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2010年2月

2010年2月27日 (土)

「曲の解釈」についての疑問

今に始まったことではないけれど、よくわからないのが女子シングルのPCSのつけかた。
男子の得点については、
・表現力やスケーティングが際立って優れている選手
・技術点が高い選手
にPCSを高くつけるのだな、ということでだいたい納得できていた。
でも、女子のPCSを見たら、男子とは違っている。
「スケーティングスキル」、「要素のつなぎ」など技術的なことは、専門家じゃないとわからないこともあるだろうし、「演技力」もこの際置いておくけど、「曲の解釈」の点のつけ方がとても不可解。
「曲の解釈」とは「演技が曲の内容に合っているか」、「リズムや音にあった演技をしているか」を審査するのだと思うけど、音楽に合ってない演技をしていた選手の「曲の解釈」の項目が、音に合った素晴らしい表現をしていた選手よりも高いのはなぜなのか。
それも、技術点で優っていたのならともかく、技術点は低かったにもかかわらず。

「PCSは実績点」という話を聞いて、今までは深く考えずに納得していたけど、思えばフィギュアスケートを見るうえで「演技が曲に合っているかどうか」は重要なポイント。
その判定に演技の内容が反映されていないというのは納得しかねることである。
他の項目についても然り。
実績点を加味するのなら、「実績点」でも「調整点」でも、ふさわしい項目を作ればよく、PCSという名称にしている以上は、「プログラム・コンポーネンツ」を正しく評価すべきだと思う。
できれば技術点とは切り離して、その要素について優れた選手に高い得点を与えてほしいと思う。

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女子シングル雑感

安藤美姫のSPレクイエムは、3-3の回転不足とPCSが伸びなかったのが残念だったけれど、全体的にまとまっていて、今までで一番良かった。
臙脂と黒の衣装も素敵だった。
フリーも今季で一番の出来で、クレオパトラの鮮やかな緑と金の衣装が黒髪と小麦色の肌に映えて美しかった。
見ているほうとしては、もっと難易度の高い技に挑戦しても良かったと思ったけど、「五輪という舞台でノーミスで滑る」ことが、今の安藤美姫には必要だったのかもしれない。
トリノの亡霊と決別するためにも。
会見等の穏やかな表情を見ると、枷になっていたものから自由になったように感じた。
ただ、演技は良かったのだけど、音楽の印象が弱かったのが惜しまれる。
やはり、もっとわかりやすい曲のほうが良かったと思う。

鈴木明子のウェストサイドストーリーも、いつにもまして音楽にのっていて素晴らしかった。
髪型をポニーテールに戻したのも良かった。

長洲未来とレイチェル・フラットは先が楽しみ。

ロシェットの精神力に脱帽。
SPもフリーも美しい滑りだった。


キム・ヨナの金メダルには異存はないけど、いくらなんでも228.56はインフレ過ぎるんではあるまいか。
採点システム、ジャンプの難易度の違いを考慮しても、トリノ五輪の荒川静香の191.34(FS125.32)よりも40点近くも上の演技には思えないのですが。
素晴らしい演技だったからこそ、「点が高すぎる」という印象を与えるような点でなかったほうが良かったのに。

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2010年2月20日 (土)

五輪フィギュア男子シングル雑感

祝・高橋大輔選手、日本男子フィギュア初のメダル。
祝・小塚崇彦選手、四回転成功と8位入賞。
織田信成選手もアクシデントにもかかわらず7位入賞は立派。本人は悔しいだろうけど。

以下敬称略。
高橋大輔は、冒頭の転倒がその後の演技に響くことなく、素晴らしい演技。
今までの演技よりも大道芸人の世界の雰囲気が鮮やかに伝わってきたし、新しい衣装も効果的だった。
今までの定番のスタイル+チェックのスカーフという衣装では、いまいちイメージがつかめなかったので、やっぱり衣装は重要。

実は、高橋とランビエールのメダルを天秤にかけた瞬間もありましたが、4位のランビエールは、ジャンプが不調で動きがかたかったけれど、音楽と調和した表現はいつもながら素晴らしかった。
フリーの「椿姫」は、欧州選手権よりも溌剌さは欠けていたのが残念だったけど、プログラムの完成度はあがっていた。
エキシビションを見られるのが楽しみ。

