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2011年5月

2011年5月25日 (水)

パリ愛してるぜ

フランス旅行を目前に控え、それどころではないのだけど、じゃんぽ~る西著「パリ愛してるぜ」を読みました。
フランスに行くのだから、パリの滞在記を読むことは時宜にかなっていそうに思うけど、旅行で必要になるのは旅行用会話だったりする。
今ディープなエッセイ漫画を読むのは、一つでも多くの単語を覚えなくてはならない時に長文読解問題に没頭してしまうことに似ている・・・。
それはともかく。

男視点のパリ滞在紀ということで手に取ってみたのだけど、面白ーい。
ヤマザキマリのイタリアエッセイ漫画にも言えることなんだけど、街や人々との距離感とか視点がフラットで、上から目線でもなく、卑屈でもないところが良いです。
ビズ(フランス式挨拶?)に対する感じ方の変遷には思わず爆笑。
手にとったのはパリについての本だからだけど、著者の観察記はパリじゃなくてもきっと面白いと思う。


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フランスの旅行記・歴史・料理の本は読むけれど、パリ在住の日本人のエッセイの類はまったく読んでいない。
なんとなく不穏な(私にとって)なものを感じてしまいそうで、敬遠していた。
・・・つまり、距離感とか視点に不安があったからなのねと、これを読んで悟った。

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2011年5月24日 (火)

好きこそものの・・・

引き続き大河ドラマの恋愛要素について。
「功名が辻」以前は大石静をそれなりに腕のある脚本家と思っていて、とりたてて好きと言うほどではないけど、時には惹きつけられるドラマもあったし、「功名が辻」もここ3年の作品に比せば、ドラマとしての出来はまともだった。
それでも許せなかったのは、不要不急の恋愛要素が多すぎたこと、なにより「竹中半兵衛の千代への片想い」と「康豊とガラシャ」というカップリングの安易さとセンスの悪さゆえ。

架空の恋愛設定が読者なり視聴者にウケるのは、「そうだったらいいな」と思える部分があるからだけど、竹中半兵衛の片思い及び康豊ガラシャには、それがなく、筒井道隆-仲間由紀恵、玉木宏-長谷川京子というキャストに恋愛ネタを絡めたいという安易な発想に思えた。
大体、愛の告白をして亡くなる竹中半兵衛を誰が見たいと思うのか。
架空設定は、史実という制約の中で一致部分や空白を見つけて創作するから面白いのであって、芯からの歴史好きじゃなくては創り出せないものだと思う。
それこそ、アリバイ崩しくらいの綿密さで構成しないと読者はしらけてしまうし、「違うって書いてないからOK」などという安易な理由付けでは面白くなろうはずがない。
大石静は脚本家としては優秀なほうだと思うし、歴史上の人物を脚色することには興味があるんだろうけど、歴史好きではなく、司馬遼太郎の原作の良さもわかっていなかった。
そこが、大野靖子・小山内美江子との決定的な違い。
脚本家としての腕はあっても、歴史好きじゃない人に面白い歴史ドラマは描けない。
面白さのポイントがわからないわけだから。

なお、「篤姫」は大嫌いだけど、「小松帯刀と篤姫が幼馴染」という設定自体には違和感を感じなかった。
ほぼ同じ家格の家の子同士で年頃も一緒、知り合いであってもおかしくないし、始まる前は、「2人を軸に、大奥の中と外を描くのなら面白いかもしれない」と思っていたくらい。
恋愛設定にしても、「篤姫が小松帯刀への思いを秘めて江戸城に赴く」という展開なら受け入れられたと思う。
それを、小松帯刀が仕事をそっちのけで篤姫を思い続けるというトンデモ展開にしたから、はらわたが煮えくり返ったのである。
こちらは、いくら秀逸な設定があっても、脚本家に能力がないと台無しになるという例。


それから、もう一つ。
昨今の大河ドラマは「優秀な人を描いてはいけない」という暗黙の了解でもあるんだろうか。
原作の天璋院篤姫は「史書を読むのが好きな聡明な姫」として描かれていたし、直江兼続も文武両道の秀才だったはず。
でも、ドラマの篤姫は書見台を前にする場面はあるものの、いつもキョロキョロと落ち着かず、ちっとも聡明に見えなかったし(これは女優のせいもあるけど)、直江兼続はイベントにぶつかって右往左往していた印象しかなく、おまけに戦場で人を斬れない軟弱な設定にまでされて、英邁さや剛毅さをうかがわせる場面は皆無。
取柄のない人物を美化するのもイヤだけど、優秀な人を矮小化するのはもっと腹立たしい。
エライ人は偉くていいのに。

