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2011年8月

2011年8月31日 (水)

Favorite Eternal Number

「Favorite Eternal Number」と「FEN 2」、聴きこめば聴きこむほど好きになってきて、もしかすると、ここ数年来に買ったアルバムで一番好きかもしれない。
いずれのアレンジも、原曲の良さは尊重しつつ、でも紛うかたなきオリジナリティがあって、もともと好きな曲は「この曲のここがいいよね」という部分をより鮮明に感じるし、知らなかった曲、そんなに好きだと思っていなかった曲も良さが伝わってくる。
「こんなきれいなメロディだったんだ」と。
そして、杉山清貴の歌唱力にあらためて感動。


「Favorite Eternal Number~Desperado」(黒いFEN)は、最初「Desperado」と「We are all alone」目当てだったけど、聴いているうちにじわじわと好きになったのが「Just the way you are」と「Open Arms」。
「素顔のままで」はもともと好きな曲だけど、オリジナルが好きなだけに違和感を感じたりするんじゃないかと思ったけど、まったくの杞憂でした。
グルーヴ感が限りなく心地よい。
「Open Arms」は・・・歌声に感動するっていつぶりだろう。
「FEN」が王道のAORカバーとするなら、「FEN2~明日に架ける橋」はそこからさらにもう一歩踏み込んで、杉山清貴と千住明の引き出しの多彩さを聴かせてくれる。
FEN2でじわじわきたのが「How deep is your love」で、ハモリ好きとしては一人ビージーズな部分のハモリがストライク。
同じ人の声なんだから相性がよくないわけがないんだけど、低音とファルセットのハーモニーがもう絶妙で、ファルセットの安定感がまた素晴らしい。
それから「Stairway to heaven」。
「えっ、これをやるの?」という思いきった選曲で、これは元バンド仲間ならではのこだわりの選曲かしら、なんて思ったりした。
この曲がなくてもAORカバーとしては秀逸だし、入れることはかなりの冒険だったと思うけど、挑戦する意欲が好き。
もちろん、意欲だけで終わってなくて、出来栄えが素晴らしいからこそなんですが。
こういう、カバー曲の「笑っちゃうくらい凄い」感じって、小野正利の「Fore Pure Lovers」の「ボヘミアン・ラプソディ」以来かも。

・・・と、3年も4年も前に出たアルバムを褒め称えずにはいられない今の私ですが、聴いていない時でも、ふと頭の中を流れたりすると、思わず口角があがってしまう。
カナル式ヘッドホンを装着したまま道を歩くのは方向感覚が狂って危険なので、歩行中に聴くのはこらえていますが。

それにしても、「自分が聴いた時が新譜」ではあるけれど、発売から3年も知らないままでいたなんて、己がアンテナの鈍さを深く反省中。
反省の印に、インターネットラジオを録音できるようにしました。
やっぱり音楽情報を得るにはラジオが必要かなと。

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Favorite Eternal Numbers~Desperado~

1. Desperado(Written by Glenn Frey&Don Henley)
2. Everytime You Go Away(Words and Music by Daryl Hall)
3. I'm Not In Love(Written by Graham Gouldman/Eric Stewart)
4. You're Only Lonely(Written by John David Souther)
5. Heart of Mine(Written by Bobby Caldwell, Dennis Matkosky&Jason Scheff)
6. Your Song(Music by Elton John and Words by Bernie Taupin)
7. Just The Way You Are(Written by Billy Joel)
8. My Love(Written by Paul McCartney/Linda McCartney)
9. Open Arms(Written by JONATHAN CAIN/STEVE PERRY)
10. We're All Alone(Witten by Boz Scaggs)


