たかが芸能、されど芸能
2008年5月15日発売の週刊文春は買いませんでした・・・とわざわざ言うことでもないんだけれど、先週は大きな事件、災害が起こったのに、芸能ネタ満載なのは「総合週刊誌」としてどうなのよ、と思ったんである。
そりゃ、時事ネタについてはネタ切れの時もあるだろうし、芸能ネタも多少は混ぜなきゃいけないんだろうし、大人の事情で誌面を埋めるための記事も要るんだろう。
でも、芸能ネタがざっと数えても10件以上って「なんだこりゃ」である。
芸能・スポーツの話題は週刊文春の得意分野じゃないのは言うまでもなく、したがって、記事の内容もどこかで見た記事の引き写し・焼き直しがほとんど。
以前はそんな記事でも情報としては目新しかったし、記者にも文章力があったから、そこそこ楽しめる読み物にはなっていたけど、今は状況が違う。
同じゴシップを載せるにしても、昔はもっと気概のようなものがあったと思うのは、過去を美化しすぎだろうか。
ネットが普及した現在、わざわざ週刊誌を買う理由はといえば、政治・経済・社会の分野で起こったことについて、独自に取材して書いた記事を読みたいからです。
それから面白い連載と。
番組改編期に特集するテレビ批評も、ナンシー関くらいに読み物として面白ければいいけれど、所詮は「感想」に過ぎないわけで、今の記事のレベルならないほうがマシ。
今にして思うとナンシー関は、テレビ番組や出演者をネタにして、斜めの切り口で語っていたけど、実は演技力とか歌唱力等、番組の構成等についても見る目のたしかな人だったと思う。
「辛口コラム」が売りだったから下手な歌手や俳優を上手いと持ち上げることがなかったのは当然として、その逆に、こきおろすべきでないものをこきおろすこともまたなかった。
たとえば、松田聖子をスキャンダルではネタにしても、彼女の歌唱力を貶めるようなことは書いてないし、自分の好き嫌いと能力の評価はさりげなく区別していて、批評眼もたしかだった。
青木るえかとか今井舞など、イマドキのテレビ批評が悉く的はずれなのは、そもそも好き嫌いと客観的評価の区別がまったくできていないうえに、演技力を評価する素地がないせいだ(と思われる)。
一人二人ならいざしらず、演技派俳優を軒並み下手よばわりは、もはや「好みの違い」の域ではなく根本的に見る目がないとしか思えん。
っていうか、ネタ探しのためならいいけど、アラ探しのためにテレビを見るな、と思う。
この二つは似て非なるものですから。
テレビ批評を載せたいのなら、いっそ林真理子が書いたらいいんじゃないか。
交友関係や贅沢自慢にはウンザリだけど、「篤姫=スチュワーデス物語」説は面白かったから。
少なくとも青木るえか・今井舞よりはよさそうな気がする。
それから、芸能ネタの中でも、週刊文春はキムタクバッシングを執拗に載せたがるように思うのだけど、いったい誰をターゲットにしているのかがわからない。
そういう方面に疎いオジサマたちに「こういう話題があるんですよ」と紹介するにしては記事の書き方が恣意的にすぎるし、キムタクのライバルとして、いちいち小栗旬を引き合いに出すのも意味不明。
小栗旬は役者だし、木村拓哉は「キムタクを演じる第一人者」で、立ち居地が違うでしょ。
情報に疎い(であろう)人たちに、わざわざ偏った内容の記事を読ませてなんになるんだろうか。
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