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2009年8月25日 (火)

成熟せずに衰える

「いわゆるオバサン」というのは、年齢ではなく行動や思考様式による、というのが常日頃からの私の主張。
したがって中学生のオバサンや高校生のオバサンも存在するし、年を経てもオバサンにはならない人もいる。
そして、若い頃の「吉本ばなな」は決してオバサン的な人ではなかった、と思う。
よしもとばななの本で読んだことがあるのは「キッチン」、「TSUGUMI」、「白河夜船」で、小説は独特の透明感があって面白かった。
エッセイはどうしても素や地が出るものなので、感性や想像力で勝負するタイプの人のは味わいに欠けるので、私には退屈だったけど、少なくとも昔のエッセイからは特に非常識さは感じなかった。

ネットで論争というか、批判されたよしもとばななのワイン持ち込みの件とブログを見ていて、オバサン的資質の持ち主ではないと思っていた人が、こんなにもオバサンになってしまうものなのね、と思った。
「ちょっとくらいイイじゃない」とゴリ押しするのはオバサンにありがちな行動様式だから。
なお、ワイン持ち込みに対するおおよその感想及び意見は世間の大方の声と同じ。
・チェーン店でお酒の持ち込みが不可なのは当然
・持ち込みたいなら店主と懇意な店に行け
・人脈を持っている面子なら、懇意にしている店くらいあるんじゃないの?
・「もしも店長がもうちょっと頭が良かったら・・・」以下は感じ悪い
・客に聞こえるようにバイトを叱った点のみ、店長に非がある
・・・といったところ。

昔、「感受性が鋭すぎて不器用な女の子がいかにして大人になるか」という題材の少女漫画を好んで読んだ時期があったけど、デビュー当時のよしもとばななにもそんなイメージを持っていて、そういう鋭敏さゆえに不器用な子が大人になる過程というのは、世間との折り合いをつけつつ成長していく、というのが定番だと思っていた。
無用な尖がりを少し削って、繊細さを保護する術を身につけながら成長するものだと。
でも、よしもとばななは尖った部分はそのままに、折り合いではなく世間に一方的な要求をすることを選んだようで。
ここまで自分本位で図々しい思考の持ち主になるとは意外だったな。
モンゴメリーの短編集「アンの友達」の「ルシンダついに語る」に、「成熟はしても老けはしない」というフレーズが出てくるけど、その逆って感じ。

それと、この人の言う「いいときの日本」って何時だ?と思ってしまった。
よしもとばななが知っていて、「三十四歳の男の子」が知らない「いいとき」というと、バブル期のことかなとも思うけど、当時恩恵を受けた人も受けなかった人も、バブルの崩壊後は後遺症や後始末に苦しんだので、こうまで無邪気に「いいときの日本」と認識しているのだとしたら、あまりにも世間知らず過ぎる。
バブル期の「地に足のつかなさ」に対する反省がないとしたら、地道に仕事をしている人への思いやりが欠けているのも頷ける。

融通を利かす--ワインの持ち込みを見逃す--ことで得られたはずのチャンス(つまり、自分たちが上得意になった可能性)を失った、という見方も順序が逆。
お店で融通を利かせてもらえるようになるのは、「お得意さん」になった後のことだし、一朝一夕で「お得意さん」になれると思ったら大間違い。
(そのあたりのこと、伊丹十三のエッセイに出てきたような気がする。)


--引用及びリンク--
活字中毒R。


『人生の旅をゆく』(よしもとばなな著・幻冬舎文庫)より。

この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねていたのだった。
 それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
 それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
 ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。
 するとまず、厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた
 さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。
 私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
 店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
 しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
 いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
 もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。

 居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
 その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。
 これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。
 それでいちいち開店資金だのマーケティングだのでお金をかけているのだから、もうけが出るはずがない。人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。

(中略)

 というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、私たちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だったのだが、いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。いいときの日本を知らないんだなあ。


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