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2011年5月23日 (月)

話題づくり

週刊誌やスポーツ紙の熱愛報道の多くは、ぱっとしないタレントの「話題づくり」であることは、特に事情通でなくても知っている。
そういう記事は大方の場合バレバレだったりもするし。
某フィギュアスケート選手の熱愛報道は、記事が出てから否定するまでのタイミングといい、組み合わせの無理矢理感と言い、女子選手側の「話題づくり」としか思えないものだけど、よくわからないのは、それをしているのが芸能人ではなくスポーツ選手、それもアマチュアの選手だということ。
相手として名前の挙がった男子選手はご愁傷様としかいいようがないし。

某選手とは違って、勝手にいろいろ書かれてしまうのが安藤美姫で、トリノ五輪前、彼女がマスゴミにふりまわされているのを見て、周囲の大人が守ってあげないのをもどかしく思ったものだった。
でも今回、某選手周辺の玄人はだしな対応を見て、安藤の周囲がうまく対応できなかったのは、それほどにマスゴミとは縁の無い世界だからなのだと、今更ながら深く納得。
基本的にはプロフェッショナルの仕事は好きだし敬意を抱いているけれど、この類のことは玄人よりも素人のほうが好ましい。

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2011年5月18日 (水)

似て非なるもの

「功名が辻」、「篤姫」、そして今のアレと、恋愛至上主義大河にはほとほとウンザリしているけれど、「イシュタルの娘」は歴史の推移と同じくらいか、それ以上に於通と左府さんの関係が気になってしかたがない。
もちろん少女漫画と大河ドラマの違いというのもあるけれど、歴史上の事件とか当時の価値観の描き方に違和感を感じないから、安心して主人公の恋の行方に興味を持てるというのも大きいと思う。

於通は権力者や高貴な身分の人たちと次々と知り合い、認められていくけれど、書と和歌の才能、美的感覚の鋭さなど、認められる理由ははっきりしている。
そして、歴史のメインイベントには顔を出さない。
そこではあくまでも傍観者。
於通と交流を持つ青年たちも年がら年中於通のことを考えているわけじゃなく、基本的には自分の世界を生きている。
失意からカブいてしまった信輔だって、飲んだくれている理由は政治的な問題であって於通じゃないし。
「好きだけど結婚できない」「好きな人がいるのに他の男と結婚しなくてはならない」という切なさは描かれているし、於通の結婚相手の人柄に対して不安や危惧は感じても、「好きでもないのに結婚するのか」なんて当時の価値観と違うことは誰も言わない。
そして事件の動機にことごとく恋愛を絡めたりもしない。

いちいち「こんなのありえなーい」「いつの時代だ?」と突っ込まずにいられないような作品には、恋愛要素にも不自然さを感じてしまうけど、恋愛以外の部分に重点を置いてしっかりと描いてあると、逆に恋の行方にも感情移入できる、というのは皮肉である。
恋愛要素に視聴者の関心を向けたかったら、時代背景やキャラクターをしっかり描け、ということ。

日曜8時からNHKで放送しているドラマもどきのアレと「イシュタルの娘」は時代背景が同じなので、登場人物もほぼ全員といっていいくらいかぶる。
ちらっと出てきた江与(江)がお転婆だったり、茶々の言葉が秀吉に影響を及ぼしたりなど、設定上の共通点もなくはない。
近衛父子も出てきたそうだし。
でも、共通点があるからこそ決定的な差を感じてしまう。
まあ、歴史の描き方以前に、2人のなれそめから親しくなっていく過程、伏線の張り方など、ストーリーテリング自体の力量が決定的に違うけど。

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で、大河ドラマや歴史ドラマに多少の恋愛要素が入るのは良いけれど、そこに現代の価値観を持ち込むことを不愉快に感じるのは、なによりも面白くないからである。

