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2011年2月

2011年2月28日 (月)

英国王のスピーチ

1930年代の英国モノというだけで目がないし、主演3人ともに好きな俳優だし、監督は「エリザベス1世 ~愛と陰謀の王宮~」の人だし・・・と期待値Maxで鑑賞。
で、期待に違わず良い映画だった。
ジョージ六世とライオネル・ローグの会話がすごくイイ。
ウイットはもちろんのこと、距離をとりつつ、だんだん心が近づいていく感じがいいんである。

王妃エリザベスを演じるヘレナ・ボナム・カーターは、このところ殺人鬼とか頭の大きな女王様とか、ぶっ飛んだ役が多かったけど、久しぶりに上流階級(というかロイヤル・ファミリーだけど)の役。
仕草の一つ一つが優雅で洗練されていた。
後半は体型をエリザベス王太后に似せて少し太めになっていたけど、それでもエレガント。

実物といかに似ているかが売りの映画ではないけれど、脇を固める人たちがけっこう似ていた。
マイケル・ガンボンはジョージ5世の肖像画にそっくり。
似せて描いた肖像画を使ったのかと思ったけど、家で「英国王室史話」のジョージ5世の写真を見たら、やっぱり似ていた。
ハンサムで快活で才気走っているけれど、どこか落ち着きのないエドワード8世をガイ・ピアースが好演。こういう、ものすごく微妙にイヤな男を演じるガイ・ピアースを見るのは初めて。
ティモシー・スポールは、スウィーニー・トッドやハリー・ポッターの小物臭を微塵も感じさせない、堂々たるチャーチルだった。

大司教にデレク・ジャコビ、メアリ王太后はクレア・ブルームと、これまた豪華。

衣装デザインは「眺めの良い部屋」、「ハワーズ・エンド」のジェニー・ビーヴァン。
「ハワーズ・エンド」の衣装は、映画に登場した衣装の中で一二を争うくらい好きだけど、この映画もシンプソン夫人とエリザベス王妃の衣装の対比が二人のキャラクターだけでなく、関係をもあらわすようで面白かった。
ウィンザー公が夫人に贈った宝石類はどれも斬新かつ洗練されたものばかりで、シンプソン夫人(映画当時)もそういう人だったのだろうけど、その斬新さがロイヤル・ファミリーの中では浮いてみえたりとか。

ヒトラーの演説を見てジョージ六世が「演説がうまい」という場面はいろいろな解釈をする人がいるけど、スピーチが及ぼす重要性を示しているだけでなく、その時点ではまだジョージ六世がヒトラー及びナチスの危険性に気づいていなかったことを暗示しているのかなと思ったりした。

スピーチに向かうの場面で流れたベートーベンの交響曲第七番の第二楽章がとても荘厳で美しかった。
ベト7というと、華やかな第一楽章ばかり聴いていたけど、これがきっかけで第二楽章も好きになった。
はい、シチュエーションに影響されやすいたちです。
ここでベートーベンを使用したことについてもいろいろと見解があるみたいで、「ふーん」という感じ。
第二次大戦を背景にした映画において、ナチスが宣伝に利用したワグナーの扱いはデリケートな問題だけど、ベートーベンを「ドイツの作曲家」として殊更に意識したことがなかったもので。

「クイーン」もそうだったけど、コーギーが可愛かった。


映画を見たのがアカデミー賞発表の前々日。
いつになく応援モードでアカデミー賞の推移をチェックしてしまった。
作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞と主要四部門の受賞ということで、自分が観て、良いと思った作品が受賞するのはやはりうれしいものです。
ほんとはジェフリー・ラッシュとヘレナ・ボナム・カーターにも受賞して欲しかったけど。

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2011年2月27日 (日)

わかりやすさって何?

