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2009年3月

2009年3月31日 (火)

まぼろしの薩摩切子@サントリー美術館

サントリー美術館の「まぼろしの薩摩切子」展を見てきました。
特に心惹かれたのがワイングラスとぐいのみ。
どんなお酒が合うかと考えながら眺めるのが楽しかった。
藍の切子は白ワインだけど、赤なら赤ワインもいいよね、などなど。

黒ギヤマンが「黒義山」と表記されていたのは、なかなか楽しかった。

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価値ある「銅」

フィギュアスケート世界選手権が終了。
安藤美姫は三位。
トリノ以後、着実な努力をしていることはうかがえていたので、今季初めの成績不振はあくまでも過渡期のものだと思っていました。
とはいうものの、もどかしさを感じたことがあったのもまた正直な気持ちですが、努力の積み重ねがここにきて結実したようで、本当にうれしい。
エッジの矯正、アクの強いキャラクターへの挑戦、一転して叙情性あるプログラムと、一見遠回りをしているようで、それはすべて必要なことで正しい道のりだった。
GPFと前の四大陸選手権で四回転に挑戦したことも、気持ちの整理をつけるためには必要な過程だったのだろうし、物語的要素をこなしてきたことが、SP「SAYURI」の表現力につながったし、「オルガン」の演技にも深みを与えたと思う。


エキシビションを見て、金メダリストのキム・ヨナの演技は美しかったのだけれど、少し物足りなさも感じました。
競技で見せた表現と比べると、あまりにもあっさりしていて、ちょっと拍子抜け。
派手なプログラムである必要はないのだけれど、「試合では見せられなかった私のこれを見てほしい」といったものがあまり感じられなくて。
競技を離れてフィギュアスケートの美しさ・楽しさをアピールするという点では、過去に数多のメダリストを輩出してきた欧米及び日本の選手たちに一日の長ありだと思った。
で、これはやはりフィギュアスケートの歴史の違い、でしょう。


今回4位だった浅田真央ですが、「仮面舞踏会」は、浅田真央のプログラムの中では一番好きな曲。
ただ、浅田真央の演技を見ていると、彼女はワルツが踊られてきた背景みたいなものを考えたことがないんじゃないかと思えてしまう。
社交界であるとか、舞踏会であるとかについて、何もイメージを持たないまま演技しているように見える。
キム・ヨナに差をつけられているとしたら、この点じゃないだろうか。
ジャンプの確率が落ちているにせよ、身体能力が衰えたわけではないだろうし、今後について問われて「もっとたくさん練習して・・・」と答えていたけど、もともと練習熱心だということで、そういう問題ではないような気がする。
それよりも、今は視野を広げること、想像力を養うことのほうが大切だと思う。
それによって、技術的な問題点も明確になるんじゃないかと思うのだけど。
問題点が明確でないまま、いくら練習しても、穴のあいたバケツに水を汲むのと同じになってしまう。

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策に溺れる

まったくどうでもいい話題だけど、藤原紀香と陣内智則の離婚のニュースで、藤原紀香のメディアの扱いと実態のギャップについてふと考えてしまったのは私だけではないはず。
意識の奥で感じていた違和感が、離婚劇で水面に出てきたとでもいうのか。
で、これはイメージ戦略の失敗なのではないだろうか。

宮崎あおいを「国民的女優」と呼ぶことには猛烈に抗議したくなるけど、それでも宮崎あおいが一定の評価をされ得る女優であることは認めるに吝かでなく、ただ、不釣合いな過大評価が不愉快なだけである。
自らの行動で評判を落としてはいるものの、沢尻エリカも「女優」という肩書きに異論はないです。(「間宮兄弟」を見たけど、けっこう良かった)。
でも、藤原紀香については「女優」と呼ぶことにも抵抗を感じてしまう自分がいる。

藤原紀香の「微妙さ」を漫画家のいしかわじゅんが簡潔かつ適確に言い表していた。

ずっと以前、マンガ夜話の二時間特番で、藤原紀香がアシスタントをやったことがある。
まだ売れっ子になる前、直前くらいか。
そつがなく、仕事も丁寧で、でも誰も藤原紀香を褒めなかった。
愛が無かったんだよな。
凄く綺麗に形を整えましたという仕事ぶりで、心がこもってなくて、邪魔だった。
まあそういう性格なんだろうな。

