表現する技術と表現力、少女らしさ
フィギュアスケートの季節がはじまりました。
また採点基準が変わって、ちょっと混乱しているみたいですね。
スケート・アメリカで優勝した高橋大輔の表現力とステップは、もはや第一人者といっても過言じゃない。
ランビエールが絶好調で出てきた時に優勝をねらうには、四回転を武器にしないといけないだろうけど。
女子は、安藤美姫が肩の故障もあって今は不調だけど、SP、フリーともに楽しみなプログラムなので、早く調子を取り戻した演技が見たい。
全体的な動きが柔らかくなったし、去年よりも体がさらに絞れていて、ちょっと抽象的な「カルメン」の赤と黒の衣装が映えて素敵です。
---
「大人の選択」でスケート・アメリカで優勝した浅田真央については、その演技及び彼女を巡る報道には、いつも微妙なものを感じてしまう。
「大人の選択」をしたことについて、何も異論はないけれど。
競技に出る以上は優勝を狙うのはアスリートとして当然のことだから。
今季の浅田真央が表現力を高めるべく努力したことは、優雅になった腕の動きから見てとれるのだけど、それにもかかわらず、なにを表現したいのかが伝わってこない。きれいだけど空虚。
他の選手からは、たとえ技術的には拙くても「こんなふうに滑りたい」という意思が感じられるのだけど。
ピアノを習っている子どもに、技術的にはハイレベルで譜面どおりには弾けるのに情緒のまったく感じられない演奏(「歌わない」っていうのか)をするタイプの子がいたりするけど、浅田真央の演技から受ける印象はちょうどそんな感じ。
ただし、芸術の分野では情緒の欠如はNGだけど、フィギュアスケートはあくまでもスポーツなので、試合において「技術の高さ」優先で評価されるのは正当なことだと思う。
一観客としての感想はともかくとして。
それに現役時代の伊藤みどりに「もっと上半身の動きに優雅さがあれば」と感じたことを思えば(規定のほうが障害としては大きかったけど)、今の浅田真央の演技は、技術も高いし動きも柔らかいわけで、スポーツとしてはトップクラスであることを認めるにやぶさかではない。
でも、あれを「芸術性」とか「表現力」という観点で評価するのを見聞きすると、「ちょっと違うんじゃないの?」と思ってしまう。
たしかに、スケーティングの滑らかさとか腕の動かし方とか「表現するための技術」は高いけど、表現力はまず表現したいものありき。
肝腎の表現したいものが伝わってこないのに「表現力がある」というのは違うと思う。
これが芸術の分野なら、「歌心」のない演奏家、詩情のないバレリーナを技術で褒めることはあっても、「表現力がある」とは言わない。
そして「微妙さ」のもう一つは、浅田真央とその周囲が演出する「少女イメージ」のいびつさ。
GPFで優勝した頃は、不釣合いな"国民的美少女"的扱い(往年のゴクミみたいな)をされていたことへの反発があった。
「天才少女」なら異論はないし、「可愛い」は主観だからいいけど、「美少女」となると別。
「勝手に美少女のハードルを下げるんじゃない」と思ったのです。
そして今感じているのは、反発というよりは不自然さと強い違和感。
スケート・カナダの特集番組で、私服で街を歩く浅田真央の映像が流れたのだけれど、がに股で肩で風切って歩いていて、そのへんのおっさんみたいな歩き方。
立ち居振る舞いに無頓着なんだなぁと思った。
(足が外向きになるのはバレエのレッスンの影響なのかな?とも思ったけど、上半身の動きはバレエとは違うから。)
こういう無頓着さって、12歳とか13歳のティーンエイジに差し掛かるかどうかくらいの年齢なら、さもありなんと思うけれど、17歳、それも「美」を競う競技の選手としては似つかわしくない。
そして「女性らしさ」には無頓着でありながら、「少女っぽさ」は本人も周囲も十分すぎるほど意識しているのがなんだかなーと思う。
「大人になりたくない」発言は言うまでもなく、「大人の演技」とわざわざ言うあたりにも、「少女である自分」を意識していることがうかがえるし、昨シーズンのEXの「ハバネラ」が「背伸びをした子ども」の演技に見えたこともそう。
16歳(去年ですが)は「カルメン」がハマる年齢ではないにしても、「普通に」演じれば子どもっぽくも見えない年齢。しかも、浅田真央は長身で、決して幼児体型ではないのだし。
古来、真の(っていうのも大げさだけど)少女の清らかさ、神聖さというのは、少女自身はそのことに無自覚で、周囲の大人の思惑をによそに早く大人になろうとする、その束の間の輝きだと思うのです。
マスコミやファンが「少女性」を求めて騒ぐのは、いつものことだけど、当の本人が「少女であることの利点」を自覚し、意識して少女で居続けようとしている時点で、「少女の神聖さ」は失われたも同じ。
むしろ、ごく自然に大人の演技をしようとしている他の少女スケーターのほうが、よほど少女らしい。
19歳の安藤美姫も含めて。
それから、少女らしさからは離れるけど、浅田真央がインタビューで他の選手のことについてコメントを求められた時、必ずといっていいほど「○○さんは○○(ジャンプの種類)が跳べてすごい」と言っているけど、スケートに熱心なのはいいけど他人を「跳べるジャンプの種類で認識」というのはどうなんでしょう。
浅田真央が真に「少女」に還れるのは、彼女が子どもであろうとすることをやめた時、だと思う。
近づくと離れて、離れると近づくって、なんだか「鏡の国のアリス」の世界みたいだけど。
| 固定リンク
「フィギュアスケート」カテゴリの記事
- 世界フィギュア2022(2022.03.30)
- ドーピングとコーチと選手の年齢(2022.02.23)
- 表現を可能にするのは技術です(2022.02.19)
- 「愛のムチ」とは、殴る側だけが使う言葉である(2022.02.19)
- ならぬものはならぬのです(2022.02.16)
コメント
うん浅田真央嫌いなのはよくわかった
投稿: ai | 2007年11月 8日 (木) 11時22分