自分は視聴しないけど、今後の大河ドラマの行く末に影響するかもしれないので、「江」の評判は気にしている。
「篤姫」の内容と傾向、プロデューサーと脚本家の言動、予告編から類推して、「ふざけるな」という意見には「やっぱりね」と思う。
たまに「初心者にもわかりやすい」と好意的な意見を書く人がいて、サクラなのか本心で書いているのかはともかくとして、この手の意見は「篤姫」あたりから見かけるようになった。
そもそも歴史を背景にしたドラマにおいて、「わかりやすい」と「面白い」はイコールではないと思うのだけど、そういう意見が出る回や場面というのが、たいがい史実とはかけ離れた、現代の価値観で描かれた部分だったりする。
つまり、「歴史をわかりやすく描いているからわかった」でのはなく、「現代の価値観だからわかりやすい」と言っているだけ。

どうも、従来の大河を楽しめなかった層の中に、なぜか「大河ドラマを見る」ことにこだわる人たちが存在して、そういう人たちが「自分にもわかる大河」として「篤姫」や「天地人」を支持してきたのだと思われるのだけど、比較的古い大河を見てきた者としては、「時代劇のコスプレをしただけの現代劇」を大河ドラマの枠を使って放送する意味があるのかと思う。

「江」もそういう視聴者層を狙ったのだろうけど、脚本家が自己投影しまくった結果、戦国時代どころか現代の価値観と照らし合わせてもズレている内容なのが、批判噴出の理由だと思っている。


なお、出演者への批判も多いようだけど、それはちょっと酷だと思う。
俳優がどんなに良い演技をしようと思っても、脚本と演出が悪ければ限界がある。
「篤姫」の瑛太だって、所作とか佇まいは「薩摩の家老職を務める家の若君」らしさを出していたのに、肝腎の台詞が「姫しゃま」だったのでナヨゴローになってしまったし。
まして今回は公式サイトのあらすじを読むだけで脱力するような、脚本以前に筋書きの段階で破綻しているドラマなのだし。

一番酷評されている上野樹里にしても、まるで「のだめ」を素で演じたかのように言う人がいるけど、ピアノ演奏の部分は素じゃ絶対に出来ないことです。
「江」でも乗馬が出来るようになったりと、役作りのための努力はしたのだと思う。
大体、江の生涯を描くうえで本来は不要なはずの乗馬のシーンをやたらと入れて、上野樹里に乗馬の練習を求めたのは製作サイドの意向のはず。
プロデューサーや演出家が姫らしい立居振る舞いを優先し、乗馬の練習に費やした時間を所作の練習にむけるように要望していたら、上野樹里だってそうすべく対応したんじゃないか。
もちろん、大河ドラマ主演となれば、過去の大河ドラマを見たり、関連書籍を読んで研究するという姿勢が望ましく、「大河は見たことない」と言い切る上野樹里の姿勢には疑問を感じるけれど、もしも万全の準備をして臨んだところで、今回の大河ドラマでは徒労に終わった可能性が限りなく大きい。
「天地人」の妻夫木聡は、自分なりに下調べをしたりと、気合を入れて準備したにもかかわらず、製作サイドに否定されたそうだし。

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ナルニア国物語第3章(2D字幕版)

ナルニア国物語 第3章を観てきた。
原作を読んだのがかなり前なので、ほどよく忘れていてワクワク感を味わえた。
こういう時、自分の忘れっぽさが便利だなと思う(笑)。
のうなしあんよからだんだん記憶が戻ってきたけど。

ルーシーは相変わらず可愛くて、美人じゃないのに、ふとした瞬間にすごい美少女に見えたりする。
これぞブサカワの粋。
エドマンドもいい感じに成長していた。
ハリー・ポッターのエマ・ワトソンのように、出だしがすごい美少女でだんだん普通になっていくと失望感ははんぱでないが、この2人は成長につれてどんどん素敵になっていくのがいい。
カスピアン王子も少年から青年に成長し、男前度アップ。
ペペンシー兄妹の従弟ユースチスのひねくれ加減というか、間違った優等生ぶりが面白い。
最後にジル・ポールの名前が出てきたので「銀のいす」も作るのか、と期待したのだけど、どうなんだろう。
「魔術師のおい」は是非映画化してほしいんだけど。ジェイディスはもちろんティルダ・スウィントンで。


