のだめカンタービレ#21
のだめカンタービレ#21を読みました。
いよいよ千秋&Ruiのラヴェルの協奏曲。
この巻で一番心に残ったのが「経験しなくても感じられる」という言葉。
これは「恋とか学生生活を経験しなきゃ」と焦っていたRuiが試行錯誤の末につかんだ答えだけど、自分を見つめなおすことなしに「私はー経験しなくてもー感じられるタイプだからー」というのでは成長はないわけで、焦ったり迷ったりした過程があればこそ。
それでいてRuiが「新しい経験」への期待感を否定しないのもいい。
これまでRuiのエピソードに多くのページを割いてきたことにも納得。
自分の目で見る・経験するということは大切だし、経験しなくてはわからないこともあるけれど、想像や過去の経験・知識からの類推でわかることもたくさんある。
これは常から思っていたので、我が意を得たり、でもあった。
自分の経験のみをもとにしていたら、ドラマも小説もわからないことだらけだし。
そして千秋とRuiに自分が思い描いていた音を思っていた以上に素晴らしく奏でられてショックを受けたのだめ。
「天才のだめ」をもっとハッピーに描いていくのかと思ったら、のだめの挫折と精神的に幼い部分の限界もきちんと描くんですね。
千秋は高い鼻が折れかける経験を何度かしているし、脆いところもあるけれど、自分の能力を客観視した上での自信を持っているから立ち直りは早い。
せいぜいふて寝したり飲んだくれる程度。
のだめは普段は前向きだけど、知識も経験も、まだ自分の能力を客観的に分析できるまでには至っておらず、のだめの自己評価の高さはいってみれば「根拠のない自信」。
自分のなかに確固とした拠り所がないから、落ち込むときは一直線に奈落の底へ。
もしも現実に、こんな「根拠のない自信」を抱えたまま、しかも「モチベーションは千秋」のままでプロのピアニストになったら一体どうなるやら、と思わなくもなかった。
千秋のようにミスをしたり、Ruiのように酷評されたりといろいろなことが起こり得るのに。
そのあたりも、きちんと収拾をつけそうなので良かった。
で、現実の世界であれば当然のだめが独力で乗り越えなくてはならない壁だけど、そこは漫画なので満を持してのミルヒー登場。
日本編でのミルヒーは「音楽と正面から向き合わないと千秋と一緒にいられない」という重要な言葉を残した以外、のだめの音楽面についてはノータッチ。
21巻でもアパルトマンに行った当初の目的はのだめではなく千秋。
もちろんのだめの才能の片鱗は認めてはいる。
才能がないと思ったら「音楽と正面から・・・」という言葉をかけることもないだろうから。
でも、その時点でののだめは、ミルヒーが直接手を差し伸べる域には達していなかった。
どれほどの才能があるにせよ、ミルヒーと出会った頃ののだめは、まだ「譜面が苦手で一曲を引きとおすことがない」という落ちこぼれ学生から半歩くらい前進したところ。
指導教官が谷岡先生以外だったらドロップアウトしていたかもしれない。
谷岡先生の忍耐→千秋との出会い→ハリセンの特訓→コンクール→パリ留学→オクレール先生の指導を経て、ようやくミルヒーの出番なのではないだろうか。
このあたりの描き方に、ちょっと「タッチ」を連想してしまった。
和也亡き後、野球部に入部した達也が剛速球投手になったのは、その前にボクシング部でトレーニングをしていた、という伏線があってのこと。
部活をしないでふらふらしていた時は、ヒョロヒョロのボールしか投げられなかったはず。
こういう伏線の張り方、丁寧な段階のふみ方がとても好きです。
こうしてみると、日本編でラフマニノフの連弾を描いていたあたりから、作者には今の時点までの構想があったのかな、と思う。
| 固定リンク
「本棚」カテゴリの記事
- 1Q84(2022.08.15)
- 物語ウクライナの歴史とロシアについて(2022.03.18)
- シェフは名探偵~ビストロ・パ・マルのレシピ帖(2021.12.19)
- パンデミックの文明論(2020.10.12)
- 王妃マルゴ、完結(2020.03.14)
コメント