たとえば、「ロミオとジュリエット」。
物語が始まった時点で、ロミオは既に他の女性を恋していたけど、ジュリエットはまだ恋を知らず、親に言われるまま嫁ぐことに疑問を持たない従順な少女だったし、モンタギュー家の対立についてもそのまま受け入れていた。
だから、「My only love sprung from my only hate! Too early seen unknown, known too late! Prodigious birth of love it is to me, That I must love a loathed enemy. 」という台詞が生きてくる。
ジュリエットが死をも恐れぬ恋に突き進むのは、ひとえに仮面舞踏会でロミオと出会ったがゆえ。
ジュリエットはあらかじめ「結婚は好きな人と」という価値観を持っていたわけではなく、ロミオと出会い恋を知ったことで、「この人と結婚したい」と望み、後には他の男との結婚を勧める親に反抗するまでに至るし、だからこそ観客の胸を打つんである。
もしも、ジュリエットが登場から恋愛至上主義だったら、躊躇も葛藤もないだろうし、「ロミオとジュリエット」の魅力は半減するに違いない。

それと、ロレンス神父の手紙が行き違って、2人が死に至る経緯にも、時代背景は大きな役割を果たしている。
携帯電話やメールがある時代だったら、ロミオはジュリエットが死んだと勘違いすることはなく、手に手をとってハッピーエンドになったはず。
(だから、ディカプリオ版は、時代設定を思いきり現代にしながら携帯電話を持っていなかったことに違和感があった)

時代劇・歴史劇において、時代背景及び通信や行動の不自由さは重要なエッセンスなのに、現代の感覚や「どこでもドア」で行動させては意味がない。

「天地人」「江」との比較で「功名が辻」を持ち上げる向きもあって、ドラマとしての出来はずっとマシだけど、恋愛至上主義ぶりに関しては「功名が辻」も酷かったし、司馬遼太郎原作にロクでもない脚色を加えたこと、なにより竹中半兵衛に再三くだらない台詞を言わせた罪は重い。
竹中半兵衛矮小化は、小松帯刀を「ナヨゴロー」にしたのと同じくらい許せない。


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「江」の脚本家に替え玉疑惑が持ち上がったそうで、コトの真偽はともかく、あざとい内容ではあっても一応ドラマの体裁は保っていた「篤姫」と、もはやドラマの体をなしておらず、公式サイトのあらすじを読むだけであまりのくだらなさに頭痛がする「江」を同じ人が書いたのか?という疑問の説明にはなるな。
http://news.ameba.jp/20110518-89/


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2011年5月16日 (月)

イシュタルの娘~小野於通伝 第3巻

2巻途中で心ならずも結婚をした於通が3巻では離縁して京に帰還したのでホッ。
才能を認められて北政所の祐筆となり、いよいよ表舞台へ。
於通が結婚していた一年の間に京もいろいろ変化があって、やんちゃで一本気な好青年だった近衛信輔が失意の果てにグレて傾いた(かぶいた)姿で登場。
それがめちゃめちゃ色っぽくて素敵☆。
左府さん(信輔)失意の原因である秀吉の関白就任の経緯については、これまでは「秀吉がなんだかごり押しして関白になりました」という漠然とした認識しかなくて、戦国から安土・桃山時代って、そういえば武家側からしか見たことがなかった。
そういう意味でも、公家側を丁寧に描いているこの作品は新鮮で面白い。

近衛信輔(信尹)は一流の文化人だっただけでなく、文禄の役では朝鮮に渡ろうと九州まで行ったりとか相当行動的で剛毅な性格だったようで、実際にかぶいていたかどうかはともかく、傾奇者として描いても不思議じゃない人だったらしい。
それでいて豊臣武家政権と利害が対立する公家社会の中枢にいる、歴史の渦中の人物でもあってと、まさに事実は小説より奇なり。
大和和紀なら、ストーリーテリングに都合がよく、かつ魅力的な架空の「非実在青少年」をいくらでも創造できると思うけど、その人が実在の人物に着目してスポットをあてたとなったら、これはもうカッコよくないわけがない。
「歴史好きこそが歴史を面白く描ける」という、このうえない好例だと思う。
於通とともに、左府さんがこの先どんなふうに描かれるのかも楽しみです。

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2011年5月13日 (金)