ところで、地元のシネコンでは字幕版は3Dの上映しかなく、2Dの字幕版を上映している映画館を探してしまった。
3Dは「アリス・イン・ワンダーランド」で体験して、確かにすごかったけど、別に3Dでなくてもいいなというのが正直なところ。
2次元でも充分楽しめる作品だったし、チェシャ猫もウサギも飛び出さなくても可愛いし。
3D上映が予定されている作品で次に見たいのは「パイレーツ・オブ・カリビアン」だけど、また2Dの上映館を探さなくてはいけないと思うと、今から気が重い。
重苦しいメガネなしで普通に映画を見たいだけなのに、気楽に見られないなんて、なんだか本末転倒な気がする。

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2011年2月21日 (月)

追悼・大野靖子さん

脚本家の大野靖子さん死去。

大河ドラマ「国盗り物語」「花神」の素晴らしさについては、このブログでも何度かふれたけど、それ以外も「あのドラマ、面白かったな」と思って、調べてみたら脚本を担当したのが大野靖子だった、ということが何度もあった。
原作の雰囲気や史実を尊重しつつ、ドラマとして面白く構成する手腕は本当に見事。

司馬遼太郎のムックに「『国盗り物語』でNHKのスタッフとずいぶん衝突したので、再び大河ドラマの仕事が来るとは思わなかった」という「花神」の脚本を執筆した時の思い出話が載っていた。
それを読んで、自分の意思を曲げない気骨がある人だったのだと思ったし、衝突しながらも再度脚本を依頼した当時のNHKのスタッフも、良い作品を創りたいという気概があったんだろうなと思った。

手がけた大河ドラマがいずれも総集編しか残っていないのが非常に残念。
それと、「ポーツマスの旗」はいずれ時代劇専門チャンネルかチャンネル銀河あたりで見られそうだけど、「その人の名は知らず」がアーカイブにも入っていないというのが気にかかる。
1981年の「ポーツマスの旗」は残っているのだし、1989年の「その人の名は知らず」のテープを消したとは考えにくいのだけど。
おりしも時代劇専門チャンネルで「蒼き狼」が放送されるのでそれを見て偲びたいと思う。

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新聞社の記事には「女性で初めて大河ドラマの脚本を書いた」とあったけど、「国盗り物語」の前年の「新・平家物語」が平岩弓枝なので、初めてではないはず。
ただ、初めてでなくても残した作品の素晴らしさにかわりはないけれど。

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安藤美姫・四大陸選手権優勝!!

SP・フリーともに正真正銘のノーミスの演技。
SPの滑りは柔らかで落ち着いたチェロの響きのようだったし、フリーはピアノとオーケストラの硬質な華やかさにぴったり。
体調が悪かったとのことで、以前なら体調の悪さそのものよりも、不安感から崩れたりしたものだけど、ほんとにメンタルが強くなったのだなと思う。
それも、2007年の時の「見返したい」という気持ちからの火事場の○力的な強さではなく、自分の技術の高さや練習してきたことへの自信から得られる、本当の意味でのしなやかな強さ。
「その時出来る最高のことをする」という意思が徹底してきたみたい。


2位の浅田真央は、今回のSPの衣装は彼女比で飛躍的によくなっていたし、靴を外に出すのも大人っぽくて良い。
全日本のバラジャー衣装とか、五輪のSPなど、過去の下品な衣装は演技の内容以前に、目が見るのを拒否したので、見た目はとても大事。
ましてフィギュアスケートは技術とともに美しさを競う競技なんだし。
衣装の改善がコーチの言うことを聞き入れた結果だとしたら良い傾向だと思う。
ただ、インタビューで自分の演技を「100点」と言っていたのが気になった点。
どうも彼女は転倒とかすっぽ抜けとか、素人目にも分るミス以外はミスと認識していないようで、コーチが思い描く到達点と選手の目標にずれがあるんじゃないかと思う。
「見た目ノーミス」になったら、元の木阿弥に戻ってしまうかもしれない。

