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2009年4月

2009年4月30日 (木)

家路

夕食の買い物を済ませて帰途についたところ、大通りのベンチで飲んだくれて歌をがなっているおじさんに遭遇。
おじさんが歌っていた曲は浜田省吾の「家路」。
「ハマショーを歌う酔っ払い」の出現に、思わず頬がゆるんでしまった。

これがアメリカだったらブルース・スプリングスティーンだろうか、などと考えるとちょっと楽しい。

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斟酌というものを知らない無情なマスゴミ

SMAP草なぎ剛の逮捕について、別にファンじゃないけど、お酒を嗜むものとして、報道のヒートアップが目に余る。

先週金曜日の「とくダネ!」でコメンテイター(シャンソン歌手らしい)が「お酒に逃げないでほしい」としたり顔でコメントしていたのを見て、ちょっとイラっときた。
「逃げる」なんて大仰な、というかエラそうな。
「飲みすぎちゃいけないですね」くらいでいいでしょ。

鳩山総務相が「最低の人間」発言を撤回したというのは当然で、一国の大臣として軽率すぎる。
なんでもコメントすれば良いってモノじゃない。
それと、このところなにか不祥事があると即「自粛」「打ち切り」にするけれど、これなんて放送禁止用語同様「ギョーカイ」の勝手な過剰反応という気がする。
視聴者は置き去り。
反省の色が皆無だったりしたら、それはそれで印象は良くないだろうけど、酔って騒いだくらいのことで目くじらたてる狭量な視聴者ばかりじゃないですよ。
「バカやっちゃったねー」と笑い飛ばすくらいの大らかさを持ち合わせている人も大勢いる。

そして、嬉々として記事にしている5.7・14日号の週刊文春。
もともとジャニーズ批判をしている週刊誌ではあるのだけど、酔っ払って醜態さらしただけのことにここまで書くかと。
芸能界の黒い霧を追及するのは、まことに結構なことだけど、今回はそういう事例じゃないでしょ。
総合週刊誌の芸能記事って、時として女性週刊誌よりもえげつないんじゃないだろうか。

だいたい大声で騒がれた近隣の住民には迷惑だったかもしれないけど、暴力振るったり、器物損壊したわけでもないのに、ここまで騒ぐほどのこと???
「泥酔して公園で裸になる」ことを自由に許して良いかと問われれば否だし、規制が必要だから「公然わいせつ」という罪もあるわけだけど、きわめて軽微な罪であることもたしか。
物事はいろんな濃淡とかニュアンスの違いで成り立っていて、ゼロか100か、白か黒か割り切れる単純なものじゃない。
今回のは草なぎ剛の来し方の一切合切が無に帰すほどの重罪じゃないでしょ。
世間はあれこれ言うだろうし(私だって言うし)、本人は当面恥ずかしい思いをするだろうけど、それが罰といえば罰。

文春には宮崎あおいの離婚の話題もあって、記事では「高岡蒼甫は自分が役者としてパッとしないので離婚したくないと思っている」という趣旨にまとめていて、離婚云々はどうでもいいけど、マスゴミ的ストーリー展開となにげない印象操作が気になってしまう。
高岡蒼甫って、文春は無名の格下扱いしているけど、「春の雪」の本多とか「パッチギ」とか、結婚前からそこそこ大きい役はもらっていたし、宮崎あおいと結婚したからといって一躍知名度が上がったわけでもなく、仕事のペースに変化があったようでもない、結婚前も後も若手の中堅どころのポジション。
むしろ「宮崎あおいの夫」と言われることは、まだ20代半ばの俳優にとってはデメリット(気軽に遊べなくなるとか)はあっても、あまりプラスにはなっていないように思える。

これに限らず、このところの、「いわゆる格差婚」を見ていると、格差というからには格下と目されている側になんらかの恩恵があるのかといえば、夫たちにはほとんどメリットがなさそうに見える。
格下といっても、いずれも生活に困らない程度には仕事がある人たちで、売れずに食い詰めている役者や芸人が奥さんに食べさせてもらっているのとは違うし。
女性主導の結婚に振り回されているという印象が強いです。
だからといって同情しているわけではなく、振り回されるような情けない人たち、と思っているけど。

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2009年4月29日 (水)

