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2006年9月

2006年9月29日 (金)

語学と胡蝶の夢

http://www.sankei.co.jp/news/060927/sei008.htm

 伊吹文科相は「国民として生活する最低限の能力と義務を果たすのを教えるのが義務教育。これが果たせていないのに別のことをやってもいけない」と述べた。さらに、「フランス人はフランス語を大切にしている。小学校では自国語をきっちりやる。中学校から国際感覚を磨き、外国語をマスターするのが良い」との考えを示した。

伊吹文科相のこの意見には全面的に賛成。

英語の早期教育のメリットは「ネイティブと同じ発音ができるようになること」に尽きると思う。
英語力が役に立つシチュエーションはいくらでもあると思うけど、ネイティブと同じである必要があるかどうか。
いえ、きれいに発音できるに越したことはないけれど、優先順位の問題として、国語教育にとっても大切な時期を費やしてまで習得しなくてはならないことではないと思うのです。
意思の疎通を図るに足る英語を身につけるのは中学校以降でじゅうぶんに間に合うし。

司馬遼太郎の「胡蝶の夢」の主人公の1人である司馬凌海は語学の天才で、オランダ語、英語を日本にいながらネイティブと間違えられるくらいに流暢に話せるようになるのだけれど、12歳まではもっぱら漢学を学んでいたといいます。
漢学の素養があったから、外国語を翻訳する際に適確な訳語に置き換えることができたし名前も残った。

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2006年9月25日 (月)

功名が辻第38回「関白切腹」

ちょっとかっこよすぎじゃない?と思いつつ、凛々しい関白秀次を堪能。
秀吉と対面する場面で「水干に烏帽子」という衣装を着けた意図はなんだろう。
関白として私的な会見のつもりでの着用なんだろうか?
いえ、似合っていたからいいんだけど、水干って公的な謁見では着ない衣装だし、「元服前の少年が着る衣装」というイメージなので。
まあ、秀次は関白として公家との付き合いが仕事の大半だったようだから、もっと公家風の衣装で過ごしていてもおかしくはなかったと思うのですが。

それはともかく、秀吉を諫める場面は、台詞の抑揚・強弱に神経が行き届いていて、「言語道断」で声を荒げるのでなく少し低くするところなんか上手いと思った。
こういう演技に緩急をつけられるあたりが成宮君の良いところ。
秀吉に「高野山で謹慎いたせ」といわれてぐっと顎を上げるところ、廊下を歩きながら袖をバッと振る動作も良かった。
これで切腹する時の「千代殿すまぬ」さえなければ(泣)。
(これだけなら許容できたかもしれないけど、竹中半兵衛の今わの際の言葉(千代への愛の告白)もあったから、いくらなんでもやりすぎというもの。)

この回は前野将右衛門・景定親子の場面も印象的だった。
関白を守れなかった不甲斐なさを嘆く景定と、彼の忠義を褒める将右衛門の忠義心と親子愛には心温まるものを感じました。

それにひきかえ千代と一豊は。

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2006年9月21日 (木)

「時の娘」的豊臣秀次再び

ついに小和田哲男の「豊臣秀次-「殺生関白」の悲劇」を買ってしまった。
もともと「悪逆非道な云々」という話は、たとえば皇帝ネロの乱行なんかも話半分に解釈するほうなので、秀次についても悪評のほとんどが秀頼誕生以降ということから眉唾だとは思っていた。
これを読んで乱行が冤罪だっただけでなく、かなり有能な人だったことを改めて認識。
豊臣家では、どちらかといえば叔父の秀長と同じような位置づけで遇されていて、朝鮮戦役の留守居役でも手抜かりはなかったし、それ以前にも饗応役を何度となく恙なく務めていたり。
ルイス・フロイスにも褒められていた、と。
「仕事に目立った失敗がない」っていうの、地味だけど実は難しいことだと思うのですね。

