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2006年3月 5日 (日)

技術と表現と音楽と

トリノ五輪フィギュアスケートのエキシビションの録画を改めて見たのだけど、「アイーダ」から「椿姫」と、いかにもオペラの国の五輪、というプログラムが続いたのが楽しかったです。
「アイーダ」は今ではサッカーのイメージも強いけど。

エキシビションを見ていて、フィギュアスケートは表現力と技術の両方あってのものなんだ、と今更ながら感じました。
採点をする本番が技術勝負になるのはいうまでもないけど、採点のない、自由な表現の場であるエキシビションでも、メダルに手が届かなかった選手たちも工夫を凝らして面白い試みはしていたけれど、メダリストたちのより高度なテクニックに裏づけされた表現力の前には見劣りした感がいなめなかった。
本番の緊張から解き放たれた場での演技を見て、改めてコーエン、スルツカヤ、荒川は技術的には同じレベルにいて、3位以上と4位を画する一線がある、と思った。
で、技術的には同レベルの選手たちのメダルの色を決するのが、その日の身体的なコンディションであり、表現力であり、メンタルなんだろう、と。
メダル云々を抜きにしても、村主のスピンの軸足がもっと真っ直ぐ伸びていたら、一つの動作をもっと長く続けることができたら、もっと観客に与える感銘は大きかったと思う。凝った演出よりも、長いスパイラル、イーグルのほうが見ていて楽しい。荒川のイナバウアーはいうまでもなく。
ジャンプにしても、滑りや他の技がきれいにできてこそ、生きるものだと思うし。

で、私にとってのエキシビションのハイライトは、やはり荒川静香と"鼻王子"プルシェンコでした。

プルシェンコの曲が「トスカ」だったのもイタリアでの五輪の最後を飾るのに相応しかったし、スターマインみたいなジャンプの連発も楽しかった。あれだけジャンプを軽々と決められると、感動というよりも笑いが出てしまうのはなぜだろう。
女子は3位と4位の差が大きかったけど、男子は金と銀にはっきりとした差を感じました。
本来は叙情的なもの、気持ちの入った表現が好きなのだけど、圧倒的な技術・技巧に心を動かされることもたまにだけどあって、今回のプルシェンコがそれ。
この感動とはちょっと違う「笑っちゃうくらいすごい」っていう感じも、それはそれで心地よいので好きです。
ニーナ・アナニアシビリの黒鳥(32回転)とかギターの超絶技巧のソロ演奏を見た時に感じたのと同質の楽しさ。

荒川はまったく奇をてらわないプログラムだったけど、メロディに乗ったスケーティングの滑らかさ、一つ一つの技の美しさ、腕の表情にとにかく魅了されました。
プルシェンコがスポーツとしてのフィギュアだとすれば、荒川静香は表現としてのフィギュア、とでもいうんだろうか。
女子シングルの選手のうち、荒川が一番手足が長くてプロポーションが良いというのに、時代は変わったーとしみじみ思いました。

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