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2006年8月

2006年8月28日 (月)

ノヴェレッテンNo.21-1

iPodで「のだめ」というプレイリストを作成開始。
こういうことを始めると曲を揃えたくなってしまうので、またCDが増えていく・・・。
「のだめ」のCD BOOKを買うという手もあるけれど、ミーハーなりに演奏者に好みもあって、そこにこだわりたい気持ちがあったりもするのです。

「のだめカンタービレ」のドラマ化に際して、出演者と登場人物のイメージという視覚的な問題も大きいのだけれど、音楽もそれに劣らず重要。
漫画の中では曲名と五線譜で表現されていて、頭の中で想像している音楽をドラマでは実際に音として流すわけで、そこがドラマ化の楽しみな点でもあり、不安な点でもある。

音楽そのものが題材ではないけれど、音楽の使い方が印象的だったのが大林宣彦の「ふたり」。
ヒロインがピアノの発表会でシューマンの曲を、最初は自信無さそうだったピアノの音が、しだいに力強くなっていき、最後にはシンフォニックな音が重なる、という場面が印象に残っている。
・・・なんていうことを考えていたら、その曲(ノヴェレッテン第一番)が聴きたくなって、アマゾンで購入してしまった。
映画のことを思い出したついで(といってはなんですが)に、久しぶりに「謝肉祭」(の「休息」~「ペリシテ人と戦うダビデ同盟の行進曲」)を聴いたのだけど、前よりもシューマンが好きかもしれない。
ちなみに、「謝肉祭」は中村紘子が出演していたカレーのCMで知りました。
映画「ふたり」は、ピアノの発表会の会場がお寺の本堂だったのも、風情があって好きだった。

で、この「ふたり」を思い出したことで、映画「ラヴァーズ・キス」に不満な点が一つ浮かんできた。
里伽子がピアノを習っていたことは台詞では説明されていたけれど、原作にあった里伽子が「テンペスト」を弾く場面が欲しかったなと。
「テンペスト」を里伽子が弾く、という場面を映像と音で見せれば、それだけで里伽子がかなりの年月をピアノに取り組んできたことを説明できた。
原作の「里伽子がピアノを弾いていた」という場面で曲をテンペストに設定したのは、なかなか深いなーと思うんである。
音の表現が可能な映画でそれを活かさなかったのはちょっともったいなかった。
朋章のテーマ「月の光」は生かしていたのに。

劇中音楽が登場人物のパーソナリティを象徴している映画は多々あるけれど、他にとりわけて印象的だったのが「眺めのいい部屋」のベートーヴェンとルーシー、それから「レオン」の同じくベートーヴェンとスタンフィールドだった。

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2006年8月27日 (日)

ゲド戦記(原作と映画)

「ゲド戦記」の原作を読了。
すんなり一気に読めました。
「多島界(アースシー)」という世界観が面白かった。
「真の名」は「陰陽師」の「呪」にも通じるし、黄泉の国の概念も、古事記・ギリシャ神話と似た部分があるので、このあたりは洋の東西を問わない概念なのかな、なんて思ったりした。
「(動物への)変身を続けすぎると戻れなくなる」というのは映画「ハウルの動く城」にも出てきたので、これも昔からある魔法の考え方なんだろうか。
で、個人的に面白かったのは第一巻から第三巻と外伝。
ファンタジーというよりは、ギリシャ神話の人間界のエピソードを読んだ時がこんな印象だったような気がする。
ただ、第四巻、第五巻はテナーの述懐があまりに多く、作者の主張がナマというか、ストレートに入りすぎている気がして少し鼻についてしまった。「女は・・・」、「男は・・・」というのも強すぎた。
それと第五巻で、カルカドの王女セセラクがテナーの擁護にもかかわらず、ちっとも魅力的に感じられないのも不満だった点。お気に入りのアレン(レヴァンネン)のお相手としては不服です。
テナーに諭されずとも言葉を覚えようとする積極性くらいはあらまほしかった。

