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2010年1月

2010年1月26日 (火)

Dr.パルナサスの鏡

テリー・ギリアムの映画は自分の中でも好きな映画と苦手な映画に分かれるのだけど、これは好きなギリアムです。
イマジネーション豊かな映像、シニカルで毒のある笑い、でも後味は悪くなく、モンティ・パイソンと「バロン」が好きな人には絶対楽しめる、と思う。
画面に次々出現するいろいろなイメージの意味がわかればもっと楽しいだろうけど、わからなくても面白いし、見終わった後にいろいろと考えてしまったけれど、それもまた良し。
「バロン」もそうだったけど、ガラクタとかボロボロの服とか、一見美しくないものが美しく見えてくるところも好き。

キャストはみんな素晴らしい。
タイトルロール、パルナサス博士役のクリストファー・プラマーは、「サウンド・オブ・ミュージック」の甘渋いトラップ大佐のイメージが強かったけど、見事な枯れっぷり。
この髪型と衣装を見ると、ハリー・ポッターのダンブルドア校長もイケたんではなかろうか。
アマンダ・プラマーが「フィッシャー・キング」に出ていたから、親子でギリアム作品に出たのか。
悪魔役のトム・ウェイツは、よくぞキャスティングしてくれました、という絶妙な配役。
ヴァレンティナ役のリリー・コールは、素晴らしいプロポーションと現代的な雰囲気もありながら、ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」に酷似した古典的な美貌。
テリー・ギリアムの女優のチョイスは相変わらず素晴らしい。
そして、おっちょこちょいだけど、一途にヴァレンティナを慕うアントンは、よくみると端整な美形なのに、オバチャンの扮装をさせてしまったのが笑える。
アントンを演じたアンドリュー・ガーフィールドは「ブーリン家の姉妹」に出ていたのですね。

ヒース・レジャーは「ブラザーズ・グリム」の夢見がちで神経質なジェイクも良かったけど、口が上手い偽善者トニーもいい。
ヒース・レジャーが演じると、トニーに誠実さがあるのかないのかわかりにくいのだけど、そこがとてもいい。
4人一役にもまったく違和感がなかったけれど、ただ、コリン・ファレルのパートはヒース・レジャーが演じたらどんなだったろうと思ってしまった。
もっと善悪定かならぬ感じが出ていたかな、と。

ヒース・レジャーを知ったのが「ブラザーズ・グリム」だったので、同じテリー・ギリアム作品が遺作というのはなんだか複雑。

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2010年1月25日 (月)

欧州選手権と全米選手権

週末はJ Portsでフィギュアスケートの欧州選手権と全米選手権の女子シングルを見て、はからずもスケート三昧になってしまった。

欧州選手権はプルシェンコ優勝、ランビエール準優勝。
プルシェンコのプログラムは、音楽との調和を無視していたりするけれど、「これぞアスリート」という内容で、高得点での優勝にまったく異存はございません。
好きなのは、準優勝のランビエールの演技ですが。
SP「ウイリアム・テル」、FS「椿姫」とも、ど真ん中直球ストライクに好みです。
曲も、編曲も、振付も、全部好き。
点数はふるわなかったもののSPの「ウイリアム・テル序曲」の終盤の躍動感・高揚感が素晴らしく、振付と音楽がぴたっと合って、観ていて快感。
「ウイリアム・テル」の終盤のテンポに合わせてステップできちゃうところがすごい。
FSの「椿姫」は、まだ滑り込みができていないのかなと思われる部分もあったけど、これぞ「氷上のバレエ」ともいうべきプログラムで、バレエとフィギュアスケートの要素が見事に融合していると思う。
こういうのを「バレエのような動き」って言うんですよ、と声を大にして言いたくなる。
解説が「バレエダンサーのよう」「ジャンプがちゃんとはいるといいけど、はいらなくても素敵なスケーター」と言っていたけど、激しく同意でございます。

みんなの耳に親しんでいて、テンポアップして盛り上がる曲って諸刃の刃でもあって、選手の動きがついていかないとBGMと化して悲惨なことになるので、難しいと思う。
音楽をBGMにして滑って許されるのは宇宙人のプルシェンコくらいでしょう。
人類が音楽で盛り上げるには、音楽と演技の調和は欠かせない。
鈴木明子の「ウェストサイドストーリー」だって、演技がよいからこそ音楽も映えるのだし。

