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2008年11月

2008年11月29日 (土)

最近見た映画~ちょっと残念編

このところ西島秀俊祭り開催中につき、出演作をいろいろと観ているところ。
もともとそんなにたくさん映画を見るほうではないうえに、見るにしても洋画がほとんどだったのだけど、邦画見直しモードに入っています。
前のMy祭り(?)の時に少し見るようになっていたけど、今回はもっと本格的。
良かった映画は別途エントリをアップしていますが、このエントリは「ちょっと残念だった映画」について。


「海でのはなし」
宮崎あおいと西島秀俊とスピッツを楽しむための映画だと思うので細かいことをとやかくいうのは野暮なんですが、楓(宮崎あおい)の悩みの内容が「母が本妻ではなく愛人だった」まではともかく、「父親に本妻と愛人二人」というのはいくらなんでも設定としてやりすぎだと思った。
映画冒頭で楓は父親の浮気を疑っていたけど、こんな精力的なお父さん、家にほとんどいないだろうし、それを18歳まで気づかないって、どれだけうっかりしている娘なのかと。
物語の進行上必要なら多少強引な設定もありだけど、楓に出生のことで悩ませたいだけなら、ここまで複雑にする必要はなかったはずで、「私のお母さん、略奪愛だったのー」くらいでいいじゃないかと思う。
それから、非常勤講師の博士が大学で個室にいるのもリアリティを欠くかな、と。
空気感を楽しむ映画だからこそ、よけいなところで不自然さを感じさせてはだめだと思う。
博士(西島秀俊)のキャラクターはなかなか味わい深く、ロビンソン熱唱、パンセ暗唱などの場面は好きなのに、ダメな部分が気になってしまうのはもったいない。


「神童」
成海璃子(うた)と松山ケンイチ(ワオ)は良かったし、ラストのピアノ倉庫の場面も印象的で、全体的に情感に溢れていて、人間ドラマとしては佳作だと思う。
西島秀俊の出演場面は短いけれどヒロインの心のよりどころだということがよくわかる。
でも、音楽がテーマの映画としては残念な作品です。
やはり牧場の場面やドラマ部分は良かったのにクライマックスのダービーでがっくりきた「優駿」に通じる残念さ。
ピアニストが主人公の映画でコンサートの場面が貧弱なのはいかんなー、と。
ピアノの手の吹き替えはよかったけど、声楽はひどかった。もっと神経を使ってほしい。
それと、原作もそうなのか映画オリジナルの設定なのかは知らないけど、巨匠の代演→初見の曲(それもコンチェルト)→演奏成功って、音楽ナメてんじゃないデスヨ。
せめて、巨匠に気に入られて練習を見学していた、とかにしないと。
入念なリハーサルをしたうえでコンチェルトを成功させても、じゅうぶん過ぎるほど神童だし。
同じ音楽がテーマでも、「のだめカンタービレ」、「いつもポケットにショパン」が好きなのは、突飛なシンデレラストーリーにしていないからなんだなと改めて思った。
それと、うたが弾いたクラシックのレパートリーが少ないのもピアノ映画としては不満で、カタルシスを狙うのなら、コンチェルトを弾くことになる経緯を突飛な設定にするよりは、ワオが片想いしている女の子の壮行会に乱入した時に、すっごい演奏を見せつけるという展開のほうがスッとしたのに。
せっかくの叙情系の音楽映画なのだから、もっと音楽を正面に据えて、かつ細部に気を使って欲しかった。

追記:
「残念」とか「もったいない」というのは長所があるから思うのであって、まったく良いところの無い映画を見た場合は「見た自分がごめんなさい」、である。
で、邦画で残念に思うケースというのが、たいてい詰めの甘さとか細部の雑さに対してで、日本人って繊細だと思われているけど、意外と大雑把なのではなかろうか。
それから、女性の監督や脚本家は男性に比べて大雑把度が高いんじゃないか?、というのも最近感じていることです。

