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2008年5月30日 (金)

かつて、星は輝いていた

1990年に録音された中村紘子のラフマニノフのCDを購入。
ロシアの平原と大河を思わせる、壮大にして力強く豊かな音色の非常に素晴らしい演奏です。
このCDを買おうと思い立ったのは先日放送されたN響アワーを見て。
ただし、それに感動したからではなく、むしろ「すごい」演奏だったから。
知らない音がふんだんに入って、第3楽章が終わるまで実にスリリングだった。
(パリに留学する前の“のだめ”がコンチェルトを弾いたらこんなかもしれない。)
テレビで見ていてこんなだから、指揮者の準・メルクルはさぞドキドキしていたことでしょう。
中村紘子の持ち味は日本人離れした壮大さと男性的ともいえる力強さで、この人のショパンの小曲集などは聴こうと思わないし、繊細さとか精緻さを求めたりはしない。
多少のミスタッチは覚悟の上で味わうべきピアニストだと思うけど、この演奏に関しては、技巧上の失敗が芸術性をしのいでしまったというか、芸術性が技巧上の失敗に惨敗したというか。
いっそ、これがもっとなじみの薄い曲だったら、ミスタッチを気にせずに聴くことが出来たのかもしれないけど。

なんていうか「愕然とする」演奏だったわけだけど、これでもって中村紘子というピアニストを評価するにしのびない、したくないなと思ったのです。
高みに到達したピアニストだということもまた事実だし、そういう人を一回のひどい演奏で記憶したくない。
それでネットを検索してみたら、中村紘子のラフマニノフのCDが見つかって、レビューの評価も高いし、値段も手ごろ。
これは買ってみようかなーと思ったわけです。
聴いてみて、やはり一時代を担っただけのことはあるよね、と心から納得。
N響アワーが素晴らしい演奏だったら、そこで満足してCDを買おうとは思わなかったかもしれない。

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昔に比べてリーズナブルな価格になっていたのもCD購入のポイントの一つで、日本人演奏家のCDは、外国人演奏家に比べて価格が割高なので、買うに際してのハードルが高く、かなり強い動機が必要になる。
なので、昔、テレビで中村紘子のラフマニノフを聴いて、素晴らしかったという記憶はあったものの、CDを購入するには至らなかったのだけど、ひょんなことが買うきっかけになりました。

中村紘子が著書の中でやんわりと触れていたフジコ・ヘミングも、彼女自身のドラマ性だけでなく、音楽的に「高みに到達したことがある」ということは、その演奏から感じとれるので、必ずしも話題性だけとは思わなかったりする。
とはいえ、自分としては現在進行形で演奏を聴きたいとは思わないのですが。

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