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2007年2月

2007年2月22日 (木)

2/22発売の週刊文春より

今週号週刊文春のオシム・ジャパンの記事を読んで、あまりの記者のレベルの低さに驚きました。
スポーツライター、スポーツ紙記者のコメントに憶測をまじえただけのゴミみたいな記事ですが、一番呆れたのは記事の冒頭のこの部分。

「アイツが代表招集を断ったら男を上げるよね、と話していたんです。オシムを突っぱねて筋を通した、として大きく紙面展開しようとしていた社もあった。それだけに残念です」(スポーツ紙デスク)

アイツというのは中澤佑二のこと。
もともと文春のサッカー記事なんて選手・監督の揚げ足取りのゴシップがほとんどだけど、ここまで落ちたか、と思った。
同じゴシップ記事でも、監督や選手に直接関係したことならば、まだニュースバリューがあると思うけど、「スポーツ紙デスクがどう思ったか」って、こんなことに読者は興味ないですよ。
それを「どうだっ」とばかりに記事の冒頭に持ってくる感覚がわからない。

それでなくても、サッカー(と芸能)関係の記事で最近目につくのが、記者やライターの妙な主観。
もちろん、主観なしに文章は書けないから、主観があってあたりまえだけど、その主観のもとになっているのが「記者に対して愛想が良かったかどうか」だったりする。
実にくだらない。

週刊文春のサッカー記事というと、2002年のW杯前にもトルシエの揚げ足とりに終始して、ほとほとウンザリしたものだった。
トルシエ叩きの内容があまりにもトンチンカンで酷いので、逆にトルシエを見直す契機になったくらい。
どうも、週刊文春の記者さんはトルシエ、オシムと「知的レベルにおいて自分たちよりも上の存在」を感情的におキライと見えます。
洗練されているとは言いがたかったジーコのことはあまり叩かなかったし。
で、この「知性派監督」に対する敵意が、読者の意向を反映しているのかというと決してそうではなく、あくまでも「おじさん向けメディアの記者」の好みに過ぎないのですね。

いい加減、記者の好き嫌いにも自意識にも読者は興味を持っていない、ということを認識すべきだと思う。
そして、取材対象が記者に対して愛想が良かったとか悪かったとかもどうでもいいことです。

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週刊文春の連載エッセイ、「家の履歴書」はおもしろいけど。

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2007年2月19日 (月)

テレプシコーラ

山岸涼子の「テレプシコーラ」第一部10巻を大人買い。
特集したダ・ヴィンチの術策にはまった観がなきにしもあらずだけれど、面白いので悔いはありません。

登場人物のキャラクターは「アラベスク」と重なる部分もある。
ノンナ=六花だろう、とか。
「アラベスク」ではノンナの技術面における成長と天才ぶりはしっかりと描かれていたものの、叙情性や魅力については定義が曖昧だった。
「テレプシコーラ」は六花の才能と魅力が明確になっていて、そこがとても面白い。
作者も時代も進んだなーという感じ。
もちろん、それだけじゃなく、物語も奥深いのだけど。
「なまじ天才に自己(おのれ)を振り返らせてはならんよ 振り返ると同時にその成長は止まる」という台詞が好き。

ところで、千花の靭帯損傷のエピソードはサッカー選手にも共通する悲劇だけれど、誰か「テレプシコーラ」のようなアプローチでサッカー漫画を描いてくれないものかしら、と思ったりする。
サッカー漫画といえば超有名な漫画があるけれど、足や体のラインをしっかりときれいに描ける人に描いてほしいのですね。

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2007年2月 8日 (木)

風よ雲

以前の大河ドラマ「武田信玄」の原作は、女性たちのネーミングのセンス(湖衣姫、里美、恵理)がキライだったので読まなかった。"湖衣姫"はあまりにもベタだし、"里美"、"恵理"ときたらただ好きな名前をつけただけじゃないのか、と。
それで、武田家関連で読んだのは井上靖の「風林火山」だけ・・・と思っていたら、のがみけいの「風よ雲」を読んでいたことを思い出しました。