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メゾン・ド・ヒミコ

「Dolls」でもっていかれそうになった心を現実に引き戻してくれるのが「メゾン・ド・ヒミコ」の細川専務。
映画を観た順番は逆なのですが。

もともと邦画は見ないうえにゲイの老人ホームが舞台ということで敬遠していたのだけど、思ったよりもずっと面白かった。
特殊な事情のある老人問題として捉えたら、いろいろと心に染みる場面がありました。
この映画でよかったのは、なんといっても台詞が「立っている」こと。
「触りたいとこ、ないんでしょ」
「あなたが、好きよ」
「なめていいですよ、甘いから」
「なんで我慢すんの。出せよ、声」
など、名台詞が目白押し。

オダギリ・ジョー(春彦)の繊細な演技、柴咲コウ(沙織)の美人を捨てたブス演技、卑弥呼役の田中ミンの佇まい、メゾン・ド・ヒミコの住人たちのデリケートな優しさがあってのことではありますが、なんといっても好きなのは細川専務です。
会社の事務員の女の子全員に手を出す「据膳は必ず食す男」で、ゲイの春彦(オダギリ・ジョー)に言い寄られても動じない(でも、食事とお酒には付き合う)。
他の登場人物が理想と現実の折り合いをつけようと悩む中、この人だけは悩まない。
感動のラストシーンも「落書きをどう消そうか」を考えていそう。
リアリストとかなんとかいうよりも、現実そのものの存在。
一方でこういう人がいるから、夢を見たり感傷に浸ったりできるのかもしれない、なんて。

青空と白い車をバックにした白い衣装の春彦と黒い衣装の細川専務のツーショットはめちゃめちゃかっこいい。

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2008年11月28日 (金)

Dolls(ドールズ)

北野武監督作をまともに見るのはこれが初めてですが、西島秀俊出演作ということでレンタルしてきたのを途中まで見て、これは手元に置いておくべき映画である、と思った。
だからといって北野武の映画をどんどん見てみようとかいうのではないのだけど、「Dolls」は繰り返し観たいと思ったのです。

三つのエピソードは非常にシンプルで、ありふれているといってもいいほど。
縦糸になっている「逆玉のチャンスに恋人を捨てた男と、捨てられて悲観する女」というのもよくある話だし、老境のヤクザと彼をひたすら待ち続ける女の話は寓話的で、顔に大怪我を負ったアイドルとファンの話は「春琴抄」そのままと、既成といえば既成の話。
でも、愛の物語って実は核になる部分はどれも単純なもの。
複雑怪奇なラブストーリーはいろんなオプションがついているからだし。

自殺を図るほどに思いつめた恋人がそばにいてもわからない佐和子(菅野美穂)、待ち続けた男が隣に座ってもわからない女(松原智恵子)には、ふとトリュフォーの「アデルの恋の物語」を思い出した。
ただし、「アデル・・・」のラストは愛というよりは妄執だけど、「Dolls」で描いているのは厳として愛である、という点が違いますが。

ヤクザとアイドルの物語の合間に、メインのエピソードの二人がふっと通り過ぎるのが印象的です。


四季折々の景色の中を赤い紐につながれた二人の男女が歩く--という映像がとにかく美しくて圧巻なのだけど、そこに至るまでの描き方が丁寧なのが実はちょっと意外だった。
北野武ってもっと独りよがりな監督かと思っていたもので。
台詞は「ありがとう」「ごめんなさい」「気をつけろ」といった日常会話レベルのものしかなく、佐和子の自殺未遂を知らされた松本が行動を起こす際も、その胸中の説明などは一切ない。
彼の行動と周囲で起こる出来事を淡々と見せるだけなのだけど、これが非常に行き届いていてよくわかる。
車上生活を始めた松本の黄色の車が汚くなっていく様子も生活感があってリアルに描かれている。
この時点ではまだトイレに行ったりもしているんだな、とか。

佐和子に玩具の遊び方を教えてあげる時に見せる松本の笑顔は好きな場面の一つで、回想シーン以外で松本の笑顔はここだけ。
結婚式場ではずっと何かに身構えるような、はりついたような無表情だし、佐和子を連れ出してからもほとんど表情は変えないのが、この場面だけふっと柔らかな表情を見せたことで、松本にとって佐和子は心を許せる存在なのだと感じたシーン。

