« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月30日 (水)

自粛とか不謹慎とか

都知事が花見の自粛を呼びかけていて、ライトアップや花そっちのけのドンちゃん騒ぎは自粛でも良いと思う。
でも、花を見ながら静かにそぞろ歩くのはかまわないはず。
気持ちをしっかり明るく持たないと、復興の手助けもできなくなってしまう。
というわけで、新宿御苑で見て来た白木蓮と早咲きの桜をアップします。
Takatoh_2011

Shide_2011

Mokuren_2011


林真理子が震災の2日後に寿司を食べに行ったことを書いたブログが炎上、記事を削除して謝罪したそうで、日頃から林真理子のコラムやエッセイはツッコミどころが多く、シンパシーを欠いた人なので、そこに目くじら立てだすとキリがないくらいだけど、「不謹慎」を錦の御旗にして批判するのは反対です。
外食をしてお金を使うのも経済活動として必要なことだし、これで炎上はさすがに気の毒だと思う。
ただ、あっさり削除してお詫びしたというのはちょっと情けない。
「不愉快な思いをさせたと謝った」ということは、状況によっては林真理子も不愉快に感じて批判する側にまわるということだと思うから。
こういう時こそ消費を奨励すれば「漢」なのに。


大河ドラマ「江」への批判の中で、「今はドラマどころじゃない。製作費を義援金にまわせ」というのを見たけど、これにも賛同いたしかねる。
「江」の製作は確かに無駄だけど、ドラマを作ることは無駄じゃないと思うから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月28日 (月)

不思議・理不尽

私が住んでいるのは現時点で水の飲用規制のない地域なのだけど、なぜかミネラルウォーターの売り切れが続いていた。
赤ちゃんのミルクには使えない硬水まで。
以前、村上春樹が思いきったことをする喩えとして「ミネラルウォーターで歯を磨くような」と書いていたけど、それが現実になってきているみたい。
でも、そこまで放射線に敏感なら洗濯物も外に干せないと思うけど、洗濯物はばんばん外に干してあるし、見るからに花粉症の人以外はマスクも帽子もなしで歩いているから不思議。
くれぐれもコントレックスを赤ちゃんのミルクに使ったりしませんように。


利用している温浴施設で、「昨日は計画停電が中止になったのに、休んでたのよ、ここ。自主停電よ」と騒いでいる声が耳に入ってきた。
「急に停電がなくなったって、お湯の温度の管理とかいろいろ事情もあるだろうに」と思っていたら、施設の掲示物にも「計画停電が中止になっても、急には温度を上げられないため、営業できない場合があります」と書いてあったので、スタッフに文句を言った人がいたみたいである。
休業に文句を言う人は、準備不足のまま営業をしてお湯が温かったりしたら、そのことに対しても苦情を言うんだよね、きっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月23日 (水)

三連休

三連休の初日、土曜日は渋谷Bunkamuraにて「フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展」を鑑賞。
展示されている絵画を入口から順に観て、「地理学者」の前に来たとたん3Dを観ているような不思議な感覚を味わった。
すごい遠近感と立体感。
ル・シネマでは「英国王のスピーチ」と「真珠の耳飾りの少女」を交代で上映しているもよう。
一瞬「へ?」と思ったけど、すぐにコリン・ファースつながりとフェルメールつながりなのだと納得した。
フェルメールを演じた時のコリン・ファースは色っぽくて、ヒロインがドキドキするのを「わかるわー」と思ったものだった。


日曜日は、震災以降休館していたシネコンが久しぶりに営業再開したので映画を観にいった。
といっても、見たい映画の傾向が限られるほうなので、「英国王のスピーチ」を二度目の鑑賞。
前に見た時は、戦争を目前にした苦渋の決断などを頭では理解しつつも他人事だったのだなーと思う。
地震発生以後の日々を経験した後では、クライマックスのスピーチが一度目に見た時よりもずっと心にしみて、ゆっくりと訥々とした演説に励まされているような気持ちになった。
「感情移入しなくても映画は楽しめる」が自論だけど、時にはこういうこともある。


先週は、買い物を控えるという以前に、帰宅時間にスーパーが閉まっていたので買い物が出来ずじまい。
あるものを使おうとはいうものの、やはり生鮮食料品は欲しいので、休日を待ちかねてお買い物。
地元のスーパーは牛乳とパンの棚が空になっていたけど、パン屋にはパンがたくさんあったので、なぜスーパーにはなかったのか不思議である。
私にとっては、パン屋にパンがあるほうがうれしいのでよかったのだけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月18日 (金)