「風よ雲」は、「りぼん」で連載されていた漫画で、かくれ里の長の娘もえぎが主人公、その恋人は実在の仁科五郎信盛、主な時代背景は「風林火山」よりも少し後、信玄の死の前後から武田家滅亡まで。
後に井上靖の「風林火山」を読んだ時、於琴姫の登場シーンで「信盛様の母上だ♪」と喜んだりしたものでした。
明るくて無邪気なもえぎと、武田の若君で二枚目で強くて頭も良い信盛と登場人物のキャラクターは少女マンガの王道ですが、もえぎと信盛の出会いから死までを縦糸にしつつ、虚実をうまく織り交ぜていて、織田信長の台頭、北条家と上杉家をめぐる勝頼の迷走、家臣たちの裏切りなど背景が丁寧に描かれていて読み応えがあった。
なにより絵もきれいだったし。
着物が出てくる漫画では、着物の描き方が一番きれいといってもいいかもしれない。
「和」に興味を持つきっかけになった一作です。

「風よ雲」に限らず、かつての歴史を題材にした少女マンガは骨太な作品が多く、恋愛をテーマやモチーフにしていても、歴史的背景はしっかりと描かれていたと思う。
歴史モノとなれば人間関係もかなり複雑になるけど、それを子どもながらに面白いと感じ、理解できていたんですよね。

ところで、「風林火山」の公式サイトの市川亀治郎のインタビュー
「時代劇のお手本にしたい。作法や言葉遣いを正していきたい」ということで、いいじゃないか、と思った。
正しい作法や言葉遣いが100%視聴者に伝わるとは思わない。たとえ間違っていても気づかないことのほうが多いと思う。
でも、だからといって創り手がハードルを下げて良いわけじゃないと思うのです。

恋愛感情が歴史上の事件のきっかけや動機になったり、現代思想の持ち主が登場する歴史ドラマ(功名が辻とか功名が辻とか功名が辻とか)を面白いと思う視聴者がどれほどいたとしても、それはその人が歴史に興味を持ったり「歴史の面白味」を理解したことにはならない。
ニンジン嫌いな子どもにニンジンを食べさせるわけじゃないんだから、歴史に興味がない人に歴史を歪曲してまで興味を持たせる必要はないと思う。

それより、ニンジンが好きな人に美味しいニンジン料理を提供してください。

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2007年2月 6日 (火)

風林火山と華麗なる一族

「風林火山」は以前のエントリにも書いたとおり、久しぶりの大河ドラマらしい大河ドラマ。
始まる前は、勘助のほとんど晩年しか出てこない原作をどう脚色するんだろう?と思っていたけれど、勘助の前半生も面白いし、今川・北条・武田の歴史が動き出してからの描き方もイイ!
それぞれ一筋縄ではいかない人たちの思惑が絡み合って状況が変化していくところなんか、いかにも歴史の面白さを知っている人が作っているドラマという感じがする。
第五話の花倉の乱のあたりは、永井路子の「姫の戦国」で読んだのだけど、谷原章介演じる今川義元が「姫の戦国」の義元像に近くて好き。才気があって自信家で。
司馬遼太郎「箱根の坂」、永井路子「姫の戦国」から「風林火山」につながる、なんてことを考えながら見ると楽しい。

第四話と第五話で印象的だったのが、同日に亡くなった今川氏輝と彦五郎の遺体の傍らで、寿桂尼が「おのれ福島」とつぶやく場面。
オーソドックスな手法ではあるんだけど、この場面を挿入することで寿桂尼の無念が伝わってくるし、余計な説明をしないのもいい。
去年の「功名が辻」がつまらなかった理由の一つが「不自然な会話」と「説明過多」でした。
去年は、登場人物のそばになぜか一豊か千代がいて、彼らに向かって胸のうちを語る。説明する。
腹蔵なく打ち明けるべき間柄ではないのに手の内を見せまくる。
だから、秀吉などは「腹芸のできないおしゃべりな人間」になってしまっていた。
でも、今年の大河ドラマは、誰も不用意に胸の奥を明かしたりしないから、人物造形に奥行きと重みが感じられます。


