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2008年3月

2008年3月31日 (月)

花見日和

晴天の土曜日、六義園と小石川後楽園をはしごして花見をしようと思ったところ、六義園の入場券を買う列がクリスピー・クリーム・ドーナッツ並みの長蛇の列。
計画を変更して、小石川後楽園のみを見ることに。
おりしも東京ドームでX-Japanの公演があるということで、リハーサルだかBGMだかの音が鳴り響く中での花見となった。
Sakura_koishikawa

花見の後はタワーレコードへ。
ツィマーマンが演奏するショパンの「舟歌」が入ったCDを探しに行ったのだけど、目的のもの以外にも数枚買ってしまったのはお約束の行動。
予定外の一枚が「グレーテスト・マキシム」というアルバムで、ピアノコンチェルト版新世界が素敵です。

ふとシチェドリンのコーナーを見てみたら、以前はなかった「カルメン組曲」のCDが3種類もあって驚いた。
バレエ上演のためなのか、安藤美姫効果なのか、はたまた両方なのか。

おまけ:
先週見に行った新宿御苑の白木蓮と源平桃。
源平桃はご覧のとおり紅白なのです。
Mokuren_1 Mokuren_2 Genpeimomo


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表現力という迷路~急がばまわれ

今季のフィギュアスケートはスカパーのJSportsを契約して見ました。
若干痛い出費ではあるのだけれど、その価値はあったと思う。
男子・女子とも実況・解説ともに落ち着いていて非常に心地よく競技を堪能できた。
女子の村主千香も良かったけれど、男子シングルの樋口豊・田村岳斗両氏の解説も素晴らしい。
まあ、地上波も、問題なのは実況のアナウンサーであって、解説に特に不満はないんですが。

男子の最終グループを録画で見直したのだけど、ともに不調だったランビエールと高橋大輔の演技にちょっと思うところがありました。
ランビエールはジャンプがことごとく決まらなくて高橋以上に不調だったし、表情が映し出されると「調子悪いんだなー」とわかる浮かない顔をしていて、演技全体にも元気がなかったけれど、一つ一つの振り付けの「型」が決まっていて、そこはとても美しかった。
なんていうか、振り付けのための手足の動きは無意識にできているんじゃないかと思うくらい。
高橋大輔に足りないものがあるとしたら、そこではないかと思う。
気持ちが乗っている時はほんとうに素晴らしい表現をするけれど、まだ、気持ちが乗っていないと動きの型が決まらないように思うので。
強化部長が高橋大輔について「確実な四回転を2回」と発言をしているけど、どんな選手でもジャンプの出来は好不調の波があるわけです。
それよりも「不調な時にジャンプ以外の演技の質をどこまでキープできるか」のほうが課題なのではないかと思ったりした。
能力の下限を底上げする、とでもいうか。
スケートに限ったことではないけれど、日本はとかくピークの時の力で能力を推し量る傾向があるけど、それよりも「やや不調」くらいの時にどこまで出来るか、のほうがモノを言うことが多い気がする。世界では。

と、つらつら述べてきたけれど、ほとんどの選手は「表現したいなにか」を内に有していて、表現力がそれに追いつかないために、それぞれレベルは違えども「表現力の向上」はすなわち「表現する技術の研鑽」を意味することになる、と思う。
これはスケートに限らず、表現すること全般にいえることだけど。

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2008年3月26日 (水)

寝かしておいた感想など

本を読んだ後、映画を舞台を観た後に、すぐに感想を誰かに言いたくなる時と「ちょっと寝かしておこうかな」という時があって、村上春樹の「海辺のカフカ」は「寝かしておいた」一冊。
内田樹の本を読んでいて、「海辺のカフカ」から引用されていた部分が印象的だったので、私も引用をば。

想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。一人歩きするテーゼ、 空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとって本当に怖いのはそういうものだ。
個別的な判断の過ちは、多くの場合、後になって修正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、大体の場合取り返しはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。
宿主を変え、かたちをかえてどこまでも続く。そこには救いはない。うんざりさせられる。

この一節は好きな場面だったのに、寝かしっぱなしで忘れかけていた。
思い出させてくれて良かった。
「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ」って、言い訳バッシングする人たちに当てはまるのではなかろうか。