物資投下と義援金

被災地の物資不足の報道を見て、「なぜ上空から投下しないんだろう?」と訝しく思っていた。
毛布・マット・生理用品・おむつ・使い捨てカイロ等は投下しても壊れないし、スナック菓子は壊れても食べられるでしょ。
航空法で禁止されているから出来ないということだけど、こういう時くらい融通利かせろよーーー。
緊急立法すれば即通るでしょ。
と思っていたら、規制を緩和して手続きを簡略化することになったんですね。
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819481E3E5E2E69C8DE3E5E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
ひとまず安心だけど、もっと早く気づこうよ。


---
Google、goo、nifty、iTune Storeから義援金が送れます。
義援金詐欺などの話もちらほらあるので、ネットで義援金を送れるのは非常に助かります。
既にアカウントを持っているところなら、いちいちカード番号を入れなくて済むし、安心感もあるし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月16日 (水)

鍋でご飯を炊く

計画停電及び節電はしばらく続くと思われるので、鍋で炊飯する手順と簡単なポイントなど。

・米を研ぐ~吸水までの手順は炊飯器と同じ
・鍋を火にかけ、最初は強火で、3分~5分(沸騰するまで)
・湯気が出てきたら弱火で10分
・火を止めて15分蒸らす

キッチンタイマーを使えば、目を離しても大丈夫。

お鍋は、どんな鍋でも蓋さえあれば炊けます。
美味しさと洗いやすさを望むなら、ル・クルーゼとかセラミック製土鍋がお勧め。
ちなみに、うちはル・クルーゼ、炊飯用土鍋、セラウェアのケデップをその日の気分で使っていて、ル・クルーゼと炊飯用土鍋の場合、水加減はわりと適当でも大丈夫。
ケデップで炊く時は、
・吸水時間は1時間以上
・水は、他の鍋で炊く時よりも心持ち多め
がポイント。
※ケデップは炊飯用土鍋も出しているけど、私が使っているのはマルチポット

電気炊飯器を使うメリットは、失敗しないこと・目を離しても平気なこと・炊飯予約機能。
ガス&鍋で炊く場合、炊飯予約はできないけど、目を離せないのは正味15分ほど。
目を離せないといっても、火のそばにつきっきりでなくても良いし、15分くらいはすぐに経ちます。

タイ米だと、「熱湯で10分茹でるだけ」なので、さらに簡単。


---
「ヘルシオを使わずにガスコンロ&ル・クルーゼでケーク・サレを焼く」にも挑戦してみた。
出来上がりの見た目はオーブンより劣るし、蒸しパン化するのは否めないけど、まあまあの出来。
具は、タマネギ、カブの葉っぱ、冷蔵庫に残っていた賞味期限が切れそうなソーセージ、ベーコン、生ハム、チーズ。
ケークサレは冷めても美味しいので、これをお弁当代わりにしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

買いだめ

買い占めはしたことがないけど、かつて食品を買いだめする癖がありました。
缶詰とか乾物を「何かの時のために」と買い込んじゃう。
で、忘れる。
そのせいで引越しの時に賞味期限切れの缶詰を捨てるはめになり、深く反省することに。
ゴミを捨てる作業も大変だし、食べ物を無駄にしたという罪悪感も半端じゃない。
このところ気をつけていたのだけど、なんとなくまた貯めつつある気がするので、この際備蓄してある食材を端から使ってみようと思う。

買い占め・買いだめは今困っている人のためにならないだけでなく、自分のためにもならないと思う。
きっと後悔します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月14日 (月)

できることからコツコツと

今日は、計画停電による一時時間運休で、会社に行けませんでした。
こういう非常時だし、電力の需給バランスが逼迫していることは理解できるから、節電も計画停電もやむを得ないことで、協力するに吝かではない。
ただ、情報が二転三転するのはさすがに困る。
それと、東電の人もたいへんだろうけど、もうちょっとましな文書を作れないものかしら。

電車の運休のおかげで電力が供給できているというのは、なんだか本末転倒な気がする。
ギリギリで供給しようという努力はいいんだけど、計画通りに停電を実施しても電車を平常時の8割くらい運行してくれるほうがありがたい。