ロング・グッドバイ

レイモンド・チャンドラー作 村上春樹訳「ロング・グッドバイ」
ハードカバーを購入して積読しているうちに新装版が出てしまった(涙)。
はるか昔に清水俊二訳の「長いお別れ」を読んでいたけれど、原作の雰囲気は強く印象に残りながらもストーリーをほとんど忘れていたので、新鮮な気持ちで読めました。
レイモンド・チャンドラーではなく村上春樹の小説を読んでいるみたいなのが不思議な気分。
サリンジャーやカポーティに村上春樹を意識することはないのですが、フィリップ・マーロウはそのまま「ダンス・ダンス・ダンス」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の主人公でもおかしくない。
主人公の行動規範みたいなものが共通していて。

読み始めるまでは時間がかかったけれど、いざ読み始めたら、先が気になってさくさく読んでしまった。

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CASSHERNとか、いろいろ

西島秀俊扮する上条中佐を目当てに「CASSHERN」を録画した。
西島秀俊の上条中佐は、表情も立ち姿も声も制服の着こなしも、すべてがビシッとかっこよい。
テキトー男や草食系男子も似合いますが、こういう冷徹な役もいいですね。
「生命というものがたった一つでないのなら、 我々は何の為に必死になって生きているのですか!!」 という台詞から、ひょっとすると作中で一番まっとうな人かもしれない、と思ったり。
レイシストではあるのだけれど。
登場人物の中では、鉄也、東博士、ブライよりも、上条中佐と内藤が印象的で、これは贔屓目抜き(のはず)。
ただし、映画としては低評価。
映画は映像で語るものと思っているけれど、それにしたって脚本による説明をあまりに疎かにしすぎているし、登場人物の台詞もなんだかぎこちなくて語彙不足。
イメージの羅列で映画を作っちゃいけません。
DVDのコメンタリーを見ると描写の意味がわかるらしいけど、それじゃダメでしょ。
ただ、CGの作りこみの緻密さとこだわりはお見事。
SFXを使った日本の映画って、とかく物語以前に特殊効果の稚拙さで脱力してしまうことが多いけど、この映画に関してそういう脱力感はなかった。

「おくりびと」のアカデミー賞受賞について、滝田監督のことは手放しで褒める気になれないのは、「陰陽師」の監督だからなのだけど、「陰陽師」でがっかりしたのは、他でもない、手抜きとしか思えないような酷い特殊効果に対してだった。
そもそも「陰陽師」は「そこはかとない怖さ」を狙うべきで「帝都物語in平安」にする意味などないと思うのだけど、勝手に大掛かりにしておいてCGがあのしょぼさはないだろうと思うんである。
迫力不足なだけでなく、細部が雑なのも気になって。
松に瓜をぶらさげただけとか、見るからに作り物の生成り姫の角、平安時代なのにボーガンの矢みたいなのが刺さるし、クライマックスの立ち回りのバックは「ロケ地・平安神宮」。
あの映像を自分で見てダメだと思わなかったのか、監督に聞いてみたいくらいであった。

滝田監督の「観客にわかりやすい映画を撮る能力」と紀里谷監督の映像へのこだわりが一緒になれば、さぞよいものができるだろうに。

「CASSHERN」はルナ役の麻生久美子も可愛かった。声も好き。
麻生久美子と宮崎あおいって、以前は似ていると思ったこともあるけれど、大河出演を機に好き嫌いが分れてしまった女優。
本物の写真のような「こまたの切れ上がった」感じはないけれど、麻生久美子の「新選組!」のおりょうは、過去のおりょうの中でも溌剌として、わがままで、それでいて下品じゃないのが魅力的だった。

「鋼の錬金術師」を大人買い。
前作のアニメを時々見ていたものの、コミックスには手を出さずにいたのだけれど、面白ーい。

ブラナー版「フランケンシュタイン」、「CASSHERN」、そして「鋼の錬金術師」は、私の中では同じテーマで同じカテゴリーです。

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2009年4月27日 (月)

表現力≠顔芸

少し前の話になりますが、世界選手権の前後、佐野稔が「とくダネ」でキム・ヨナの表現力を「顔芸」と呼んでいたけど、ちょっと違うんじゃないの?と思った。
佐野稔も本心から表現力=顔芸と思っているわけではなく、わかりやすく説明しようと思っての発言だろうけど、「表現力=顔芸」という認識をテレビで広めてしまうのは非常に好ましくない。
この時は放送禁止用語も口から出てしまっていたけど、言葉の選び方にはもっと慎重になってほしい。
「素人≒社会との接点が少ない奥様」向け番組ならばなおのこと影響は甚大なんだから。

