伊丹十三の大野修理
伊丹十三って、今はたぶん映画監督として記憶されている向きが多いと思うけれど、私にとってはまずエッセイスト、それから俳優という順で記憶した人だった。
「貧乏はしかたがないけど貧乏くさいのはイヤ」という考え方は伊丹十三に影響されたものだし、パスタをアル・デンテに茹でることもエッセイを読んで知りました。
そして俳優・伊丹十三については「風神の門」の大野修理役で印象づけられたと思う。
製作年度は足利義昭を演じた「国盗り物語」のほうが古いけれど、本放送の時は義昭の印象がなかったので、私にとっては「風神の門」の大野修理の印象のほうが先。
再放送を見逃しているため、「風神の門」は26年前に本放送を一度見たきりなのだけど、最終回の大野修理の台詞と表情は長い間ずっと記憶に残っていた。
26年ぶりに最終回を見て不覚にも涙ぐんでしまった。
大野修理は淀君の側近大蔵卿局の息子で、大坂城の実務責任者なのだけど、これが優柔不断で無能な人物で、主人公の霧隠才蔵などは初対面から嫌いになって以後は小馬鹿にし続けるほど。
真田幸村と初めて対面する場面では、背筋を伸ばしてまっすぐ歩く端整な幸村とせかせかと落ち着きがなく片方の肩を下げた姿勢で廊下をジグザグに歩く大野修理が対照的だった。
足利義昭は「勝ち目のない戦さを仕掛ける」無能さだけど、大野修理の場合は、その優柔不断と判断力の無さで勝機を自らどんどんつぶしていく。
野戦を主張する幸村、後藤又兵衛の意見を退けて籠城に固執したり、又兵衛の作戦を横取りしたり、所司代板倉にだまされて大坂城の堀を全部埋められたりと、もう散々です。
そんな大野修理が落城を目前にした「もはやこれまで」という局面で、妹・隠岐殿の「私はキリシタンなので自害はできない。敵と戦って死にたい」という願いを、母(大蔵卿局)の反対を押し切って許すのだけど、その場面の伊丹十三の演技がほんとうに素晴らしかった。
「おみつ! 良い、行け、兄が許す・・・行け」というこれだけの台詞なのだけれど、その表情と声から万感の思いを感じ取ることができる。
で、ここは演出っていうのかな、それも良いのです。
隠岐殿と大蔵卿局は向き合っているけれど、修理は二人に背中を向けてやりとりを聞いていて、隠岐殿から修理の表情は見えないし、修理にも隠岐殿の顔は見えない。
だから、隠岐殿が「大坂のため、城のために討ち死になされたご牢人達のためにも、みつは戦い抜こうと」と言った時に修理がかすかに表情を変えたことは隠岐殿からは見えないし、大蔵卿局が「死んだのは何も牢人だけではない。牢人牢人と何じゃ、好いたお人でもいたように」と言った時に隠岐殿が一瞬遠い目をするのも修理からは見えない。
二人の表情の変化を見ることができるのはテレビの前の視聴者だけ。
大蔵卿局の言葉は実は図星なのだけど、大蔵卿局は幸村と会ったことはないし「真田丸とは誰じゃ?」と尋ねたことがあるくらいに世事に疎いから、隠岐殿が幸村を好きだということは知らないので、「好いたお人」というのはあくまでも言葉のあや。
修理は「牢人」という言葉に反応して、自身のなにがしかの感慨から隠岐殿の願いを聞き入れるし、隠岐殿も兄の気持ちはわからないまま、ただ感謝の表情を浮かべる、という演出が心にくい。
ところでこれはうろ覚えなのだけど、「風神の門」撮影中に伊丹十三が体調不良~復帰というニュースを見た記憶があって、駿府編にかなり時間を割いたのは伊丹十三待ちだったのかもしれない。
この大野修理に代役なんて考えられないし、かといって修理殿なしで話を進めたら大坂城の堀も埋めないままで歴史が変わってしまいそう。
伊丹十三は、映画「細雪」の「養子の辰雄さん」も良かったです。
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