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2006年12月

2006年12月28日 (木)

のだめカンタービレ・最終話

久しぶりに一話も欠かさずにドラマを見てしまった。
初回は一重丸だった千秋が9話で一気に二重丸になりました。
台詞の硬さと指揮ぶりに不満があったのが、回を重ねるにつれて台詞回しがこなれてきて、指揮姿もサマになってきた。

最終話はのだめの実家登場。
のだめの両親のキャストは予想外、でもぴったり。
のだめの父は、ムーミン・パパ、「めぞん一刻」の響子さんの父と並んで、好きなお父さんですが、駄洒落好きで、でも娘思いののだめ父に、もう岩松了以外は考えられない。
宮崎美子のヨーコもはまっていた。
弟のよっくん、おじいさんとおばあさんものだめの実家の雰囲気が感じられてよかった。
これまでに登場した人たち(黒木君、菊池君、沙悟浄、ポエム佐久間、かおりさん、ゆーと君etc.)も良かったし、やっぱり、まず脚本があって、役があって、それにあった、もしくは演じる力のある俳優を探す、というのがドラマの王道だと思う。
視聴率が取れそうな人を持ってきて・・・というのを続けていたら創造性が失われてしまう。

それと、迷った末に「のだめカンタービレLIVE」を購入しました。
なぜ迷ったのかといえば、収録されている曲はもれなく巨匠と言われる人たちの録音があるからです。
が、ラフマニノフ2番のピアノ連弾バージョンは、このCDでしか聴けないので買うことにしたのだけど、買った甲斐はあった。
実は、一番ウケたのが、ロック「春」。
音だけで聴くと、あらためて、ほんとにロックっぽく弾いていたのがわかって面白い。そういえば、ディストーションかけたヴァイオリンなんて聴くことがないけど、よくこんな演奏をしたなと思う。
ただ、残念だったのは、曲のほとんどが抜粋だったこと。
ドラマ用の録音だから、しかたがないことではあるのだけど、せめてラフマニノフのピアノ連弾だけでも一楽章全部聴きたかった。

「のだめ」から興味を持って、リスト編曲カツァリス演奏のベートーヴェンの交響曲のピアノ版シリーズのうち、3番、7番、第九を聴くようになったのだけど、特に3番(原作でのだめが弾くのはこれ)は、オーケストラで聴くよりもメロディーがはっきり聴こえるし、最初からピアノ曲じゃないかと思うくらいにピアノの音色と曲がはまっていて、すっかり気に入ってしまった。
第九も途中で「あのー、腕、だるくなってませんか?」という箇所があることも含めて、「ピアノでここまでやるか」というすごさを感じる演奏です。

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2006年12月27日 (水)

歴史ドラマにおける架空設定のボーダーライン

ドラマ「のだめカンタービレ」と共に、消臭プラグの連続CMも終わってしまった。
最終回の踊りまくる「殿」に大爆笑。
このCM、妙に気に入ってプレイリストを作ってしまったほど。
初回のみうっかり消してしまったのが悔やまれる。
「消臭プラグ」の「殿」CMが始まったのは、「新選組!」が終了して間もなくだったし、絶対に「組!」の徳川慶喜を見てオファーしたと確信しているのは私だけではないはず。
あの公方様のキャラクターがここまで広がるとは思わなかった(笑)。

司馬遼太郎ファンとしては、「翔ぶが如く」の三田村邦彦、「徳川慶喜」の本木雅弘、古くは「花神」の井上孝雄という二枚目路線が本来持っていたイメージで、「新選組!」の今井朋彦はそれとはかなり違っていたのだけど、とにかく存在感がすごかったし、切り口を変えるとこういうふうにも見えるかもしれない、と納得のいく慶喜像だった。
それが「消臭プラグ」の殿につながった、と。

「新選組!」は、三谷幸喜のオリジナル脚本ということで、私が持っていた歴史の解釈とは違うところが結構あったけど、エピソードの一つ一つが丁寧に描かれていたし、俳優の個性を生かしてそれぞれに見せ場を作っていたので、「あ、こういう解釈ね」という感じで楽しんでいた。
それと、かなりハチャメチャをやっても、「新選組!」の物語の中では破綻がなかった。