現時点ではまったく好きな選手ではないけれど、過去、欠点を克服したことで好きになった選手はいるし、今後どうなるかには興味を持っている。

「Mr.サンデー」でデカデカと「ノーミス」という文字を出していたので、「また、プロトコルも見ていない輩が騒いだらどうするんだ」と心配になった。
「とくダネ!」では、「安藤=加点あり、回転不足なし」「浅田=回転不足」と、勝負を分けたポイントをきちんと説明していたけど。
客観的な分析力を欠く選手に対して、マスゴミが率先して欠点を取り繕って過剰な擁護を続けてきたことは百害あって一利なしだったと思う。


長洲未来とジェレミー・アボットを世界選手権で見られないのが非常に残念だけど、妙な手心を加えないアメリカの選考の潔さは好感が持てる。
今回、この2人が出られないのは厳しいなと思うけど、またがんばればチャンスはある、と、みんなが思えるわけだから。


男子シングルを見ていて、自分がアボットの背筋のピンと伸びた演技をとても好きなことに気づいた。
昨季の「A Day In Life」がたまたま好きなプログラムだったのかと思ったけど、今季SPのストイックなタンゴも良いし、フリーの「ライフ・イズ・ビューティフル」は本当に大好き。
暑苦しくない叙情性、とでもいうんだろうか。

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2011年2月17日 (木)

大河ドラマをメシマズ用語で分類してみた

大河ドラマについて、以前にも同様の主旨のものを書いたことがあるけれど、「嫁のメシがまずい」のまとめサイトを見ていたら、ここ何年かの大河ドラマの脚本と演出の失敗に通じるものを感じたので、ちょっとメシマズ用語にあてはめてみた。
なお、「新選組!」と「風林火山」は個人的に満足しているので除きます。


カテゴリー1:

【カクセナス】  隠せない。隠し味が隠し味になっていない。むしろ主役級の破壊力を誇る。
【アレンジャー】 アレンジ。正しい料理を知っていながら、故意にアレンジをする。

該当作品: 秀吉、利家とまつ、義経

「義経」の金子成人は「真田太平記」、「蝉時雨」、「剣客商売」などを手がけているので、間違いなく「正しい料理」を知っている人。
竹山洋も「菜の花の沖」はわりと良かったので、正しい作り方を知らないわけではないと思う。

カテゴリー2:

【ブキヨーモノ】  不器用者。純粋に不器用さのために調理に失敗する。
【ソコツモノ】  粗忽者。注意力不足・思慮不足のために調理に失敗する。
【イイカゲーン】  いいかげん。アバウトな性格のために調理に失敗する。

該当作品: 天地人

最初のうちは作為を感じなかったため寛大な気持ちでみていました。
途中から「故意じゃないとしても許せない」に変わったけど。

カテゴリー3:

【モノシラズ】 物しらず。正しい元の料理・材料・調理法を知らないのにチャレンジし似ても似つかないものを作る。

天地人、龍馬伝

「龍馬伝」は、不味くはなかったけど、脚本家が正しい調理法を知っていたら、もっと美味しくできた素材だと思う。

カテゴリー4:

【カンチガーイ】  勘違い。 
【ヘンショッカー】  偏食家。 

該当作品: 功名が辻

カテゴリー5

【ジブンクワナイ】  自分は食べない。 
【アジミネーゼ】  味見しない。 
【ミタメジューシー】  見た目重視。味や安全より、見た目重視のドリーマー。彩り命。

該当作品: 篤姫、江~姫たちの戦国

「篤姫」と「江」はカテゴリー5に加えて、2~3の要素もあわせもっていると思う。
アレンジもしているけれど、脚本家が正しい料理を知っているとは思えず、【アレンジャー】の定義からははずれるため除外。

参考:
http://sabacurry1.wiki.fc2.com/


【アレンジャー】と【モノシラズ】は心がけ次第だけど、それ以外はつける薬がない気がする。

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2011年2月16日 (水)