概して、世界観と物語は面白かったけど、それにもかかわらず登場人物にはあまり思い入れを感じなかった。
例外がアレンなのだけど、これは映画のキャラクターが影響しているかもしれない。


ここからは原作を踏まえた映画の感想(映画を踏まえた原作の感想かも)。

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2006年8月23日 (水)

猫殺しエッセイのこと

坂東某の猫殺しって、最初、某巨大掲示板で見出しのみをちらっと見て、そういう小説を書いたという話なのかと思ったら、ほんとに自分の手で殺している、ということだったので驚いた。
このエッセイの全文はこちら

生きるために動物を食べる、環境を守るために増えすぎた動物を駆除・処分する、増えすぎないように避妊手術をさせる、というのは確かに人間の都合だしエゴです。実験で使うのもそう。
でも、それと、この作家の「生まれたばかりの子猫を崖から落として殺している」という行為はまったく別の次元の話。
このエッセイの問題点は「動物の生殺与奪の権利の是非」などでは決してなく、「坂東眞砂子という個人の残虐性」が問われているのだと思う。

猫に限らず生まれたばかりの哺乳類の赤ちゃんが可愛いのは、本能に訴えて自衛するためなのだそうで、だから猫が苦手であったり嫌いな人であっても、自分で子猫に手出しをする人はほとんどいない。(だから猫殺し・犬殺しは危険信号として社会的に問題視されるし。)
猫が嫌いな人でも本能的に避けようとする子猫殺しを、「猫を飼っている人間が」「あえて」選択していること、そしてそれを社会的責任云々を持ち出して正当化しようとする、そのことに危惧と異常性を感じる。

「キャー、カワイソー」だけで済まないことがほとんどだけど、それでも、理屈をつけて子猫を殺すよりはずっとマシだと思う。

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2006年8月17日 (木)

大河ドラマ・太平記

成宮君の「少年たち3」目当てにスカパーのファミリー劇場Chを契約していたのだけど、先日から大河ドラマ「太平記」の集中放送があったので一部録画した。
後藤久美子が北畠顕家の役で出ていて、この配役は話題づくりという面もあっただろうけど、それだけじゃなかったなーと思った。
再放送全部を見たわけではなく、顕家が討ち死にする前の回から見たのだけど、新田義貞と共同戦線を張るという作戦を変更して伊勢にいる父に会いに行く場面には思わず涙ぐんでしまいました。

演技でいうと、「すごい」のはゴクミではなく近藤正臣演じる北畠親房のほう。
南朝の公家の要という立場、父親として息子を思う気持ちが入り混じった複雑な心情を、もう絶妙な演技で見せてくれていた。
で、ゴクミも、男の子役にしては声量が少ないのは難点だったけれど、立ち居振る舞いは公達然としていたし、父親である北畠親房と周囲の公家たちが「神仏が宿っている」と信じた顕家の「神性」みたいなものは醸し出されていた。
それと、太平記の舞台となった時代に北畠顕家が置かれていた歴史的状況、武家に対する不信の念などをしっかりと理解して演じていたし、父を思う心情も出ていたと思う。
険しい顔で廊下を歩いてきた顕家が、親房を見るなり微かに顔を綻ばせるところとか、涙をはらはらと流すところとか。

で、北畠親子の最後の対面の場は「涙ぐんだ」のだけど、北畠親房が顕家の死の報を聞いた場面は号泣、でした。

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2006年8月16日 (水)

