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2011年2月 4日 (金)

原作と映像化

小説の映像化は、たとえ「原作に忠実」というふれこみでも、多少の改変もしくはカットは免れ得ないものである。
「ロード・オブ・ザ・リング」はグロールフィンデルの登場場面がアルウェンに差し替えられて、古森及びトム・ボンバディルはばっさりカット。
「風と共に去りぬ」も、原作ではスカーレットの両親の若い頃の話や親戚、ウィルクス家とハミルトン家、タラ近辺の牧場主一家の話にページを割かれているけど、このあたりは全部カットされているし、後半のスカーレットの流産→ボニーの事故死→メラニーの病気はかなり駆け足で描かれている。
この二作品の場合、そうしないと物理的に上映不可能な時間になってしまっただろうけど。
テレビシリーズの「シャーロック・ホームズ」「名探偵ポワロ」「ミス・マープル」も、それぞれハマり役のキャストを得て名作の誉れ高い作品だけど、内容は少しずつ手を加えられている。
「オペラ座の怪人」はヒロインと怪人の名前と舞台がオペラ座という以外は、設定も物語もまちまち。

かように原作と映画は違っていて当然のもので、細かい心理描写や背景説明は文章が優ることがほとんど。
それならば映画やドラマに何を期待するのかといえば、それはやはり視覚と聴覚に訴えるsomething。
風景であったり、衣装やセットの豪華さ緻密さであったり、俳優の生身の魅力であったり。
たとえば「風と共に去りぬ」の原作を読んで、スカーレット・オハラの容姿やドレスをいろいろ想像するよりも、緑の小枝模様のドレスを着たヴィヴィアン・リーを見れば一目瞭然で、そこが映像の凄さ。
ストーリーははしょりにはしょって超圧縮版といえる市川箟の「細雪」も、蒔岡家の姉妹が身にまとう着物、四季折々の景色、丸帯を締める時に「きゅうきゅう」音がするという場面などが原作の空気を醸しだして、「細雪」たりえていた。

映像ではないけれど、「ハムレット」のオフィーリアの死の場面も、ひとたびミレイの絵を見たら、あのイメージが思い浮かぶようになる。

で、物語に関しては、原作→映像化のハードルはそんなに高くないつもりだけど、守ってもらいたい原作の核みたいなものは頑としてあって、そういう点で顎がハズレそうになったのが1998年版の映画「レ・ミゼラブル」だった。
ジャベールが自殺してジャン・バルジャンが「自由だ」で終わるんだけど、ラストの救いのなさも含めての「レ・ミゼラブル」であって、これじゃ違う作品だよ、と。
改変ではなくても、切り取る個所によっては作品の意味も印象も変わってしまうのだなと思ったんであった。

かなり前のエントリにも書いたけど、「エデンの東」も映画と原作はかなり違っている。
物心ついた時には既に不朽の名画と言われていたから、特に深く考えたこともなかったけど、公開当時に原作を先に読んだ人たちの映画に対する反応はどうだったんだろう?
まったく問題にされなかったのか、「ジェイムス・ディーンの魅力に免じて」だったのか。
昔の人のほうが原作との違いには寛大だった気もする。

なお、原作尊重を前提に考えるのは、物語はある種生き物みたいなものだから、翻案や脚色など、いろいろな過程を経て一人歩きするものだし、何十年何百年も経過して原形をとどめないものもあったりするけど、物語の核の部分を最初に世に出した作品と作者に対しては敬意が払われるべきだと思う、というのが理由です。

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