ジョニー・ウィアーは独自の世界を滑りきる心意気が好き。
パトリック・チャンは好きなタイプではないけど、スケーティングが滑らかで高得点なのは頷ける。
優勝候補だったブライアン・ジュベール、SP、フリーともに好きなプログラムだったジェレミー・アボットが不調だったのは非常に残念だった。


銀メダルだったプルシェンコの今回のフリーのプログラムでは、ジャンプが不調では点が伸びないのは当然だし、ノーミスだったライサチェックの得点には異存はなく、金メダルは一番得点が高い選手が獲得するもの。
ただ、この結果をなんとなくつまらなく感じてしまうのは、技術でも表現でもとにかく何かすごいものを見せてくれた選手に金メダルを獲って欲しいという心理があること、それから、ライサチェックの今季のプログラムがいまいち好きじゃないから、というのがあると思う。
ライサチェックの「シエラザード」は「柔軟性強化ギブス」みたいな選曲だと思っていたので、それで金メダルというのは複雑。
物語性のある曲を使って演技や振付に物語性を感じられないのは不満が残るし、ライサチェックの直線的な動きとこの曲はしっくりこないな、と。
去年の「ラプソディ・イン・ブルー」だったら、ライサチェックの「かたい動き」を活かしたプログラムだったので、もっと心から賞賛できたかもしれないけど。


4回転論争については、採点の傾向がどうなるかは気になるところだけれど、結局は、個々の選手が何を武器として試合に臨むかということ。
見る側からすれば、4回転を成功させれば、もちろんワクワクするけれど、見たいのはジャンプだけじゃないし。
プルシェンコの危惧はわかるけど、アスリートの高難度の技に挑戦する意欲は、そう簡単には止まらないと思う。
跳べる選手・跳びたい選手はこの先も跳び続けるし、跳べない選手は跳ばないだろうという、それだけ。

※ただし、試合でも練習でも成功率の低い技を、ここ一番で跳んで一発逆転を狙うのは挑戦ではなく無謀。
プルシェンコが巻き起こした論争は、無謀を推奨するものではないと思う。

実家の母と電話で話したら、リアルタイムでテレビを見ていたそうで、日本男子は眼中にない様子。
「スイスの選手と、フランスの駄目だったブライアンなんとかを応援していた」との言葉に、わが母ながら、なんとわかりやすいイケ面好きなんでしょうとおかしくなった。

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2010年2月15日 (月)

バンクーバー五輪開会式

途中「長いよ」と思ったけど、久しぶりにブライアン・アダムスを見られたので、まあ満足。
20代の頃と変わらぬ若々しさ。
ロックンローラーな身のこなしがカッコイイ。
それと五輪旗の旗手を務めたドナルド・サザーランドがカナダ出身だと初めて知った。
リーアム・デブリン(鷲は舞い降りた)のイメージが強くて、アイルランドの人だと思いこんでいたんである。

ところで、ロゲ会長その他の挨拶の間、ちょくちょく日本選手団の様子が映ったけれど、なんだか集団でボーッとした顔で口を開けていたのが気になった。
海外旅行先で日本人の団体客と居合わせた時に目にする「よくわかんないけど連れてこられた」という表情に似ていて、それが年齢の高い人ほど顕著。
同じ状況に置かれたら自分もああなるのかなーと思いつつ、ちょっと哀しかった。
その中で終始キリっとして好感度が高かったのが高木美帆と織田信成。
高木美帆は黙祷の時はコールがわからなかったみたいだけど、好奇心旺盛な年頃らしく目がキラキラ。
織田信成は主賓の長い挨拶の時も状況を理解している様子で、躾の良さを感じる佇まいだったので、ちょっと見直しました。