この「心がこもっていない」というの、なんだか分る気がする。
だからといって、「そつがなく、仕事も丁寧で」とあるように、藤原紀香が仕事に手を抜いたり、いい加減というのとは違う。
(世の中には、淡々とした態度を見て「気合が入っていない」と決めつける輩も多いけど、「心がこもっているかどうか」は熱血かどうかともまた違う。)
藤原紀香ほどの大物感はないけれど、同じにおいを感じるのが鈴木啓太と結婚した畑野ひろ子。
どちらもきれいだし、スタイルは良いし、仕事はソツなくこなすし、努力だってしているけど、「それがどうした?」なんである。
ある意味不幸なことだけど。


藤原紀香を女優としてはまったく認めていないけれど、もしもアガサ・クリスティの「白昼の悪魔」とか「砂に書かれた三角形」をドラマ化することがあれば、ぜひ演じてほしい役がある。
どちらにも、「誰からも美しくて魅力的だと思われているけれど、実は・・・」という重要な登場人物がいるのだけれど、その役をぜひ。

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2009年3月23日 (月)

顔が掟だ?

タイトルは石川三千花と中野翠共著の映画批評コラムより借用。
NHK「白洲次郎」、フジテレビ「黒部の太陽」と昭和を舞台にしたドラマを見ましたが、どちらも時代の雰囲気を表現していて良かった。
今の世の中、優れた人たち・頑張った人たちをドラマで見るのは精神衛生上も良いことだと思う。
それから、2つのドラマを見て感じたのは「やっぱり顔は大切ね」、でした。

細かいことを言えば「白洲次郎」の伊勢谷友介は日本語の滑舌に(かなり)問題ありなのだけど、クラシカルなスーツを着こなしたところと、ちょっとバタくさい容姿がドラマの雰囲気に合っていて、欠点を補って余りあった。
周囲からちょっと「浮いて」見えるところも含めてぴったり。
「黒部の太陽」はなんといっても小林薫のヘアメイクが良くて、娘役の綾瀬はるかも「昭和30年代の中流のお嬢さん」らしかった。
役の感情を表現することも大切だけど、時代の雰囲気や社会的地位・役割といったものをしっかり見せることも大切な要素。

TBSの「華麗なる一族(2007年版)」が、ものすごく頑張って良心的に作っていることは感じつつ、違和感が拭えなかったのは出演者の容姿が昭和を表現しきれていなかったからだったと今にして思う。
で、これはキャスティングの問題も大きかったけど、演出の違いに左右される部分もあって、フジテレビのほうが昭和モノのノウハウを持っているのかなと思ったりした。

「黒部の太陽」は小林薫・綾瀬はるか以外の人たちも「昭和30年代の人」に見えました。
関電の社長役の中村敦夫が過去の役柄からすると意外な役で、でもとても良かった。
香取慎吾が昭和の顔かといえばそれは些か疑問なのだけど、男気にあふれたガテン系の若き親方らしさはでていた。
メイキングを見ていたら、監督が「昭和について、綾瀬さんと深田さんにはくどいほど説明した」と語っていて、その成果はあったと思う。
監督の「このドラマには自分探しをする人は出てこない」という言葉も印象的だった。

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2009年3月12日 (木)

BU・SU~花のまち

日本映画専門チャンネルの市川準監督追悼特集で「BU・SU」を録画。
追悼になってしまったのは悲しいけど、DVD化されていない映画なので見られたことはとてもうれしい。

映画の冒頭、ヒロイン麦子(富田靖子)が上京する場面で、「花のまち」が流れるところは大好きなシーンです。
「七色の谷を越えて~」という歌詞が、車窓から見える田舎の景色が東京の景色へと移っていくのにぴったり。
東京は文字通りの意味では花の街のイメージとは違うけれど、映画を観ていると、輪になって踊ったり、歌ったり、ひとりさびしく泣いたり・・・という歌詞が東京に似つかわしく思えてくる。
東京に「花のまち」を持ってくるあたり、市川準監督の東京という街への愛なのかなーと思った。