全米選手権の女子は実に熾烈な戦いだった。
上位二人に異論はないけれど、ワグナーの「だったん人の踊り」も五輪で見たかったな。


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プルシェンコとランビエールの演技を見ていて思うこと。
ランビエールの表現力は技術・身体能力・芸術性ともに他の追随を許さない域にあると思うし、そういう極めて高いレベルでの表現力の比較になると、プルシェンコの表現力は「いまいち」という評価にならざるをえないけれど、だからといってプルシェンコの演技が見劣りするわけでは決してない。
プルシェンコにはプルシェンコの表現したいことがあるのは感じるし、そこには彼なりの魅力があるから。
トップに入るくらいの選手たちとなれば、努力も忍耐も個性の強さも並大抵ではないわけで、そういう人たちには魅力があって当然だよねーと思う。
この二人に限らず。

唯一の例外が振付の意味を聞かれて「わかりません」と答える某選手だな。

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2010年1月21日 (木)

思い出を切りぬくとき(エッセイ)

萩尾望都のエッセイ。
萩尾望都の漫画は数冊読んだくらいで、好きではあっても決して熱心な読者ではないのですが、このエッセイは非常に面白かった。

バリシニコフについての項はバレエ・レビューとして素晴らしく、読みごたえあり。
対象に愛を持っている人の感想は、読んでるだけでも楽しい。
好きだから観察が鋭くなるし、何事も見逃すまいと思って見るから、より好きになっていくんだろうな。
それにしても、ネットも何もなかった時代に、ベジャールの公演を見にブリュッセルまで行く熱意とフットワークには敬服してしまう。
旅行の手配だけでも大変だっただろうに。

萩尾望都は、間違いなく、少女漫画を文学の域に高めた立役者の一人だと思うけれど、この好きなものに対する造詣の深さと行動力が根底にあってこそ、なしえたことなんだろうと思う。
言うまでもないことだけど、アウトプットのためには、より多くのインプットが必要、と。

30年前に書かれたエッセイながら、古くささは微塵もないのだけど、紅茶に砂糖を入れないと怪訝な顔をされてしまう話などは、世の中の変化を感じるエピソードだった。
今でこそ紅茶をストレートで飲む人は珍しくないけど、昔はそんなことでさえ画一的というか、「こうであるべき」というのがまかりとおっていたんだな、と。
そう考えると、今はかなり風通しがよくなっているのかもしれない。
失ったものも多いけど。

著者が、あれこれ考えつつ、でも必要になるときっぱりと心を決めるタイプの人であることに、とても好感を持った。
くよくよ考えるだけの人にはイライラするし、やたらと自信満々だったり思い切りがよいのも危なっかしく、そのどちらでもないのがバランスがとれていて好ましい。


一つ「えーっ」と思ったのが、ヨーロッパのレストランで頼んではいけないメニューとしてタルタルステーキが挙げられていたこと。
文中にある通り「赤いひき肉に生卵がのった料理」ですが、美味しいのに、あれ。


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吉本ばななの解説も良かったです。
ちょっと前に物議を醸したブログの記事を読んだ時は、その非常識さに大幅に評価を下げたけど、こういう、好きなもの、尊敬するものに対する素直な愛情表現は、吉本ばななの長所だと思う。

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2010年1月15日 (金)

週刊文春 2010年1月21日号

青木るえかが「テレビ健康診断」にフィギュアスケートのメイクと衣装について書いていたけど、浅田選手の赤黒衣装が「まだマシ」で、それ以外が見るからに変に見えるのだそうな。
いっそ「フィギュアスケートの衣装はみんな変」というのなら「舞台衣装的なものが嫌いなんだろう」と理解もできるけど、「鐘」の赤黒がマシで他の衣装が変に見える美的感覚というのは度し難い。
さらに浅田真央と安藤美姫のメイクを「落書きメイク」と一括りにしているけれど、この二人のメイクは手法もテクニックもずいぶん違う。
それが同じに見えてしまうような人がメイクについて語るなと思う。
さらに、その後のくだりにくると、これがなんともはや。

このフィギュアやバレエの化粧は、衣装のほうの「日本人の国民性」とは正反対の方向にある。つまり「西欧至上主義からくるムリな模倣」だ。衣装はヤンキー文化ぷんぷんで顔はクラシック路線。このアンバランスが観ていて耐えられない。ヤンキーは嫌いだが、
どうせなら身についているほうを活かすべく、メイクもビジュアル系みたいにしたほうがさっぱりするのでは。・・・といってもアンバランスでも世界で優勝できたりしているわけなので、世界もそれを認めているということか。私は認めたくない。