「表現力」には手足の動かし方等の「表現するための技術」のほかに、物語の理解力など、目に見えない要素も含まれて、演技中の表情は曲や振付の背景を理解しているか、音楽を感じているかに大きく影響される。
表情はあくまでもその一要素。
テレビで「(負けた自国の選手)は理解力において劣っている」と発言することには差支えがあるとしても、「キム・ヨナは曲の理解において優っていた」と褒めることは問題なかったはず。
なんで顔芸なんて言っちゃうかなーと思う。

純粋に表現力という視点で見るのなら、キム・ヨナは決して第一人者とはいえないと思う。
音楽への感度の良い、ナチュラルな表現力を有するスケーターなら他にいるから。
キム・ヨナには「音楽にのって自然に体が動き出す」というノリの良さみたいなのは感じられなくて、エキシビションがいまいち魅力に欠けるのはたぶんそのせい。
それでも、振付の意図やコーチの指示をしっかりと理解し、自分の弱点を補うべく努力していることが、キム・ヨナの結果と「高い表現力」という評価につながっているんだろうなと思う。

「音楽にのって自然に体が動く」というセンスが乏しいのは浅田真央にもいえることだけど、浅田真央はそういう自分の弱点を認識していなくて、弱点を客観的に分析できないことがキム・ヨナに差をつけられている原因じゃないかと思う。
くどいようだが、顔芸じゃなくて。

それと、あの見栄えの悪いスプレッドイーグルを見ると、浅田真央は高得点のとれる技以外には興味がないようにも思えてしまう。
あれだけの高い身体能力があるならば、美しいイーグルを習得することくらい難なくできそうなものなのに。
ジャンプが成功した時はうれしそうだし、自分が一番になることに喜びを感じていることは見てとれるけど、「スケートを滑ること」自体の喜びとか達成感が希薄に見えてしまう。
スケートを滑る喜びを感じているのなら、点に結びつかない技にももっと気を使うんじゃないかと思うので、イーグルのかっこわるさは浅田真央の問題点を象徴しているようにも思う。

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2009年4月19日 (日)

視聴者への信頼

大河ドラマアーカイブスの「花神 上海みやげ」を観ていると、幕末の日本のみならず中国の情勢、蘭学と英語の趨勢の移り変わりまで盛り込まれて、45分の中にすごい情報量。
「花神」は平均視聴率が19パーセントと当時の大河ドラマとしては視聴率は振るわなかったというけれど、それでも日本の4分の1弱の人はこの情報量の多いドラマを見ていた、というのが今思うとすごい。
この頃の大河ドラマを世に送り出したスタッフは視聴者を信頼していたと思う。
「ちゃんと作れば、わかってもらえる」と。

それが変ってきた、と感じたのが「秀吉」から。
それまでも題材が好みに合わなくて見なかった大河ドラマはあったけど、「秀吉」を見ていて感じたのが「想定する視聴者のレベルを下げた」ということ。
「どうせわからないだろうから、わかりやすくしてあげたよ」という上から目線。
ただ、「秀吉」の脚本家は歴史も原作も理解していて、そのうえでの確信犯だったと思う。
「利家とまつ」も同じく。
これが「功名が辻」「篤姫」「天地人」になると、「敢えて視聴者に合わせてレベルを下げた」のではなく、脚本家自身が歴史を理解できていないんだろうと思われる。
「自分がわかるように」書いた結果がアレなんでしょう。
ある意味天然。
確信犯でレベルを下げるほうが悪質ではあるんだけど、歴史の流れを理解できていない人が大河ドラマの脚本を書いている現状のほうが嘆かわしいし頭が痛い。