「新選組!」は、近藤・土方が幕末の志士と知り合い、「功名が辻」では千代と一豊が婚礼前に出会っている、千代と一豊は大恋愛、一豊夫妻と明智光秀夫妻が旧知の仲、濃姫と光秀が恋仲、一豊が光秀の最期を看取る、千代が関白秀次の教育係、竹中半兵衛が千代に片想い、お市が千代を特別に目をかける、康豊とガラシャに恋愛感情、秀次の妻子処刑を促したのは淀殿というあたりがドラマ独自の設定。
で、時代が近いこともあってか「組!」の設定に対して反発が強かったようだけど、私はこちらは許容範囲だった。
「功名が辻」の架空の設定のほうが受けつけなかった。

「組!」は荒唐無稽に見えて、実は史実そのものにはほとんど手を加えていないのですよね。
当時の「江戸」は現在の東京よりもずっと狭い範囲を指していたし、道場としての交流もあっただろうから、近藤勇と坂本龍馬が知り合いというのもまったくあり得ない話ではなく、そうだからといって歴史には影響しない。
また、佐久間象山や勝海舟と面識があることも双方のキャラクターには影響しないし、象山、海舟の言動も納得がいく描き方だった。
佐久間象山の最期は、とても印象的だったし。

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2006年12月22日 (金)

グランプリファイナル雑感

遅ればせながらフィギュアスケートのGPファイナルについて。
高橋と安藤は体調不良だったということで、SPが良かっただけに残念でした。
またしてもメンタルで崩れた浅田真央のほうが、むしろ心配。

日曜の夜にサッカーのクラブワールドカップを見ようか、フィギュアスケートのGPファイナルを見ようか迷っていたのだけど、土曜の深夜にフィギュアの結果を知ってしまったので必然的にサッカー視聴に決定。
GPファイナルのフリーが行なわれたのは「土曜深夜」だったのだから、生中継であれば絶対に見たのに。
わざわざ録画で体の不調を抱えて演技する高橋と安藤を見るにはしのびなかった(といっても高橋は二位だけど)。
スルツカヤでも出ていれば競技に関係なく演技を見たいと思ったかもしれないけど、キム・ヨナにはまだ「純粋に演技を見たい」というほどの魅力を感じないし。
あのイナバウアーからジャンプに移行する演技、難易度は高いのかもしれないけど、動きとしては流れがよくないので好きじゃなかったりします。

それと、女子の解説の伊藤みどりもあまり解説向きじゃないですね。
かつての渡部絵美(解説と実況を間違えていた!)に比べれば、解説の内容自体は悪くないのだけど、喋りのぎこちなさは丙丁つけがたい。
やはり「放送」なのだし、音楽の邪魔にならない人にしてほしいのです。
このところ他局は男子は五十嵐文夫、女子は佐藤有香だったので安心していたのに。

まあ、テレ朝はサッカーの実況も大不評であるにもかかわらず一向に改まる気配がないから、言っても詮無いことかもしれないが。

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2006年12月20日 (水)

坊主は坊主、袈裟は袈裟

もしも一生日本から外に出ないとか、鎖国でもしているのなら愛国心などなくても暮らしていけるかもしれない。
「日本人である」ということもほとんど意識することはなく、しなくても生きていけるのが日本という国だから。
ただ、現実に日本は鎖国しているわけではないし、「日本人である自分」を意識せざるを得ない局面は多々あるし、そういう機会は、これからもっと増えてくるでしょう。
特に、ひとたび海外に出ると「日本人である自分」ということをひしひしと感じることになる。
それが海外移住などではない、ほんの数日の旅行でさえも、です。

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2006年12月12日 (火)

君が僕を信じている

一青窈のベストアルバム「BESTYO」を買いました。
JRAのキャンペーン曲だった「影踏み」という曲が聴きたくて。
実は、ずっとこの「影踏み」と「ハナミズキ」を同じ曲だと思っていました(恥)。
勘違いしていたくせにナンなのですが、「影踏み」が流れるJRAのCMは歴代の中でも好きなCMです。

日頃は「当った、はずれた」で一喜一憂しているけれど、馬がその強さに相応しい栄冠に輝くことを見たいというのも競馬ファンの思い。
競馬を始めてから10ウン年になるけれど、「時間が止まる」経験を二度だけしていて、一度目はナリタブライアンの三冠達成の時、二度目は先日のジャパンカップでディープインパクトがゴールした時。
JC当日に東京競馬場に来ていた人の大部分は、「ディープインパクトが名誉を回復すること」を一心に願っていた、と思う。
そういう時って、先頭に立ってからゴールするまでの時間がものすごく長く感じるのです。
まるで時が止まったみたいに。