ありゃりゃ

ちょっと確認したいことがあってWikipediaのキャサリン・ハワードの項を見てみたら、「トマス・カルペパーの妻として死にたかったと言ったと伝えられる」と付け加えられていて、目をぱちくり。
誰かドラマの「The Tudors」を真に受けた人が編集してしまったらしい。
物語としては心打たれる場面だったけど、あくまでも脚色。
余計なことをする人もいるもんだ。

Wikipediaは「参考にはするけど鵜呑みにしない」というのが利用する際のお約束だけど、ドラマ(それもかなり娯楽性が強い)の内容をそのまま反映させるのは、さすがにやりすぎ。
面倒だから自分で編集するつもりはないけど。
「The Tudors」自体はCS放送だし、子どもは見ないだろうから、教育的配慮は気にしなくていいと思っていたけど、こういうことがあると、あまりに史実とかけ離れたドラマや映画の描写に危惧を感じてしまう。
少なくとも、これを編集してしまった人は、自分の周囲に史実として語っているんだろうし。
誰か注意してあげてればいいけどね。

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2011年2月15日 (火)

少女マンガに失礼

今年の大河ドラマに批判と不満が噴出しているようで、あの脚本家が一年や二年で心を入れ替えて勉強しようと思うはずもなく、もともと歴史を描く能力が欠如しているんだから、「江」に次々と批判がでるのは当然のこと。
ただ、「少女マンガみたい」とか「お子様向け」という批判はやめてほしいと思う。
少女マンガと子どもに失礼。
そりゃ、なかには低レベルな作品もあるだろうけど、歴史を題材にした少女マンガには名作・秀作が綺羅星の如くあるし、往年の大河ドラマをきちんと鑑賞できる子どもだって少なからずいるはず。
私自身、子どものころから「痛快時代劇」よりも大河ドラマが好きだったし、最初はわからなくても、観ているうちにわかるようになる。
興味があれば。
だいたい、子ども向けだとしたら、なおのこと内容を吟味すべきで、ご都合主義のお花畑な話なんて教育上もよくないじゃないか。
それから、「歴女」の正確な定義は知らないけれど、もしも「歴史を好きな女性」を指すのなら「歴女向け作品」でもない。
歴女が歴史上の女性を好きとは限らないし、好きだとしても、それは今とは違う環境や価値観の中で花を咲かそうとした人の足跡を辿るのが好きなのであって、現代の価値観を主張するドラマが見たいわけでは絶対にない。


「篤姫も江もダメ」という意見は理解も賛同もするけれど、「篤姫はよかったけど江はダメ」というのがちょっとよくわからない。
この二作は五十歩百歩。
「篤姫」の序盤だって調所のところに乗り込むわ、調所が発覚すれば死罪必至の秘密を初対面の若者に打ち明けるわでじゅうぶんトンデモ展開だったのに、これがOKで江はNGというのはどこで線引きしているんでしょーか。
篤姫が島津斉興のところに乗り込んで「私は将軍御台所になる人間です」とかなんとか見得を切った場面もあったし、中盤以降は視聴していないけど、大奥とは接点がないはずの勝海舟を頻繁に呼びつけていたらしいし。
篤姫を江に、調所や島津斉興を信長・光秀に置き換えれば、やっていることはまったく同じ。

主人公を持ち上げるトンでも展開という点では「天地人」と「功名が辻」も同類だし。
歴史に興味のないスタッフが、歴史に興味のない層に向けて大河ドラマを作るのはもうやめましょうよ。

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2011年2月13日 (日)

THE TUDORS完結

「THE TUDORS~背徳の王冠」が完結。
前半のキャサリン・オブ・アラゴンとアン・ブーリンのくだりは何度か映画化されているし、不要不急のエロが多くて辟易したけど、ジェーン・シーモア以降の話を映像で見たのは「ヘンリー8世の私生活」だけで、それもかなり駆け足に描かれていたので、ドラマで見られて良かった。
ヘンリー8世は最後の最後まで勝手な人なんだけど、若干柔らかくなった晩年も、瀕死の忠臣を宮廷まで呼びつけて、でも心から病状を心配はしている、というのが、いかにも「らしく」て面白い。