もう一つ、最近「寝かして」いたのが昨年11月に観にいった舞台の「カリギュラ」。
「ケレアが一番好きだわ」とか「セゾニア役の若村麻由美は上手いなー」とか、シピオン(勝地凉)の「私は汚さずに批判する」という台詞が心に残ったわ、とか、断片的な感想ならばいろいろと思い浮かんだもののうまくまとまらなかった。
カリギュラが発する言葉の内容が、皇帝らしくないというか、「こういうことを皇帝が考えるかな?」と思ってしまったので。
といっても、舞台上の小栗旬は「若き皇帝」然としていて、その仕草や演技からは塩野七生の「ローマ人の物語」に「子どもの頃は軍団のマスコットとして兵士たちに愛されて、彼なりに知性もあった」と書かれていた「カリグラ」像を髣髴とさせたので、感じた違和感は演技に対してではなく台詞そのものに対してのもの。
で、これも、少し前に内田樹の「ためらいの倫理学」を読んで、そこにカミュのことが出てきて、少し違和感の正体がつかめた・・・ような気がした。
舞台上でカリギュラによって語られる台詞は、アルベール・カミュの主張そのものなんだなぁと。
まあ、主人公が作者の考えを語るのは当然なのだけど、それがかなりストレートだったのが違和感につながったのだと思う。たぶん。
暴君といわれた若き皇帝が20世紀の思想を語ったわけだから、そりゃ違和感もあるだろう。
それにしても、カミュは自分の意見を語らせる存在としてなぜあえてカリギュラを選んだのだろう、なんてことを考えてしまった。

なお、現在も「寝かしている」のが、映画「スウィーニー・トッド」だったりする(^_^;)。

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もっと大人の組織作りを

安藤が27日に精密検査へ

日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア強化部長は「大事に至らなければいいが、長引けば(4月20日の)ジャパン・オープンは厳しい」との見通しを語った。関係者によると、地元名古屋で30日に開かれるアイスショー出演は控える見通し。
 安藤は24日に帰国。今季終了後に古傷の右肩を手術する意向も示しているが、伊東強化部長は「肩のことは聞いていないので分からない」と話した。


この伊東秀仁という人の発言、どこか微妙に非常識で配慮に欠けているように感じるんですね。
なんだか選手の身体よりも興行のほうを気にしているように見える。
それに肩の手術のことは前から報道もされているんだから「聞いていないので分からない」というのもいかがなものかと。
安藤美姫陣営とはショー出演に関しては去年もゴタゴタがあったと記憶しているし、自分で連絡しづらい雰囲気を作っているんじゃないの?と思ってしまう。

スポーツ振興のためにはお金は必要だということは理解できるし、イベントを運営することがその団体にとって大切な業務だということはわかる。
選手の協力が必要なことも。
でも、選手に怪我をおしてまでショーに出演しろと思う観客はいないはず。
大金がかかっている競馬でさえ、故障している馬を出走させなかったからといって不服を唱える競馬ファンを私は見たことがないし、もしも出走させたりしたら調教師も馬主も非難ごうごう。
どんな人気馬であろうとも。
馬と人を一緒にするなとお叱りをうけるかもしれないけど、強化部長の発言や一部選手たちへのスケート連盟の対応を見ると、選手を酷使するのが仕事だと勘違いしているんじゃないかとさえ思う。

そして、発言の順序としては前後するけれど、これもどうかと思った発言。
高橋にノルマ「確実な4回転2回」
ここまで具体的なノルマを一選手に課すのが「強化部長」の仕事なんだろうか?
コーチが目標に掲げるとか、解説者の分析ということならば「ごもっとも」と思うけど、強化部長の発言としてみると「余計な口出し」でしかない。
一選手の方針に口を出すより他にやることはたくさんありそうに思うけど。