それからTBSの「華麗なる一族」は、ものすごく面白いという感じではないけれど、なんだかんだと視聴継続中。
キャストに関しては同じ山崎豊子原作のドラマでも、唐沢版「白い巨塔」よりもこちらのほうが違和感が少なかったりします。
「華麗なる一族」も旧作と引き比べたりすれば「万俵大介はやっぱり佐分利信が山村聰だよね」と思うけど、「白い巨塔」ほどの強い違和感はない。
高須相子役は、京マチ子と小川真由美が強烈だったのでどうかなと思ったけど、鈴木京香はハマっていると思う。
美馬役の仲村トオルも良い感じだし、原田美枝子、山本耕史は旧作のキャストよりも好き。

主人公・鉄平役の木村拓哉が、適役かどうかといえば、他にもっと合う俳優はいると思います。個人的には上川隆也とか堤真一がイメージ。唐沢寿明も悪くないけど、どちらかというと20年後の万俵大介役の候補かも。
でも、キムタクも、「自分は与り知らぬ理由から父に疎まれる悲劇の息子」という雰囲気は出ているし、感情表現等は繊細に演じていると思う。
先日の西田敏行演じる義父とのシーンも良かったし。
台詞については、昭和30~40年代らしさを出すのなら、もう少し抑揚をおさえ気味にしたほうが雰囲気が出ると思う。
ただし、昔の演技をしてしまうと、今の若い人には「棒読み」と思われてしまうおそれがなきにしもあらず、ですが。

ストーリーとは関係ないけど楽しみなのが、二子と早苗のファッション。
長谷川京子は、あの独特の台詞回しが他のドラマだと鼻につくけど、このドラマでは時代に合っているし、昔の髪型と服が似合っていて、昭和の雰囲気を出すのに一役買っていると思う。
相武紗季は容姿と雰囲気が現代的なのが、逆に可愛らしくオシャレに見える。

電車の中吊りで見かける女性ファッション誌の、妙にけばけばしいお嬢さま特集よりも、こちらのほうがずっと清楚で可愛いと思う。

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2007年2月 5日 (月)

ドラマ「雲霧仁左衛門」

CSで放送されている「雲霧仁左衛門」がおもしろい。
最初、面白いけど録画するほどではないかなと思っていたのだけど、第8話「まわしもの」で裏切り者を斬る雲霧のカッコよさに心をわし掴みにされ、今は初回から録画しなかったことを心から後悔しています。
キャストはみな良いけど、山崎努の雲霧仁左衛門、石橋蓮司の木鼠の吉五郎が特に好き。
山崎努はすべての挙措動作がかっこよく、黙って舟に揺られているだけでも絵になる。
石橋蓮司も、身のこなしが着物の裾さばきにいたるまで軽やかで美しく、見惚れてしまうほど。

雲霧一味と盗賊改め方の息詰まる攻防戦の描き方が緻密で、単純な善と悪の対立ではないところがまた良いです。
雲霧一味は「殺さず、犯さず、貧乏人からは奪わず」が掟、敵である盗賊改め方の安倍式部も、部下や密偵たちを大切にする人物で、雲霧とは好敵手同士。
雲霧たちが手ごわい相手に紙一重の差で勝つところが爽快。

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2ヵ月くらい前のこと、週刊文春をパラパラと見ていたら、「私の読書日記」という5人交替の連載ページで、とても簡潔でリズミカルな文章が目に入ってきた。
誰が書いているんだ?と思ったら、これが山崎努。
伊丹十三を彷彿とさせる、知性とリズムの感じられる文章に興味を持って、山崎努の著書「俳優のノート」を読んでみた。
「リア王」の解説書として読んでも面白いし、「言葉」へのこだわり、掘り下げ方がすごい。
「俳優のノート」を読むと、山崎努はエキセントリックな役柄とは裏腹に、常に自分を制御しようとする人で、どちらかというと古風な常識人なんだなと思う。
憑依型天才や破天荒なタイプもキライではないけれど、こういう、最善最良のものを出すべく自分を律するタイプ、手綱を放さない人のほうがより好きです。

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