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2008年8月

2008年8月31日 (日)

錦織圭、全米オープン16強

錦織、71年ぶりの16強 18歳が世界4位を破る

日曜日の朝、「錦織の三回戦はどうなった?」とパソコンを起動すると、4セット目の途中で、セットカウントは2-1。
体力が課題と言われていることもあり、フルセットになると厳しいかもと思ったけど、家事を一通り終えて再び試合速報を見ると、5セット目を6-5で錦織が優位に立っている!!
あと「1ゲーム!」とパソコンの画面に念を送ってしまいました。

試合の詳細はスカパーのWOWOWチャンネルで夕方からの録画放送を視聴。
内容的にも充実した面白い試合だった。
対戦相手のダビド・フェレールも、別に調子を落としているわけではなく(二回戦の相手が随所に怖さはあるものの自分との戦いに負けていたのとは大違い)、そういう相手と互角に戦って勝利をもぎ取ったわけだからほんとにすごい。
体力面とともに課題とされているサーブも200km超えがあったりと、ウィンブルドンから2ヵ月で成長している。
観客も盛り上がってウェーブまで起きて、「ウィンブルドンだったら審判にたしなめられるよねー」と思ったけど、アメリカはOKなのかー。

放送が5セットにかかったところで豪雨が降り始め、時々「受信できません」状態になったのには焦ってしまった。
なんとか見どころは見逃さずに済んだので、ホッ。

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2008年8月30日 (土)

ミレイ展@Bunkamuraザ・ミュージアム

渋谷のBunkamuraのジョン・エヴァレット・ミレイ展に行ってきました。
開催初日ということで混雑が心配だったけど、比較的ゆったりと鑑賞。

絵画展というと、文句なしに「好き」と思う時と、好きじゃないけど妙に引っかかる時とがあるけれど、ミレイの絵は好きだなぁとしみじみ思う。
お目当ての「オフィーリア」が素晴らしかったのはもちろんのこと、「ファンシーピクチャー」といわれる作品群の少女の絵が仕草も表情も衣装も本当に可愛らしい。

「オフィーリア」は「美の巨人」で見て以来ずっと観たいと願っていた絵です。
待ちきれずに画集を買ったりもしたけど、実際の絵を間近で見ると、草木や水面に浮かぶ花々と藻の描きこみが精緻で、緑の色が目に染みるよう。
ミレイは人物画と風景画がともに素晴らしいけど、「オフィーリア」はその融合といえるかも。
ミレイは描きたいものと、それを表現する技術がつりあっていた人なのだろうと思う。
これは先日観たコローにも感じたことだけど。

今回、「ロンドン塔幽閉の王子」がなかったのがちょっと残念。
この題材はドラローシュも有名だけど、ミレイのほうが好きです。

ミレイ展を観た後、美術館のハシゴを目論んで、フェルメール展開催中の東京都美術館に向かったのだけど、行列している人たちを見て断念。
平日に休みをとって行ってやる、と心に誓ったのでありました。


ミレイ展は当然の如く図録を購入したのだけど、西洋美術館や東京都美術館のものに比べるとちょっと不満を感じてしまった。
というのは、たとえばコロー展の図録だと「モルト・フォンティーヌの想い出」の全体の画像と一部を拡大画像と解説が載っていたりするのだけど、ミレイ展の図録にはそういうのはなし。
せめて「オフィーリア」だけでも拡大画像を載せて欲しかった。
#表紙の絵は大きいけど、表紙はあくまでも表紙、なので。
あ、でも、図録にもれなく「オフィーリア」の文庫カバーが付いてくるのはうれしい。
さらにその上にカバーをかけてしまいそうだけど。


柳の木が小川の上に斜めに身を乗り出し
鏡のような流れに銀の葉裏を映しているあたり。
あの娘は、その小枝で奇妙な冠を作っていました。

キンポウゲ、イラクサ、ヒナギク、シランなどを編み込んで。
あの花を、はしたない羊飼いたちは淫らな名で呼び
清らかな乙女たちは「死人の指」と名付けている。

それからあの娘は柳によじ昇り、しだれた枝に花冠を掛けようとした途端
意地の悪い枝が折れて花冠もあの娘もすすり泣く流れに落ちてしまった。
裳裾が大きく拡がってしばらくは人魚のようにたゆたいながら
きれぎれに古い賛美歌を歌っていました。