一方では情報収集を怠って選手の故障に対して配慮に欠けた発言をし、一方で越権行為の余計な口出しをする。
言ってること、やってることが逆。
もしもスケート連盟が「強化部長」を一選手の方針に口を出す存在と位置づけているのだとしたら組織として歪んでいる。
不用意な発言という点ではどこぞのサッカー協会会長やチェアマンと似ているけど、あちらは年齢的に「老害」だとして、この人はまだ40代なんですよね。
老害でもなく、はたまた若気の至りといえる年齢でもないのにこれでは困る。

スケートに限らず、アトランタ五輪の千葉すずと水泳連盟の件、アテネ五輪選考前の陸連の高橋尚子への対応、昨年の柔道の世界選手権の代表選出といい、こと競技をしきる団体のやり方には疑問を感じることが多いです。
サッカー協会も然り。
スポーツマンシップで運営しているわけでもなく、そのくせ普通の営利団体よりもえげつなかったり不合理だったりするし。
選手を管理・保護する組織は必要だけど、搾取する組織であってほしくない。絶対に。

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2008年3月24日 (月)

すがすがしい試合

フィギュアスケート世界選手権の男子シングル、高橋大輔は残念でした。
最初の四回転で行ける!と思ったけど、その後も緊張が解けなかったようで。

採点競技である以上、SPで1位、フリーでもミスをしなかったジェフリー・バトルの優勝は納得。
抜きつ抜かれつの見応えのある試合でした。
二位のジュベールは不服らしいけど、それはそれ。

http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20080324-339441.html

 メダリスト会見でも「4回転論争」が起きた。2位のジュベールが優勝したバトルを非難。「バトルには失望した。我々は4回転に挑戦したが、彼は跳ばなかった」。バトルは「スピンやステップも含めてフィギュアだ」と反論した。今後も論争は続きそうだ。

日本ではこういう論争は起こりそうもないですね。
発言内容の是非は賛否両論あるだろうけど、選手同士がこういうふうに思ったことを言えるほうが社会としては健全じゃないかと思う。

5位のランビエールが不調だったのがとても残念。
男子ではランビエールのフラメンコ、女子では安藤美姫の「カルメン」が、勝負を度外視して、一観客として楽しみにしていたプログラム。
もっとも、彼らの完全版の演技を見られるようなら、2人とも表彰台に上がっていたのだろうけども。

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愛のムチとは、殴る側だけが使う言葉

このところ「言い訳」を理由にスポーツ選手を批判するのが目につくのだけど、気になるのが、その姿勢と態度に疑問とか逡巡とかいうものが見られないこと。
はじめに批判ありきで、「言い訳はよくない」を正論と信じて疑わない。
時として「正論を言うことに酔っている」ようにさえ感じてしまう。
もちろん何かを批判する時というのは、自分の意見なり観点なりが正しいと思ってのこと(本当に正しいかどうかはともかくとして)だけど、ことこの「言い訳」を理由にする場合、「自分の意見」の是非を考える段階というのがなく、「言い訳はダメ」という価値基準だけを絶対的なものとしているように感じられる。
そして、絶対だと思っているから、置かれた状況とか事情を酌むこともなく、思いやることもないし、「すべて自分の責任です」という言葉以外は一切耳を傾けることなく、すべからく「言い訳」と決めつけてしまう。
もちろん、マスコミのフィルターのことなども考えない。
いってみれば問答無用で斬って捨てるようなもの。
これって、とても危ういことだと思う。
歴史ファンとしては、そういう風潮に西南戦争や日中戦争前を想起してしまうのです。

「言い訳をしない」ということが美徳であることは否定しないけど、絶対的なものかといえばそうは思わない。
しかも、ことは役人の不正などではなく、スポーツの勝敗とか、スポーツ選手の言動なわけです。
叱咤激励の名目のもとに「人の傷口に塩を塗る」行為が人として正しいことなのかといえば、それは否、だし。
そして、本音と正論は違うし、正論が常に辛口であるわけじゃないよね、と思う。
もちろん、説明と弁明も違う。

「愛のムチ」とは、殴る側だけが使う言葉である。殴られる側にとっては、ただの痛いムチである。

私が一番好きで気にかけているスポーツ選手は、余計なことをしゃべらない寡黙なサッカー選手だけど、それでもことあるごとに批判される。
なので、何を言おうが言わなかろうが、叩きたい人は叩くものだとわかっているのですけどね。