映画の中で、麦子は徹底して笑顔を見せないのだけど、エンドクレジットが流れるバックの富田靖子の屈託のない笑顔が胸に染み入るように可愛いです。

市川準CM集で池脇千鶴が出演している三井のリハウスも見たけれど、富田靖子、牧瀬理穂、池脇千鶴、成海璃子・・・と市川監督の少女期の女優の選択と活かし方がとっても好ましいと思う。

七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけていったよ
歌いながら かけていったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
一人さびしく ないていたよ
(花の街 作詞:江間章子 作曲:團伊玖磨)

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週刊文春より

週刊文春で林真理子と青木るえかがドラマ白洲次郎について書いていた。
アンチ林真理子な私ですが、今回の林真理子のコラムは伊勢谷友介の見方は妥当だと思うし、「王と女王」説も面白かった。
林真理子は身辺雑記を書くとダイエットと自慢話になってつまらないことこのうえないけど、テレビ番組とかドラマとか題材をある程度絞って書いたほうが面白いんじゃないかと思う。
「篤姫=スチュワーデス物語」説も面白かったし。

青木るえかのほうは相変わらず。
以前にしつこく「風林火山」をあげつらったり、「独眼竜政宗」に意味不明なツッコミを入れていたので時代劇が嫌いなのかと思ったら、戦前・戦中モノもダメなのね。
自然体ではないもの、ちょっとでも現代と違う表現に悉く拒否反応を示しているような気がする。
この分だと「細雪」や「丘を越えて」を見ても妙な揚げ足をとりそう。
たとえば、現代にトレンチコートの襟をたてたハンフリー・ボガードが現れて「君の瞳に乾杯」とつぶやいたら変かも知れない。
でも、1940年代、50年代という時代背景込みで見ればかっこいいわけです。
そういうカッコよさって時代性も含めてのものなのに、青木るえかはそこを無視して極めて狭量な感覚で批判する。
それが非常に腹立たしい。

追記:
林真理子の行き過ぎたセレブ志向も品の良いことではないけれど、庶民的でないものを小馬鹿にする青木るえかも極端で、イビツさを感じてしまう。

ところで、週刊文春が一部の記事をWEBに掲載するようになったみたいですね。
瑛太も堀北真希も「篤姫」共演者のドラマが「不調」

この記事、見出しに瑛太と堀北真希を持ってきつつ、なぜか宮崎あおいの事務所の戦略を賞賛して締めている。
それもなんだか奥歯にものの挟まったような書き方で。
文春は以前にもNHKが宮崎あおいを囲い込もうとしているという記事を載せていたりと、テレビ局とか事務所の戦略・方針といったことは記事にするけど、そのくせ宮崎あおい自身の演技力であるとか魅力といったことには言及しないんですね。

本人への好悪をおいても、ここ一年来の宮崎あおいを持ち上げる風潮にはどこか不自然さを感じています。
たとえば「NANA」の宮崎あおいは、(珍しく)自分とは異なるキャラクターをしっかりと演じていたにもかかわらず、賞にノミネートされたのは中島美嘉のほうが多かった。
このあたりのことにはオトナの事情を感じなくもなく、2005年当時のオトナの事情を鑑みると、宮崎あおいは弾かれてしまう存在だったのかもしれない。
それが、朝ドラ主演、大河主演以降、先輩女優をおとしてまで宮崎あおいの演技を褒める批評家があらわれるまでに状況は変わったけれど、評価されるべき時に評価されないのも、過大評価もどちらもよろしくないと思う。

で、露出過多の影響を問題にするのなら、CMを何本も掛け持ちしている宮崎あおいも露出が少ないとはいえないし、瑛太も堀北真希も役によってガラっと表情を変えられるから、大河の影響は宮崎あおいよりも少ないと思う。
なので、なにをいいたいのかわからない記事です。
そもそも「月9は20%がノルマ」なんて過去の話で、「イノセント・ラヴ」の低視聴率は脚本がどうしようもなかったからだし。
大体、視聴率云々を問題にするのなら、録画率をカウントできるようにならないと話にならない。
「テレビ関係者」、「放送担当記者」、「芸能デスク」と揃って適当なことを言っているけど、テレビ業界も不況の煽りをうけて大変だというのに、こんな認識で大丈夫なのだろうか。(まあ、「彼ら」が実在するのかどうかも疑わしいけど)

元記事は↓

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2009年3月 8日 (日)

毎日新聞の記事

毎日新聞の記事より。
麻生首相:実用書を大人買い 「四書五経」遠い昔?