身の危険など感じてもいないのか、水に生まれ水に棲む生き物のよう。
でも、それも束の間、水を含んで重くなった衣が可愛そうに、
あの娘を川底に引きずり込み水面に浮かんでいた歌も泥にまみれて死にました。
(『ハムレット』 松岡和子訳より)


Ophelia_2


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2008年8月26日 (火)

最近買った便利なツール

「冷プッタネスカ モッツァレッラ入り」を作ろうと思いたち、材料を揃えて作り始めるも「オリーブの種を抜く」で行き詰る。
割り箸で抜けるかしらと思ったらそうは問屋が卸さなかった。
その時は、とりあえず「包丁で身を削いでみじん切り」で対処したのだけど、レシピのとおりに「種を抜いて輪切り」に出来ないのが面白くない。
ネットで検索して「オリーブピッター」なるものがあることを知り、東急ハンズで買ってきました。
品名はチェリーピッターでしたが、オリーブにも十分使えます。
Cherry_pitter

オリーブピッターを探し歩いている時に偶然目にして、欲しくなって購入してしまったのがチーズ・グレーター。
チーズおろし器は既に持っていたし、用は足りていたのだけれど、「ハンドルを回す」というのがグッときて買ってしまった。
パスタ、リゾット、サラダと、かなりたくさんのチーズをかけるほうなので結構役に立っています。
Cheese_g

それから意外と便利なのが受け皿つき大根おろし器。
道具を変えるだけで大根おろしがこんなに楽になるなんて、迂闊だった・・・。


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2008年8月25日 (月)

私が子どもだったころ~マルタの碧い海

深夜、たまたまNHKにチャンネルを回したら、ジミー大西が子どもの頃の初恋について語っていて、背景の景色が地中海のようだけどイタリアでも南仏でもなく、海の色がマルタに似ている・・・と思ったらマルタに滞在中とのこと。
どちらかというとマルタ島に興味を惹かれて見たのだけれど、「天然ボケ日記」の頃に比べると、魚の焼き方も手際が良くて、海外生活も板についた感じ。
滞在先の鍵を開けられずに助けを呼ぶあたりは相変わらずだけど。
好みの絵ではないけれど、ジミー大西の作品ではJRAのポスターが好き。
「鹿に見えたら奈良公園へ、馬に見えたら競馬場へ」というコピーがついていたヤツ。
正直、それまでは色彩感覚だけの人かと思っていたのだけど、そのポスターを見てそうではないことがわかったのです。

幼くして亡くなった初恋の人に宛てて、サボテンに絵と手紙を書いてマルタの海に流すのだけど、署名を本名にしたことについて質問されて、「彼女は自分のことをジミー大西としては知らないから」と答える、その素朴さになんだかグッときた。

マルタ島のハチミツ色の建物と碧い海は、彼の目にはどんなふうに映っているんだろう。
Maltasea_2_2

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日傘差し運転

母の顔に紫外線が原因の吹き出物が出来てしまったというので、帽子を買ってあげた。
その際、帽子が飛ばないように金属のクリップで止めるタイプの帽子止めも一緒に送った。
帽子と襟を止めるヤツ、ですね。
ところが実家に帰ってみると、母が↓のような使い方をしていたことが判明。
Hat
笑いつつも正しい使い方を説明しました。

ところで、通勤途中で自転車を日傘差し運転しているオバサマに出会います。
それも一人ではなく数人。
なかには傘を差したまま自転車で坂道を登ろうとする猛者もいる。
雨の日も当然のように傘差し運転。
・禁止行為だという認識はないのか
・片手運転を怖いと思わないのか

禁止行為であることを知らないというのも社会性の欠如が甚だしいけれど、片手運転を怖いと思わない(とすれば)というその鈍感さが恐ろしい。
自分自身の危険にそこまで無頓着ということは、他のことについても推して知るべしだと思うから。

ブログを見ていると、傘差し運転禁止を非難するような記事さえあって、自転車って放っておけば倒れるものなのに、想像力が欠如してないかい?と思う。
紫外線予防も大切だけど、安全運転を心がけないと。

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2008年8月24日 (日)