願望

来年の大河ドラマ「平清盛」は、源頼朝が語り部を務める。
http://mantan-web.jp/2011/05/12/20110512dog00m200011000c.html

ふと思った。
西島秀俊が頼朝役なら良いのに。

清盛と同じ場面に登場するのは子役だから、松山ケンイチよりも年齢が上なのは問題ないし、二枚目で女たらしで冷徹な政治家という役柄は似合うと思う。
容姿も、過去に頼朝を演じた人たち(高橋幸治、石坂浩二、長塚京三、中井貴一)と同じ系統といえなくもなく、ナレーションにも定評がある。
ただ、「トニー滝谷」やスポーツドキュメンタリーのナレーションと平安末期はいまいち結びつかないのと、実のところ、大河ドラマのナレーションは、アナウンサーがさくさくと状況説明をして進めてくれるほうが好きだったりはするけれど。

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2011年5月11日 (水)

平清盛の第一次配役発表

松山ケンイチのコメントの端々から「これはほんとに『新・平家物語』を見たね」ということが伺えるし、キャスティングに製作陣のやる気と本気を感じた。
歴史と「新・平家物語」へのリスペクトが感じられるキャスティング。
特に、鳥羽院(三上博史)、崇徳院(ARATA)、信西(阿部サダヲ)、藤原頼長(山本耕史)。

三上博史とARATAで「叔父子」の確執なんてワクワクするし、阿部サダヲの「いけすかないインテリ」は渡辺いっけいと双璧。
藤原頼長は、この間見た「新・平家物語」総集編の成田三樹夫の印象が強烈で、今なら誰が合うだろうとあれこれ考えていた役。
演技だけならこなせる人はいるけれど、成田三樹夫の頼長は、見るからに公家らしい容貌でありつつ公家らしからぬ荒っぽさを合わせ持っていて、これをクリアするのは難しいかなと思っていたけど、そうか、山本耕史がいたか。
山本耕史なら、容姿も演技力も申し分ない。


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武井咲が「平清盛」に出演するというニュースで、役の候補として常盤御前が挙がっていたけど、「源平の首領の間で揺れ動く三児の母」なんて、10代の女優にいくらなんでもハードル高過ぎ。
仏御前とか徳子とか、若い女の子に向いた役がいくらでもあるだろう。
男性陣の素晴らしいキャスティングを考えた製作陣が、そんな無謀なことをするとは思えないし、して欲しくない。
新人にビッグチャンスを与えるのもいいけれど、適度の経験をさせて育てることも大事。
まあ、おそらく、その記事を書いた記者が常盤御前しか知らないのだろうとも思うけど。

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2011年5月 9日 (月)

大河ドラマは面白い

はい、時代劇専門チャンネルで放送中の「花神」総集編のことです。
DVDを持っているのに、つい見てしまう。
同じくDVDを持っている「国盗り物語」も放送を見ていたりする。
DVDを持っていない「新・平家物語」と「元禄太平記」はもちろんしっかり録画したし。
前・後編だと駆け足感とぶつぎれ感が半端じゃないけど、5巻あると、駆け足ではあるものの、一つ一つのイベントのつながりは感じられます。


去年、唯一テープが残っていた「上海みやげ」が放送された時のエントリーでも、「花神」の脚本には視聴者の理解力への信頼を感じると書いたけれど、総集編第二巻の鳩居堂の最後の講義の場面にもそれを強く感じた。
「タクチーキのみを知ってストラトギーを知らざる者は、ついに国家をあやまつ」なんて原作未読だと耳で聞くだけでは最初はちんぷんかんぷんだけど、場面が進むと、しだいに村田蔵六の言わんとすることがわかってくる。
ああ、戦術と戦略のことなのか、とか。
今年や一昨年の脚本家だったら、「こんなの、ワタシがわからないんだから視聴者にもわからないハズ」と削ってしまうんだろうけど。
でも、「花神」の大野靖子は視聴者が理解できないなんて思ってなかったに違いない。
この台詞を発する中村梅之助も、演出家もみんな台詞を理解してして、そのうえでドラマに携わっていた。
鳩居堂で蔵六の講義を聴講した面々は、当時のとびっきりのインテリたちだけど、幕末という時代だから情報量が乏しかったし、一方視聴者は、幕末とは比較にならない情報量に接しているという強みがあるけど、インテリじゃない人も大勢いる。
蔵六の講義を塾生が理解する過程と、視聴者がそれを理解するまでがシンクロしているようにも思える場面だった。
理解できた時の喜びと感動も。


