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2007年1月12日 (金)

肌襦袢

フィギュアスケートの衣装の肌襦袢(というのか)の使い方がかなり気になる。。
スパンコールやチョーカーで肌襦袢っぽさを消したり、シースルーみたいな感じを出しているのは良いけれど、首や袖の部分を処理しないでそのまま使うのが本当にキライ。
肌襦袢でワンショルダーとか、肌襦袢でデコルテのラインを開けた衣装とか、近くで見るとみっともないったらありゃしない。
露出できないなら、襟のつまった衣装にすればいいじゃないか。
浅田真央の衣装が好きじゃないのも、あの肌襦袢使いが許せないからです。
SPのノクターンの衣装などは、カメラが近づくとオヤジのラクダのシャツの上にシーツを巻きつけているみたいにみえるし、スケート・アメリカの時のフリーの衣装も最悪だった。
フィギュアスケートの衣装が、いくら遠めで勝負するためのものとはいっても、肌襦袢なのが丸わかりで露出度を高くするよりは、本人の体型や露出の許容範囲を考えて衣装をデザインすりゃあいいじゃないかと思うのです。
いっそ、トリノ五輪のエキシビションのナフカくらい大胆な使い方なら「やるなぁ」と思うけれど。

で、紅白歌合戦の裸ボディスーツがかなり尾を引いているみたいだけど、本当に裸だったわけじゃないし、この騒動は予想外。
だってボディスーツだったのは丸わかりだったし。
件の場面、「DJ OZMA」を初めて見る私は、若い従弟妹たちから「これ氣志團なんだよー」と非常に基本的なことを教わりながら見ていた。
従妹が「あれ、裸じゃない?」と騒ぎ始めた時は、「ただの全身タイツでしょ」と非常に冷静に受け流してしまいました。

「肌色のタイツを裸に見せる」のも、「肌襦袢の上に露出度の高い衣装を着る」のも、さして変わらないように思えてしまうのですが、私には。
どちらも美観は良くないし、好きじゃない。

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