北京五輪閉幕

始まる前はかなり懐疑的だった北京オリンピックですが、思ったよりもずっと楽しめました。
やっぱりスポーツは面白い。

個人的な山場は北島康介の100メートル、200メートルの連覇と女子ソフトボールの金メダルかな。
それと男子400メートルリレーの銅メダルと。
女子のソフトについては、2004年のサッカーアジア杯もそうだったけど、人はどうしてこういうギリギリの戦いに感動するのでしょう。
「心技体」というけれど、「心」と「技」と「体」がそろってこそ結果が出るのだと、女子ソフトを見ていて思った。
1日二試合投げて、翌日の決勝戦を制したのは、気持ちの部分はもちろん大きいし、最後にものをいうのは気持ちだけれど、技術と体力がそれだけのレベルにあればこそ。
勝ちたい気持ちなら女子サッカーの選手たちにもあったと思うけど、体格差と技術の差は気持ちだけではいかんともしがたかった。

閉会式で一番面白かったのはロンドン五輪のPRコーナーでした。
ジミー・ペイジ(とベッカム)とは、なんて渋カッコイイ人選。
「壮大さ」に「かっこよさ」が勝った瞬間でもありました。

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2008年8月20日 (水)

映画「フォロー・ミー(The Public Eye)」

「フォロー・ミー」はテレビで見て以来大好きな作品。
一度ビデオに録画したものの画質の劣化は否めず、DVD化を切に待ち望んでいる。
NHK BS-2で放映されるということで喜び勇んで録画予約するも、BSを受信できるHDDレコーダーが不調で一部録画を失敗してしまった(涙)。

ロンドンの街並みと観光名所の数々、ミア・ファローの透明感が素晴らしく、見終わった後に鼻の奥がちょっとツンとして、でも自然と笑顔になってしまう。

物語は、ロンドンに住む堅物の会計士チャールズが、妻のぺリンダ(元ヒッピーのアメリカ人)の浮気調査を探偵に依頼するところから始まります。
探偵のクリストフォルは、真っ白なコートを着て常にマカロン食べている変わった人。
尾行を開始した探偵が見たのは、感動できることを探しながらロンドンの街を歩き回るべリンダの姿。
映画館、ハイドパーク、テムズ川の遊覧船etc.
上流社会の生活に馴染めず、多忙な夫に放っておかれることの多いべリンダは、そうやって気を紛らわせていた。
尾行しているうちに探偵とベリンダはいつしか心を通わすようになる。
といっても2人は言葉を交わすわけでも、ましてや触れ合うこともなく、ただただ一定の距離を置いて歩き、何か興味を惹くものが見つかるとアイコンタクトでみちびく、それだけ。
やがて夫が尾行を依頼していたことを知ったベリンダは怒って家を出てしまう。
クリストフォルもベリンダを恋するようになるのだけれど、探し出したベリンダがまだ夫のチャールズを愛していることを知り、あることを夫に勧める。
・10日間、距離を置いてべリンダの後を追うこと
・口をきいたり触れたりしてはいけない
・べリンダに見せたいものがあったら合図する
「仕事がある!」と、はじめは抵抗したチャールズも、妻を失いたくないためにこの提案を受け入れ、ぺリンダの後を追って歩き始める。


「同じ感動を分かち合うこと」という、シンプルだけど大切なことを気づかせてくれる映画です。
そして「結婚とはなにか」についても。


周防監督の「Shall We ダンス?」の探偵事務所の壁に「フォロー・ミー」のポスターが貼ってあって、あれを観た時はちょっとニヤリとしてしまった。

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2008年8月13日 (水)

のだめカンタービレ#21

のだめカンタービレ#21を読みました。
いよいよ千秋&Ruiのラヴェルの協奏曲。

この巻で一番心に残ったのが「経験しなくても感じられる」という言葉。
これは「恋とか学生生活を経験しなきゃ」と焦っていたRuiが試行錯誤の末につかんだ答えだけど、自分を見つめなおすことなしに「私はー経験しなくてもー感じられるタイプだからー」というのでは成長はないわけで、焦ったり迷ったりした過程があればこそ。
それでいてRuiが「新しい経験」への期待感を否定しないのもいい。
これまでRuiのエピソードに多くのページを割いてきたことにも納得。

自分の目で見る・経験するということは大切だし、経験しなくてはわからないこともあるけれど、想像や過去の経験・知識からの類推でわかることもたくさんある。
これは常から思っていたので、我が意を得たり、でもあった。
自分の経験のみをもとにしていたら、ドラマも小説もわからないことだらけだし。