私が比較的「天地人」に点が甘く「篤姫」には徹底批判の姿勢なのは、「天地人」には「わかんないんだけど、これでいいかな」的な迷いを感じるから。
「篤姫」には、デタラメな設定や展開に対して「これでよいのだ」という開き直りと不可思議な上から目線を感じる。
ほんとはドラマを作りながら迷われちゃ困るのだけど、迷いがある分良心的かなと。
それと、少なくとも、あの兼続が事実に即しているとか、ああいう性格であってほしいとは思いながら視聴している人は少ないと思う。
ところが「篤姫」は「史実もしくは原作の篤姫を受け入れられないであろう--シンデレラストーリーに自分を投影したくてたまらない--視聴者層」に格好のファンタジーを提供してしまったわけで、だからこそ従来の大河ドラマファンとしては許せないんである。

「過去の経緯を知らない初心者が多い」「他の作品を認めない」「自己投影が大好き」「感情移入できないものが大嫌い」というあたりで、篤姫の熱烈ファンは某スケート選手の熱狂的ファンと似ている。
もっとも、その選手は好き嫌いはともかくメダルを狙える選手であることは確かなので、「史上最低大河」とはちがうけれど。


あいつは悪魔だ。
あいつは人好きがよくて魅力的。悪事には無縁で虫一匹殺さない
だが、少しずつ物事の要(かなめ)となる基準を下げてゆく
うつろな文句でじわじわと地獄に誘い込み
人間は売り込みが大事、と唱える
(映画「ブロードキャスト・ニュース」より)


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急がばまわれ

フィギュアスケート国別対抗選手権、お遊びの大会なんかやらずに、さっさとシーズンオフにして選手を休ませてあげればいいのに・・・と思っていたけど、いざ始まってみると思いのほか楽しめました。
競技中、モロゾフが日本チームに妙になじんでいたのがおかしかった。

大会が終わってみて、得意なことに特化して結果を出す選手よりも、遠回りをしても苦手を克服しようとする選手のほうが私は好きだ、と思った。
いえ、これが五輪とか世界選手権とかの大本番の試合ならば、苦手をはずして得意なジャンプだけの構成にする、という手は作戦として「あり」だと思うのです。
でも、お遊びの大会だからこそ、それをやる意味はないだろうと。
ここで自信を取り戻して、これから苦手に取り組む、というのならいいけれど。
選手自身の将来を考えたら、コーチになるにせよ、解説者になるにせよ、ショースケーターになるにせよ、苦手は克服しておくほうが長い目で見てbetterでしょう。

それから、エキシビション。
安藤美姫のボレロが見られなかったのは残念だけど、「I Believe」で2007年の世界選手権からの成長がはっきりとわかった。
ランビエールのタンゴはいつもながら素敵。
ただ、放送では余計な演出が多すぎたし、カメラワークが最悪。
スピンをしている時に上半身だけ・足元だけ見せて何がしたいんだか。
それも生放送ならともかく録画なんだから、テレビ朝日はもっと考えろ(怒)。

欠点をそのまま残してるあなたは、穴だらけのバケツよ
負けて悔しかったら、その穴をうめなさい
どんな苦痛がともなおうと欠点すべてをそぎおとしてみなさい
そして見てなさい
この大会でいずれひろみは負ける
その時のひろみの態度をよく見てなさい
やぶれたあとの態度で失敗をどう生かすかでその人間の器がわかるのよ
(「エースをねらえ」より)

続きを読む "急がばまわれ"

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2009年4月15日 (水)

ダークサイド

ネタとしての陰謀論とか陰謀史観はきらいじゃないけど、なんでもかんでも陰謀論に結びつけたがる人と話したり、書いたものを読んだりすると、悪いもの見ちゃったなーと思う。
陰謀論と被害者意識が一緒になると、これはもうフォースの暗黒面に堕ちたとしか思えない。
偶発的な事故を無理矢理誰かのせいにするのも同じく。

「自分なり自分が気にかけている誰かが損をしたのは陰謀のせい」と考えたがる人は、裏返せば陰謀で得をする側に立ちたい人だと思う。
世の中には「大人の事情」は多々あるし、足元をすくわれないように注意をすることは必要だけど、それと陰謀とはまた別のこと。

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2009年4月14日 (火)

朗読紀行・焼跡のイエス

日本映画専門チャンネルで、3月~4月は市川準追悼特集として「トニー滝谷」と「春、バーニーズで」が、4月~5月は朗読紀行「焼跡のイエス」と映画「丘を越えて」が放送され、さらにテレビ朝日で「CASSHERN」放送と、個人的に西島秀俊祭り。
「焼跡のイエス」以外はDVDで見ることもできるのですが、HDDに録画すると気軽に再生できるのがうれしい。

