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2012年1月11日 (水)

不可解な大河ドラマ批判

兵庫県知事が「平清盛」を酷評して、改善を申し入れると発言したことに対して批判が寄せられたようで、ホッとしている。


去年の大河は初回で見放したけど、それは私が同じ脚本家の「篤姫」に怒り心頭だったからであることは言うまでもない。
「篤姫」は、初回から「この姫が日本を救う」というトンでもナレーション、初対面の若者相手に死罪相当の犯罪を告白する口の軽い調所笑左エ門と、視聴放棄にはじゅうぶんな理由がありましたが、不安を抱えつつ様子見の姿勢をとったし、ヒロインが姫に見えないことについては、姫君教育とのコントラストを狙っているのだろうと前向きに解釈するくらいの寛大さはあった。
結局、見事に裏切られて「してやったり」顔を見るたびにイライラするようになったけど、スタート時点は宮崎あおいをそんなに嫌いじゃなかったし。
「天地人」も最初の頃は良い面を見ようとはしていた。

で、槍玉にあがった画面の汚さだけど、「龍馬伝」はさすがにちょっと汚しすぎだと思ったけど、「平清盛」は武家と公家の対比が狙いであることはあきらかで、宮中や貴族はちゃんと雅に描いている。
舞子射殺の場面でも、庭の白い砂と衛士の衣装の色が鮮やかだったり。
これで宮中がきれいじゃないとか、徳子入内のあたりでまだ汚いままとかなら、その段階で批判が起こるのはわかるけど、初回から酷評するのも、またその内容もどうかと思うし、「改善を申し入れる」って、これはもう噴飯モノ。
政治家がドラマの演出に口出しするな。
鑑賞眼がないうえに、政治家としての見識も欠けているようです。

抗議というなら、滋賀県(江)、新潟県(直江兼続と上杉家)、小松帯刀の子孫こそ抗議しても良い、むしろ抗議してくれと思ったけど。


それにしても、「平清盛」は初回の視聴率がふるわなかったというだけで条件反射みたいに批判記事が出たのに、去年の「江」は小谷落城あたりで既に失笑モノだったのに、内容の酷さに比して批判記事が少なかったのが非常に不思議。
批判記事が出たと思うと主演の上野樹里バッシングで、肝心なプロデューサーと脚本家はスルー。
後半に入ってからはボチボチ出始めたけど、大方は「脚本が酷いのは前提として」と脚本批判をせずに出演者を批判したりしていた。
なんだか不自然。
前提になるほど酷いのなら、脚本も批判しましょうよ。

一般週刊誌などのドラマ関連の記事って、書き手の文章からドラマそのものへの興味が感じられない。
どうも、書いている記者自身がドラマが面白いかつまらないかの判断がついていないような記事が多い。
興味が無いからわからないし、わからないから視聴率などの数字に頼った記事を書き、三文レビューを鵜呑みにするんじゃないかと。今井舞とか今井舞とか今井舞とか
一般週刊誌の場合、「わからないおじさん向け」というスタンスなのだろうけど、わかってない人がわからない人に向けて記事を書いてどうする。

録画機器が浸透した今、リアルタイムの視聴率からはドラマへの関心の強さは測れないと思う。
ほんとうに見たいドラマなら「録画してあとでゆっくり」ということも多いから、視聴率はあてにならない。
「家政婦のミタ」が高視聴率だったのは、「録画するほどではないけど展開が気になる」ドラマだったからだと思う。
で、そういうドラマがあってもいいけど、右へならえする必要はない。特に大河ドラマは。

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