「漫画ばかり読んでいる」「KY(漢字が読めない)」といった批判を打ち消すのに躍起なのか、書店でビジネス書などを“大人買い”した麻生太郎首相。論語など「四書五経」が政治家にとって必読書と言われた時代は昔の話。今どきの宰相の愛読書といえば--。【坂巻士朗】

 麻生首相が1日、立ち寄ったのは東京駅前の八重洲ブックセンター本店。11月1日、11月30日、12月27日に続き、首相としては就任5カ月で4回目だ。

 首相の事務所によると、移動中はもとより、休暇中の自宅でも本を開く読書家だという。秘書は「漫画好きが注目されるが、漫画は気分転換の時だけ」。

 今回購入した10冊のジャンルは広い。といっても、文学書のたぐいは一切なく、実用書、ビジネス書が中心。景気対策を第一に掲げる麻生首相にとって、「危機を超えて すべてがわかる『世界大不況』講義」(伊藤元重著)は必読か。意外なのがジャーナリストの原寿雄さんの「ジャーナリズムの可能性」。実は同書は07年秋の自民、民主両党の大連立騒動にジャーナリズムがかかわった点を批判している。塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ」は、目的達成のためには手段も選ばない思想家への共感か? 日下公人さんらの「強い日本への発想」も求めたが、実はこれ11月末にも買っていた。

 敬愛してやまない祖父の吉田茂元首相もそうだったように、昭和の首相の多くは漢文の素養があり、論語など「四書五経」は必須の教養とされた。麻生首相が購入した本の書名を見る限り遠い過去の話になってしまったようだ。

 ベテラン政治記者によると、最近で読書家と記憶されているのは、大平正芳、中曽根康弘、宮沢喜一、橋本龍太郎の歴代首相。中曽根氏は在任当時、首相にとっての読書の必要性についてこう語ったという。

 「サミットのコーヒーブレークでは、欧州の首脳たちが歴史的な著書の内容を引き合いに雑談を始める。あたかも教養試験を受けているようだった」

 また、宮沢氏は洋書に親しんでいた。交流のあった経済評論家の佐高信さんはこう振り返る。

 「作家の城山三郎さんが『宮沢さんは文学が分かる人だ』って喜んだことがあった。初期の短編集『イースト・リバーの蟹』を贈った際に、(フランスのノーベル賞作家である)アナトール・フランスみたいだって言われたよ、と話していた」

 八重洲ブックセンターで、佐高さんの著書「小泉純一郎と竹中平蔵の罪」に目をとめた麻生首相。「買ったら面白いんじゃない。『麻生首相熟読』とか」と笑っただけで、購入は見送った。

 その佐高さんは「小泉・竹中路線での改革がどのような結果を生んだか。『郵政民営化に内心は反対だった』なんて責任転嫁している場合じゃない。耳の痛い話でも積極的に受け入れる姿勢が首相には求められる。これからでもいいから、ぜひ読んで」と話した。

いろいろもっともらしいことを書き連ねているけれど、塩野七生の「わが友マキアヴェッリ」について言及した部分を目にしたら、他の部分も全部胡散臭く思えてきた。
「目的達成のためには手段も選ばない思想家への共感か?」って、この記者が「わが友マキアヴェッリ」を読んでいないことがこれだけでわかってしまう。
塩野七生の著作が政財界でブームになったのは「ローマ人の物語」より前で、「わが友マキアヴェッリ」もその頃に出たものなので、麻生首相が読むタイミングとしても今頃?と思わなくもない。
でも、自分は読んでもいないのに知ったかぶって茶化すよりはずっといい。