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2008年3月21日 (金)

世の中にたえて桜のなかりせば

・・・春の心はのどけからまし
フィギュアスケートの世界選手権女子シングルフリーを終えての心境です。
CSでの生放送が真夜中だったため予約録画して、朝一番に結果を確認しました。

強行出場しながらも途中棄権した安藤美姫は残念でした。
「最初から棄権すべきだった」といった批判もあるようだけど、こういうことって後からならいくらでも言えるんですよね。
彼女なりに意地もあったのだろうし、その選択が間違っていたとしても、20歳の若さで常に正しい判断をくだせる人なんてそうはいないだろうに。
そりゃ結果的には無理をしないほうがよかったと思うけど、一昨年の全日本選手権で、肩を脱臼しながらコーチの声に励まされて演技を続行したことが世界選手権の出場権と、さらには金メダルにつながったことを思えば、出場を強行したことを責める気にはなれない。
それと、これも所詮は後付けの理由ではあるけれど、コーチに言われるまま、彼女自身が納得していない状況での棄権よりも、滑ってみて自分で限界を判断したうえでの棄権のほうが、後々のためには良かったんじゃないかと思う。
少なくともコーチとの齟齬は生じないだろうし。
とにかく安藤美姫はまだ20歳。
焦らずに怪我を治してほしい。

優勝した浅田真央は、あんなに大きく転倒するのをはじめてみたけれど、よく持ち直したと思う。
その精神力には敬意を表します。
ただ、勝因に芸術性をあげている新聞があるけど、それはどうなの?と思う。
褒めるのはいいけど褒めるべきポイントが違うとなんだかおさまりが悪いし、無理矢理に芸術性を持ち出さずとも「精神的な強さで手堅くまとめて粘り勝ち」でもいいじゃないですか。それだって価値があることなのだから。
伝え聞く「ジャンプを失敗すると叱られる」というエピソードといい、今回見せた根性といい、浅田真央のイメージは少年スポ根漫画のヒーローに近いと思う。
「真央ちゃん」的イメージや芸術性で語るよりも、根性とかオトコマエさを前面に押し出してストーリー展開するほうがしっくりくるような気がする。

フリー1位で総合3位まで追い上げたキム・ヨナの演技はとても美しかった。
(スッピンの顔が鹿島の本山に似ていると思うのは私だけだろうか。)

そしてメダルには届かなかったけれど、中野友加里も素晴らしかった。
演技終了前から笑顔だったコーチもさぞや満足したことだろうし、観客のスタンディングオベイションにも頷ける出来。
得点が出るのを待っている時も、自分のイメージする演技ができた人ならではの達成感がその表情から感じられた。

キム・ヨナと中野に共通しているのが、上半身の動き、手の動きが流れの中で一つ一つきれいに決まっていること。
見ていて小気味がいいし、きれいです。

それにしても、JSportsの落ち着いた実況には癒される。
村主千香の解説も、観察が鋭くてかつ選手への思いやりがあって心地よいです。

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2008年3月16日 (日)

この鐘を鳴らすのはあなた、じゃない

「和田アキ子が○○を批判」という見出しをみるたびに、「あんたが言うな」と思いつつ、コメントするのも「お仕事」なんだろうし、どちらかといえばいちいち取り上げるほうが悪い、という認識でいた。
でも、この高橋尚子に対する批判は内容も最低。
批判というよりは誹謗中傷だし、道義的には沢尻エリカの「別に」、倖田來未の羊水発言よりもずっと問題だと思う。

アッコ、Qちゃんの敗戦言い訳「よくないよ!」と批判

 タレントで歌手の和田アキ子が1日(土)、ニッポン放送『アッコのいいかげんに1000回』で先日行われた『名古屋国際女子マラソン』に出場した高橋尚子選手の「調整不足でした」というレース後の記者会見について、「自分が一番分かっていたはずでしょ?」と不満を語った。