『Favorite Eternal Numbers II~明日に架ける橋~』収録曲

. All by myself / エリック・カルメン
. Alone again / ギルバート・オサリバン
. How deep is your love (愛はきらめきの中に) / ザ・ビージーズ
. A song for you / レオン・ラッセル
. Every breath you take (みつめていたい) / ザ・ポリス
. I just wanna stop / ジノ・バネリ
. You've got a friend / ジェームス・テイラー
. Baby come back / プレイヤー
. Stairway to heaven (天国への階段) / レッド・ツェッペリン
. Bridge over troubled water (明日にかける橋) / サイモン& ガーファンクル

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2011年8月23日 (火)

ただいまのマイブーム

節電と35度越えの暑さが続いた時に、杉山清貴を何曲かダウンロードしてみた。
定番のMY夏歌のプレイリストはあるんだけれど、比較的ハスキーボイス系の声質の曲が多いので、透明感のある声が聴きたい気分だな、と。
久しぶりに聴いてみたらば、やたらとカッコいい林哲司のメロディとアレンジ、言葉を練りつつ耳にすっとなじむ康珍化の歌詞、杉山清貴のストレスのない歌い方と声が、暑さに疲れた頭と体に心地よいです。
「Summer Suspicion」のサビとか、「ふたりの夏物語」の「オンリーユー」に入る前の絶妙な間とか、なんなの、このカッコよさ。
杉山清貴の歌は昔から上手いとは思っていたけれど、重厚なボーカルをより評価していた時期があったりして、軽やかにストレスなく唄うということの凄さをちゃんとわかっていなかった。
でも、今聴くとしみじみ上手いわーと思う。

現在はどんななんだろう?と思って動画を見てみたら、見た目は変化していたけど、声量と歌唱力を維持してるじゃありませんか。
最近はアコースティックにアレンジして演奏することが多いみたいだけど、オリジナルのアレンジで唄っても歯切れのよさはかわらない。
年をとると「タメて」唄うようになる傾向への不満を以前のエントリーに書いたことがあるけれど、年をとってもためずに唄えるなんて貴重です。
「君のハートはマリンブルー」は、今の声のほうが心にしみるけど、これもアップテンポの曲を以前と変わらずに唄う力があるからなんだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=vA-E3_6STI0&feature=related

というわけで、唐突に杉山清貴祭りに突入。
オメガトライブやソロのオリジナル曲と共に「FEN」「FEN2」という千住明プロデュースの洋楽カバーアルバムをへヴィーローテーションで聴いているところ。
千住明の曲は「風林火山」がiPodに入っていて、ここ10年の大河ドラマのテーマ曲では一番好きだったりする。

洋楽だけでなく、「あの日にかえりたい」のカバーも素敵なので、是非カバーアルバムを出してくれないかしら。
声質に恵まれた歌唱力の高い人は積極的にカバー曲を出す義務がある、とカバー曲好きは主張してみる。
http://www.youtube.com/watch?v=pWrmxDuBcfo


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おりしもNHK-BSの「J-POP青春の'80アンコール」で、「ふたりの夏物語」と南佳孝の「モンロー・ウォーク」が連続して流れたので、まるで私のiPodのプレイリストみたいと喜んでしまった。
「モンロー・ウォーク」を原曲とほとんど同じアレンジで聴くことができたのもうれしい。

詞と曲と演奏のトータル・パッケージとしてのポップ・ミュージックは80年代がある意味ピークだったかもしれない。
もちろん、そこから発展したり変化したりしながら、J-POPは連綿と続いているのだけど。

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ポップ・ミュージック

「イカ天」が一世を風靡したり、ジャニーズにもバンドの形態をとっているグループがいたり、さらに古くはグループサウンズとか、日本のポップミュージックにバンドの存在はかかせない。
ザ・ドリフターズ、クレイジーキャッツといったお笑いの大御所も、もともとはプロのミュージシャンだった。
「楽器が上手いこと」「自分で演奏すること」、「自分で曲を作ること」をリスペクトする風潮が日本にはある。
ロック畑の人がバックバンドに入ったり、ニューミュージック系の人がエンターテインメント色の強いステージをやったり、アイドルに曲を提供していくうちに両者の垣根がなくなって、今に至る。
かつての歌謡曲とニューミュージック、それからロックもひっくるめたのが今のJ-POPという呼称。
アイドルもダンスユニットも、あくまでもその一部なんですけどね。