「影踏み」は歌詞が馬の繊細さと強さの両方にひかれる競馬ファンの気持ちに適っている曲だけれど、ディープインパクト三冠の年のキャンペーン曲だったため、なんとなくディープインパクトのテーマソングみたいな印象もあったりします。
そして、凱旋門賞にまつわる紆余曲折を経たために、今聴くとよけいに感慨深い。

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2006年12月11日 (月)

不適材不適所(追記あり)

NHK大河「功名-」で時代設定ミス

 同局によると、脚本家の原稿には年代部分が空欄になっているケースが多く、専門家を交えた時代考証会議で正確な数字を入れ、台本を作成するという。だが今回は、放送シーンの時代設定を分かりやすくするため、時代考証会議後にプロデューサーらが最初の台本になかったせりふを追加した。その際、誤った年数を書き加えたが間違いに気付かなかった。「今後、ミスのないチェック態勢を検討したい」としている。

なんだかよくわからないのだけど、「脚本家の原稿には年代部分が空欄になっているケースが多く」って、大河ドラマを執筆する脚本家は、年代を把握せずに脚本を書いている、ということでしょーか?
小学校低学年レベルの足し算を間違えたスタッフのミスもアレだけど、年代部分を空欄にしたまま脚本が書けるということのほうが驚きです。
脚本家たるもの、歴史ドラマの執筆中は年表くらい参照するものだと思っていました。
だいいち年代を把握していないと前後関係とか混乱しないか???
時間の経過ってドラマにおいてものすごく重要なことでしょう。まして歴史物においては。
こんなやり方をしていたら登場人物の性格も一貫性がなくなるだろうなー、と妙に納得してしまった。

ところで、時代劇チャンネルでは週に二話ずつ「独眼竜政宗」を再放送中(連日放送は終了)。
「独眼竜政宗」はNHKの大河ドラマの中では人気の高い作品だけど、個人的には手放しで好きな作品ではなかった。ジェームス三木の脚本も渡辺謙の演技もケレン味があり過ぎて、
でも、登場人物は家臣や侍女の一人ひとりまでキャラが立っているし、伊達家の出来事と中央で起きている出来事とのバランスも良く、なんだかんだと初回から最終話まで見た作品。
先週見た「弟を斬る」の回も、実母による息子の毒殺、実兄による弟の成敗という骨肉の争いをテーマにしながら、その理由や心情はしっかり描きつつも、決して「誰かのせい」にはしていない。
そこが今年の大河「功名が辻」との出来の違いです。

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2006年12月10日 (日)

周荘、そして西遊記

TBSの「世界ふしぎ発見」で中国の周荘の街を紹介していた。
周荘は2年前に上海に行った時に、オプショナルツアーで行ったのだけど、「風光明媚」という言葉がぴったりの風情のある街。
もともとの目的は蘇州だったけど、近代化された蘇州よりも周荘のほうが気に入りました。
テレビで紹介されたのはなんとなくうれしい。
レンズを通すと実物よりもきれいに見えることが多いけど、周荘はほんとにきれいな街です。

ところで、このニュース。
女性の三蔵法師「西遊記」バッシング
【中国】香取慎吾の映画『西遊記』に中国ブロガー怒りの声

>報道によれば、ブロガーたちの間で最も不満が大きいのは「三蔵法師を女性が演じている」という点。他にも「ストーリーやキャラクター設定が原作と大きくかけ離れており、悪ふざけが過ぎる」「孫悟空にスカートを履かせている」「猪八戒が大きな帽子を被っていてイメージが違う」といった意見が出ている。

今、スカパーのファミリー劇場で日テレ版を放送していて、特撮技術の限界(キン斗雲に乗っている悟空が見るからに人形(笑))はわかってしまうけど、中国でロケしただけあって画面にも奥行きがあるし、ゴダイゴの音楽も良いし、衣装もセットも神経が行き届いていて、とにかく「西遊記」の世界を再現すべく、気合を入れて丁寧に作っていたのがよくわかる。
馬までちゃんと演技していたりするし。
批判されたのがこの日テレ版のほうだったら馬耳東風、「ウルセー、バーカ」と思うだけなのだけど、フジテレビ版「西遊記」となると、また話は別で。

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