とりあえず、自分で出来る節電として、
・厚着をして暖房機器を極力点けない。
・電化製品を使った調理は控える
・ご飯は鍋で炊く
・保温性の高い鍋を使う
を実践しております。
焼け石に水かもしれないけど。
パソコンとテレビは点けているけど、これを消すと情報から隔絶されてしまうので、それは勘弁してほしい。

いろいろ断捨離した時に、カセットコンロとガスのカセット及び固定燃料のフォンデュウォーマーを捨てるかどうか迷ったのだけど、残しておいて本当に良かった。
今のところガスは問題なく使えているけれど、カセットコンロがあるとないとでは気持ちの余裕がまったく違う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 5日 (土)

鑑賞力が試される

「英国王のスピーチ」がアカデミー賞を受賞したことで、通常は見に行かないであろう人たちも見に行って、いろんなことを言うようになってきた。
もちろん、できるだけ多くの人の目に触れることが映画にとっての幸せなんだと思うけど、好き嫌いはともかくとして、あまりに見当違いな感想を見るとちょっとなーと思う

ストーリーはシンプルだし、思わせぶりな暗喩や描写もなく、第二次大戦前夜の欧州の情勢とか、英国王室について一般的な知識があれば理解できる。
地味だけど、決して鑑賞するのにハードルが高い映画ではない・・・と思っていたけど、的外れな感想や妙なツッコミを見るに、意外と鑑賞力を試される映画なのかもしれないと思った。
それと一般常識と。

で、思わず目が点になったものをいくつか。

【戦争の背景の描き方が一方的】
よほど特殊な見解の持ち主でもない限り、ナチスドイツの侵略に対抗することを正義として描くのは暗黙の了解というか常識の範疇だし、だから映画もその点については詳細な説明をしなかったのだと思うんですけどね。

【開戦を煽るスピーチに拍手喝采はおかしい】
現在進行形ならいざしらず、過去に起った戦争について、当時の時代背景や状況を鑑みずに反戦・厭戦の価値観を振りかざすべきではないし、反戦・厭戦が絶対正義だと思っているのも思考停止もいいところ。

こういう輩がいるから、下克上の時代に反戦を主張する変な大河ドラマが横行するのかと思うと、非常に腹立たしい。

【喋る時の音が不愉快】
吃音で悩んでいる人が主人公なんだけど・・・。
一体なんの映画を見に行ったのか不思議である。


「一般的な知識があれば・・・」とは言うものの、知識がなくても、先入観を持たずに「知らなかったけど、そうだったんだー」と思って見れば充分楽しめる映画だと思う。
映画から得られる情報量は多いし、多少の脚色はあっても、鵜呑みにしたとしても支障がでる内容じゃないし。
でも、見当はずれなツッコミや批判をする人というのは、無知なだけじゃなく、自分の狭量な常識だけで判断するから、本来はツッコミどころではないことを得意げにツッコんだりする。
誰しも最初は知らない状態からスタートするわけだから、物を知らないこと自体は無碍には責められないけど、知ろうともせずに自分の先入観を振りかざすのは困ったもんだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 4日 (金)

映画 のだめカンタービレ 最終楽章

日本映画専門チャンネルにて「のだめカンタービレ 最終楽章」の前・後編を鑑賞。

テレビ版のヨーロッパSPも前編の千秋メインの話が面白かったけど、映画も同じく。
マルレオケのボロボレロの微妙な下手具合に大爆笑。
変な音が入った時の千秋の反応がいちいち面白くて。
玉木宏のリアクション演技は、間といい表情といい最高です。
マルレの公演の演目を「ウイリアム・テル」から「チャイコフスキー序曲1812年」に変更したのはロケ地のオーストリアへの配慮か。
「ウイリアム・テル」も好きだけど、これはこれで良い選曲。


後編はのだめが音楽家としての心構えを持つまでがメインだけど、実写及び映画である長所と想定された物足りなさの両方を感じた。
映画の尺とか話のバランスを考えれば仕方がないとは思うのだけど、ルイが「経験しなくても感じられる」ということに気づくまでの話、ターニャのコンクール挑戦がカットされていたのは残念。
ヤドヴィカと作曲をする話が微妙に削られていたのも。
このあたりのエピソードは、原作では「のだめに足りないもの」の説明にもなっていたので、これを省くと物語としてちょっと薄くなってしまうかなと。