並んで埋葬するように遺言したほど三番目の王妃のジェーン・シーモアには特別の思い入れがあったのに、ドラマでは亡霊となってあらわれたジェーンにエドワードの育て方を非難されたのは気の毒であった。

メアリー・チューダー主人公の続編を望む声が多いようだけど、私はそれよりもヘンリー7世、王太子アーサーが存命の頃の話が見たい。
エピソードゼロ、みたいな形で。

ジェレミー・アイアンズ主演の「THE BORGIAS」が製作されるということで、今から楽しみ。
32歳で亡くなったチェーザレにはいくらなんでも年をとりすぎなんでないかいと思ったら、アレッサンドロ六世役とのことで、納得の配役。
予習を兼ねて「チェーザレ・ボルジア、あるいは優雅なる冷酷」と「神の代理人」を今から読み返そうかと思っているところ。

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2011年2月12日 (土)

警部とか警視とか

これまで見るタイミングを逃していた「予告殺人」(ジョーン・ヒクソン版)をようやく見ることができました。
ミス・マープル物のドラマでは、これと「鏡は横にひび割れて」「パディントン発4時50分」「スリーピング・マーダー」が完成度が高いと思う。
といっても、他の作品もジョーン・ヒクソン=ミス・マープルと古い街並みと洒落た会話が楽しめるので、それなりに好きなのだけど。

クラドック警部の部下フレッチャーに見覚えがあると思ったら、ルイス警部を演じているケヴィン・ウェイトリーではないですか。
ここでも良い味をだしていた。


その「ルイス警部」はルイスと部下のハサウェイ部長刑事のかけあいが面白い。
「主任警部モース」はインテリ上司と叩き上げの部下だったけど、今度は「叩き上げの上司とインテリの部下」コンビ。
「主任警部モース」は、モース自身がいわばオックスフォードの象徴のようなキャラクターだったからかオックスフォードらしくないエピソードもあったけど、ルイスが主人公になった分、物語の中で街や大学の果たす役割が大きくなっているような気がする。

ファンタジーにシェイクスピアにバーナード・ショーと、引用がたくさん出てくるけれど、そういう中で戸惑うルイスと、さらりと引用元を口にするハサウェイが面白い。
クリスティの登場人物も外国人のポワロ以外はしばしば古典の引用をするけれど、そういうのも楽しみの一つだったりする。


ハサウェイ役のローレンス・フォックスはジェイムズ・フォックスの息子ということで、お父さんの出演映画も何本か観ているはずなんだけど、伯父さんがエドワード・フォックスと知ってそっちに驚いた。
そーいえば伯父さんに似ているような気もする。

同じく「叩き上げの上司とインテリの部下」という組み合わせの「ダルジール警視」、部下のパスコー役のコリン・ブキャナンが「蒼ざめた馬」のマーク役だったと知って驚いた。
髪型と服装が違うだけでまるで別人に見える。

「蒼ざめた馬」は物語としては原作に忠実だし面白かったけど、マークの設定を学者から彫刻家に変えた理由がわからなかった。
パスコーだったら学者でもよかったのに。

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牛すじ、キッチン鋏

三連休の初日、寒いし、外出する予定もないし、半日かけて牛すじの赤ワイン煮込みを作った。
けっこう美味しくできたので良い気分。

牛すじのかたまりを一口大に切ろうと思ったら包丁では切れないので、キッチン鋏とローストビーフナイフを駆使して目的達成。
・・・下茹でして柔らかくなった牛すじを見て、「茹でてから切ればよかったんだ」と気づいたけど後の祭り。
牛すじをジョキジョキと切りながら、こんな硬いものが食べられるようになるのだろうかと不安にかられたけど、ゆでこぼしたり煮込んだりを繰り返すとちゃんと食べ物になるから不思議。