そして千秋とRuiに自分が思い描いていた音を思っていた以上に素晴らしく奏でられてショックを受けたのだめ。
「天才のだめ」をもっとハッピーに描いていくのかと思ったら、のだめの挫折と精神的に幼い部分の限界もきちんと描くんですね。

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2008年8月10日 (日)

崖の上のポニョ、見ました

子どもが多いだろうしとDVD待ちのつもりが、新宿駅西口の広告スペースを使った「崖の上のポニョ」展を見て、映画館で見ることに決定。
夜の海と船の絵を見ては、大スクリーンで見ないわけにはいきません。
ひたすら映像を楽しむために足を運んだのだけど、映画全体としても面白かった。

瀬戸内と思われる風景に尾道の千光寺から見た景色を思い出しました。
(映画の中に出てくるJA4というコールサインは瀬戸内地方のものとのこと。)
海、海底、海の生き物、波、空、岩、木々、夜景と船の灯りetc.、作画の数々は「これぞジブリ」という質の高さ。
宗介とポニョが五歳という設定がいいですね。
五歳ならば、宗介くらい賢くても不自然じゃないし、愛情表現はまだまだストレートな年頃。
これが小学校に入ると、少し変ってきてしまう。
それから、老人ホームと保育園が隣り合わせというのも良いなと思った。
小さな子がお年寄りと接するのは良いことだし、お年よりも子どもがそばにいると刺激になるし。
養老孟司との共著「虫眼とアニ眼」で描いていた街もこんなじゃなかったっけ?

ポンポン船の玩具って初めて見たけど、なかなか楽しそう。

ポニョがあらわれたことによって引き起こされる現象を、シリアスに描くと小野不由美の「魔性の子」のようになるわけで(ポニョ、おそろしい子)、幼いポニョが大きな魔力を持つことへのフジモトの懸念はもっともなこと。
このあたりは、なかなか奥深いと思った。

「人魚姫」をベースにしたという物語は他愛もないといえば他愛もないけれど、風景の美しさ、ポニョの可愛さと成長、宗介の礼儀正しさと勇気、老人たちとの交流、リサの愛情、古代生物、ポンポン船といったものが、この映画を見た子どもたちの記憶に残ることは、なかなか楽しみなことです。
ポニョと宗介の関係は、本家本元の「人魚姫」よりも映画「スプラッシュ」が近いかな。
結末は違うけど。

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北京五輪の開会式

これまでオリンピックの開会式なんてまともに見たことがなかったのだけど、総合演出チャン・イーモウ(張芸謀)ということで、いつになく熱心に見始める。
太鼓の場面で「おっ」と思って、録画スイッチもON。

北京オリンピックそのものを考えると、複雑な背景があったりキナ臭さも漂っていて、手放しで賞賛ということにはならないし、チャン・イーモウ監督自身、過去は平穏ではなかった。
でも、それはそれとして、この開会式は「純粋にショーとして」素晴らしかった。
皮肉っぽくまとめてしまえば「お家芸のワイヤーアクションと人海戦術を駆使したマスゲーム」ということになるのだけど、演出のアイデア・セットのデザイン・演じる人たちのパフォーマンスがどれをとっても「ここまで出来るのか」という、他の追随を許さないクォリティの高さ。
思いっきり壮大で、粋を凝らした舞台を観た気分。
妥協することなく自分のイメージの実現に努めたチャン・イーモウには心からの賞賛をおくります。
そして彼に全権をまかせて、おそらく費用に糸目をつけなかったことに関しては、中国という国はすごいと思う。

ショーを見ながら「これって張騫?、あ、鄭和か」なんて中国の歴史に思いを馳せるのも楽しくて、
ショーの終盤に民族衣装を着た子どもたちが出てきたけれど、これもコスチューム好きにはうれしい演出。
上海博物館に行った時に興味を惹かれたのが少数民族の衣装の数々だったなー、なんてことを思い出した。


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北京五輪に関連して、フジテレビの「サキヨミ」で北京近郊の直訴村をとりあげていたけど、ここでもチャン・イーモウの映画「秋菊の物語」を連想してしまった。
現実は映画よりもずっと悲惨で厳しいのだろうけれど。

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2008年8月 7日 (木)