「丘を越えて」はメールマガジンでも日曜邦画劇場の軽部アナの解説でも、西島秀俊=馬海松が省略されたのがやや不満。
内容的にも、この映画は3人が主役。
馬海松は単なる恋のさやあての相手じゃないことは見た人にはわかるだろうけど。

ところで「春、バーニーズで」のストーリー紹介の「かつて同棲していたオカマの閻魔(読み:おかま/田口トモロヲ)」という箇所がずっと気になっていました。
「オカマの閻魔(読み:えんま)」だよねー。


さて、NHK朗読紀行 にっぽんの名作「焼跡のイエス」について。
「戦後書かれた日本文学の名作を、一流の俳優が、第一線で活躍する映像作家の演出によって、現代の風景の中で朗読する」というシリーズで、原作:石川淳、朗読:西島秀俊、演出:青山真治。
文章で読むにしてもドラマで見るにしても、ちょっと胃にもたれそうな小説だけど、この朗読紀行の形式はすんなりと入ってきた。
倉庫の中に再現した上野ガード下の屋台、レトロな学校のような建物、工場の塔の螺旋階段、川原を、西島秀俊が移動しながら朗読をする。
物語の一部として、傍観者として、坦々と、時には叫ぶように。
空間のイメージと朗読者のスタンスが次々と変っていくのが面白い。
舞台劇のようでもあるけど、映像なのでもっと開放的で自由な感じ。
上野の東照宮は美術館のついでに立寄ったり、牡丹や猫を観に行ったりするなじみの場所だけれど、まったく違う場所のように見えて、また近々行ってみようかな。

石川淳はこれまで「新釈雨月物語・春雨物語」を読んだのみ。
古典の現代語訳をした人という認識だったので、無頼派の作家とは知らなかったけれど、「吉備津の釜」の「そなたという御仁は心に鬼を持たぬゆえ、外から鬼に狙われる」という原典にはない一節が強く印象に残っている。


そして今更なんですが、西島秀俊って絵になる人なんだなと改めて思った。
椅子の背にまたがって朗読する格好、煙草をくわえる仕草、駆け出す後姿などがことごとくカッコイイ。
ヘビーデューティな服装も意外と似合う。
こういう無頼な雰囲気も出せるから、最近の繊細だったり無機質だったりする役にも深みがあるのかもしれない、と思ったりした。


「焼跡のイエス」の試みが面白かったから長塚京三出演の「張込み」も録画してしまおうかなと思案中。

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花神~第19回「上海みやげ」

時代劇専門チャンネルで「大河ドラマ・アーカイブス」が放送中ですが、「花神・上海みやげ」の回を視聴しました。
唯一テープが現存している回です。
「一回分でも見られてうれしい」、「なんで全部保存しておかないんだよぉ」と相反する気持ちの板挟み。
総集編では目にもとまらぬ速さで流れていく出演者のクレジットがゆっくりと流れていくのも感慨深い。

「上海みやげ」は高杉晋作がメインの話で、主人公の村田蔵六は40分くらいまで登場せず。
何が何でも主役の出番を増やそうとする近年の大河ドラマとは違ってストーリー重視です。
高杉晋作役の中村雅俊と天堂晋助役の田中健は、民放の連ドラで人気を博しての起用で、このあたりのキャスティングの経緯や事情は昔も今もそんなに変らない。
ただ違うのは役者の面構え。
当時20代半ばの中村雅俊と田中健は、現代の20代の俳優に比べてずっと精悍で大人っぽい。
ただ、現代の若手俳優は大河ドラマ出演に際して脚本に恵まれないことが多いのも事実で、「花神」の脚本で演じたらまた違うのかもしれないけど。

#その「精悍で大人」な青年が、30年後に子離れできない親と報道されることになろうとは。とほほ。

ドラマ終了後の松平定知の解説も、中村梅之助が村田蔵六の「オデコ」をメイクする様子、三味線練習中の中村雅俊のスナップの紹介があったりと、出演者のこと、複数の原作を脚本化する苦労など、かゆいところに手が届くようでした。
「草燃える」では石坂浩二のインタビューもあるので、そちらも楽しみ。

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2009年4月13日 (月)