本の終わりのほうに秀次の問題点も載せていたけど、これはあってもいいけど特には要らなかったかな。
完全無欠な人間などいないのだし、何らかの欠点は誰しもあって当然。
その欠点が、死後の悪評もやむなしと思われるようなものなのか、というのが眼目だから、秀次は伝えられるような殺生はしておらず、それなりに有能な人物でもあった、という説に自信があるのなら、余計なエクスキューズはなくていいのに。

なんとなく大河ドラマで豊臣秀次を演じた人を調べていたら、1965年の「太閤記」では田村正和、1971年の「春の坂道」では伊藤孝雄が演じていたということで、これも意外でした。
私の記憶にあるのは「黄金の日日」の桜木健一(小物な雰囲気を好演していた)以降で、その後が情緒不安定な陣内孝則の秀次、その前後に「豊臣家の人々」を読んだため、殺生をしたかどうかはともかく暗愚で好感の持てそうもない秀次像がインプットされていたのだけど、昔は二枚目の役だったのか?

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2006年9月19日 (火)

永遠の仔(CS)

話はちょっと前後するのだけど、CSで「永遠の仔」の再放送を見た。
渡部篤郎、中谷美紀のケイゾクコンビと椎名桔平の三人と脇をかためる人たちの演技と演出の繊細さ、何気ない台詞にも感じられる奥深さに見入ってしまった。

このドラマは(「も」かもしれない)本放送を見ていないのだけど、別に面白くないとか興味がないからではなく、自分自身が見る態勢になかったから。
親に虐待されてトラウマを負った子どもたちの物語を、気軽に「かわいそー」というノリでは見られなかった。
重いテーマの作品を受け止めるには、心の準備とかタイミングが必要なのです。
見逃した作品をDVDや再放送で見られるようになって良かった。

で、改めて思うのは、ドラマを見るか見ないかは、面白いかどうかだけでは決まらない、ということ。
出来が悪いから見ないことはもちろんあるけれど、どんなに素晴らしい作品でも、自分の心境次第で見られないことだってある。
それはドラマに限らず映画でも。
なので、視聴率とか興行成績は商業的には意味があるだろうけど、良い作品かどうかの目安にはならない、と思う。

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「永遠の仔」の中で、優希が笙一郎(モウル)に「行こうモウル、行こう、どこへでも、あなたと一緒に、行こうね」というシーンは何度見ても涙が出ます。

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「魔界転生」二回目(おばさまレポート付)

新橋演舞場で「魔界転生」の二回目を見てきました。
急遽観にいくことにしたので、気軽に三階席で見ようかなと思っていたら、これが売り切れ。
前方で舞台の正面と非常に良い席が確保できそうだったので、迷った末に一等席に。
気軽というわけにはいかなくなったけど、おかげで舞台の全容も見やすかったし、役者のちょっとした表情の違い、衣装(特に魔界衆に興味があった)の細かいところまでがわかって面白かった。双眼鏡でも見えることは見えるけど、やはり裸眼で見るのは違う。

橋之助の柳生十兵衛、成宮君の天草四郎ともに前回見た時よりもパワーアップ。

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2006年9月18日 (月)

功名が辻・第37回「太閤対関白」

久しぶりに面白かった回でした。
これまで随所にちりばめられたトンデモ展開のせいで、いつ地雷を踏むかと冷や冷やしながら見てしまったけれど。
千代が聚楽第や淀城に出かけるのはどうかと思ったけど、秀次側近たちの描き方も良かったし、今回の三成が常識のある能吏で、大蔵卿局に釘を刺すところなんかも良かった。
一連の事件と一豊・千代との距離感の描き方も。
関白秀次の悪評が淀君周辺が立てた噂、という設定も、個人的には「淀君は悪女というよりは政治感覚の乏しいおばかさん」で側近にも陰謀を企めるほど有能な人材はいなかった、と思っている(大蔵卿局は「風神の門」の「修理殿、ええーい、どういうこっちゃ」のイメージ強し)けど、この物語の中では許容範囲。
ただ、淀君のパーソナリティが相変わらず一貫しないのと、毎度のことながら千代が一豊がいうほど賢く見えない。
とはいえ、結局大した地雷はなかったので、今までのトンデモのトラウマがなければもっと楽しめたのに。
それが残念。

