春の雪(長い追記あり)
日本映画専門チャンネルで「春の雪」を観ました。
・・といっても、全編通して真剣に見たわけではないので、見た範囲での話になるけれど、セット・衣装・映像・音楽は良かった。
衣装好き・調度好きとしては、録画したデータをDVDに残しておいてもいいかな、と思うくらいに。
キャストも、大楠道代の蓼科、岸田今日子の松ケ枝家の大奥様、若尾文子の門跡の演技は時代の香りが漂ってくるようでした。
で、主役の2人なんですが、演技はすごく良かったと思う。台詞回しも立ち居振る舞いも感情表現も。
監督はたしかダメ出しをすることで有名な人だったと思うけど、この映画でも演技に妥協しなかったんだろうと思う。
だけど、それにもかかわらず、やっぱりミスキャストという感は否めない。
「顔」が違うんですよね。
清顕役の妻夫木聡は、清顕の心の動きはしっかり表現していて、原作を読む前ならば受け入れられたかもしれない。
でも、一度原作を読んでしまうと清顕には見えない。
原作の清顕は、もっと酷薄な美貌でエゴイスティックなイメージだから、妻夫木聡の現代的な、親近感のある容姿が邪魔になっている。
清顕役については、極論すれば「演技力<容姿と雰囲気」だと思う。
聡子役の竹内結子も、神経の行き届いた演技だし、きれいはきれいなのだけど、どうしても、あの顔は「明治の華族のおひいさま」には見えなくて。着物を着て、首が短いのは個人的にNG
2人とも演技面が完璧に近いだけに、「時代の顔」になっていないことに余計に違和感を感じてしまった。
「瀬戸内少年野球団」の夏目雅子、「それから」の藤谷美和子と松田優作等が、過去に「これは時代の顔だ」と感じた例です。
原作を読まずに、単純に明治・大正を背景にした悲恋映画として観るのなら、完成度の高い映画だけれど、原作を知っていると「これは違う!」と感じてしまうという、なんとも微妙な作品。
もっとも、私が原作「豊饒の海」連作を読んだのは、つい今年に入ってからのことで、それも橋本治の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」を読むのに、三島作品を一つも読んでいないのはまずいだろう、というのが読んだ動機なので、もともと三島由紀夫に深い思い入れがあるわけじゃない。
それに、映像作品はまず映像にこだわること、だと思っているけど、それでも「春の雪」が「耽美で懐古調の悲恋映画」になってしまうことにはしのびないものを感じてしまう。
もっと人間に対して冷酷で、シニカルで、それゆえに美しい物語なのに、と。
追記:
「春の雪」の原作を読んだ時に、なんとなく連想したのがヴィスコンティの「イノセント」だった。
ストーリー的には全然違うのだけれど、どちらも主人公が並外れたエゴイスト。
「イノセント」のトゥーリオ伯爵は、妻をまったくかまいつけず浮気三昧だったのに、ひとたび妻に恋人が出来たと知ると嫉妬と独占欲にかられて、はては妻が産んだ赤ん坊を殺してしまう。
一方、「春の雪」の松ヶ枝清顕は、「禁じられた恋」を自作自演して破滅。「自作自演」という、ここが重要。
そう2人の恋は大きな障害があったわけではなかった。最初から敵味方の「ロミオとジュリエット」とは違って。
清顕の父・松ヶ枝侯爵は聡子を政略的な道具にしようという考えを持ってはいたけれど、清顕が是非にと願えば聞き入れたと思う。そして清顕は家のことや父親の思惑などを慮るような人間ではなく、その気になれば行動力もある。
清顕には「禁じられた恋」になる前に聡子との恋を成就する時間もチャンスもいくらでもあった。
それを、宮家との縁談が正式に調い、聡子が手の届かない存在になるのを待ってから、執着し始め、思いを遂げるために行動を開始する。
清顕のこの行動には家族への配慮どころか、恋の相手である聡子への思いやりすらない。
あるのは「禁じられた恋にのめりこむ自分」だけ。
トゥーリオも清顕も、「他者」に対する思いやりがないという点が共通している。
ヒロインについては、「イノセント」のジュリアナには同情できる。
夫に相手にされず恋人を作るまでの経緯も、自分の子どもを守りたいと思う心情も。
だけど「春の雪」は聡子は、いわれているような「悲劇のヒロイン」とは思わない。
清顕に呼び出されても応じないという選択肢も彼女にはあったし、出かけていったら2人がどういうことになるかはわかっていたはず。
仏門入りを強行したら家族が困ることも。
意思の強い女性だとは思うけれど、聡子がのっぴきならない選択をしたとは思わない。
また、この2人が障害なく結ばれていたとしても、幸せになったとは思わない。
あらすじのみを追うと、「春の雪」は、利己的な若い男女に周囲の大人が振り回されるという話で、登場人物の誰にも感情移入はできない。
できないけれど目が離せない奇妙な魅力を原作の清顕には感じる。
比べるのもなんなのですが、ヴィスコンティは「イノセント」を観客の共感を得るような作りにはしなかった。
観客は、ただただトゥーリオの自分勝手な行動と破滅を見ているだけ。はっきり言って、観客を突き放してさえいる。でもそこが面白かった。(「イノセント」だけでなく、ヴィスコンティ作品は、観客の共感を求めることはほとんどないような気がするけど。)
映画「春の雪」は中途半端に観客の共感を得ようとしたことで、作品自体も中途半端になってしまったと思う。
最近、世間的にも「共感できる・できない」で評価を決める傾向が見られるけれど、そういう価値基準で測れないものもたくさんあると思うのです。
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