅力(高揚感とか)があるから、知らないよりは知って、そして好きになるほうが楽しみが広がると思うから。
その日その時の気分で聞き分ければよいのだし。
ただ、クラシックの演奏者の練習量や曲の解釈、洗練度に関しては若干多めに敬意を払っています。

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ところで、今まで寡聞にして知らなかったのだけど、「クラシカル・クロスオーバー」というジャンルがある、というかできたのですね。
クラシックとポピュラーの要素を融合させたジャンルのことだそうで、クラシックとポップスの両方を唄う人を今までどう呼べばいいかわからなかったけど、これからはそういえばいいのか。
(カテゴライズすることが特に重要なわけではないけれど、時々、必要になることがある)
呼び方はクラシカル・フュージョンでもよさそうな気もするけど。

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