成宮"秀次"は、悲劇性と「年配者からはちょっと頼りなく見えるけれど、同世代からは『この人のために』と慕われる」という秀次の人望を感じさせる雰囲気をよく出していたと思う。
(演技への批判はいいのだけど、滑舌と発音と抑揚をごっちゃにして批判しているのを見るとなんだかなーと思う。批判するなら、それくらい区別をつけて語ろうよ、と。
上川、生瀬、橋之助といったところと比べればまだまだ精進してほしいけど、秀次役に関しては台詞に問題を感じたことはないですね。)

側近役の浅利陽介君はいつもながら上手いです。

で、この回は面白かったのだけど、次回のあらすじは、あまりのことに目の前がちかちかしそうになった。

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2006年9月11日 (月)

功名が辻・第36回「豊臣の子」

もう9月も半ばだというのに、原作の前半部分。ペース配分はこれでいいのか。ここから追い込むのか。
あまり「○○(歴史上の人物)を出せ」と思うほうではないけれど、関白秀次の悲劇にスポットライトをあてているわりに豊臣家の描き方が手抜きなのが気になる。

鶴松の葬儀の場面に秀次が見当たらない。
大政所の臨終の床に秀次どころか秀次の母もいない。
山内家と関わりのなかった旭の話を不必要なまでに延々とやるくらいなら、宿老を務めている秀次の実母を出すほうが展開としてはずっと自然だろうに。
一時は自分の弟の手で関白の位にまで就けられたわが子が、その同じ手によって死に追いやられるという悲哀を味わうわけで、悲劇性だって旭に劣らない。

それと、淀の方の末妹お江が秀次の実弟秀勝と結婚して一女を設けていることはスルーですか? 
お江は後に徳川秀忠の正室になって、三代将軍家光を生む女性。
そのお江と秀勝の子は淀の方にとっても秀次にとっても姪になるわけで、不思議な因縁だと思うし、ふくらませれば面白いドラマになったと思うのに。

史実には興味深い人間関係がごろごろあるのに、それを書かずに、わざわざ光秀と濃姫の不倫だの、竹中半兵衛が千代に片想いだののトンデモ設定を描く理由がほんとうに理解できない。

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四郎はまだ十代だから

舞台「魔界転生」の感想を見ていると、やはり沢田研二の天草四郎と比較しているものが目につく。
まあ、それだけジュリーのインパクトが強かったということなのだろうけど、ジュリー版天草四郎を「スタンダード」として語っているのをみると、それは違うんじゃないかと思ったりする。
そもそもジュリー版の映画自体、公開時は「原作とは違うけど面白い」という評価だったし、インパクトがどんなに強かろうとスタンダードじゃないだろう、と。

天草四郎が350年以上の時を超えて語り継がれているのは、平家物語の敦盛と同じく「若くして死んだ美少年」だからだと思う。時代は新しいけど白虎隊も然り。
天草四郎が「少年」ということは「魔界転生」の原作でも繰り返し記述されていることで、そうでなかったら山田風太郎も別の歴史上の人物を持ってきたんじゃないかと思う。もっと強そうな剣豪とかね。
「美青年武将の悲劇」というのもそれはそれでありかもしれないけれど、天草四郎にしても平敦盛にしても、命を落としたのが青年期に入ってからだったら、こうまで人々の記憶に残ったかどうかは疑問。

というわけで、ジュリーの天草四郎の魅力は認めるにやぶさかではないものの、撮影当時30歳を過ぎていたジュリーを基準にして天草四郎を語ることには異議を唱えたくなってしまう。