 和田は、岐阜出身の高橋が引退と北京五輪への最後のキップを懸けて地元で開催されたレースに出場したことにふれ、「主催者も強豪選手を呼ばなかった。(高橋を)勝たそうとしていた」と公平なレース展開がそもそもなかった可能性が高いことを指摘。さらに「手術してたって終わってから言うのはよくないよ。あの状況でレースでるなんて、よっぽど大金を貰ってたのかね」と会見で敗戦の“言い訳”ともとれる発言が次々と飛び出したことにご立腹の様子だった。

(個人的には反対だけど)高橋尚子のレース後の会見を言い訳と感じる人がいて、それを個人のブログや掲示板に書くのはまあいいと思う。「個人の自由」ってやつです。
でも、それを公共の電波でしゃべるとなると話は別。
しかも根拠もなくレースの公平性を疑ったり、「大金を貰ったのか」って、あまりにも品性下劣で、個人のブログでも書かないことですよ。

和田アキ子は言いたい放題しているようにみえて、実のところ日和見発言しかしない。
なので、今回も自分の意見が多数派であると見込んだうえでしゃべったのだと思うけど、大衆感情を馬鹿にしすぎ。
自身に見識がないためか、このところピントが大きくズレていると思う。
先にも書いたように、普通は個人のブログと公共の電波は区別して考えているし、そこでの発言の受け取り方も違う。
そして、一般大衆の多くには「惻隠の情」ってものもあるし、直接の「お友達」以外にも共感や同情の感情を持つんですよ。和田アキ子と違って。

先週もテレビ番組で冤罪が晴れた女性タレントをバッシングしたのを見たけれど、くだんのタレントに対しては濡れ衣をきせられたことへの同情心のほうが多いはず。
先々、マスメディアへの露出が増えたりしたら大衆感情が豹変する可能性はあるけれど、あくまでも今の時点では冤罪のニュースだから。
でも、番組内の和田アキ子は、冤罪の深刻さを認識している様子が皆無だった。

で、和田アキ子本人の常識や知性に問題ありなのは言うまでもないけれど、この発言を放送してしまったニッポン放送のスタッフ、大丈夫ですか?
倖田來未の件から、まだ日も浅いのに、なんか変ですよ。

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2008年3月14日 (金)

のだめカンタービレ#20

「のだめカンタービレ」20巻。
今回はちょっと熱くこみあげてくるものがありました。
早く次の巻が読みたいデス。

以下、ネタばれ

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2008年3月12日 (水)

キャッチボール

成宮君ご出演の「笑っていいとも」を録画にて視聴。
前回出演した時に比べると、成宮君のみならずタモリもリラックスしているように感じて「ほほう」と思いました。
タモリはなにしろプロ中のプロだから、会話の運びについては毎回ソツはないのだけど、相手によって微妙に態度が違って、会話のキャッチボールが成り立たない相手にはかなり気を使うのがみてとれることがある。
成宮君のことは「キャッチボールができる相手」と認識しているように見えたのだけど、「テレフォンショッキング」で、この世代の人を相手にタモリがそういうリアクションを見せるって結構珍しいなーと思った。
「タモリ倶楽部」ならば珍しいことではないけども。

「さんまのまんま」に出た時も、さんまがリラックスしているように思ったので、成宮君にそうさせる何かがあるのかもしれない。

そういう成宮君を見ていると、本当に賢い子は学校に行かなくても周囲から学び取るよね、と思う。

ところで、森田忍と山田あゆみを中心に見ている「ハチミツとクローバー」だけれど、もう一人、野宮役の柏原崇が完全に復活したようでうれしい。
特にファン(柏原崇が出るからドラマを見るというような)というわけではないけれど、以前、深夜のテレビ番組でゲーリー・オールドマンのファンで「レオン」を何十回も観たと語った後に「振り返るゲーリー・オールドマン」の真似をしたのが印象に残っている。
憧れの俳優がいて、その作品を繰り返し見る、というのは文句なしに好感度が高いし、他人の特徴をつかむこと、それを自分の表情で表現できるというのは俳優の資質として重要な要素だと思うのです。
そういう才能を持った人が病気やらトラブルやらで消えていくのは惜しいと思っていたので、冴えが戻ってきたのは本当に良かった。

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2008年3月10日 (月)

