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2008年9月14日 (日)

リトルマン・テイト

映画「リトルマン・テイト」をDVDにて鑑賞。
ずっと前に観た映画で、いずれDVDを入手しようと思っていたのを先延ばししていたのを、このたび購入に踏み切りました。

「リトルマン・テイト」の主人公はフレッド・テイトという7歳の少年で、生後数ヶ月で文字を理解し4歳で詩を書いた天才児。
フレッドは友だちが欲しいのだけど、あまりに頭が良すぎるため学校では孤独。
異質な存在を排除する子どもたちのイノセントな残酷さの描写もなかなか鋭い。
(フレッドが得意なのがスポーツの分野だったら子どもたちの反応が少しは違ったのかもしれないけど。)
フレッドの母ディーディーはシングル・マザーの酒場のウェイトレス。
息子を何にも代えがたく愛しているのだけれど、普通の幸せを願うあまり、英才教育施設からの勧誘を断ったり、フレッドが天才少年たちの本を読んでいると「それ、自慢話の本なの?」と小馬鹿にしたりと、天才であるが故の息子の孤独にはなかなか思いが及ばない。
でも、普通の学校では息子に友だちができないことを知り、天才児を集めたツアーに参加させる決心をする。
そのツアーで、フレッドは始めて知識欲を満たすことができ、友だちといえる仲間にも出会う。

ツアーの後、英才教育施設の経営者ジェーンは、それまで見てきた生意気な天才児たちとは違うフレッドの繊細さに惹かれて、ひと夏を自分の家から大学に通うこと、その後も自分の学院に入学させることを申し出る。
「フレッドにはふさわしい環境が必要。私ならそれを与えてやれる」と。
ディーディーは心ならずも息子のために申し出を受けることにする。

ジェーンの家から大学に通い始めたフレッドは大学の授業に充足感を味わうけれど、はるかに年上の大学生たちの間でやはり一人ぼっち。
知能は大人以上でも感情面はまだ子どもだから、怖い夢を見たりすると母が恋しくなってしまう。
フレッドと暮らすうちにジェーンは母性に目覚める(ダイアン・ウィーストの演技がイイ)けれど、そこはニワカ母親の哀しさで、幼い子どもをどう扱っていいのかがわからず、思うようになぐさめてはもらえない。
そんな紆余曲折を経て、フレッドには本当の母の愛情と能力に適した環境の両方が必要であることを「二人の母」が理解し、協力しあうようになる。

映画の中で一番好きなのが、フレッドがちょっと反抗的な大学生エディ(ハリー・コニックJr)と仲良くなるくだり。
フレッドは子どもの常として毎日遊べると思ってしまうのだけど、エディにはエディの生活があるので「毎日は勘弁してくれ」と言われてしまう。
「お前は子どもでオレは大人。その違いをわかれ」と言われたフレッドの表情が切ない。
頭ではエディの言うことが理解出来ている、でも気持ちは悲しくてしかたがないんだよね、と身につまされてしまった。
こういうことは、とりたてて天才でなくても、大人の中に立ち混じっている子どもにはありがちなことなので。

フレッドは飢餓や戦争のニュースを見て、心を痛めるあまり胃潰瘍になってしまうのだけど、普通の7歳の子どもはニュースを理解できないから、そういうことで心を痛めることはないし、ニュースを理解できるようになる頃には感情をコントロールできるようになるから、やはり胃潰瘍になったりはしない。
天才で優しいというのは、なかなか苦労が多いものです。
(二ノ宮知子の漫画に出てくる天才がみんなちょっと性格が悪いのはリアリティがある)

この映画の監督はジョディ・フォスターで初監督作品。
物語も良かったけれど、フレッドとディーディーが住む部屋のインテリアとかも洒落ているし、音楽も素敵。
久しぶりに観て、監督ジョディ・フォスターのセンスの良さを感じました。
それと、ジョディ・フォスターの演技を褒めるのも今更だけど、やっぱり上手いわ。


ところで、「リトルマン・テイト」を思い出したきっかけが週刊文春9月18日号の「早期教育が子供の脳を破壊する」という記事でした。
あまりに幼いうちから早期教育をしたことで子どもに弊害がでている、という内容。
記事の中で取り上げられていたのはフラッシュカードという単語カードで2歳くらいから暗記力を身につけさせようとするものだったけど、他にも0歳から英会話の教材を見せているとんでもない例もあるとか。
ピアノやバレエのように早くから始めたかどうかで差が出るジャンルもあるし、情操教育ならば早く始めることに意味はあると思う。
きれいなものを見せるとか、きれいな音を聴かせるとか。
でも、英会話とか暗記力って、そりゃ違うでしょ。
赤ちゃんの吸収力はすごいけど、それはコミュニケーション能力とか、情緒とか、生きていくために必要かつ基本的なことを学ぶため。
そんな大切な時期に子どもの脳に負荷をかけたら、そりゃ弊害も出るだろう。
本当に能力があるのなら、単語カードなど使わずとも身近にあるもので文字を覚えるでしょ。

こういうことを商売にする輩も許せないけど、自分の子のキャパシティがわからない母親、自分の行為が赤ちゃんにとってどれほどの負荷になるのかが感じ取れない鈍感な母親が少なからず存在することが情けない。

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)


記事に載っていた早期教育の実態と「リトルマン・テイト」のフレッドは、いうなれば対極にあるともいえるのだけれど、幼いうちから無理矢理知識を詰め込まれることも、天才なのに自分のレベルに合わない環境におかれることも、どちらも不幸なことだと思う。

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