ミツコと七人の子供たち

「あぐり白寿の旅」で吉行和子の一人芝居「MITSUKO」のロンスペルク上演に尽力した人として著者の名前を知り、ちょうど書店に「ミツコと七人の子供たち」があったので、読んでみることにした。
クーデンホーフ光子のことを知ったのは大和和紀の「レディ・ミツコ」という漫画を読んだのが最初。
漫画的脚色はあるにしても、ミツコの一生に関しては漫画で知ったこととそんなに大きな違いはなく、日本の少女漫画の面目躍如。
青山二郎と縁戚(血縁ではないけど)というのは初耳だったので「へぇ」と思ったけれど。
この本でより興味を惹かれたのが、ミツコたちが住んだ土地の複雑な情勢と子供たちの一生。
光子自身もオーストリア・ハンガリー二重帝国の瓦解を経験したけれど、子供たちはさらに、ヒトラーによるスデーテン地方併合に翻弄されていたこと。
歴史の本の数行のみで知っていた大事件の渦中にいた人たちがどんな苦難を味わったかを知ることができたのは収穫でした。

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2009年4月12日 (日)

あぐり白寿の旅

NHK朝の連続ドラマ「あぐり」のモデルでもあった吉行あぐりと女優・吉行和子親子の旅行エッセイ。

和子の章は簡潔で歯切れが良い文章、あぐりの章は旧かなづかいとのんびりとした文章に癒される。
人力車に乗った子ども時代から飛行機に乗って海外旅行と、100年の時の流れを感じるけれど、文章を読んでこれだから、実際に体験をした人の感慨はどんなだろうかと思う。
おぼろげながら3歳くらいの記憶はあるのだけど、それが明治とか大正元年だと思うと気が遠くなりそう。

90歳を過ぎてネパールに行った時の様子はテレビでも見ていて、その時は漠然と「高齢なのにすごいな」と思ったのだけど、去年84歳の祖母と京都に出かけてみて、あぐりさんの若々しさもさることながら、娘の吉行和子の苦労に思いが及びました。
うちの祖母はまだ背もしゃんと伸びているし足腰も元気な人だけど、それでも京都の街中に行くのに徒歩で移動する距離だとか電車で座れるだろうかとか、いろいろと考えなくてはいけないことがあった。
メキシコやネパールなんて、どんなに大変だったことだろうかと。


時折出てくる「エイスケさん」のエピソードがドラマさながら。
他の女性と旅行に行っていた話などがユーモラスにあっけらかんと綴られている。
まるで他人事みたいなのに、でも、それでいて愛情は感じられるのが不思議な感じ。


※原則的に、有名人の名前は固有名詞だと考えているため敬称なしにしているんですが、吉行あぐりさんは、ちょっと迷って「さん」付けです。

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このところの天地人

大河ドラマ「天地人」は、ようやく主人公と物語が動き始めた感じ。
ただ、武田に黄金を贈るにあたって、兼続の朋輩の心情などを長々と描いたのはどんなものなんでしょ。
それよりも「なぜ黄金を贈ることにしたのか」という背景をきちんと説明したほうが良かったと思うのだけど。
それと、信長に自らの行動の動機を語らせたりするのは不粋極まりないと思うんである。
謎が多いのが信長の魅力なのに。
(二人が屋根の上にいるトンデモ演出などはこの際どうでも良い)

どうも、このところの大河ドラマは登場人物の「気持ち」にスポットをあて過ぎる。
いえ、心情を描くのは良いのだけど、わかりやすく描こうとしすぎる。
深入りしすぎ。
信長だけでなく、兼続の行動にしても、400年も前の人の心理がすべてわかるわけもないのです。
そりゃ「昔のことだから謎なんです」と一切の解釈や理解を捨てるのは製作者として無責任だし、理解する努力とドラマとしてなんらかの切り口は必要だけど、わからないものを無理に解釈して、現代人にわかりやすい動機に変えたりするのは勘弁してほしい。
わかりやすくしようとした結果、ほとんどの場合、矮小化につながっているから。
それよりも、時代背景をきちんと描き、当時の所作や行動を演技で表現するほうが先。
輪郭や外側を描くことで浮かび上がるものもあるのだから。
それと、登場人物、特に主人公に魅力があることは望ましいけれど、善人である必要はない。
歴史ドラマで「いい人」を見たいわけじゃないから。