それでも彼女を見ていた

名古屋国際女子マラソン、高橋尚子選手は残念でした。

レース開始直後の高橋の脱落とその後の遅れで、早い段階で優勝はないだろうとあきらめた。
以後は通してみたわけではないけれど、終わってみると胸の痛むレースでした。
やっぱりね、自分は高橋がいつものように飄々と勝つところを見たかったのだなぁと思って。
レース後の会見、いつもよりもさすがに言葉は乱れていたけど、高橋の態度は立派だったと思う。
お父さんの会見も見たけど、穏やかで上品な人柄がうかがえる物腰とコメントで、高橋尚子に感じられる育ちの良さの源を見たような気がした。
もう少し走り続けるとのことなので、自分で納得のいくまで頑張ってほしい。

一つはっきりさせておきたいのは、失速の原因をたどればこれも調整不足ということになるのだろうけど、42.195km未経験のまま試合に臨んだ福士のケースとは明らかに違うということ。
何ヶ月も前から人事を尽くした末の失敗と、最初から「そりゃダメでしょ」という失敗は違う。
(※名前、間違えていたので修正しました。)

会見後にひざの手術をしたことを明かしたことについて「言い訳するな」という声があるけど、これって言い訳だろうか?
「それも含めて自分の実力」と言っているんだから敗因の一つとして説明しただけであって言い訳にはしてないし、レース前に言えば言ったで予防線とかなんとか騒ぐんだろうに。
手術したことを発表するタイミングとしては、手術直後が妥当ではあったと思うけど、レース後に発表したからって非難にはあたらないと思う。
理由の説明とか事情を斟酌するって普通にあることなのに、それを全部「言い訳」と決め付けてしまったら誰も何も言えなくなるし、100%結果を出せる時しか行動できなくなってしまう。
もちろん「潔さ」は賞賛に値することです。
でも、それは他人が「強要」することじゃないし、「潔さ」を褒めることと、「潔くない」と咎めることはまったく別物。
だいたい「潔さ」ってそんなに簡単に実行できることじゃないでしょう。
簡単じゃないからこそ賞賛されるんじゃないんだろうか。
それに、もしも百歩譲って言い訳したのだとしても、言い訳を一切許さない社会って、ちょっと怖いと思うのですが。
(「翔ぶが如く」によく出てきた「理を言うな」という言葉を思い出す。一見ウツクシイけど、とても危険)

今回、解説は増田明美ではなく有森裕子。

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ライラの冒険~黄金の羅針盤

「ライラの冒険~黄金の羅針盤」を観てきました。
物語世界の枠組み、人間にはダイモンという動物の守護霊(みたいなもの)がついているという設定が面白い。

ヒロインのライラは利口で好奇心が旺盛で口八丁、生意気だけど情に厚いところもある女の子。
アガサ・クリスティの初期の冒険小説のヒロインを想起させるキャラクターです。
子ども時代のクリスティナ・リッチーかサラ・ポーリーが演じても合いそうな役柄だけど、このライラもよかった。
ライラのダイモンの声がフレディ・ハイモア君。
このパンタライモン(ダイモンの名前)は姿も可愛いけど声も可愛い。
一番のお気に入りは猫の姿になった時のパンタライモンだったりする。

魔女の女王セラフィナ・ペカーラを演じているのがエヴァ・グリーンで、この人には独特の存在感とエレガンスがあって、「キングダム・オブ・ヘヴン」の時から好きな女優です。
この魔女がまたかっこいい。

他によろいグマの声がイアン・マッケランだったり、クリストファー・リー、デレク・ジャコビの顔が見えたりと、脇役も声の出演も豪華で、出演者を見るだけでもかなり楽しめた。
アスリエル卿を見てダニエル・クレイグが007に選ばれた理由がわかった気がするし、ニコール・キッドマンは美しくてゴージャスで謎めいているコールター夫人にぴったり。

世界観の説明の部分で、子どもはついてこれるだろうか?と不安に思わなくもなかったけど、ついてこれるような子どもたちにぜひ見てほしい。

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2008年3月 9日 (日)

自転車3人乗り容認?