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国母擁護は寛容さというよりは他人事

国母選手の件について文科相までコメントしたというのは話が大きくなりすぎだし、当人には五輪終了後にしかるべき処分が下されれば済むことだと思うのだけど、ここで見過ごせないのが擁護する人たちの擁護のしかた。
過激なバッシングをたしなめたり、沈静化を促すのはもっともなことだけれど、元の服装と会見の態度について「めくじら立てることじゃない」だの「国母批判は全体主義」などと言われたら、そりゃ反論したくもなろうというもの。
「五輪代表だからといって特別視するのはおかしい」とか、特別扱いしているのはそっちだろ、と思う。
五輪代表といえどもベースの部分は社会人もしくは学生で、「21歳の成人」に対して「公式スーツを腰パン・シャツ出しするな」というのは、きわめて正当かつ穏当な要求である。
それに、求めているのは、あくまでも公式スーツをきちんと着用することであって、ドレッドヘアと鼻ピアスは不問に付しているのだからファッションや個性を否定しているわけじゃない。
水泳連盟の「茶髪・ピアス・ネイルを禁止」になると、時代錯誤で行き過ぎだと思うけれど。
擁護するのに高校生の腰パン・シャツ出しを引き合いに出す輩がいるけれど、あれはあくまでも「しかたなく目をつぶっている」のであって、積極的に容認しているわけではないし。


フジテレビの「じゃーなる」で、ニューズウィーク日本版の編集長がJOCの規定にまで噛みついて擁護していたけど、こういう、一見物分りの良い大人のふりをする人が一番無責任。
寛容なようでいて、ただ若者に迎合しているだけ。
同じように擁護する人たち中に教育関係者がいることも非常に頭が痛い。
TPOを教えるべき立場の教師が個性と自由を勘違い、学生に媚を売っているようでは、先々第二第三の国母が出そうで、先が思いやられる。
国母のスーツの着方や態度を本当にいいと思うのなら、自分も同じことをしてみればいい。
関係ないと思っているから適当なことを言えるんだと思う。

公式スーツもJOCの規定も、国際舞台で選手たちが恥をかかないため、という意味合いもあると思う。
制服とかルールというと、すぐにアレルギーを起こす人たちがいるけど、悪い面ばかりじゃないのにね。

それと、服装問題について外国が自由であるかのように言う人もいるけど、ドレスコードは諸外国のほうがずっと厳格。
海外が日本よりも服装に寛容だなどと誤った情報を流すと、海外旅行先で場違いな格好をして悲しい思いをする観光客を増やすことになるぞ。

国母本人については、朝青龍の問題の時にも思ったことだけど、叱られた一回一回が頭の中で分離していて、「この間これで怒られたから、これをやるとダメだな」と結びつけて考えることができないタイプなのではなかろうか。
大学生とはいえ21歳の成人で、これが初めての五輪ではなく、前回も問題を起こして批判された経験もあるのに、こんな事態を引き起こしますか。

なお、文科相が口を出すのなら、義務教育放棄の噂のある選手についてもよろしく。
高校から先は競技優先でも良いと思うけれど、義務教育の期間に授業に出ないで練習というのは許してはいけないことだと思う。

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2010年2月 8日 (月)

龍馬伝

一昨年と去年のトラウマから様子見してたのだけど、今回は大丈夫かもしれない。
去年もそんなことを言ってたような気がするけど、今度こそ。
倒幕側を描いた幕末モノは「花神」、「翔ぶが如く」という名作があるので、この二作を超えるのは至難だろうし、そこまでの期待はしないけど、「龍馬伝」は登場人物のキャラが立っていて、大河ドラマが基本的に群像劇であること、本当の主役は歴史であることを踏まえた作りになっているので余計なストレスを感じずに見ていられる。
「歴史を知らない人がこれを信じたらどうするんだ!」というトンデモは出てきていないし。
ところどころ練れていなくて陳腐な台詞もあるものの、福山雅治の小ぎれいな龍馬はくどくなくて、一年を通して見るには、これもありかな、と思う。