車中で生活を始めてから、松本がどんどん汚くなっていくのに佐和子が変らないのは、松本はかろうじて日常に留まっているけれど、佐和子はあっちの世界に行っている、ということなのかなと思った。
まあ、こういうことをあまり合理的に解釈しようとするのは不粋だけど。
二人が赤い紐につながれて歩き出すところから松本も狂気の世界に足を踏み入れ、ここからは外見の変化がなくなる・・・衣装は次々変るけど。
非現実的な世界に転換するきっかけとなったのが、車のシートに紐でつながれていることにも気づかず前へ行こうとする佐和子を松本が抱きしめて「ごめんな」という場面。
それまでの松本の行動はもしかしたら「いつか許されることを期待しての贖罪」だったのかもしれないけど、ここから「許されることはないと覚悟の上の贖罪」に変わったのかなと思った。

ラスト近く、一瞬正気を取り戻した佐和子が松本からもらったペンダントをさし示して微笑む場面には不覚にも涙が出てしまった。
ここまで「泣くぞ泣くぞ」という気持ちの盛り上がりは皆無で、歩き続ける二人をただ淡々と(ボーっと?)見ていただけだったので、これは不意打ちで、佐和子の笑顔に一瞬にして涙のスイッチが押されてしまった。
この場面が事実上のエンディングだと捉えたので、ラストシーンにはそんなに衝撃を感じなかった。
佐和子は疾うの昔に自ら死を選んでいるのだし、佐和子に許された(笑顔をそう解釈しました)ことで松本にとっても生死は問題ではなくなったのだろうと思うから。

精神を病んだ佐和子を演じる菅野美穂は、その人形のような容貌も相まって、ほんとうに魂が抜けた人のよう。
この映画を観た目的でもある西島秀俊は、あてもなく歩き続ける姿が絵になるだけでなく、社長令嬢との縁談が持ち込まれたり、捨てられたことを儚んで自殺を図るほど恋人に思われるという青年にぴったり。
どちらか片方だけなら演じられる人はいるだろうけど、両方はまる人というのは他に思いつかない。
時折はさまれる回想シーンの佐和子と松本が、屈託がなくて幸せそうなのも、歩き続ける場面と見事なコントラストになっていて好きです。


桜のシーンのロケ地が「さくらん」のラストシーンと同じ場所ということだけど、先に「Dolls」を観ていたら、「さくらん」のラストにはもっと文句を言っただろうなと思う。
「道行」ってこんな安易じゃないだろう、と。


衣装を手がけたのがヨージ・ヤマモトということで、「エドワード2世」でティルダ・スウィントンがキャサリン・ハムネットを着ていたことを思い出した。
自分が何を思って「エドワード2世」を見たのか忘れてしまったけど、やはり時代考証無視の「カラヴァッジオ」と共に映画の衣装に対する固定観念を破ってくれた映画です。

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2008年11月23日 (日)

ジャッジⅡ~島の裁判官奮闘記

終わってしまいました・・・。
全5話というのは非常に物足りない気がするけれど、毎回内容が濃いから、このクォリティを保ちつつ、通常の連ドラのような回数のドラマにするのは難しいのだろうとも思う。
第4回の「二人」は特に印象的な回でした。
全話HDDに録画はしたけど、最終回は地震速報ががっつり入ってしまったし、「ジャッジ」とあわせてDVD化希望。
それから続編も。
この際だから東京で活躍する三沢恭介も見てみたい。

主人公の三沢恭介は、穏やかで礼儀正しくて仕事熱心、仕事に没頭しすぎると家族を顧みなくなるという以外は欠点がない、めったにないくらいの優等生キャラ。
こういう場合、個性とか人情家的部分を加味したりだとか、得てして余計なことをしがちだけど、このドラマではそれをしていないのが好き。
真面目なテーマに真面目な主人公で真っ向勝負。添加物無し。
それでいて単調だったり底が浅くはなっていないんですね。表情に陰影があって。
俳優と脚本と演出が噛み合えば、ちゃんとこういうドラマができるんじゃないの。

このドラマについて書こうかなと思っていたところ、週刊文春2008年11月27日号の「テレビ健康診断」で亀和田武が「ジャッジⅡ」と西島秀俊のことをとりあげていた。
このコラムは以前に「鹿男あをによし」を褒めていたりと、興味を持つドラマの傾向に似ているところもあるし、興味のない題材の場合も書く対象への愛があるところが好き。
たとえば「SONGS」の沢田研二をとりあげた回、くだんの番組について私自身はまったく別の感想を持ったりしたけど、ジュリーへの敬意と愛情が感じられる内容だったのは良かったと思う。