思えば私は子どもの頃に母の自転車に同乗した記憶がない。
どこへ行くのも手をつないで歩いて行くか、公共の交通機関を使っていた。
2歳下の妹が生まれてからも同じ。
これはうちの母が当時体重38kgの吹けば飛ぶような体格で、しかも運動神経が極めて怪しかった、という事情もありますが。
さらに母の母(つまり祖母)は昔も今も自転車に乗れないけれど、それでも年齢の近い4人の子どもを育てた。
・・・というような自分が育った背景もあって、自転車が子育てに必須のものとは思えないんですよね。
自転車で3人乗りしなくてはならない理由として多くあがっているのが「保育園・幼稚園の送迎」と「買い物」だけど、このうち送迎は行政や園側に対応を求めるべきことなんじゃないだろうか。送迎バスを出すなり、時間を調整するなり。
そして買い物ですが、毎日生鮮食品を食べなくてはならないわけじゃなく、買いだめしておくという手もあるし、今ならネットショッピングもある。
少なくとも、子どもの安全と引き換えにしてまで遠隔地(徒歩ではいけない場所)に行かなくてはならない必然性があるとは思わない。

この件についてのネット上のリアクションを見てみると、容認を歓迎するママさんブログのほとんどから「安全」の視点が欠落しているのが気になるところ。
なかには「育児はお金がかる。専用自転車は買う気がない」という声まであるし。

6月から歩道通行が一部許可されるという話だけど、その対象は13歳以下の子どもと70歳以上の高齢者で「ママさんたち」は含まれない。
車道を3人乗りで走る自転車をほとんど見たことがないので、ママさんたちは「歩道走行」を前提で3人乗りを考えているように思う。
そして車道走行をしないということは「危険」という認識があるのだろうと推測するけれど、車道走行が徹底された場合、それでも3人乗りをするんだろうか。
車道は怖いからやめます、というのなら、そんなに差し迫って必要じゃないということだと思うのだけど。

自転車からは逸れるけど、うちの父は足の悪い祖母が孫(つまり私ですが)をおぶって散歩するのを非常に心配して止めたらしい。
「バランスをくずして転んだらどうするんだ、危ない」と。
父が心配症であるということはおいても、そういう危機感とか想像力を今の母親たちが失いつつあるような気がして、そのことが案じられます。


自転車3人乗り容認を検討・警察庁、「専用車」開発前提に
6月から自転車の歩道通行可=改正道交法施行で子供、高齢者ら-警察庁

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2008年3月 4日 (火)

エリザベス~愛と陰謀の王宮

前・後編のミニシリーズとしてテレビ放映された作品で、前編はエリザベスとレスター伯、後編はエセックス伯との関係が物語の縦糸。
「エリザベス・ゴールデンエイジ」がちょっと物足りなかったので、DVDを取り寄せてみました。
ヘレン・ミレンがエリザベス一世を演じているということから以前から気になっていたのだけど、レスター伯がジェレミー・アイアンズとなれば、これはますます見逃せない。
さらにバーリー卿がパルパティーンイアン・マクダーミッドで、脇を固める俳優も渋い。

前編は映画「エリザベス」の後半と「エリザベス・ゴールデンエイジ」で描いた部分と重なるけど、このテレビ版のほうが私は好き。
描き方はあくまで正攻法なのだけど、歴史ドラマはかくあるべし、という感じで面白かった。
前編はアンジュー公との結婚話、暗殺の陰謀発覚とメアリー・スチュアート処刑、無敵艦隊撃破までが緻密に過不足なく描かれている。
この「過不足なく」というのが歴史ドラマにはかなり重要なポイントです。

ヘレン・ミレンのエリザベス一世は演技も容姿もパーフェクト。
女らしく(女くさく?)、非情で残酷な部分があって、時に感情的で、でも君主として優先すべきことは常に忘れない。
身のこなしはあくまで優雅で、ユーモアとウィットもある。
若い頃からの寵臣レスター伯の愛情と忠節が、打算だけではなく(打算もあっただろうけど)心からのものでもある、と思わせるに十分な説得力がある。
ジェレミー・アイアンズ演じるレスター伯は、最初のうちは寵愛を笠に着たような態度も見せるけれど、メアリー女王時代を生き抜いただけあって政治的判断はしっかりしているし、女王のよき助言者として枢密院からも信頼されるようになっていく。
頼りがいのある大人の男。
このレスター伯だったら女王が生涯忘れなかったというのも頷けます。
(映画「エリザベス」はそこのところがいささか疑問だったのだけど)

スコットランド女王メアリー・スチュアートは、なにしろ絶世の美女と謳われたこともあり、死ぬときも美しかったと思い込んでいたのだけど、晩年は幽閉生活による運動不足から肥満していたとのこと。
ドラマはそこのところも史実に忠実に描いていたけど、バーバラ・フリンのメアリーは肥満(メイクだろうけど)しながらも女王らしい威厳もあって、これまた良かった。

そして後編。

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エリザベス・ゴールデンエイジ

演技陣は良かったし、アカデミー賞を受賞した衣装は豪華。
見ている間は退屈しなかったから、面白いことは面白かったのです。
でも、いろいろと残念なところのある映画だなぁというのが観終わっての感想。
この脚本を書いた人は歴史の連続性とか面白さにあまり興味が無いんではなかろうか。

前作「エリザベス」も歴史的事件の時系列を大幅に入れ替えていたけど、物語としては構成が緻密だったし、映画全体に「勢い」があった。
けれんみもスパイスになっていたし。
でも、今回はなんだかすべてが中途半端で思わせぶり。
スペクタクルにしようとして脚本が空回りしたという印象。
史実に手を加えて面白くなるならそれもいいけど、これだったら史実をそのまま映画化したほうが面白いんじゃないかと思ってしまった。
メアリー・スチュアートの描き方が今ひとつ盛り上がらないし(サマンサ・モートンの使い方がもったいない)、無敵艦隊を迎え撃つ場面でウォルター・ローリーに大活躍させたのも無理矢理な感は否めなかった。
一番楽しみにしていたジェフリー・ラッシュ演じるウォルシンガムも、前作でバーリー卿を引退させて、ウォルシンガムに宰相と警察長官(?)を兼務させてしまったせいで、前作にあった鋭さと怖さがなくなっていた。
だいたい、警察長官(?)が宰相兼務って国家体制としてまずいんではないだろうか。

主演のケイト・ブランシェットは、前作のように、少しずつ女王としての威厳を身につけていく過程を演じるには良かったのだけど、円熟期の女王としてはどこか物足りなさを感じる。
迫力とか威厳はあるんだけど、もっとこう、優雅さとかずるさみたいなものも欲しいんですね。
「ケイト・ブランシェットはうまい」とは思うのですが、それ以上でも以下でもないのが惜しい。
もう少し年をとってからのほうが良かったんじゃないかと思う。

若き日のローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーが出演した「無敵艦隊」という映画があって、今見ると海戦の場面はちゃちいし、衣装は白黒で見てもペラペラ。
でも、冒険活劇でありながら、エリザベス一世(フロラ・ロブソン)の若さへの嫉妬とか苦悩をさりげなく、でもしっかりと描いていたのだなと今にして思う。
脚本が歴史のツボをおさえていたっていうんでしょうか。

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2008年3月 1日 (土)

Wii Fitは楽しい

Wii Fitを始めて20日ほどになります。
WiiスポーツのCMを見てもあまり食指は動かなかったのが、バランスボードを使ったWii Fitはなんだか面白そうと思い始めていたところに、ここを見て購入を決断。

一応水泳もやってはいるのだけど、プールに通う時間がなかったり、風邪をひいたりでさぼりがち。
筋トレとかヨガの真似ゴトならこれまでにもしていたけど、重心に気を配るだけで筋肉の使い方がまるで違うし、これまでなかなか実行できなかった「毎日10分」のトレーニングを軽くこなせてしまう。
体重が増えるとWiiに言い訳を選ばされるのがいやで食生活にも今まで以上に気をつけるようにもなりました(笑)。
自分に似せたアバターも愛おしい。
さらに今はウイニングイレブンを入手し、ファミリースキーと食指が動かなかったはずのWiiスポーツの購入も検討中です。
ゲームと健康が結びつく日が来るとは思わなかった。

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