第6回で、幕府とペリー一行が英語→オランダ語→日本語、日本語→オランダ語→英語と通訳をリレーしながら会見する場が出てきたけど、当時のそういう滑稽さをちゃんと掬い取って描いているのが良かった。
・・・と、昔の大河なら当然のことを高評価してしまうのは、「篤姫」と「天地人」でハードルが下がっているからであろうか。
初対面の若者に重大な秘密をバラす口の軽い調所笑左衛門とか、仕事そっちのけで篤姫の心配をする小松ナヨ五郎にウンザリさせられたので、ちょっとしたことでもちゃんと描いてくれるとそれだけでうれしいの。
黒船来航で右往左往する幕臣たちの描き方が、「その時、歴史は動いた」の再現フィルム風なのもいい。
「岩崎弥太郎が語る龍馬」が物語の軸で、幕臣の勝海舟と知り合う以前のことだから、幕府の動きに重点を置きすぎても変だけど、世の中の動きを描くことは必要不可欠。
再現フィルム風に描くことで、歴史的事件と登場人物の微妙な距離感を醸しだしていた、と思う。
他にも、武市半平太に胸をときめかす乙女姉さん、進歩的にみせながら身分主義を捨てられない頑迷な山内容堂など、さらりと(←ここ重要)描いていたのも良かったな。

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2010年2月 3日 (水)

グレート・ギャッツビー

村上春樹訳の「グレート・ギャッツビー」を読了。
就寝前に少しずつ読むつもりでいたのに、途中から一気に読んでしまった。
ヘミングウェイに「グレート・ギャッツビーのような作品を書ける男には親切にしなくてはならない」と言わしめた理由がわかった気がする。
対岸の緑の灯のくだりの文章は非常に美しく、サン・テグジュペリの「南方郵便機」、村上春樹の「蛍」と並んで、届きそうで届かない憧れを描いた極めつきの名文の一つだと思う。
でも、こういう文章の美しさって抜粋で読んでもわからない。
一度は全文を通して読んで、はじめて心に響いてくるものだったりする。
これは、映画の名シーンにも言えることで、そのシーンだけを見てもダメで、一度は映画全体を通して見ないと伝わらない。
スポーツの名場面も同じく。

ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。…そうすればある晴れた朝に-
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
(「グレート・ギャッツビー」)

僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。指は何にも触れなかった。その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。
(「蛍」)

ベルニスよ、君はある時、僕に告白して言った、「僕は自分にもよくはわからないある一つの生活に憧れ続けて来た。それは必ずしも地道な生活ではなかったかもしれない。僕には自分が何に憧れていたものか、それさえよくわからないのだが、あるいはそれは狐火のようなものであったかもしれない……」と。


ベルニスよ、君はまたある時、僕に告白して言った、「僕が憧れていたその幽(かす)かなものは、あらゆるものの背後に隠れていた。努力一つで、僕にはそれが何であるか知ることもでき、それを自分のものにすることもできるように僕には思われた。それなのに僕は、ついに明るみへ連れ出すことのできなかったその心に親しいものに対する憧れを抱き続けて世を去ろうとしている……」と。
(「南方郵便機」)


原作を読んだ後で、録画しておいた「華麗なるギャッツビー」を鑑賞。
地上波で放映された際に途中から見たことはあったけど、字幕で最初から通して見たのは初めて。

脚本はフランシス・フォード・コッポラ。
ストーリーよりも描写が評価されている小説を映像化するのは難しい面があるけれど、映像や演技で表現が可能なこと・不可能なことをしっかりと弁えて作られた映画だと思う。
贅を尽くした衣装とネルソン・リドルの音楽が素敵。
「End」が出た直後に流れる曲が、センチメンタルな「What'll I do」ではなく、明るくノー天気な「Ain't We Got Fun」なのが、皮肉っぽくていい。
音楽の明るさ故に、ギャッツビーの一生の切なさがよけいに際立つっていうのか。
こういうことがあるから、エンドクレジットまで含めて映画なんだよね、と思う。

以前、ミア・ファローのデイジーはミスキャストなんじゃないかと思ったりしたこともあったけど、私が間違っておりました。
薄物の衣装がよく似合って、繊細でフワフワして、それでいてちょっと図太くて、悪気はないけど残酷なデイジーにミア・ファローはぴったりで、これはハマリ役。
むしろロバート・レッドフォードのギャッツビーのほうが微妙だった。
演技的には申し分ないのだけど、謎めいた人物を演じるにはレッドフォードの外見は健康的過ぎる。
同じ頃に出演した「追憶」のような、「容姿・能力・育ちに恵まれた青年」の弱さを演じる分には違和感なかったのだけども。