牛すじの赤ワイン煮込みは手間さえ厭わなければ、難しいテクニックのいらない料理。
今回は下茹でに15分を3回、香味野菜と一緒に1時間、ワインとトマトジュースとタマネギを入れて2時間煮込みました。
今回使った赤ワインの酸味が強かったため、ハチミツをごく少量入れたけど、赤ワインはできるだけ酸味の少ないものを選んだほうがよいと思う。


手順において反省点も見つかりつつ、キッチン鋏の便利さに気づいたのは大きな収穫。
野菜を切るのも楽だし、薄切りベーコンなどもいちいちまな板を使わずに済むし。
「まな板と包丁」の習慣から抜け切れずに、なかなか使う機会のなかったキッチン鋏だけど、なんて便利なんでしょう。
そして、これを使わずにいた私はなんて愚かだったのでしょう。


なお、牛すじは買おうと思う時に限ってなかったりする一期一会の食材なので、見つけた時に購入し冷凍しておくと吉。

トースター・クッキング・ディッシュも最近重宝しているモノの一つで、朝食やちょっとしたサイドメニューを作るのにいいです。マッシュルームのチーズ焼きとか。

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2011年2月11日 (金)

奥様は名探偵

アガサ・クリスティの「親指のうずき」のフランス版。
ミス・マープル及びトミーとタペンスのシリーズは英国を舞台にしてこその面白さだと思うので、基本的には海外作品は好まない。
でも、AXNミステリーで放送された「奥様は名探偵」をフランス語の勉強代わりにと観てみたら、これが意外と面白かった。
サヴォワ地方の風景はきれいだし、笑える場面や台詞がふんだんにあるし。
本家・英国製作のクリスティのドラマもクスッとする場面は随所にあるのだけど、フランス版はゲラゲラ笑ってしまうのがお国柄の違いだろうか。

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2011年2月 8日 (火)

白夜行(映画)続き

映画終盤の亮司の表情が忘れがたく、DVDが出るまで待ちきれないので2度目の鑑賞。
亮司=高良健吾の演技は見れば見るほど切ない。
そして映画のストーリー展開をわかったうえで見ると、笹垣=船越英一郎の感情の機微の表現の繊細さと、雪穂=堀北真希の人形のような表情によぎる微かな感情のさしひきが初鑑賞時よりもよくわかった。

最初の事件の捜査で笹垣が子どもたち(亮司と雪穂)に話しかける場面では、笹垣が子どもの警戒を解こうとしつつ、何事も見逃すまいとする様子にリアリティを感じた。
この時点で笹垣は雪穂と亮司を怪しんでいないし、子どもたちも笹垣を警戒していない。
でも、お互いの印象には残っている、という場面だから。

雪穂はあからさまに自分の欲望をむき出しにして、好き勝手なことをやり散らかすタイプの悪女ではなく、見かけは一点の染みもないお嬢さんタイプ。
なので「悪女に見えない」のは正解で、ただし、かといってまったく怪しくないのもNGなのだけど、堀北真希の人形のような無機質な感じの容姿が役にぴったりなだけでなく、そこはかとない陰翳を感じてとても良かった。
特に松浦と会った時、ラストの立ち去る時の表情は凄い。

※というか、見るからに「悪女タイプ」の人に犯罪を成功させることができるのであろうか。
怪しまれて目的を阻止されると思うんだけど。

で、基本的にネタバレ前提のスタンスですが、公開中の映画なのでちょっと下げます。


脚本で具体的に上手いなーと思ったのが亮司の切り絵と雪穂の手芸、それからモールス信号を謎解きに絡めたこと。
切り絵と手芸は原作にも出てくるモチーフで、特に切り絵は重要な役割を果たすけど、映画の「切り絵の図柄から笹垣が真相に辿りつく」という展開は非常に説得力があった。
これなら原作未読であってもおそらく腑に落ちる。
モールス信号は一昔前ならありふれた手段だったけど、今見ると新鮮だし、亮司のキャラクターにも時代背景にもあっている。
小学生がアマチュア無線1級に合格したというのがニュースになったこともあるし、頭の良い亮司と雪穂ならモールス信号を覚えて連絡手段にする、というのは納得がいく。
頭脳犯罪の要素が削られていたのは不満だけど、無線で補完したという見方もできるなと思った。
昭和55年当時はアマチュア無線3級ではなく電信級だったので、そこのところはちょっと甘かったけど、野暮はいうまい。