「ジャッジⅡ」については、ドラマの魅力は「西島秀俊の顔」で、「野心を持たず、家族と他人の幸せを願い、人並みで満足する『昭和』の顔」と評し、「暗い顔は明るくて薄っぺらな顔より、ずっとかっこいいと教える西島秀俊だ。」と結んでいる。
「怪奇大作戦 セカンドファイル 昭和幻燈小路」をもってくるあたりも「ちゃんと見ている人」の褒め方。
やっぱりね、ちゃんと見ないと褒められないから。

映画まで範囲を広げると西島秀俊は必ずしも「昭和の顔」というイメージではないとは思うけど、テレビから受けるイメージとしては頷けます。
たしかに「ジャッジⅡ」を観ていると、西島秀俊がずっと真っ直ぐな役ばかりをやってきたような感覚におちいりそうになる。


評判はとても良いにもかかわらず視聴率は低いらしく、こういうのを聞くと視聴率≠番組の評価だとしみじみ思う。
特にドラマは。
見たいドラマがあっても放送時間に家にいるとは限らないし、本命のドラマはHDDに録画してゆっくり見る、という人は多いんじゃないかと思うけど。
視聴率なんて視聴者が気にすることでもないんだけど、大河ドラマの傾向を見るとNHKの動向が剣呑なのが心配です。

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愛と節度のない批評

少し前になりますが、青木るえかが文春の「テレビ健康診断」で、またしてもドラマの出演者を「下手」と決めつけているのが目に入ったのだけど(趣味が合わないので読まないようにしているけど、ページをめくる際にどうしても目に入ってくることがあるのです)、この人って、どういう基準で、なにを下手と判断したのかの説明が一切なくて書きっぱなしなんですね。
そこで「下手」と言われていた人を特に演技力がある役者だと思っているわけじゃないけど、下手というからには、せめて具体的な理由は示せよ、と思う。
台詞の抑揚とか表情の変化とか、いろいろあるでしょ。

ドラマや映画を見て、俳優をやたらと「下手」と決めつけたがる人って、そこに言及しない人よりも演技を見る目がないことが多いと思う。
明らかに演出の意図による棒読み、オーバーアクトも、すべて「下手」と切り捨てる人がいるけど、他のことがわからないから、一番目につく俳優の演技を批判するんだろうと思っている。
で、こういう人たちって、自分の身近で発せられている喜怒哀楽のテンションとか会話の抑揚のみをナチュラルなものだと思っていて、それに近いものを「自然」→「演技が上手い」と感じ、そこから逸脱した表現を全部「不自然」→「下手」と思っているんじゃないかなーと思う。
青木るえかもそういうタイプに思える。
それでも、素人のブログなら下手と決めつける感想があってもいいです。
偏っていようが一面的であろうが、それも含めて生の声だし、みんながみんな鑑賞眼が高くなくてはいけないということもない。
でも、総合週刊誌のコラムでこれはどうなのよ、と思う。
テレビ批評なんて所詮は主観によるものだけど、そうだとしても、ある程度は客観的に書こうと努力するのがプロの物書きの節度というものじゃないんだろうか。
推して知るべしではあるものの、他の分野のことまでは言及しないけど(読もうとも思わないし)、とにかく青木るえかにドラマの批評は向いてないんで、どうかドラマのことは放っておいてほしい。

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百年の誤読~愛と節度のある批評

百年の誤読を読了。
百年間のベストセラーを10年刻みでメッタ斬りにしている本です。
心の中で大切にしている本がボロクソに言われたりすると地雷を踏んだような気になるので、好きな本がどんなふうに扱われているのかは一応チェックしてから読み始めたけど、そこの点は大丈夫だった。
二人の感覚を信頼して、安心して、笑いながら読むことができました。
「ケッ」と思っていた本についても闇雲に悪口を言うのではなく、きちんと読み込んだ上でのツッコミであるのが気持ちいい。
なにより本が好きな人たちなんだなと思うし、毒舌とか辛口の批評というのはこうあるべきだよね、と思う。

