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2009年8月26日 (水)

過程が見たいんじゃないんだな

CSで放送中の「純情きらり」を杉冬吾役の西島秀俊目当てで見てます。
リアルタイムではほとんど見なかったけど、笛子と冬吾、不器用な大人の恋愛パートが面白い。
笛子役の寺島しのぶは「剣客商売」の三冬役だけは納得いかないけど、それ以外はわりと好き。
「アキハバラ@DEEP」のアクションは凄かった。
福士誠治演じる達彦もモボなスーツや和服が似合う。
そういえば、井川遥を見直したのがこのドラマで、ドラマに出演し始めた頃はどうなることかと思ったけど、ちょっとずつ、でも堅実に成長するタイプだったようです。
「風林火山」も堂々の演技だった。

「海でのはなし」も録画するつもり。
内容には文句たらたらだけど、「『ロビンソン』を熱唱する西島秀俊」は、やはりHDDに収めたい。


ところで両作品のヒロイン宮崎あおいを、糸井重里と堺雅人が「ほぼ日」の対談で褒めていたけど、「自分がなぜ宮崎あおいを好きでなくなったのか」が少しわかった気がする。

宮崎あおいは現場で関わった人からの賞賛の声が多い。
そして、そのためなのかどうか、このところの出演作は「頑張っている宮崎あおい」を見せられているように感じてしまう。
「この子はこんなすごいことができるんですよ~」って感じ。
それが鼻につくのだ、と思い至りました。


「純情きらり」にはヒロインがピアノを弾く場面が登場するけれど、戦前という時代に、裕福とはいえない家庭環境で音楽学校へ進学しようというからには、視聴者の目から見ても捨てるには惜しい才能があると思わせる必要があった。
そうでないと、単なるワガママに感じてしまうから。
なので、桜子の音楽的才能を「視聴者に」わからせることはドラマの最重要事項だったはずで、そのために宮崎あおいのピアノ演奏に力を入れたことまではわかるんだけど、なんだか目的と手段を間違えた感じ。
どれも「頑張ってピアノを弾く宮崎あおい」にしか見えない。
素人とプロを目指すレベルでは、身体の微妙な動きからして違うのだけど、上手い人はその微妙な部分をきちんと演じている。
このドラマでも、「達彦さん」のピアノ演奏の場面には違和感がなかった。
そりゃ音と腕がズレていたりするドラマがあることを考えれば、「頑張って弾く」のは真っ当な努力ではあるけれど、本来女優が頑張るところはそこじゃないでしょ、と思うんである。

たとえば、「のだめカンタービレ」で、上野樹里が素でピアノを上手く弾いたとしても、それでは野田恵というキャラクターにはならないわけで、ピアノの腕や手の動き以外でもちゃんと「のだめ」に見せたことも大きい。
のだめの場合、設定されるピアノのレベルが高すぎて、「らしく見せる」以外の選択肢はない、というのはあるけれど。

「純情きらり」は、いっそピアノを弾く場面では全身を音大レベルの実力を持った人と吹き替えたほうが、よほど桜子と音楽の係わりにリアリティを感じられたんじゃないか。
「篤姫」も然りで、「宮崎あおいが老け演技を頑張った」と賞賛の声があったことは知っているけれど、相応な年齢の女優に交代したほうが自然だったはず。
少なくとも私が見たかったのは動乱の時期に気骨を見せた天璋院という女性であって、「眉間にシワと作り声で老け役を演じる宮崎あおい」ではなかったです。

メイキングを見るのは好きだし、撮影の裏話や役作りの苦労みたいな話には興味があるけど、それは作品や演技に納得できたうえでのこと。
女優の努力や成長を見せたいのなら、ドキュメンタリーでやってくれと思う。


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