ところで、映画を見て玉木宏と水川あさみを見直しました。
連続ドラマの時点では、玉木宏の千秋の演技自体には満足していたものの、指揮と楽器演奏に違和感があって不満だった。
テレビのヨーロッパ編でも、カタイラとジャンのほうが指揮が上手かったし。
でも、映画版では指揮する姿がすごくサマになっていて、努力したんだなーと思った。
こういうのって、努力よりも天性のセンスのほうがものをいうと思っていたけど、努力でここまでできるとは。
水川あさみのバイオリンを弾く場面もドラマより良くなっていたと思う。
むしろ、ドラマでは完璧といってよかったのだめの演奏シーンに若干の違和感を感じたりした。
コンチェルトの場面は見事だったけど、課題曲を演奏する場面が音楽と腕の動きが微かにズレていたもんで。
まあ、違和感といっても非常に微細なものなんだけど。

他の映画でもそうだけど、上野樹里は猫背がちょっと玉に瑕だけど、肩甲骨とか鎖骨とかアキレス腱とか、パーツがきれいな人だと思う。
監督はそこをわかっていてきれいに撮っていた。

追記:
この映画における玉木宏と上野樹里の演奏場面の違いは、玉木宏の頭の中では音楽が鳴っているだろうと感じられたけど、上野樹里はそう見えなかったことなんだと思う。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 1日 (火)

主従関係

鎌倉武士団や戦国大名の主従関係を会社になぞらえるのを初めて見たのは永井路子の著書だった。
経営者は会社を守り発展させる責任があり、責任を果たしてくれる経営者の下で社員が仕事に励むけど、これは命と土地を保証してくれる主君には家臣が従うのと同じであるという解釈は、非常にわかりやすく納得のいくものだった。

司馬遼太郎は「箱根の坂」で「頼うだる人」という言葉を使っていたけど、「頼うだる人」と従う人たちの関係って、「ローマ人の物語」に出てきた「パトローネス」と「クリエンテスに共通するものがあるように思う。
ローマの時代から、形態や名称は変わろうとも、主君と家臣は持ちつ持たれつの関係。
もちろん、利害を超えた関係になることもあるけれど、基本的にはギブアンドテイクの関係で、それを無視してドラマを構築しようとするとおかしなことになってしまう。

主従関係を会社組織になぞらえて理解する、というのは今や暗黙の了解みたいなもので、過去の大河ドラマでも、いろいろと切り口は変えながらも、これについては踏襲してきたように思う。
やっぱりわかりやすいし。
で、別に定説を変えちゃいけないわけではなく、流動的でもよいんだけれど、敢えて覆そうというのなら、より説得力のある説を出してくれないと視聴者は納得できないし、納得できないと物語を楽しめない。
せっかく「経営者と社員」説で納得していたものを、「篤姫」では原作にもなかった「徳川の心」だの「家族愛」だので幕府及び徳川家という大組織を矮小化したので、こりゃ変だぞと思ったのだけど、どうも、大名家の運営と会社経営の喩えをこの脚本家は知らず、知っていても理解できなかったんじゃないか。
「江」に至っては、主従関係をおとぎ話の「わがままな王様とお妃様とお姫様と家来」みたいなイメージで捉えているフシがあるし。
なにかというと「Off his head!」と叫ぶ赤の女王みたいな。
でも、おとぎばなしのモデルになった王様たちだって、現実には家臣を統率するのに苦心していたはずなんだけど。

なお、「天地人」には「私が定説を変えてやるわっ」みたいな変な意気込みは感じなかったのが、脱力はしてもムカつかなかった理由。
「功名が辻」も山内家の主従関係の描き方はまともだった。
史実に余計な恋愛要素を絡めたり、何かと千代が出しゃばったりしたこと、それから反戦・厭戦を主張しすぎて低評価になったけど。


ところで、「江」をファンタジー大河と揶揄する声もあるけれど、ファンタジーを引き合いに出すのもやめてほしい。
海外のファンタジーを引き合いに出すまでもなく、日本には「十二国記」「守り人シリーズ」という優れたファンタジーがあるし、古くは御伽草子・聴耳草紙もある。
ファンタジーを馬鹿にするんじゃないデスよ、である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »