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2008年3月10日 (月)

それでも彼女を見ていた

名古屋国際女子マラソン、高橋尚子選手は残念でした。

レース開始直後の高橋の脱落とその後の遅れで、早い段階で優勝はないだろうとあきらめた。
以後は通してみたわけではないけれど、終わってみると胸の痛むレースでした。
やっぱりね、自分は高橋がいつものように飄々と勝つところを見たかったのだなぁと思って。
レース後の会見、いつもよりもさすがに言葉は乱れていたけど、高橋の態度は立派だったと思う。
お父さんの会見も見たけど、穏やかで上品な人柄がうかがえる物腰とコメントで、高橋尚子に感じられる育ちの良さの源を見たような気がした。
もう少し走り続けるとのことなので、自分で納得のいくまで頑張ってほしい。

一つはっきりさせておきたいのは、失速の原因をたどればこれも調整不足ということになるのだろうけど、42.195km未経験のまま試合に臨んだ福士のケースとは明らかに違うということ。
何ヶ月も前から人事を尽くした末の失敗と、最初から「そりゃダメでしょ」という失敗は違う。
(※名前、間違えていたので修正しました。)

会見後にひざの手術をしたことを明かしたことについて「言い訳するな」という声があるけど、これって言い訳だろうか?
「それも含めて自分の実力」と言っているんだから敗因の一つとして説明しただけであって言い訳にはしてないし、レース前に言えば言ったで予防線とかなんとか騒ぐんだろうに。
手術したことを発表するタイミングとしては、手術直後が妥当ではあったと思うけど、レース後に発表したからって非難にはあたらないと思う。
理由の説明とか事情を斟酌するって普通にあることなのに、それを全部「言い訳」と決め付けてしまったら誰も何も言えなくなるし、100%結果を出せる時しか行動できなくなってしまう。
もちろん「潔さ」は賞賛に値することです。
でも、それは他人が「強要」することじゃないし、「潔さ」を褒めることと、「潔くない」と咎めることはまったく別物。
だいたい「潔さ」ってそんなに簡単に実行できることじゃないでしょう。
簡単じゃないからこそ賞賛されるんじゃないんだろうか。
それに、もしも百歩譲って言い訳したのだとしても、言い訳を一切許さない社会って、ちょっと怖いと思うのですが。
(「翔ぶが如く」によく出てきた「理を言うな」という言葉を思い出す。一見ウツクシイけど、とても危険)

今回、解説は増田明美ではなく有森裕子。

滑舌・声質は解説向きだし、冷静な点は良いんだけど、一箇所まだレース序盤に「故障を言い訳にしないでほしいですね」と言ったのが気になった。
レースを走っている時に言うべきことなのかな、と。
村上春樹の「シドニー」の中で、有森裕子は当時の小出監督と高橋尚子の二人三脚について批判的な発言をしていたけど、高橋がシドニーでぶっちぎりのレースをして金メダルを獲れたのは、高橋が小出監督を無心に信頼することができたことも理由の一つだと思う。
そして、この信頼こそが有森裕子がどうしてもできなかったこと。
「他人に全幅の信頼を置く」というのは冒険だけど、有森はその冒険ができなかった。
そのことが今もわだかまっているんじゃないかと思えてしまう。
現在指導者のいない高橋尚子は「シドニー」が書かれた当時の有森と似たような状況にあって、似たような壁にぶちあたっているけれど、その選手に対してもう少し言いようはあったんじゃないかと思うのです。
別に庇えとか持ち上げろとは思わないけど。
増田明美は自分の苦い経験を時間をかけて咀嚼して今は克服したと思うのだけど、有森裕子はまだそこまでの境地には至っていないんじゃないかと、高橋に対するコメントを見ると思えてしまう。
他は冷静・適確だと思うんですけどね。

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