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ところで、「花神」も「国盗り物語」も、大野靖子の脚本が何かの形で残っているのなら、それを再ドラマ化できないものだろうか。
是非して欲しい。
「国盗り物語」は民放版もあるけれど、大野靖子の脚本で見たいんである。
もちろん、配役をどうするかという問題はあって、名優の名演ぞろいだから、越えるのはおろか近づくことも容易ではない。
ものすごく高いハードルです。
でも、役者にとってやりがいがある難しさじゃないかと思う。
演出は、映像が残っている部分は昔と同じ、残っていない部分は演出家に多少の裁量を認めてもいい(上から目線)。

主演級の人たちの多くは健在ではあっても、さすがに同じ役を演じるのは無理だけど、秀吉だけは火野正平の再演を見たい。
他の配役とのバランスもあるだろうけど、柄本明と笹野高史の秀吉があったのだから、火野正平の秀吉も年齢的にじゅうぶんいけるはず。
人たらしの真髄の演技を見せてくれ。
若い頃が厳しいようなら、桶狭間くらいまでは濱田岳で、それ以降を火野正平が演じる、というのでもいいです。

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週刊誌のこと

愛読かといわれると違うし、記事の内容によっては週刊新潮を買う週もあったけど、長いこと週刊文春を読んできて、「ほぼ」定期購読といっていい時期もあったりした。
それが、震災以後は週刊新潮を手に取ることが多くなっている。

週刊文春が事実のみを感情を交えずに報じるというスタンスの雑誌ではないことは承知の上で、以前は意見がはっきりしていたから面白かったのだけど、最近は「だからなんなんだ?」という記事が多くてモヤモヤする。
悪意のある見出しをつけておきながら、内容はどっちつかずとか、おためごかし。
内容はあたりさわりなくても、悪意のある見出しによって悪評のみは拡散するからタチがわるい。
少し前に石破政調会長の娘の就職先について記事にしていて、記事の内容自体は穏当なものだったけど、見出しだけが一人歩きして、結果として記事をちゃんと読まない人たちへの印象操作になってしまった。
震災前なら東電に就職したら勝ち組といえたけど、今の時期に東電社員でいるのは針のむしろ。
それに、係累が就職したことによって企業に手心を加えたりした事実でもあるならともかく、そういう事実はないのに、誰がどこに就職したとか余計なお世話。
菅首相が東電社員を怒鳴りつけたことは首相にあるまじき言動で、それを批判するのに娘の就職先は関係ないはずなんだけど、結びつけて考えたがる輩に格好の餌を与えてしまった。

民主党政権誕生にあたっては、マスゴミの印象操作の影響も大きかったんだから、いい加減懲りてほしい。


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話は変わって週刊ポストの記事。
真面目に受け取るような記事じゃないといえばそれまでだけど。

女子フィギュア 裸体を連想させるセクシー過ぎる衣装は減点
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110510-00000002-pseven-spo

問題にするなら、文中で触れている選手の衣装よりも、バストトップが肌襦袢とか、薔薇ジャーとか、亀甲縛りのほうではないだろうか。
着ている選手があれなんでセクシーには見えないけど、下品な衣装であることは断言できる。
セクシーは容認できるけど、下品は耐え難いし、衣装を減点対象にするなら、セクシーよりも下品のほうをターゲットにすべきである。

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2011年5月 7日 (土)

書籍の電子化

昨年末、複合機を使って始めていたスクラップのスキャンは、一枚一枚読み取る遅さとカバーを開閉する作業のかったるさにより頓挫し、数ヶ月が経過していた。
それでも自炊セットを買うほどのことはないかなと思っていたのだけど、iPod Touchを使い始めて電子書籍を手軽に読めるようになったことで心境が大きく変化。
それと、引越しの際に本を置くスペースは確保したとはいえ、新しい本は増えていくし、やはりある程度の電子化は必要かな、と。
というわけで、このほどドキュメントスキャナと断裁機を購入。
ドキュメントスキャナは富士通のScanSnapのS1300とS1500で悩んだ末にS1500を選択。
S1300の読み取り速度は毎分8枚16ページで、複合機でパタパタとスキャンすることを思えば充分速いのだけど、S1500の毎分20枚40ページのスピードはやはり魅力だし、なによりADOBE ACROBAT STANDARD9が同梱されているのが決め手となった。
早速試してみたけど、これは速い。
ためこんでいたスクラップがあっという間に片付いた。
なお、断裁機はプラスのPK-513Lと定番の組み合わせ。