首相もいろいろアレだけど、過去にホテルのバーについて執拗につっこんだことといい、新聞記者のレベルの低さのほうが頭が痛い。

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2009年3月 6日 (金)

iPodでフランス語

DSやPSPのフランス語学習ソフトもいろいろ試してみたけど、通勤電車の中でDSやPSPを取り出すのはあまり好きでなく、読書やテレビ視聴の時間にゲーム機を使うのも時間の使い方としてはいまいち。
iPodを使ったヒアリングも、すぐに音楽を聴きたくなって煮詰まってしまう。
ふと通勤時間にiPodでNHKのフランス語講座を見られないものかと思いたちました。

最初はDVD-RAMにコピー→PCで携帯動画変換君でiPod用に変換、という作業をしてみたのだけど、録画タイトルをいちいちDVD-RAMに落とすのが面倒。
我が家のHDDレコーダーは東芝のRDシリーズなのですが、フリーソフトを使えばPCを仮想RDとしてHDDレコーダーから録画データを直接PCにコピーできることがわかり、早速試してみました。
まずVirtualRDを使ってみたところがRD-X8がVirtualRDを認識してくれず、LANDE-RDに変えたら今度は成功。

永らくiPodnanoは音楽とPodcastを聴くためだけに使っていたし、RDシリーズのネットdeダビングもほとんど活用していなかったけれど、いろいろできるものですね。
便利なツールを開発してくれたえらい方々に多謝。

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2009年3月 5日 (木)

あきらめを知らない大人たち

こんにゃくゼリー窒息死:死亡男児の両親、会社を賠償提訴
マンナンライフ、名古屋でも提訴=87歳女性死亡で長女

形状の安全性云々以前の問題として、こんにゃくゼリーというのはダイエット食品と認識しています。
健康で、食欲旺盛な人がなんとか摂取カロリーを減らすべく口にするものだと思っていた・・・というか、思っている。
なので、そういう食品をどうして一歳児や要介護の老人に食べさせようと思ったのか、そのことがまず疑問。
親として介護者として常識がないんじゃないか。
一歳児に与えるおやつだったら、リンゴ一つでも咽喉に詰まらないようにすりおろしたりしたものだし、そうでなくても瓶詰めの離乳食もあるし、他にもヨーグルトとかプリンとか普通のゼリーとか、栄養価が高くて食べやすいもの・食べさせやすいものがいくらでもあるのに。
病気のために自力では食事もままならない老人に与えるにしても同じこと。
※こんにゃくであることを知らずに買ったのだとしたら、食への意識が低すぎる。


どちらも不幸な事故だけれど、強いて責任の所在を問うならば、これらのケースは食べさせた人の過失だと思う。
それを咎めるにしのびないから周囲はそっと触れずにおくし、遺族は敢えて考えないようにする、というのが気持ちの落としどころであったはず。
それなのに企業を提訴、ですか。

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2009年3月 1日 (日)

ポワレとフォルチュニイ展

東京都庭園美術館で開催されている「ポワレとフォルチュニイ展」に行ってきました。
19世紀後半から1930年代くらいにかけての衣装を見るのは大好きだし、会場が庭園美術館なのも好ましい。
庭園美術館は、カラヴァッジオの絵のような「重い」展示物は合わないけれど、アンティークな衣装や舞台衣装、ジュエリーを見るにはまたとない場所だと思う。
ちなみに、以前に行った「パリ・モード 1870-1960 華麗なる夜会の時代展」、「パリ国立オペラ座衣装展」、「舞台芸術の世界」も素晴らしかった。

もっと古い時代の衣装にも興味はあるのだけど、見て美しいという状態を維持しているものとなると19世紀以降ということになってしまいます。


アンティークとは違うけれど、アカデミー賞授賞式のファッションチェックもかなり好きで、広末涼子が着ていたピンクがかったベージュのドレスは優雅で上品で、アクセサリとの組み合わせも素敵だった。
自分が着るものとしては、ブランド物にはまったく興味がないんだけれど、ゴージャスな衣装を見るのは眼福、眼福。


最近になって、庭園美術館が吉田茂によって外務大臣公邸として使われていたことを知ったので、そういうことに思いを馳せながら建物の中や庭園を歩くのも、なかなか趣深かったです。

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