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2006年7月25日 (火)

功名が辻・第29回「家康おそるべし」

「功名が辻を」視聴再開したのですが、再開といっても全然見ていなかったわけではなく、本能寺の変で濃姫が「打ち掛けも脱がずに小刀で武装した兵相手に」大立ち回りをするのを見て呆れ返ったりはしていました。
濃姫が武道の達人で立ち回りをするのはいいけど、「急を聞いて駆けつけた」のなら打ち掛けは脱いで来るし、長刀くらいは用意していくでしょ、と。

さて、「家康恐るべし」です。
待ちに待った秀次登場。
成宮君の秀次は顔はもちろんのこと、挙措もとてもきれい。
周囲に比べるととにかく若さが目立って空回り気味の秀次。
16歳という設定だし今後の展開を考えればこれはもちろん意図したものですね。
ただ、登場するなり不自然な説明台詞を言わされていたのにはがっくり。
「治兵衛でございます」で良かったのに。

説明台詞を自然に言うのも役者の技量のうちではあるけれど、「調略のため人質に出ていた・・・」というのを説明と感じさせずに言うのはどんな名優でも難しいと思う。(頭の中で仲代達矢、緒形拳で想像してみたけれど、やっぱり説明口調になってしまいます)
治兵衛の存在を忘れていた視聴者への配慮なのかもしれないけど、大きなお世話。
小牧・長久手の失態が優しさゆえという解釈はアリかもしれない。優しさは時として弱さに通じることがあるから。

千代と一豊が夫婦喧嘩をする場面では、千代の口調の理詰めで可愛げがないところが効いていたのだけど、真摯に訴えかける場面でも千代(というか仲間由紀恵)って声のトーンと台詞回しが同じだったりする。
前から感じていることなのだけど、仲間由紀恵はシリアスな場面になると表情や声に叙情性がなくて単調になってしまう。演技の引き出しが少ないというか、感情の振幅が狭いというか。
たとえば(あくまでも例です)「涙ながらに訴える」という場面でも、いろんなパターンの訴え方があると思うのだけど、仲間由紀恵はそれがワンパターン。コミカルな演技はバリエーションが豊富なのに。
一方の一豊役の上川隆也は、どちらかというと生真面目な人という印象だったけど、これまでにいろいろな役をやってきているだけあって、コミカルな場面からシリアスな場面まで表現が多彩。

小牧・長久手の戦いに至るまでの秀吉と家康の駆け引きは、(このドラマとしては)久しぶりに面白かった。
西田敏行の家康のタヌキ爺っぷりも良かったけど、徳川家の三悪人(笑)も良かったです。特に織田信雄を小馬鹿にする酒井忠次が。
酒井忠次役の森田順平は大河ドラマではポイントを押さえた役どころが多い人で、「草燃える」の北条時房役は特に印象に残っています。
徳川家の一連の場面は台詞に違和感がないので安心して見ていられたのだけれど、これは原作のイメージに忠実だからだと思う。
これがかつての信長絡み、今の秀吉周辺の場面になると、「なんかヘンだぞ?」という設定変更や台詞が多く、せっかく柄本明が面白いことをやっても入り込めなかったりと、脚本のダメさが俳優の演技の足を引っ張っていることが多い。
それでも尻叩きは面白かったですが。

スカパーで「翔ぶが如く」を全話放送中だけど、脚本がしっかりしていると演じる俳優もやりやすそうだし、見ているほうも安心感があります。
時代は違えど司馬遼太郎原作という点では同じなのに、と思うとため息がでる。

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» 家康の遠州の拠点 浜松城(1) [功名が辻 山内一豊・千代ゆかりの地を訪ねて]
 前身は引馬(曳馬)城。 1560年、今川義元が桶狭間で信長に討たれた後、家康が引馬城を攻め落とした。1570年、岡崎城を息子の信康に譲り、曳馬城に入城。しかし、引馬という名は馬を引く=敗北を思わせ、縁起が悪いうことで、浜松荘と呼ばれる荘園から名をとり、城名・地名を「浜松」とした。また、遠州を支配するには手狭だったため、改修を加えて引馬城の西南に浜松城を築城した。以後、静岡の駿府城に入るまでの17年間、在城することとなる。この期間に有名な姉川・長篠・高天神城・小牧・長久手の戦いが行われた。1572... [続きを読む]

受信: 2006年7月29日 (土) 08時25分

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