まあ、それでも、視聴者層の感情移入を狙って登場人物の悉くを確信犯で矮小化した「篤姫」よりも、「天地人」のほうがまだ迷いがみられるだけ良心的といえなくもない。

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レッドクリフPart2

ぐずぐずしていると観にいくタイミングを逸してしまいそうだし、でも、これは絶対に映画館のスクリーンで見るべき映画だし・・・、ということで観にいってきました。

面白さでいったら八卦の陣で大爆笑したPart1のほうが面白かったかな。
各武将の見どころ満載だったし。
でも、火攻めの迫力は一見の価値あり。
それと、かなり無茶苦茶やりながら、天候が戦況を左右する様子などの描写は緻密で丁寧だし、曹操に対して謀略を使うあたり等、原作や史実の見どころははずしてない。

スパイとして曹操軍にもぐりこんだ尚香とサッカー小僧の友情は、不覚にも涙してしまった。
厭戦の要素を折り込むなら、声高に「戦はイヤでござりまする」と叫ぶのではなく、戦争の悲惨さを描くほうが胸に迫る。
このあたり、大河ドラマのスタッフは見習って欲しいです。


なお、周瑜の剣舞と小喬のお茶の場面は要らなかった。
これがジェット・リーだったら敢えてそういう場面を入れるのもわかるけど、トニー・レオンに無理して剣舞させなくてもいいだろうと思うのです。
チョウ・ユンファの二丁拳銃なら時代設定を無視してでも見たいですが。

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2009年4月10日 (金)

今週の文春より、ワインの話

楽天の三木谷社長のバースデーパーティの記事で、「三万円も会費を取って振る舞われたのはカリフォルニアワイン」という参加者の「キビシイ声」を載せていた。
が、パーティについての記事そのものはさておいて、このくだりから私が思ったのは、その参加者は普段自腹でワインを飲まない人なのかな、ということ。

フランスの超一流ブランドのワインの価値はゆるぎがないけれど、大人数のパーティで供するものではないし、大きなパーティ用に然るべきカリフォルニアワインを選択するのはケチでもなんでもないと思う。
飲んでみて美味しくなかったと怒るのならともかく、カリフォルニアワインだからとケチをつけるのは狭量な気がする。

なお、我が家のチョイスはフランス、イタリア、オーストラリア、チリの手に入りやすい価格のワイン。
カリフォルニアワインは晩酌で飲むには高いです。

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2009年4月 8日 (水)

司馬史観は読んだ人の頭の中にある

経済学者の池田信夫のブログに「司馬史観のヒーローが伊藤博文だとすれば」で始まるエントリがあったけど、司馬遼太郎が伊藤博文をそこまで賛美したことがあったっけ?、と思ってしまった。
大久保利通ならば当時の世界で有数の政治家と非常に高く評価していたけれど。
幕末から明治維新については、小説も随筆もひととおり読んだつもりだけど、記憶にない。
まあ、「関が原」の直江兼続のくだりをゴソっと忘れていたから、自分の記憶に絶対の自信があるわけではないけれど、英雄扱いで書いていれば、さすがに記憶に残っているんじゃないかなーと。

「司馬史観」といわれているものと、私が司馬遼太郎の小説や随筆を読んで感じる印象はかけ離れていると感じることが多い。
というか、「司馬遼太郎の歴史観」ならば確かに存在すると思うけれど、「司馬史観」となると「なにそれ?」である。
そして、「司馬史観」という言葉を使って司馬遼太郎について語る人の多くは、小説を読んでいないんじゃないかとさえ思えることがママある。
司馬遼太郎が書いたものが「歴史小説」であることを忘れているんじゃないかという論調が多くて。

司馬史観という言葉を生むに至るまでの影響力を司馬遼太郎が持ちえたのは、それほどに彼の小説が面白かったということ。
そこをすっ飛ばして歴史観のみを問題にするのは、なんか違うんじゃないのと思う。
史実は史実として大切なのは言うまでもないけど、司馬遼太郎は作家であって学者ではないのだし、文学作品について歴史観が古いだの新しいだのと評価をくだすのもなんだか不粋な気がする。

