脚本家に自己顕示欲は要らない
「篤姫」を担当した脚本家をテレビで見かけるようになって、非常に不愉快。
話題のドラマを担当した脚本家がワイドショーのコメンテイターとして呼ばれるのは珍しくもないけれど、この人の表情には他の人には感じない強い自己顕示欲が見える。
求められてコメントしても、その言葉からは見識も機智も感じられず、作品よりも自分が目立ちたいという感じ。
以後テレビに映ると速攻でチャンネルを変えているけど、バラエティ番組でこの人の半生?を紹介したとか。
本人もテレビ局も何を考えているんだか。
放送された内容については伝聞でしか知らないのでここでは触れないけれど、脚本家がこういう形で自分を売りにする、ということがもはやNG。
自分の私生活に人に語るだけの価値があると思うのなら、それこそ小説や脚本にすればいいじゃないですか、脚本家なら。
向田邦子とか早坂暁のクオリティまで高めることができるなら尊敬します。
それを、バラエティ番組で自ら出演してぺらぺらしゃべるというのは低俗にすぎる。
「こういう人だから、歴史上の人物の人間性を捻じ曲げることも平気だったんだな」と妙に納得した。
原作をどう脚色しようかということよりも、自分をアピールすることのほうに熱中した結果がアレだったのか、と。
補足:この人を見かけたのは「とくダネ!」の金曜日で、女性タレント・女優・文化人が出演することが多い曜日。
ここに出演する人は場慣れしていない人が多くて、ちょっと居心地悪そうにしていていることが多いけど、この人は妙に悠然としていた。
これだけ悠然と構えているのだからコメントするのに慣れているのかと思いきや、話を振られてもモゴモゴ言うだけ。
私が視聴できるのは途中までなので、もっと後の主婦向けの話題で何か気の利いたことを言った可能性は否定しないけど、少なくとも、番組前半に流れる事件や話題については見解も興味もないことが丸わかりだった。
別にこの手の番組のコメンテイターの発言に何かを求めているわけじゃないけど、出演する以上は仕事の一環だろうに、まともなコメントが言おうとする努力すら見えないことに、「ただテレビに出ていることがうれしい」という自己顕示欲と図々しさを感じてしまったわけです。
大河ドラマの前後に脚本家のテレビへの露出が多かった例としては「新選組!」の三谷幸喜があるけれど、「新選組!」はオリジナル脚本だったから、脚本家が注目されるのは自然なことでもある。
それに、当時顔を出したほとんどの番組は「組!」に関する内容で、ドラマのPRが目的だった。
「一テレビ出演者」としての資質も出演の動機も、コメンテイターとして呼ばれながら、つまらないコメントしか言えず、私生活を売りにする輩とは大きく違っていた。
もっとも田渕久美子は、史実はおろか宮尾登美子の原作さえ無視していたのだから、「篤姫」についてまともなことを言えるはずもないけれど。
この人も嫌いだけど、こういう人を見て「ステキだわー」という人とも一生お友達になれないな。
子ども向けの低俗番組が問題になるけど、子どもへの影響を考えたら、オトナ向けの番組も問題になっていいと思う。
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