個々の歌手やグループをプッシュするのはともかく、K-POP(韓国のポップス)と呼ぶからには、口パクのダンスユニットだけでなく、「超絶ギターテクニックを持つロックバンド」とかシンガーソングライターとか、もっといろいろいないと変なんじゃないの?と思うわけである。

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2011年8月17日 (水)

スカパー!e2

昨年引越した時に、屋外へのアンテナ設置に問題が生じたためスカパーを解約。
一応、110度CS対応BSアンテナを物色したりしたけれど、新居ではCATVがただで見られるので購入にはいたらず、むしろ固定費が減ったことに満足していたといってもいい。
そう、鈴木隆行がJ2水戸に入団するまでは。
CATVの契約パックは映画と海外ミステリーと大河ドラマの旧作を見る分にはまったく不自由がないし、サッカーもJ1の試合は視聴できるのだけど、J2はごくわずかしか見られないんである。
なんとかしたいと思っていたところ、アンテナ用のスタンドの存在と110度CSアンテナを室内に置いているケースを知って、居てもたってもいられずにアンテナを購入し室内設置を試みた。
窓際の窓枠がかぶらない場所においてアンテナの角度を合わせてみたら、以前使用したことのある室内用BSアンテナとは比較にならない高感度で、BSもCSきれいに映る。
カーテンを閉めても大丈夫。
スカパー!e2を申し込み、無事に試合と勇姿を見られるようになりました。
うれしい。

今回のアンテナの室内設置におけるポイント
・南西45度に高い建物がないこと
・網戸NG
・窓枠NG
・窓ガラス・カーテンは無問題

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メロディ

ずいぶん前になるけれど、中国語の勉強をしていた時に、ヒアリング練習も兼ねて主に香港の歌手によるJ-POPの中国語カバーを聴いた時期があった。
その時、アルバムに収録されているカバー以外のオリジナル曲も一応聴いてはみたのだけど、香港は日本以上に洋楽との接点は多かったはずなのに、なぜだかオリジナル曲は軒並み演歌調。
それまで思っていた以上に自分がJ-POPのメロディに愛着を感じていることがわかったし、日本の西洋音楽を咀嚼して再生する力って捨てたもんじゃないな、と思った。
明治期に滝廉太郎、山田 耕筰(ポップスじゃないけど)を輩出しただけのことはある。
「フランス語が好きだけどJ-POPのメロディで聴きたい」というのがクレモンティーヌのカバーを愛聴している理由の一つだったりもするし。

音楽って、なんだかんだいってもメロディに尽きる。
特定のアーティストを好きになるにしても最初は「この曲、誰が歌っているんだろう?」というところから入るし。
好きな曲が数曲あると、次は「この人(グループ)っていいな」と思うようになり、好きなアーティストの含有率?が高くなるとジャンルとして好きになる。
J-POP、洋楽、FUSION、クラシックと、それぞれ「好きな曲が多い」という点では好きなジャンルといえるけど、当然全アーティスト・全曲を知っているはずもなく、すべてを好きなわけがないのは言うまでもない。

・・・と、ものすごく当たり前のことを言ってるけど、K-POPがJ-POPを凌ぐほどにポップミュージックとして人気があるのなら、もっと曲そのものにスポットライトがあたるはず。
でも、「流行っている」「人気がある」という報道だけはよく見るのに、メロディどころか曲名すら耳に入ってこないのが不思議なのです。
歌番組を見ないとはいっても、好き嫌いを問わず流行しているものはとかく「耳につく」ものだし、韓流に興味がなくても「冬のソナタ」のピアノ曲は聞けば「あ、冬ソナ」と思うくらいには認識したものなのに。
韓流ゴリ押し騒動で、韓流を「よう出来てる」と擁護した芸能人も、どこがどういうふうに「よう出来ている」のかは語ってなくて、K-POPが具体的に褒められたのを見たのはダンスについてくらい。
ダンスは音楽と切っても切れないものだけど、POPと名乗る以上はまず音楽ありき、だから。