「のだめカンタービレ」~規律の先で手にする大きな自由

「のだめカンタービレ」ドラマ化とのこと。
うーん、うれしいような、うれしくないような。
上野樹里の「のだめ」は良いのだけど、玉木宏の千秋は微妙。
美形、長身というポイントはクリアしているとは思うけど、21~23歳の千秋を演じられる年齢の俳優の中では小栗旬が一番イメージに近いと思っていた。
年齢を度外視すると西島秀俊か谷原章介なのですが。漫画の絵のイメージに近い美形、長身という点で西島秀俊、美形、長身、「オレ様」を演じられる個性という点で谷原章介をチョイスしてみました。でも、さすがにこの2人に大学生役は無理だろう・・・。
月9のドラマに多くは望まないけれど、楽器の吹き替えをあまり不自然でなくやってくれるといいな。
まあ、ラフマニノフのピアノ協奏曲のピアノ連弾バージョンを聴かせてくれたら、多少のことは目をつぶります。

--*--*--
「のだめカンタービレ」の主人公「のだめ」こと野田恵は、曲を一度聴くと耳コピーできてしまう耳の良さと記憶力、大きな手と卓越した指先のテクニックというピアニストにとっては喉から手が出るほど欲しい(に違いない)身体条件と能力に恵まれながら、楽譜を見て弾くのが苦手で、演奏はすべて自己流。
ピアノ以外も、部屋はゴミ溜め状態、「お風呂は1日おき、髪を洗うのは4日おき」、同じ服を何日も着ている、「ギャボー」「ムキャー」と奇声を発する等、とんでもない女の子です。
将来の希望は幼稚園の先生で、強制されるのが大キライ。「自由に楽しくピアノを弾く」ことしか考えていない。
従来の漫画によくあるパターンでは、こういう野生児みたいなキャラクターは、「自由な感性を活かす」とかいう方向に向かいがちだったけど、「のだめ」はクラシック音楽に正面から取り組むようになっていく。

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2006年8月15日 (火)

「のだめ」、それからモーツァルト

「のだめカンタービレ」の15巻を読んでから、ちょっとモーツァルトづいています。
買ってはみたもののほとんど聴いていなかった「アマデウス」のサントラをiPodに入れたり、新たにCDを買ってきたりという程度ですが。

今年はモーツァルト生誕250年ということで、テレビもモーツァルトの話題が多いのだけど、7/2にはNHK教育の芸術劇場で「第11回宮崎国際音楽祭」の「ジュノム協奏曲」、7/18には同じくNHK教育の「私のこだわり人物伝」で「モーツァルトと小曽根真」を見た。
小曽根版「ジュノム協奏曲」の正直な感想は、純正(?)クラシックの人に比べると音をタメすぎに感じたのだけど、終盤はジャズ・ピアニストの面目躍如。
小曽根真は、「私のこだわり人物伝」では、モーツァルトをジャズの弾き方と正統派の弾き方をしてみせてくれて、同じピアノ・同じ人なのに弾き方でこんなに違う音が出るのか、とちょっと驚かされた。同じピアノでも人が違えば音色が変わることまでは一応経験で知っていたのだけど。
小曽根真は「モーツァルトを弾くためにクラシックピアノを学びなおした」ということで、名を成しても尚そういう真摯な姿勢って好きだし、モーツァルトの普遍性について語っているくだりもいちいち納得してしまった。
なお、小曽根真の演奏では、「We are all alone」のピアノソロバージョンが好きです。

その後、「世界で一番受けたい授業」でもモーツァルトのコーナーがあったけど、「夜の女王のアリア」は「プロでも歌える人が少ない」という講師の青島広志の説明に、声でほとんど楽器みたいな音を出すもんね、と納得。
実演の時、出演者が真剣な顔をして歌唱に聴き入っていたのが印象的だった。
細かいことをいえば、高音部が出きっていなかったり、曲がぶつぎりに編集されていたりと難はあったのだけど、日頃オペラに興味のない人が目の前であの音域を歌うのを耳にしたら、それは驚くだろうと思う。それに「夜の女王のアリア」って「かっこイイ」曲だし。
「技巧」って一つの魅力ではあるよなー、と強く思ってしまう一曲です。