次は、旅行中・移動中に見たいもの、頻繁に読むわけではないけれど備忘録的においている本、汚れたり紙が劣化しつつある本などをスキャンしていくつもり。

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2011年5月 5日 (木)

ボルミオリ・ロッコ

とある休日の昼下がり、二杯目のミルクティをいれようとして、パックから牛乳を注ぐのを味気ないし、いちいち立つのも面倒に感じて、ふいにミルクピッチャーが欲しくなった。
がぶがぶ飲むためにたっぷり注げるやつを。
最初にイメージしたのは陶器製だったけど、雑貨屋でガラス製の使い勝手の良さそうな形のを見つけて、500mlと250mlを一つずつ購入。
小さいほうはシロップ入れに良いかなと。
買ってから調べて見たら、ボルミオリ・ロッコ(Bormioli Rocco)のビストロジャグというんだそうで、ヨーロッパのレストランやカフェで使われているものだとか。
たまたま前から生姜シロップを入れるのに使っている密閉ボトルも同じメーカーで、いわゆるブランド志向ではないけれど、なんとなく使っているものが偶然同じブランドのものだった、ということならよくあるかもしれない。

カプチーノ用のグラスも買ったけど、結構良いです。

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無謀な賭けか果敢な挑戦か、再び

Mr.サンデーが安藤美姫のフリーのリプレイでモロゾフ映像をたっぷり見せてくれたのはGJだけど、司会者がマオちゃんマオちゃんうるさくて辟易した。
「ダメでも大技に挑戦することを評価したい」とか、そういう擁護が件の選手をどんどんスポイルしてしまったのに。
彼女のこれまでの言動を鑑みるに、他人の賞賛を120%真に受けるタイプなので、過度な擁護はむしろ害になるだけだと思う。
一部の、綿密な作戦や安全策を低く見て、無謀な挑戦を持ち上げる風潮にも危うさを感じる。

本人以外はわからないくらいの調子の上下なら、大技に挑むことを「果敢」と評価してもいいけれど、げっそりとして見るからに筋力が落ちたとわかる状態で挑戦するのは無謀以外の何物でもなく、スタミナが取柄の選手なのにフリーは明らかにガス欠になっていた。
マスゴミは3Aの失敗のみをとりあげるけど、他のジャンプも良くなかったし、スピンもステップも精彩を欠いていた。

体調管理の失敗と無謀な賭けとえばトリノ五輪の安藤美姫と似た状況で、あの頃の安藤はあまりにも「普通の女の子」で、こういうタイプの子がいろいろな誘惑を撥ね退けてスケート一筋に打ち込むのは難しいんじゃないかと思ったこともあった。
良き指導者を得たことで、彼女の素直さや多感さ、女の子らしさが良い方向に活かされたけど。
信頼と努力の賜物。

一方、6位の選手にも当然のことながら復活のチャンスはある。
もともとの身体能力は高いのだから、少なくとも半年くらいは100%コーチの言うとおりにするくらいの覚悟で臨めば可能性はまだあると思う・・・と前にも同じようなことを言った気がするけど、問題は「コーチの指導を素直に受け入れる」という、他の選手なら誰でもやっていることが彼女にとってとてつもなく高いハードルであるらしく、一時的には従っても長続きせずに自己流に戻ってしまうこと。
以前は、矯正に取り組めないのは周辺の事情によるものかと思っていたけど、最近の言動や報道を見るにつけ、選手自身の性格が一番大きな原因なんだと思うようになった。
二度の世界選手権優勝と五輪の銀メダルは熱血少年スポ根漫画みたいな部分が幸いしたともいえるけど、今はむしろそれが成長を阻んでいる。

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2011年5月 2日 (月)