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2011年8月12日 (金)

太陽に灼かれて

観てから10日あまりが経ってしまいましたが、舞台「太陽に灼かれて」の感想を。

スターリン粛清下のソ連は陰惨で、これまでは意識的に避けていたため、知っていることはとても断片的。
子どもの頃読んだ少年少女文学全集のレーニンの伝記、中公文庫の世界の歴史、NHKのドキュメンタリー、初期のチャーリー・マフィンシリーズなどから得たソ連時代のロシアの知識とチェーホフの記憶に総動員をかけながらの鑑賞。

鑑賞後、「面白かったー」と発散・昇華するのではなく、心の中になにがしかの思いを抱えて帰途につくような、そんな舞台。

ミーチャ役の成宮君はとにかく端整。
オフホワイトのスーツを身に着けた立ち姿だけで、元貴族階級と感じさせる佇まい。
白いスーツは、以前に戦中・戦後のドラマでも着ていたけど、今のほうが似合っている。
何かを隠しているんだけど、隠していることが露になりすぎないところが良かった。
4年前よりも発声と滑舌、声のコントロールが格段に良くなっていて、正直驚いた。

水野美紀のマルーシャはとにかくきれい。
アクションができるから動きも美しい。
甘えた感じのしゃべり方なのに、ちゃんと台詞が通って聞こえて、舞台向きの声質なんだと思った。


コトフ大佐の鹿賀丈史は初盤は肩の力を抜いた感じで、台詞が聞き取りにくかったけど、終盤の迫力はさすが。
ただ、役としては叩き上げよりはエリートのほうが似合うと思う。

ナージャ役の美山加恋ちゃんは、まさに可憐。

竹内都子のモコヴァがコメディリリーフで良い味出してました。


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スターリン粛清下の話というと、「狭苦しいアパートで肩寄せ合って」という絵が思い浮かんでしまうけど、チェーホフを髣髴とさせるのんびりとしたブルジョワ家庭の生活描写から物語は始まる。
セットがきれいで、川遊びの場面は、ほんとに戸外にいるように思えるくらい。

舞台の冒頭でコトフ大佐は「俺たちは選ぶことができるんだ」と言う。
コトフは心からそう信じていたんだと思う。
この時点では。
そして、ミーチャにも選択肢があったと思っていたし、だから、自分の命令によりミーチャが失ったものの大きさを理解していなかった。
自分の身に粛清の波が及んだことを知るまでは。

中国の文化大革命もそうだけど、多くの人の生死さえも分ける決定が、独裁者の感情で決定され得るシステムが作られてしまうことが恐ろしい。

台詞から、ミーチャはマルーシャよりもかなり年上であることがわかるけど、その年齢差は物語の中で意外と大きな意味を持っているように感じた。
マルーシャの家族(娘と夫以外)は、オペラや文学、ダンスなど、革命で没落する前の価値観で生きている。
ミーチャが成人したのもそういう世界。
でも、マルーシャの場合、革命が起きたのはまだごく若いうちだったから、家族やミーチャほどには古い世界に対する郷愁はない。
だからコトフともうまくいっているし、娘のナージャは革命後の新しい価値観の中で育った子。
そういうことも含めて、ミーチャの喪失感につながっているのかなと思った。

なお、役者の実年齢では、水野美紀は成宮君よりも上だけど、ほとんど違和感がなかった。
舞台だからというのもあるけど、最近のテレビは実年齢を気にしすぎると思う。
だからって、20歳過ぎの女優に10歳の役はどうかと思うけど。