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2008年11月16日 (日)

レッドクリフ Part1

そういえば・・・というのもなんですが、「レッドクリフ Part1」を観ました。
期待していた歴史超大作というよりはアクション超大作という感じが強かったけど、予想とはちがった楽しみ方ができて、これもまたよし。
物語を忠実に追うだけなら1本に収められるはずの内容を、アクションに凝ってTo be continuedにしてしまったジョン・ウーが大好きだ(笑)。

金城武の諸葛亮が飄々としてユーモラス。
曹操役が張豊毅だったのも懐かしかった。
「覇王別姫」で見ただけなのに顔を覚えていた自分にちょっと感動しました。
もしかしたら笑いどころではないのかもしれないけど、反射光の陣で大爆笑。
(隣の連れを見たら、やっぱりのけぞって笑っていた・・・)
それから、張飛の戦車みたいな強さもおかしかった。テクニックとか一切関係ないんだなー。
趙雲はかなり好きかも。
目を凝らして見ていたので間違えることはなかったけど、敵味方が一目でわかる「ロード・オブ・ザ・リング」は戦いの場面を見るにはやさしい映画だったと知りました。
なお、周瑜と小喬のラブシーンは寝てしまった。
小喬役の女優は今一つ華がない気がする。とてもきれいな人なんだけど。
いつまでもコン・リー、チャン・ツイイーでもないと思うけど、2人の存在感のすごさを再認識。


わりと好き勝手やりながらも、武将の呼び方については敵味方で変えていたりと配慮すべきところは配慮していたのが良かった。
大河ドラマのスタッフは是非見習ってほしい。

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2008年11月11日 (火)

丘を越えて

映画「丘を越えて」をDVDで鑑賞。
西田敏行が菊池寛を、菊地寛が恋する私設秘書・葉子を池脇千鶴 菊池の部下で葉子と恋仲になる朝鮮貴族の末裔の美青年・馬海松を西島秀俊が演じています。

最初は宣伝文句のとおりに「菊池寛が下町育ちの若い秘書に恋する話」として観たのだけど、菊池寛を縦糸として物語を追いかけているとなにか違うんですね。
西田敏行は菊池寛の葉子への気持ちをとても繊細に演じてはいるんだけど、片想いに悶々とする話かといえばそうでもないし、菊池寛の評伝として見るには描き方が断片的。
でも、「葉子と馬海松のラブストーリー」を縦糸、菊池寛を横糸として観ると違和感がない。
葉子の育った環境の描写は細やかだし、李朝と両班(ヤンパン)など馬海松の生い立ちと背景もしっかり説明があって、映画で描かれるのはちょうど2人の出会いから別れまでの時間だし。
菊池寛のパートは横糸として見たほうが、むしろその存在が大きく感じられます。
馬海松によって語られる菊池寛像と、西田敏行が演じている菊池寛が合わさって、「菊池寛」のイメージが完成するというのか。

馬海松が菊池寛との出会いを語り、「アイルランドのような田舎へ行こう・・・」と詩を暗誦する場面は声と抑揚の素晴らしさもあいまって、一番心に残ったシーンです。
この場面と、菊池寛から夏目漱石批判の本音を引き出す場面(「日本は滅びるね」と言う時の抑揚がいい)が、この映画の核となる部分だと思う。

池脇千鶴演じる葉子の洋装が、最初はぎこちなかったのがだんだん洗練されていくのが見ていて楽しく、馬海松と身長差カップルなのも微笑ましい。
そして、二枚目が二枚目を二枚目然と演じる、というのは当たり前のようで実は稀だったりするけれど、西島秀俊が演じる馬海松は惜しみなくカッコイイ。
もう、これでもかというくらい。
表情のアップは多くないのだけど、前髪のかかり具合、横顔のライン、後ろ姿、動作やひとつひとつの仕草がすべて二枚目でインテリのモダンボーイそのもの。

これまで長きにわたって「生成りのスーツが似合う紳士・青年の部」では「愛人/ラマンの中国人紳士(を演じるレオン・カーフェイ)」が不動のトップの座にいたけれど、この作品を境に「馬海松役の西島秀俊」に変わりました(笑)。
「似合うかどうか」、「時代の雰囲気を出しているか」、「エレガントであるか」の3項目でほぼ満点。
(ちなみに、中高年紳士の部では伊丹十三)

