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2008年12月12日 (金)

三年身籠る

スカパーで放送していた「三年身籠る」を鑑賞。
タイトルどおり、身籠ったまま三年間子どもが産まれてこない夫婦の話です。
かいつまむと、「妊婦の冬子は十月十日を過ぎても産気づく気配が一向に表れず、通常考えられない妊娠18ヶ月目に突入。家族を始め周囲の人間が騒ぎ立てる中、ついには妊娠27ヶ月に突入し…。(「Oricon」データベースより)」という話。


親としての自覚がなくて子どもっぽい夫が父親の自覚を持つまでの物語として見れば楽しめるし、三年間妊娠しているという設定もコメディとしてなら許容範囲。
冬子の実家が極端な女系家族であるという設定も、それ単体では面白かった。
実家に行った徹がここぞとばかりに瓶や缶の蓋を置かれて、憮然とした顔で開けていく場面なんかも笑えたし。
ヒロイン冬子の夫・徹を演じる西島秀俊は「これぞモテるダメ男の神髄」とでも言いたくなる演技で、でも、物語が進むにつれて、父親として夫としての役割や責任を自覚した顔に変化していく。
冬子のお腹に向かって「いないいないバア」、お腹の中の子どもを玩具を使ってあやしたり、というあり得ないシチュエーションがおかしい。
ただ、映画全体としてはちょっとどうなの?と思わないでもない。

荒唐無稽なコメディに徹していれば面白かったのに、中途半端に意味ありげな描き方をしたために、女の主張みたいなものが見え隠れして、それが鼻についてしまった。
徹と妹の緑子に比して、ヒロインの冬子が無条件に肯定されているのも納得できなくて。
臨月の妻がいながら深夜に帰宅して廊下に服を脱ぎ散らかしていた徹の幼稚さは論外として、情報をシャットアウトして、耳栓して過ごす冬子だって社会性が欠如しているのだけど、それを肯定したままというのは一方的な気がした。
それから、台詞と音楽の音量のバランスが酷かったのも気になりました。
西島秀俊と塩見三省は良かったのに、もったいない。

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原作?が文庫化されて書店で平積みになっていたので目を通してみたのだけど、自然分娩とか父親の自覚とか、文字になるとより押し付けがましくなって、映画に感じた「気持ち悪さ」が自分の中で明確になった気がする。
ファンタジーもしくはコメディと割り切って見る分には、妊娠期間が三年だろうが男が子どもを産もうが子どもが木に実ろうが構わないんです。
たとえば映画「ジュニア」。
真面目に考えれば妊娠中のシュワルツェネッガーの体内はどうなっているの?という疑問が浮かぶのだけど、コメディに徹していたから、野暮なことは考えずにマタニティブルーのシュワちゃんや女装したシュワちゃんを楽しめた。
「十二国記」も人間が里木に実って生まれることに特別な意味付けをしていないから、「ファンタジーの世界の設定」と割り切って読んだし。
でも、「三年間身籠ったのは私が望んだこと」なんて妙な正当化をされてしまったら、こちらも真面目につっこみたくなってしまう。
「胎児の呼吸はどうなってるの?」とか、外的刺激なしで二歳まで胎内にいたら、聴覚はともかく赤ちゃんの視覚はどうなるの?とか。
それ以前に、二歳児の大きさの赤ちゃんを自然分娩で産むのは物理的に不可能だと思いますが。


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脚本以外でも、「アイデアはいいんだけど・・・」と残念な点が目につく映画でもある。
やりたいことが整理できていない感じ。
全体的に画面がゴチャゴチャしていて、末田家のような古い日本家屋とか使われている小物とか、それぞれ監督のこだわりはあるのだろうけど、如何せん美しさを引き出せていなかった。
古アパートの雑然とした部屋に一種の美を醸しだすこともある(ex.真木栗ノ穴)ので、決して雑然としていることがダメなわけじゃないのですが。
西島秀俊が何度か見切れていたりしたのも映画としてどうかと思った点。
不安感を煽るなどの狙いがあるのかと深読みもしてみたけれど、単に雑なだけに思える。

食べ物も単体で見れば美味しそうだったけど、食べるシチュエーションが美味しそうでなく、扱いも粗雑な印象。
いっそ食べ物が小道具に徹していればそれはそれでいいのだけど、そのわりにメニューが凝っていたりと、食べ物を見せることに対するひとかたならぬ思い入れとこだわりは感じたものだから、余計に違和感を感じてしまった。

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