デイジーの夫トムの愛人マートルを演じたカレン・ブラックって、前はちっともいいと思わなかったけど、今見るとコケティッシュ。
トムが魅かれるのに納得できる。

映画公開当時はgreatを「華麗なる」と訳すのが流行っていたようだけど、「The Great Waldo Pepper」を「華麗なるヒコーキ野郎」にするのはいとしても、「The Great Gatsby」を「華麗なる・・・」にしてはいけなかったと思う。
この場合のGreatは、もっとシニカルな意味が込められていたはず。

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2010年2月 2日 (火)

そして人生は続く

CSでフィギュアスケート全米選手権のエキシビションを見ていたら、本番が始まる前に米国の過去の金メダリストが紹介されたのだけど、もう出るわ出るわ。
金メダリストだけでもこんなに輩出していたとは、米国のフィギュアスケートの歴史畏るべし。
長野五輪当時は老け顔が好きじゃなかったタラ・リピンスキーがすっかりきれいになっていて、サラ・ヒューズは相変わらずチャーミングだった。

居並んだ歴代の金メダリストを見て、金メダリストとして讃えられ続けるには、その後の人生も大事よね、と思ったのであった。
それなりの近況でないと、こういう場で紹介しづらいんじゃないかと思うので。

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2010年2月 1日 (月)

ル・クルーゼ ココットロンド

キッチン用品を買いに行くと必ずといっていいほど見かけるし、料理のレシピをネットで検索する際にも登場することが多いものの、「高いなー」と思っていたル・クルーゼの鍋。
先日、ココットロンドの20cmを15000円で販売しているのを見つけて買ってしまいました。
といっても、鍋としてはイイ値段なので即決ではなく、一旦帰宅してネットで価格を検索して検討したのちに。
調べてみると下には下があって、激安というほどではなかったけれど、いつも立寄るところよりは一万円(!)安いし、遠方まで買いに行ったり、取り寄せたりという手間を差し引けば、お持ち帰りできる距離でこの価格は「買い」であろうと。
早速ポトフ(キャベツ・人参・かぶ・ソーセージの簡単なの)を作ってみたのですが、あまりに美味しくて驚いた。
鍋一つでこんなにも味が違うのかと、道具の大切さをしみじみ感じるとともに、ル・クルーゼの人気に深く納得。

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45度

長久保コーチの「(浅田選手のトリプルアクセルは)あと45度回転が足りない」という談話を読んで、こと浅田選手に関しては奥歯にものの挟まったようなコメントが多い中、「45度」という具体的な数字が出てきたのは、ちょっと新鮮に感じてしまった。
これまでの経緯を考えれば、他の解説者やコーチが言葉を濁すのも無理からぬことではあるけれど。

数字が絶対ではないんだけれど、具体的な指摘や指導を出来るか否かは、プロの(もしくは優秀な)指導者と素人の違いの一つだと思う。
スパイラルの秒数保持のためにモロゾフコーチが荒川静香に「1アイスクリーム、2アイスクリーム・・・」と数えることを提案したという逸話も然り。

http://www.sanspo.com/sports/news/100129/spm1001290507001-n1.htm
http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/01/29/0002673907.shtml
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/01/29/13.html
http://vancouver2010.nikkansports.com/figure/news/p-sp-tp0-20100129-590357.html

浅田選手がギリギリまで国内で調整して20日ごろ現地入りするという記事を見かけたけれど、この日程では、ちょうど女子シングルのSPのあたりに時差ぼけのピークが来ることになる。
東回りの時差ぼけは西回りよりもきついうえに3日後くらいが一番辛く、ジーコ監督当時の欧州リーグ所属の選手も軒並みそれで苦労していたものだった。
時差ぼけと暑熱対策を怠って、たびたび危機に陥ったジーコジャパンと、ますますかぶる。

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