批判するにしても賞賛するにしても、具体的に引用するなり、せめて著書名くらいはあげればいいものを、なぜだか「司馬史観とはこういうもの」と一括してしまうのが、「司馬史観と言いたがり」な人たちの傾向。
言葉だけが一人歩きしている感があって、具体的な文章や著書を挙げずに語られる司馬史観というのは、各自の頭の中で歪曲されたり変質したものであり、もはや司馬遼太郎の歴史観とはいえない、と思う。
肯定的に使う人には「寄らば大樹の陰」的な意図を感じるし、批判的な人は風車に立ち向かうドン・キホーテのよう。


史観にこだわる人たちって、「箱根の坂」や「韃靼疾風録」を読んでも史観を気にするんだろうか?
とてもわくわくする面白い物語ですが、もしも歴史観が気になって楽しめないとしたら、もったいない話です。

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2009年4月 6日 (月)

TZ7

Panasonic LUMIX DMC-TZ7を購入。
サッカーの練習見学などで大活躍してくれたTZ3は今も元気に動いていて、不満はなかったのだけれど、12倍ズーム・広角25mm・動画機能の大幅強化に我慢しきれず。
TZ3の時は値下がりを待たずに買ってしまったけど、今回は一応三万円台になるのを待って購入に踏み切りました。
使ってみたところ、細かい部分も改善されていて、使い心地は非常に良いです。


Sakura_090405


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2009年4月 2日 (木)

風街みなと

HDDレコーダーの番組表を見たら、水曜日の欄から風街みなとが消えて、別の番組になっていた。
終わってしまったのか?と心配したけど、月曜日に移動していたんですね。
良かった。

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2009年4月 1日 (水)

下手の考え休むに似たり

1紙だけなら、またスポーツ新聞の煽りかと思うところだけど。

連盟危機感 真央に200点超え厳命
真央に200点超え指令…ヨナ打倒の最低ノルマ
真央に200点指令、メダルへ強化部長見解
真央に200点超えのノルマ

4紙のうち2紙は「ノルマ」、2紙は「指令」、1紙は「厳命」という単語を使って書いている。
なので、この記事は1紙の記者の先走りや煽りではなく、吉岡伸彦強化部長が複数の記者がそういうふうに受け取るような発言をしたということ。
まったく、何を考えているんだか。

キム・ヨナの世界選手権優勝と“ある程度の”高得点については何ら異存はないけれど、だからといって207点という点数に納得しているわけでもない。
(不正があったということではなく、あくまでも207点は高すぎるでしょ、ということ。)
連盟が今やるべきは、得点の妥当性も含めての厳密な分析と検証でしょう。
それを踏まえて選手に課題を提示するなり、「要望」するのならわかるけど、今のタイミングで世界選手権の結果だけを見て「200点超え」というのはあまりにも短絡的。
ましてや「ノルマ」って、スケート連盟は何様かと。
前任者の「高橋大輔に四回転2回ノルマ」発言と言い、まったくどいつもこいつも。

浅田真央は好きな選手ではないけれど、10代の子が無能な大人のエゴにつぶされるのは見るにしのびない。
・・・と、同じようなことをトリノの安藤美姫に対しても思ったものだった。
その安藤美姫は、挫折と復活を経て今は大好きな選手になったけど。
安藤美姫の場合、今の浅田真央と同じ年齢だったトリノの時点でも強い自我を持っていて、そのために発言を叩かれたりもしたし、自身が振り回されて障害になることもあったけど、2007年・今年と復活したのもまた、その自我があるがゆえだと思う。
コーチを信頼できるのも、言うなればコーチを信じる自分を信じられる、ということだと思うし。

今の浅田真央は、トリノの安藤美姫が良くも悪くも年相応だったのに比べると幼い感じだし、タラソワは全面的にサポートしてくれるコーチではないので、かなり心もとない状況に置かれているんだなーと思う。
スケート連盟の迷走から、ちゃんと身を守れるだろうか。


で、ニュースとしては前後するけれど、モロゾフはもっと言ってやれ!!
安藤のコーチが日本連盟を批判/フィギュア

安藤復活の要因を聞かれ「今回は誰の邪魔も受けなかったこと」と口火を切るとヒートアップ。「連盟の一部の人が選手に口出ししすぎる。大抵それは的はずれで、自分の力を誇示したいだけ」とぶちまけた。「きょうの真央にも同じことが起きた。この状況が続けば来年、日本はメダルなしだ!」とバッサリ。

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