ミュージカルのようなラストシーンも楽しくてよかった。
映画の中の時代はこの後戦争に向かって突き進むけれど、それを敢えて描かずに明るく終わるというのもいい。
登場人物たちが笑顔で踊っているのをみると、なんだか安らぐ。

追記:
「先生(菊池寛)の“生活第一、芸術第二”の信条は正しいが、高等遊民だからこそ言えることもある」と「三四郎」の広田先生の言葉を引用した馬海松に対し、「自分の国のことを『日本は滅びるね』などと他人事のように言うのは僕は好かない」と菊池寛が漱石批判を口にする場面で、ちょっと思い出したことがある。
それは、先日亡くなった筑紫哲也が自分の番組内でしばしば「この国」という表現を使って「他人事みたい」と批判されていたこと。
「この国」という表現は確かに他人事のように聞こえなくもないし、マスコミの高みの見物っぷりにムカっとすることは多いけど、ある程度突き放して見る視点もまた必要だよね、と思う。
くだんの広田先生の言葉は日露戦争の勝利に浮かれる日本への警鐘で、滅びはしなかったものの危惧はあたったわけだし、その漱石の姿勢を批判した菊池寛も、戦中の活動ゆえに戦後公職追放の憂き目に遭った。
かといって、実務をほったらかして清談にふけるのもまた国を危うくする元だし。
高等遊民と称して祖国を辛辣に批判する一方で祖国に骨を埋めようとする馬海松は、ジャーナリストの「こうあってほしい」という姿なのかしら、なんてことを思ったりした。
だから、あんなにカッコよく描いたのかな、と。



汽車に乗って
あいるらんどのような田舎に行こう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまわし
陽が照りながら雨のふる
あいるらんどのような田舎に行こう
窓に映った自分の顔を道づれにして
湖水をわたり 隧道(トンネル)をくぐり
珍しい顔の少女や牛の歩いている
あいるらんどのような田舎へ行こう

(丸山薫 「汽車に乗って」

この詩の朗読を聞いて、「聞き覚えがあるけど、なんで知ったんだっけ?」と思ったら、司馬遼太郎の「街道を行く~愛蘭土紀行」でした。

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2008年11月 4日 (火)

真木栗ノ穴

渋谷ユーロスペース1で、今とても気になっている西島秀俊主演の真木栗ノ穴を観てきました。
地元にシネコンができて以来「電車に乗って映画を見に行く」というのが億劫になっていたのですが、私が普段と違う行動をとる時というのは、だいたい俳優目当てとかそういう動機。
でも、それによって思わぬ収穫があるもので、今回もそうだった。
タイトルが「真木栗ノ穴」だし、あらすじからもマニアックな映画なのかと思っていたら、キャスト、映像、背景、小道具、音楽が好みで、「面白うてやがて哀しき」な作品だった。

ひょんなきっかけで官能小説を依頼された売れない作家がボロアパートの壁に穴を発見。折りしも隣室に清楚な美女が越してきて、真木栗は穴から覗き見た彼女のことを小説に書き始める・・・という江戸川乱歩を思わせる設定なのだけど、最後は乱歩というよりは「雨月物語」のような情感と余韻がありました。
その情感と余韻に主人公を演じる西島秀俊とヒロインの粟田麗がぴったり。
2人で花火を見ながら話をするツーショットはほんとにきれい。
映画全体に独特の空気感が漂っていて、アパートと街を結ぶトンネル(鎌倉の切通し)が幻想的で、現し身の世界と幻の世界をつないでいるよう。
主人公の無精ひげ、着ているシャツ、ヒロインの柔らかな素材のワンピース、白い日傘、トマトとふくらはぎetc.の質感も好き。
ピアノを主とした音楽も印象的で、ピアノの音色によってコミカルだった前半から哀感の漂う後半へと導かれた部分もあったと思う。

妖異譚を描いた映像作品って、とかくエログロに走ったり、描写が行き過ぎるのが好きじゃないのだけど、この映画はそのあたりが抑制が効いていて、そこも好き。

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