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2006年12月27日 (水)

歴史ドラマにおける架空設定のボーダーライン

ドラマ「のだめカンタービレ」と共に、消臭プラグの連続CMも終わってしまった。
最終回の踊りまくる「殿」に大爆笑。
このCM、妙に気に入ってプレイリストを作ってしまったほど。
初回のみうっかり消してしまったのが悔やまれる。
「消臭プラグ」の「殿」CMが始まったのは、「新選組!」が終了して間もなくだったし、絶対に「組!」の徳川慶喜を見てオファーしたと確信しているのは私だけではないはず。
あの公方様のキャラクターがここまで広がるとは思わなかった(笑)。

司馬遼太郎ファンとしては、「翔ぶが如く」の三田村邦彦、「徳川慶喜」の本木雅弘、古くは「花神」の井上孝雄という二枚目路線が本来持っていたイメージで、「新選組!」の今井朋彦はそれとはかなり違っていたのだけど、とにかく存在感がすごかったし、切り口を変えるとこういうふうにも見えるかもしれない、と納得のいく慶喜像だった。
それが「消臭プラグ」の殿につながった、と。

「新選組!」は、三谷幸喜のオリジナル脚本ということで、私が持っていた歴史の解釈とは違うところが結構あったけど、エピソードの一つ一つが丁寧に描かれていたし、俳優の個性を生かしてそれぞれに見せ場を作っていたので、「あ、こういう解釈ね」という感じで楽しんでいた。
それと、かなりハチャメチャをやっても、「新選組!」の物語の中では破綻がなかった。

「新選組!」は、近藤・土方が幕末の志士と知り合い、「功名が辻」では千代と一豊が婚礼前に出会っている、千代と一豊は大恋愛、一豊夫妻と明智光秀夫妻が旧知の仲、濃姫と光秀が恋仲、一豊が光秀の最期を看取る、千代が関白秀次の教育係、竹中半兵衛が千代に片想い、お市が千代を特別に目をかける、康豊とガラシャに恋愛感情、秀次の妻子処刑を促したのは淀殿というあたりがドラマ独自の設定。
で、時代が近いこともあってか「組!」の設定に対して反発が強かったようだけど、私はこちらは許容範囲だった。
「功名が辻」の架空の設定のほうが受けつけなかった。

「組!」は荒唐無稽に見えて、実は史実そのものにはほとんど手を加えていないのですよね。
当時の「江戸」は現在の東京よりもずっと狭い範囲を指していたし、道場としての交流もあっただろうから、近藤勇と坂本龍馬が知り合いというのもまったくあり得ない話ではなく、そうだからといって歴史には影響しない。
また、佐久間象山や勝海舟と面識があることも双方のキャラクターには影響しないし、象山、海舟の言動も納得がいく描き方だった。
佐久間象山の最期は、とても印象的だったし。

歴史的な事件の数々は「こういう見方もあり得る」という範囲の中で描いていたし、物語としても、登場人物の人間性も破綻がなかった。
一方、「辻」の架空の設定は、その数もさることながら、人間関係の描写が不自然、歴史にも人格にも矛盾を生じさせるようなものが多かった。
たとえば、山内一豊と明智光秀が夫婦で食事をする仲というのは、上下関係、長浜と坂本の距離のどちらからいってもずっとあり得ないこと。

歴史に手を加える時のギリギリのラインを認識していたかいなかったかが、「組!」と「辻」、三谷幸喜と大石静の差、だと思っている。

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先日の「功名が辻」総集編をザッピングしながらところどころ見たら総集編だったら印象が変わるかな、と思って)、一つ一つの場面の描写が薄くて、名場面を集めてこれかい、という感じだった。
あらためて惜しいと思ったのが筒井道隆の竹中半兵衛と坂東三津五郎の明智光秀、それから和久井映見の濃姫。
この人たちが大野靖子の脚本で同じ役を演じるのを見てみたかったし、大野靖子の台詞を語らせたかった。
総集編は武田鉄矢のコントと講釈だけは面白かったです。

大石静のドラマでは、過去に「ふたりっ子」、「オードリー」で名前も知らなかったり、知っていても良さをわかっていなかった俳優を再認識したりしたので、「功名が辻」にもそれを期待する気持ちもありました。
でも、そういう点で良かったと思えたのは北政所役の浅野ゆう子だけだったのが期待はずれだった。
あとは「この人ならこれくらい出来て当然」とか、「この脚本でよくここまで頑張ったね」という印象のほうが強かった。

ネットで「功名が辻」の細川ガラシャの死に方(家臣に槍で突かせる)について、「さすが女性脚本家ならではの描き方」と賞賛しているのを見かけたのだけど、これには「はあ?」と思ってしまった。
細川ガラシャが家臣の手にかかって死ぬというのは、今までいくつもの「戦国物」で描かれてきていて、大石静のアイデアではないし、女性脚本家ならではでもないので、褒めるにしても見当違い。
過去の秀作の大河ドラマを知った上で「功名が辻」を評価するのは、これは好みの問題だと思うのだけど、褒めている人の多くは過去の作品を知らない人たちで、そういう人たちには「国盗り物語」や「黄金の日日」を見て欲しい、と切に思ってしまう。

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