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2010年3月 1日 (月)

EXと衣装についての雑感

後でじっくり録画を見ようと思ったのに、フィギュアスケートのエキシビションが日本列島の地図入りになってしまった。
まあ、天秤にかけるまでもなく津波情報のほうが大切なんですが、「鋼の錬金術師」も地図入りでいとかなし。

EXの演技で印象に残ったのはプルシェンコ、安藤美姫、ランビエール、川口・スミルノフ組・ドムニナ・シャバリン組。

プルシェンコの演技の面白さは、プルシェンコ自身が発する魅力によるんだな、と思った。
プルシェンコが使用した曲がジョニー・アリディの曲だったけど、ランビエールの「Ne me quitte pas」といい、欧州の音楽事情が興味深い。
シャンソンもしくはフレンチ・ポップスは20代の青年にも好まれているのだろうか。
それともコーチの趣味?

安藤美姫のレクイエムは渾身の演技。
4年前、トリノ直後のショーで見た時は、情緒の豊かさは感じつつも表現しきれていなかったのが、今は音楽と感情を体の動きで表現できるようになって、それだけでもモロゾフの指導は無駄じゃなかったと思う。
娘のEXのための衣装をこっそりお母さんが作っていたのもいい話である。
今までのパープルグレーの修道女風衣装のほうがシンプルで好みだけど、五輪EXの衣装は胸元の飾りがきれいでスピンが映えて見えた。

ずっと前のことになるけれど、教育テレビで宮崎国際音楽祭の模様を見ていたら、世界的ヴァイオリニストの故アイザック・スターンが公開レッスンで子どもを指導していた。
子どもといえども、いずれも腕に覚えのある子たち、巨匠の前で超絶技巧を見せたがるのだけど、スターンはそれを制して、「もっとゆっくりした曲を弾きなさい。一つの音をいかに美しく響かせるかが大切」と教えていた。
先日、ニコライ・モロゾフが「一蹴り(漕ぎ?)の美しで魅了するのが本当に素晴らしいスケーター。安藤美姫にはそんなスケーターになってなってほしい」と語っていたのを何かで見たのだけど、それで思い出したのが、前述のアイザック・スターンの言葉だった。
モロゾフのプログラムのつなぎが薄い云々の議論を最近よく見るし、そのために選手に不利になっては困るけれど、一蹴りの美しさを重視する姿勢は正しいと思う。

ランビエールの演技はいつもどおり素敵だった。

キム・ヨナは「タイースの瞑想曲」。
好きな曲なので期待したのだけど、思ったよりも印象が薄かった。
競技ではあんなにも圧倒的な演技を見せるのに、EXではいつも凡庸なのが不思議。
作りこまないとダメなタイプだったりするのかな。


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五輪直前に放送していた浅田真央とキム・ヨナを対比させた番組を流し見したけど、キム・ヨナ陣営の戦略の上手さが印象に残る内容だった。
おそらく衣装も「曲のイメージと合っているか」、「選手に似合うか」、「動きやすさ」etc.さまざまな角度から検討したうえで決められたのだと思われる。
好みでいうと007の衣装は、チョーカーと肌襦袢が分離しているのがみっともなくてイヤなんだけど、客席や審判には見えないのだろうし、デザイン自体はボンドガールのイメージに合っていて、カッコよく着こなしていると思う。
EXを見る限り、キム・ヨナ自身は天性のパフォーマーではなさそうだけど、周囲の意見を取り入れる聡明さ・素直さがあるのだろうと思う。


「チーム・キム・ヨナ」の戦略の見事さには敬服するものの、日本のような、各選手とコーチの自主性にまかせる家内制手工業的アプローチも、アマチュアらしくて、それはそれで好き。
日本のスケート連盟が「選手の自主性にまかせます」という方針で、それを貫くのなら一向にかまわない。
問題はスケート連盟の人たちの姿勢が中途半端で一貫性がないこと。
一時は自力での代表決定も危ぶまれた選手をメダルを獲得するまでに建て直したあたり、日本のコーチ陣の指導力の優秀さを認識したけど、極秘の特訓に他の選手のコーチを動員するほどに特定の選手のために躍起になるくらいなら、もっと戦略をもって計画的にやれと思う。
好き嫌いはともかくとして、身体能力においては浅田真央のほうが優っていたはずなのだから、技術力で差がついてしまったのは強化プランの甘さゆえ。
その甘さは衣装にも如実に顕われていたと思う。
あの見るのも苦痛なくらい下品で安っぽいSPの衣装は、選手自身のデザインだったそうだけど、「はじめての舞踏会」のコンセプトはおろか、「仮面舞踏会」の本来のイメージにもあっていないシロモノ。
金メダルと銀メダルの差は(加点が多すぎるという疑問を差し引いても)純粋に技術力の差だけれど、衣装にも細心の注意をはらって五輪に臨んだ選手と、SPは発表会気分の衣装、フリーには首筋の肌襦袢のシワが遠めにも見えてしまう衣装で臨んだ選手とでは、心構えの段階で既に差がついていたと思う。
「人事を尽くした」とはいい難い。
もちろん、体調とかアクシデントとか五輪の魔物とかいろいろあるし、衣装がよければ勝てるわけではないけれど、たかが衣装、されど衣装、である。
実力が僅差だと思うのなら、なおのこと、小さなことも気を抜かないようにしないと、チャンスの前髪はつかめない。

それにしても、スケ連って余計なことには口出しするのに、衣装にダメ出ししようという心ある人はいなかったのであろうか。
これまでの衣装だって酷かったのに。

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