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2006年9月10日 (日)

アキハバラ@DEEP(映画)

ここ2年くらい秋葉原で下車していなかったので、映画の冒頭で街の変貌ぶりには驚きました。
ラジオデパートがすっかりカラフルになっているよ、と。

原作は未読。
Aボーイ云々というのではなく、能力は高いけどハンデを抱えた若者たちが力を合わせる話、として見ました。
予想していたよりもずっと面白かった。
劇場で見るとなるとハードルが高いかもしれないけれど、DVDならわりと強気で勧めるかな。

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2006年9月 8日 (金)

シュナの旅

宮崎駿の「シュナの旅」を読みました。
この本は、ずいぶん前に書店の店頭で見て、気になって手には取りつつも「まあ、いいか」と買うには至らなかったのだけど、もっと早く読んでもよかったなとちょっと後悔しています。
まあ、こういう寓話的な話は、無性に読みたくなる時とそうでない時があったりするのだけど。

物語の元になっているのはチベットの民話。
でも、ヤックルや登場人物の服装など「風の谷のナウシカ」、「もののけ姫」を彷彿とさせるところも随所にあったりと、ストーリーや世界観には宮崎駿のエッセンスが詰まっています。
コマ割りで描かれている点では漫画なのだけど、やはり「絵物語」と呼ぶのが一番似つかわしいかも。
谷間の小国の描写から始まって、登場人物の表情の繊細な表現、街や自然の造形etc.今更なんだけれど、宮崎駿の画力と色彩感覚の素晴らしさを感じました。(ほんとに今更だなぁ)
詳しいあらすじなどはこちら

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2006年9月 6日 (水)

魔界転生(付記)

「魔界転生」の原作を読みました・・・といっても、かなり厚いので拾い読みの飛ばし読み。
決してお勧めできる本の読み方ではないけれど、舞台と原作の違い、舞台化にあたって原作の材料をどういう取捨選択をしたか、といったことはなんとなくつかめた気がする。

適宜端折ってはいるけれど、舞台は基本的に原作に忠実。
ただ、森宗意軒の役割を天草四郎に組み込んでラスボスとし、転生衆の「現世への未練、無念」をより強めて表現したところが違う点。

原作ではわりと呆気なく倒されてしまう(そこが哀れでもあるけれど)天草四郎が映画に続いて今回の舞台でもラスボス扱いなのは半ば必然だと思う。

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2006年9月 4日 (月)

魔界転生(舞台)

新橋演舞場で「魔界転生」を鑑賞。
「魔界転生」は未読で、山田風太郎で読んだのは今のところ「警視庁草紙」だけなのだけど、エログロ要素の混ざり具合、ちょっとキッチュで、それでいて下品にならないところ、作品の根底に流れる人生観みたいなものが舞台から感じられた。
舞台が終わった後の寂寥感も、読後感と似ていたし。
天草四郎をフィーチャーした点は映画版に倣っているし、そこは原作とは違うということは一応知識としては知っているのだけど、「山田風太郎の本はこういうところが面白いんだよ」という部分を舞台に再現した、という感じを受けました。
文字で読んだままを想像したり、映像にするとエグくなりかねない部分が、お芝居の制約故にリアルでなかったのは私にとって好ましかった点。山田風太郎の文体や歴史観は好きなのだけど、エログロの部分はちょっと苦手なので。
山田風太郎テイストはなんとなく感じるし、原作との相違は気にならない、というスタンスで見ることができたのは良かった。

さて、成宮君の天草四郎ですが、予想していたよりも「ワル」でした(笑)。
もう少し「儚げな美少年系」で行くのかと思ったら、妖艶モード全開。
あんまり悪そうなんで、メイクがきつすぎるんじゃないかと思ったりしたけど、終演後の挨拶ではメイクはそのままで素の成宮君の顔に戻っていたので、演技だったのね、と納得。

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