近くて遠い中国語

北京オリンピックだからというのではないけれど、中国語の話題をいくつか。

「学研 中国語三昧DS」を購入。
まだ始めたばかりなので、本格的な学習にどこまで使えるかはわからないけど、初心者もしくは復習用には十分な機能。

非常に短い間ではあるけれど中国映画を熱心に見ていた時期があって、中国語とはその頃からのお付き合い。
中国語会話の短期講習を受けに行ったりもして、そのため、今はずっと好きで力を入れているフランス語よりもTalkmanの発音テストの成績が良かったりもする。
ちょっと不本意だけど。
会話以上にピンインの入力に興味があって、Macを使っていた時はChinese Language Kitを入れてみたり、Windowsに移行してからは超漢字というOSをインストールしてみたりといろいろやったものだった。
その後、中国語に対する熱が冷め、気が向くとテレビの中国語講座を見る程度になっていたのだけど、ふと思いたってパソコンに中国語環境を作ってみた。
おお、ピンイン入力ができる!!
Windows XPにしてからずいぶん経つけど、標準装備でこんなことができるとは。
・・・できたからといって何に使うかというと特に用途はなく、中国語会話も上海に旅行した時にちょこっと使ったきり。
でも、日常生活に支障が出ない程度の無駄は人生のこやし、である。


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先日、NHK教育テレビの「テレビで中国語」を見ていたら、子役の森迫永依ちゃんが出ていた。
お母さんが中国人で、彼女も上海語と普通語が「日常会話程度に」話せるとのこと。

普通話か上海語かのどちらか一つを話せるということなら、子どものうちは吸収力があるし、お母さんが中国人という環境であれば、それくらいは出来ても不思議じゃないと思うのです。
でも、両方話せるというのは、彼女自身に語学の適性と「言葉」への積極的な関心があるからだと思う。
中国語の早口言葉ゲームに参加したり、受け答えがしっかりとしていて、見るからに賢いわ。
子役としての評価は元々高いから、ちょっと今更な賞賛ですが。

語学がツールであることを忘れて語学至上主義に陥っている人、ツールとしての言語に囚われすぎている人には批判的な私だけど、語学の才能を持っている人、「言葉」に対して好奇心の旺盛な人には敬意と親愛の情を感じてしまいます。

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2008年8月 5日 (火)

ブログ名変更のお知らせ

突然ですが、ブログ名を変更いたします。
変更後の名前は「午後の緑の芝生」です。
以前このタイトルでブログを書いていまして、諸般の事情により閉鎖、現ブログに移行しておりました。
でも、愛着のあるタイトルでしたので、そろそろ戻そうと思います。
アドレス等は変更ありません。

なお、「心の地図」は監督:ヴィンセント・ウォード、主演:ジェイソン・スコット・リー、アンヌ・パリローの映画より付けました。
※欠点はあるけど良い映画です。

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2008年8月 4日 (月)

サントリー美術館「小袖展」

週末、サントリー美術館の「小袖展」に行ってきた。
展示されている小袖の数々は、美しいばかりでなく、シュールな意匠などもあって見応え十分。
まさに江戸のオートクチュール。
和の心意気っていうんでしょうか。
萌葱、浅葱、縹(はなだ)、納戸(なんど)など、これまで抱いていた色のイメージと少し違っていることがわかったのも発見であった。
展示された小袖だけでなく、着物の年表も資料として興味深い。
振袖の袖丈が何年に何寸伸びた、とか、黒繻子襟が流行った、とか。
図録は絶対お勧めです。

サントリー美術館で欠かせない、もう一つの楽しみが不室屋のカフェで、この日は生麩のぜんざいをいただいてきた。
美味です。


-*-*-
新国立美術館の「ウイーン美術史美術館展」にも行ったのだけど、ここで印象に残ったのは数々の花の絵。
呼び物の「薔薇色の衣裳のマルガリータ王女」も良かったけれど、マルガリータ王女の絵は青いドレスのが一番好き。

新国立美術館というと、モネ展が長蛇の列で断念した以外は、概ね空いているという印象なのだけど、特にフェルメール展が比較的空いていた--少なくとも、モネ展よりは遥かに混雑の度合いが低かった--のが意外だった。
モネは日本人好み(もちろん私も好き)ではあるけれど、日本で所蔵している美術館もあるし、見る機会の多い画家でもある。
「フェルメールのほうが希少価値は高いのにねー」と不思議がったものでした。


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2008年8月 3日 (日)

