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2010年9月24日 (金)

シェルブールの雨傘

ムービー・プラスでデジタル・リマスター版を鑑賞。
斬新な色彩感覚のセット、衣装、ミシェル・ルグランの音楽。
「映画って映像と音で出来ているんだな」とこの映画を見るとしみじみ思う。

ストーリーは他愛もないといえば他愛もない。
見る前は漠然と戦争を背景にした悲恋モノと思っていて、「戦争に引き裂かれた2人」といえなくもないけど、実のところはちょっと違う。
ギイが徴兵されず、順調に結婚できたとしても、この2人はそんなに幸せにはなれなかったんじゃないかと思う。
ジュヌヴィエーヴが愚か過ぎて。
(追記:冒頭のデートの場面でも、ギイが具体的に将来のことを考えているのに対してジュヌヴィエーブはとりとめがなく、「ガソリンスタンドを買おう」というギイの言葉に対して「ガソリン臭いからイヤ」と答えたりと、この時点で既に2人の将来に対するビジョンは噛み合っていない。)

カラフルな映像とミシェル・ルグランの美しく洗練されたメロディでうっかり間違えそうになるけれど、ヒロインのジュヌヴィエーヴは容姿以外は長所がない。
召集令状が来たギイに「逃げよう」だの「私が隠して守ってあげる」だのと非現実的なことを言うし、ギイが出征してからも、戦地にいて苦労しているであろうギイを心配するよりも待つ身の辛さを嘆くばかりで、待っている間にギイの病気の伯母さんを訪ねることもない。
あげく「ギイはなぜ私から離れていったのかしら」って、まるでギイが自発的に彼女を捨てたかのようなことを言ったりする。
「そりゃ徴兵されたからだよ」と心の中でツッコんでしまった。
そして、お腹の中にギイの子どもがいることを承知でプロポーズしてくれたカサール氏と結婚し、シェルブールを離れる。

カサール氏との結婚は、ギイを待つことに疲れたジュヌヴィエーヴが自発的に決めたことで、母親は金持ちで大人の男性との結婚に乗り気ではあったけれど、決して強制したりはしていなかった。
妊娠して心細かっただろうけれど、ギイはジュヌヴィエーヴを捨てたわけじゃなく、戦地にいて手紙を書けなかっただけ。
それに「哀愁」のように誤って戦死の公報が届いたわけじゃないし、誰かや「運命」に仲を引き裂かれたわけでもない。
ただ、ジュヌヴィエーヴが待てなかった、それだけ。

出征から2年、戦地から戻ったギイはジュヌヴィエーヴに捨てられたことを知って一時は荒んだ生活を送るけれど、幼馴染のマドレーヌと結婚してガソリンスタンドの経営者になる。
ジュヌヴィエーヴほどの美貌ではないものの、マドレーヌは美人で可愛いだけでなく、ギイの不在の間も伯母さんの世話をしてくれたりと、忍耐強くて思いやりもあって、ギイにとっては良き伴侶。

そして数年後、ギイの経営するガソリンスタンドにジュヌヴィエーヴが立ち寄り2人は再会。
過去を吹っ切って幸せな家庭を築いたギイと、ギイへの未練を残しているジュヌヴィエーヴの対比が皮肉でほろ苦い。
まあ、ジュヌヴィエーヴが少し不幸せそうだから映画たりえているとも言えるんだけど、未練を残すくらいなら待ち続ければよかったじゃないかと思ってしまうんである。

・・・と、身も蓋もない感想になってしまうけれど、ただ、ジュヌヴィエーヴの「待てない」という気持ちは若い女の子の心情として非常にリアリティがあると思う。
理由の如何によらず、待ち続けるということに耐えられないという気持ちは「わかる」とは言いたくないけどわかる。

なお、この映画ではカトリーヌ・ドヌーヴの清楚な美しさを讃える声が多いけれど、毛皮のコートと喪服に身を包んだ人妻のいでたちのほうが好き。

どちらかといえば「世話物」の範疇に入る物語をミュージカルで見せた監督のセンスと、音楽のミシェル・ルグランに心からの賛辞を送りたい。

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