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旅行でフランスの宮殿や城を見に行くと、「フランス革命で破壊されたり略奪されたりしたのを復旧した」という説明に行き当たる。
物理的な破壊があったということは、人も損害を受けているわけで、革命を背景にした物語を見るにつけ、なぜ破壊せずには済まないんだろうと思う。
微調整・微修正でいいのに。

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2011年8月 1日 (月)

その後の携帯電話で健康管理

i-Bodymoの試用期間が過ぎようとしています。
パケホーダイに加入しているので通信料がうなぎのぼりになることはないものの、食事を入力・検索するのにいちいち接続するのは面倒だし、パケット通信料も安いに越したことはない。
月額使用料の157.5円くらいは負担じゃないので一応継続はするつもりだけど。
バーゲン価格でダウンロードしたiPod touchのカロリーマスターは、食事情報の検索をオフラインで出来て、なかなか使えそうなので、これと併用してみようと思う。
歩数の測定は携帯で、食事その他のデータ入力と管理はiPodで。

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境界線

韓流ごり押し批判についてネットでずいぶん騒いでいるなーと思っているうちに、高岡蒼甫が事務所をやめて、さらに大きな騒ぎにと思わぬ展開。
ごり押しにストレスを感じている人が多かったことを実感。

ただ、「韓流偏重にウンザリ」はまったくもって同感ではあるものの、高岡蒼甫の言動については、社会人としては肯定しかねる点もあります。
内容ではなく表現の問題なのだけど。
俳優がテレビ局を名指しで批判するという行為は、一般企業でいうなら上得意を批判したのと同じだし、Twitterで発言するにしても、せめて具体的なテレビ局を挙げるのを避ける配慮はすべきだった。
それは、テレビ局のためでもなく、自分のためでもなく、周囲をまきこまないため。
一本気な性格のようだから自衛については考えることを潔しとしなかったのかもしれないけど。
それと、実際問題、韓流偏向はフジテレビだけのことでもなく、個人的には、受信料を払っているNHKのほうが気になるし。
・・・というわけで、高岡蒼甫には100%の共感とはいかなかったけど、ふかわりょうの発言は、内容も表現も簡潔かつ的を射ていて、ほんとにスッとした。

http://www.cyzo.com/2011/07/post_8072.html

また、「ある局が、お金をもらってるからK-POPのCMをバンバン流そうっていうのと、番組の中で取り上げるのは、決定的に違うと思うんです。CMだとしたら、視聴者はCMとして受け止めるけど、番組の中で取り上げるっていうのは、世の中の現象がこうなっているかのように、現象を偽造してるんですよ。そこに僕はメディアの重大性というか、大事な境界線があると思う」とし、「テレビは時代を映すものではなくなった、完全に終わったなと僕は思いました」と語った。


それにしても、韓流を擁護する人がわらわら沸いているのが可笑しい。
それも、いっぱしのジャーナリストや学者が、論点がズレたことをつぶやいて。
韓流になぜ興味がないかを問われれば理由はいくつも挙げられるけど、今回の一連の流れは、あくまでも「日本のテレビ局の韓流ごり押しに対する批判」であって、韓流自体の善し悪しは論点になっていないだろうに。
韓流に限らず、流行っている実感がないものを、メディアが流行っているかのごとくもてはやすことに違和感や抵抗を感じる人は少なくないと思うし、最近のテレビ局の韓流押しは度を越している、という話です。
で、「見たくなければ見なければいい」を実践しているにもかかわらず、情報が耳目に入ってくるから不快なんである。
情報番組の話題の振り方の無理やりな感じとか、全然関係ない話の流れの中でひな壇タレントが唐突にK-POPの話を振るのを何度も見たら、そりゃ「なんか変」と思うでしょ。
これをごり押しといわずになんという。

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(追記)
某メーカーのアマゾンのレビューがすごいことになっているけど、韓流ゴリ押しにはホトホト嫌気がさしているので、それを一過性のヒステリックな感情とは思われたくないかな。

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