「真木栗ノ穴」にも感じたけど、深川監督は視覚が人の印象にどう残るかをわかっている人だと思う。
その可能性も限界も含めて。

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2011年2月 4日 (金)

原作と映像化

小説の映像化は、たとえ「原作に忠実」というふれこみでも、多少の改変もしくはカットは免れ得ないものである。
「ロード・オブ・ザ・リング」はグロールフィンデルの登場場面がアルウェンに差し替えられて、古森及びトム・ボンバディルはばっさりカット。
「風と共に去りぬ」も、原作ではスカーレットの両親の若い頃の話や親戚、ウィルクス家とハミルトン家、タラ近辺の牧場主一家の話にページを割かれているけど、このあたりは全部カットされているし、後半のスカーレットの流産→ボニーの事故死→メラニーの病気はかなり駆け足で描かれている。
この二作品の場合、そうしないと物理的に上映不可能な時間になってしまっただろうけど。
テレビシリーズの「シャーロック・ホームズ」「名探偵ポワロ」「ミス・マープル」も、それぞれハマり役のキャストを得て名作の誉れ高い作品だけど、内容は少しずつ手を加えられている。
「オペラ座の怪人」はヒロインと怪人の名前と舞台がオペラ座という以外は、設定も物語もまちまち。

かように原作と映画は違っていて当然のもので、細かい心理描写や背景説明は文章が優ることがほとんど。
それならば映画やドラマに何を期待するのかといえば、それはやはり視覚と聴覚に訴えるsomething。
風景であったり、衣装やセットの豪華さ緻密さであったり、俳優の生身の魅力であったり。
たとえば「風と共に去りぬ」の原作を読んで、スカーレット・オハラの容姿やドレスをいろいろ想像するよりも、緑の小枝模様のドレスを着たヴィヴィアン・リーを見れば一目瞭然で、そこが映像の凄さ。
ストーリーははしょりにはしょって超圧縮版といえる市川箟の「細雪」も、蒔岡家の姉妹が身にまとう着物、四季折々の景色、丸帯を締める時に「きゅうきゅう」音がするという場面などが原作の空気を醸しだして、「細雪」たりえていた。

映像ではないけれど、「ハムレット」のオフィーリアの死の場面も、ひとたびミレイの絵を見たら、あのイメージが思い浮かぶようになる。

で、物語に関しては、原作→映像化のハードルはそんなに高くないつもりだけど、守ってもらいたい原作の核みたいなものは頑としてあって、そういう点で顎がハズレそうになったのが1998年版の映画「レ・ミゼラブル」だった。
ジャベールが自殺してジャン・バルジャンが「自由だ」で終わるんだけど、ラストの救いのなさも含めての「レ・ミゼラブル」であって、これじゃ違う作品だよ、と。
改変ではなくても、切り取る個所によっては作品の意味も印象も変わってしまうのだなと思ったんであった。

かなり前のエントリにも書いたけど、「エデンの東」も映画と原作はかなり違っている。
物心ついた時には既に不朽の名画と言われていたから、特に深く考えたこともなかったけど、公開当時に原作を先に読んだ人たちの映画に対する反応はどうだったんだろう?
まったく問題にされなかったのか、「ジェイムス・ディーンの魅力に免じて」だったのか。
昔の人のほうが原作との違いには寛大だった気もする。

なお、原作尊重を前提に考えるのは、物語はある種生き物みたいなものだから、翻案や脚色など、いろいろな過程を経て一人歩きするものだし、何十年何百年も経過して原形をとどめないものもあったりするけど、物語の核の部分を最初に世に出した作品と作者に対しては敬意が払われるべきだと思う、というのが理由です。

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