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2006年8月 7日 (月)

スーパー・レッスン

去年の話になるけれど、ザッヒンク゜をしていたらNHK教育テレビで「スーパーピアノレッスン」という番組をやっていて、教え方がユニークだったのでそのまま最後まで見てしまった。
「スーパー」がつくとおり、初心者向けのレッスンではなく、「世界の超一流アーティストが、卓越した音楽性と豊かな経験をもとに教える」と銘打った、プロに近い上級者向けのレッスンで、私が見た時の講師はジャン・マルク・ルイサダ、曲はショパンの「スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31」。
どこが面白かったかというと、音の響かせ方を指導する時に「顔を上げて、遠くを見て」とアドバイスしたこと。
ピアノを弾く時に姿勢をよくすることは基本中の基本みたいなものだけど、ただ「姿勢を直せ」というのでなく「顔を上げて遠くを見る」という具体的かつ簡潔な指示に目からウロコが落ちました。
そして、それによって音色は劇的に美しくなったし。
欠点とその解決方法を見つけ出す分析力と、適確に伝える表現力。
こういう教え方のできる「超一流ピアニスト」がいるんだから、世界は広い。

スポーツニュースでオシム日本の練習をレポートしていたけど、久しぶりにわくわくする。
ルイサダといいオシムといい、優れた分析力とアイデアがあれば出来ることはいろいろあるんだと思わせてくれるのがとても楽しい。

なお、教えるのが上手いだけでなく、レッスン後のルイサダの模範演奏(というのか?)が素晴らしかったので、その後CDを買ってしまいました。
長いことショパンはルービンシュタインかアシュケナージと決めていたのですが。

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2006年8月 4日 (金)

ゲド戦記(映画)

「ゲド戦記」を見てきました。

原作は未読、製作サイドの話も耳に入れず、酷評されていること以外は白紙の状態で観ました。
酷評の中には、お気に入りの「ハウルの動く城」を駄作扱いしているものがあったりと、あまりアテにはならないと思っていて、「微妙だけど酷評されるほど悪くないな」というのが見ての感想。
不満や注文はいろいろあるけれど、良かったところもあったし、「映画に何を求めるか」によって評価は大きく分かれるだろうと思う。

大雑把な印象としては、「ファイナル・ファンタジー9」を見ているみたいだった。
あの世界観は好きだったので、これは誉め言葉です。

街や建物の造型は良かったです。これは非常に良かった、といってもいいかもしれない。
監督はもともと建築デザイン畑の人で、ジブリ美術館を手がけたということだけど、そういうセンスや素養があったからだろうか。
それと、個々の登場人物についてもっと知りたくなったので、原作を読んでみようと思った。
もともと映画と原作は別物だと思っているし、映画を見たところで自分の中で物語が完結してしまうことも多いので、映画が良かったからといって原作を読むとは限らないのですが。
映画として物語世界を完全な形で描ければ、それが一番望ましい形だけど、不完全なところがあっても、原作へ誘う入り口となるのなら、それも映画としての一つのあり方じゃないかと思う。
声優陣もテルーの長台詞が微妙だった以外は良かった。

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2006年8月 3日 (木)

リバティーン

観たのはもう4ヶ月近くも前になるけれど、映画「リバティーン」の感想を。
ジョニー・デップ主演のチャールズ2世治世下の英国が舞台の映画です。
ジョニー・デップでコスチューム物となればそれだけでも楽しめるはず、だったのが感想は微妙。
「美しいジョニー・デップ」を見たわけだし、見て損をしたかといえばそういうわけではないけど、二度は見なくてもいいかなという感じ。
光の使い方や沈んだ色調にこだわって撮ったのはなんとなく伝わってきて、この頃の絵画の色調を出そうとしたのかと思ったけれど、画面がただ薄暗くて陰鬱に見えてしまって「美しい」と感じるまでの域には達していなかったのがもったいなかった。

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