日本人選手の衣装は概して舞台衣装的なものが多く、これはどちらかといえば欧州の選手たちに近い。
ひきかえ、ヤンキー=北米のフィギュアの選手たちの衣装はシンプルなものが多いので、衣装が派手なことを揶揄しながら「衣装はヤンキー文化ぷんぷん」というのは的外れもいいところ。

それと、どうも「ヤンキー」を「西欧」の意味に使っているようなんだけど、西欧とは言うまでもなく西ヨーロッパ。
百歩譲って「欧米」の意味で使ったのだと大甘に拡大解釈するにしても、ヤンキーにヨーロッパが含まれないのは言うまでもないこと。
英国人以外を指してジョン・ブルということがないように、アメリカ以外をヤンキーと呼ぶことはない。
衣装とかメイクを語る以前に、ヤンキーの意味くらい知っておいてほしい。

単に知識がなくて見方が偏っている人の視点は「ユニークな視点」とは断じて違う。

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2010年1月 6日 (水)

ヴィクトリア女王 世紀の愛

好みのジャンルではあるものの、諸般の事情で鑑賞予定からは外れていたのですが、昨年末に折りよく銀座に用が出来たので見て参りました。
Bunkamuraザ・ミュージアムの「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展 華麗なる英国のライフスタイル」は見に行こうと思っていたので、予習にもなったし、王位に就くまえの若きヴィクトリア女王については知らなかったので非常に興味深かった。
権勢欲につかれた母の側近がいたり、過保護による行動の規制とか、いろいろ大変だったのね、と。

映画的な盛り上がりは薄いけど、実在の人を描く場合、ケレンミたっぷりで無理矢理ドラマチックにするよりも、淡々と描くほうが好き。
なので、シューベルトのセレナーデの使い方がベタ過ぎた以外は良かったです。

主演のエミリー・ブラントは、ヴィクトリアの若い娘らしい心の動きと女王たらんとする心の葛藤を好演。
史実ではヴィクトリア女王の一目ぼれだったそうだけど、ルパート・フレンド演じるアルバート公は、それが頷けるカッコよさ。
女王の信頼を得るメルバーン首相を演じていたのが「ダヴィンチ・コード」のシラス役のポール・ベタニと知ってびっくり。
とても同じ人とは思えない。
というか、シラスの役作りが凄くて、メルバーン役のほうが素に近いのかもしれないけれど。
王太后役のハリエット・ウォルターも、「Sense and Sensibility」では、ヒロインの恋路を邪魔するものすごーく根性の悪いイヤな義姉の役を演じていたけど、この映画では根性の悪さなど微塵も感じさせない思いやり深い人に見えた。
プロなのだから演じわけはできて当然ともいえるけど、悪人というほどでない微妙にイヤな奴と良い人の演じわけってけっこう難しいんじゃないかと思うのです。
いっそ、思い切り振り幅の大きい役のほうがやりやすいんじゃないかと。


こういう映画で楽しみなのは、なんといっても衣装とセットと風景ですが、サンディ・パウエルの衣装はデザインといい色合いといい大好きです。
これだけでも足を運んだ甲斐があったと思う。

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2010年1月 5日 (火)

バレエ的・・・?

フィギュアスケートとバレエは「音楽に合わせて動く」という点では共通しているし、フィギュアスケートの振付にバレエの動きを取り入れたりバレエ音楽を使ったりすることも多いけれど、やはりスケートはスケート、バレエはバレエで別物であることは言うまでもない。
つま先で立つバレエと、スケート靴を履いて氷上でバランスをとるスケートでは、そもそも軸足の筋肉の使い方が違うだろうし。

それはさておき、フィギュアスケートの某女子選手を褒めるのに、しきりにバレエが引き合いに出されるのを見ると妙にモヤモヤする。
バレエっぽい動きを取り入れた振付が他の選手よりも多いという印象はあるし、それをこなしていることは認めるに吝かではないけれど、スピンやスパイラルの軸足は他のスケート選手よりもむしろ屈曲していて、腕のしなやかさもバレリーナのそれとは全然違うので、他の選手に比してバレエの素養があると言われると、強く異議を唱えたくなる。
おそらく、某選手にバレエの素養があるように見える人と私とでは、バレエを見ても、見るところが全然違うんだろう。
その人たちがどこを見ているのかは知らないけど。

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