世界選手権エキシビション

放送時間はたっぷりあったのに、余計な編集を入れるフジテレビの意図がよくわからない。
JSportsでも放送していたけど、時代劇専門チャンネルの「元禄太平記」を録画していたため、見られなかったのである。
6月に再放送があるので、それを見るつもり。

で、フジテレビが放送した中で、ということになるけれど、エキシビションで印象に残ったのは、川口・スミルノフ組の「千と千尋の神隠し」、そして、安藤美姫の「Why do people fall in love」とアンコールの「レクイエム」、ザブチェンコ・ゾルコビー組の「ネッラ・ファンタジア」。
川口悠子の「がんばってと言われると辛い人にどうかなと思って」という言葉が心にしみたし、安藤の「レクイエム」はもう圧巻だった。

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世界フィギュアスケート選手権

安藤美姫選手、優勝おめでとう!!
ミスのなかったSPは優雅で繊細で素晴らしく、フリーはジャンプのミスが残念だったけど、世界女王に相応しい演技だった。
何かを演じるのではなく、技術と表現が一体になった「スケートによる表現」が素晴らしい。
もともとそういう方向性の選手なんだろうけど、得意なことばかりやらずに、カルメンとかクレオパトラ、サムソンとデリラといった物語性のあるプログラムを経験したことも、今の表現力につながったと思う。

2位のキム・ヨナは、SPの得点が出た時はちょっと首をかしげてしまったし、いろいろ言われているみたいけど、プロトコルを見れば納得できるし、銀メダルには充分値する演技だったと思う。
SPの衣装は「これでジゼル?」とは思ったけど、似合ってはいたし、ちゃんとジゼルを演じていると感じられる演技だった。
ジゼルの衣装というと、必ずと言っていいほどビスチェをつけた村娘風味になることには疑問を感じつつ、ではどういうのがジゼルなのかというと死の衣装くらいしか思いつかなかったりもする。
(その点、安藤美姫のカルメンの衣装は、カルメンの抽象表現として優れていたと思う。)
ジャンプ失敗のリカバリーも素晴らしい。(織田信成に爪の垢を煎じて飲ませたい)。
フリーも、一般に耳慣れていない人が多いであろう曲であそこまで見せるのは大したもの。

「牧神の午後」は大好きなプログラムなので、カロリーナ・コストナーの3位もうれしい。
今回はレオノワが表彰台に乗っているのも見たかった気がするけど。

8位の村上佳菜子は、得点が伸びなかったのはジャンプの回転不足によるけれど、プログラムが仇になった感じもする。
特にSPは、シニアデビューで若さをアピールするには良かったのだけど、世界選手権という舞台で見ると、ちょっと鼻についてしまう。
せっかく踊れるんだから、次はもっと正統派のプログラムで勝負してみてほしい。

もはや批判するのがお約束みたいになっているけど、6位の選手のSPの衣装、あれはなんなのでしょう。
全日本の薔薇ジャーも筆舌に尽くしがたい酷さだったけど、まだタンゴらしさを目指したんだろうとは思えたし、四大陸選手権は色使いに若干の疑問はあったものの下品ではない無難なデザインだったのに、なんでタンゴに亀甲縛り?
百歩譲ってプログラムがスパルタカスとかローマで、色が淡色系なら紐と布をあしらうデザインはイメージとしてわからないでもないけど(それでも亀甲縛りと股間のフサフサは意味不明だが)、タンゴを滑るのに亀甲縛りを持ってくるって、6位の選手及び周辺はタンゴをどういうイメージで捉えているのだろうか。

男子シングルは、好きかどうかと言われれば好きとはいえないけど、パトリック・チャンの優勝は文句なし。
特にSPは素晴らしかった。小憎らしいくらい。
「好きじゃないなー」と思ってみているにもかかわらず、文句のつけようがない演技であることがある意味すごい。
振付と選曲、衣装は総じて好きなので、目を剥くのをやめて、表情にもっと陰影が出ればもっと好きになれるのに。

銀メダルの小塚選手のフリーの演技は素晴らしかった。
3位のカチンスキーは美形で手足も長く、そのうえ個性も溢れていて、先が楽しみ。

ペアの高橋・トラン組も先が楽しみ。
ペアで上位の選手と同じ土俵にあがれるレベルの選手が出てくるなんて、うれしい驚き。

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