浴衣と花火の季節

花火の季節ということで、街で浴衣姿の女の子を見る機会が多い。
今は帯とセットで吊るしの浴衣が売られていて、価格も手頃だし、若い女の子が手に取りやすくなったこと、浴衣を通じて和の装いに親しむのは良いことだと思う。
最近は友禅風のデザインの浴衣もあって、ちょっといいなーと思ったのだけど、気になったのは柄ゆきが桜とか紅葉で、季節感を無視していること。
個人的には、夏に桜文様のものを着るよりは、ハイビスカス模様とか、なんだったらパイナップル模様のほうが季節感があって良いくらいである。
まあ、パイナップルは極端としても、呉服屋さんも夏の花で柄ゆきを工夫してほしいもの。
友禅風にするにしても、撫子とか、鉄扇とか、夏の花で合いそうなものはいろいろあると思うし。

若い子の浴衣姿でもう一つ気になったのが着崩れ。
最初は着付けが悪いのかと思ったけど(そういう子もいるけど)、どうも姿勢が悪いために着崩れてしまっているよう。
「背筋はまっすぐ、できれば撫で肩」が着物を着た時の基本姿勢だけど、激しく着崩れている子の姿勢を見ると、猫背で、さらにわざわざ両肩をすぼめるようにしている。
着物の動きに逆らっているわけで、これじゃ着崩れて当然と思うし、猫背+肩をすぼめるって、洋服でも美しく見えないだろうに。

それと、吊るしの浴衣は、どうしても大きめの品を選ぶことになるから、身体に合わないのも着崩れる原因かも。
で、そういう場合、子どもの浴衣みたいに肩上げしてもらったら可愛いし、着崩れも防げると思うのですが。

今風の浴衣もそれなりに良いけれど、見ていて落ち着きを感じるのは、親御さんが誂えてくれたとおぼしき藍染の浴衣をきっちりと着ている子。
流行の浴衣の華やかさはないけれど、お誂えは身体にフィットしているし、そういうのを着ている子は姿勢も良くて、しっかりした家庭のお嬢さんなんだろうなと思う。

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ミス・マープル~普通が意外

ミステリー・チャンネルで「復讐の女神」を放送していたので録画。
基本的には海外ドラマや映画は字幕で見たいほうなのだけど、このジョーン・ヒクソン/山岡久乃の組み合わせは大好きです。

「復讐の女神」は、原作の訳には大いに不満があるのだけど、ドラマはそこが気にならないし、バスツアーで巡る英国の古い邸宅と庭園の数々が見られてうれしい。
ただ、マイクルとヴェリティについて語られる部分が省略及び単純化されていて、「ポケットにライ麦を」もそうだったけど、原作の印象的な部分、複雑で奥行きを感じる箇所が削られてしまったのが残念。
ドラマとして物語を展開するためにはしかたのないことなのかもしれないけど。
原作についてつらつらと述べたエントリはこちら

時を同じくしてミス・マープルの新作が放送中。
ピーター・ユスチノフのポワロもあることだし、配役についてはジェラルディン・マクイーワンの小妖精みたいな容貌のマープルもありと思う。
ただ、ユスチノフ版はなんだかんだいっても「几帳面、神経質、マイノリティ」といったポワロの特徴ははずさなかったんですよね。
でも、新作マーブルの、ミス・マープルが妙におしゃれなだったり、恋人の写真(多分、若くして戦死か何かしている?)を持っていたり、チャンドラーの小説を読んでいる、という設定はいただけない。
ヴィクトリア朝の価値観、温和で上品な外見や物腰の、一見どこにでもいそうな「田舎の老婦人」でありながら、身も蓋も無いまでのリアリスト、ごく狭い世間の中で暮らしながら観察眼の鋭さで事件の真相を見抜く、という意外性こそがミス・マープルの魅力。
そこに「過去のロマンスを胸に秘めていて、(アメリカの小説を読むような)新しいものへの好奇心も旺盛」などという要素を入れたら、ただのハイカラおばあさんの話になってしまい、ミス・マープルという人物の持つ特異性、意外性が消えてしまう。
ハイカラおばあさんの話にしたいのなら、いっそ「ル・テスク家の人々」みたいに原案ということにすれば良かったのに。

ジョーン・ヒクソン版の素晴らしいところは、外見がマープルのイメージにぴったりというだけでなく、原作で描かれているマープルの個性を「何も足さず、何も引かず」に表現しているからだと思う。

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