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2012年1月 8日 (日)

N氏とS氏

BS-TBSでスタレビのライブのダイジェストを見た。
「木蘭の涙」のバンドアレンジバージョンを本当に久しぶりに聴いて、やっぱり好きだなと思う。
声量や歌い方の不満がすべて解消されたわけではないけど、バンドアレンジの骨太な声の出し方が好き。
アコースティックアレンジの時は柔らかく出そうとしているんだろうけど、なんか違うと思うんである。
「今夜だけきっと」は、杉山清貴とデュエットした薬師寺ライブがここ15年で最高だと再認識。
要さんがボーカルをとっているパートも、低音部に杉山清貴の声があるとものすごく安定して聴こえる。

で、相変わらずヘビーローテーションで杉山清貴を聴いていますが、オメガトライブよりもソロの曲のほうが微妙に歌いやすそうに聴こえるので、やっぱり自分の曲のほうが声を出しやすいんだなと思ったり。
といっても、一概に歌いにくいのがよくないというのでなく、歌手生活のスタート時に他人の作った曲(それも極めてハイクォリティの)を歌ったことは、可能性を広げるためには大きな経験だっただろう、ということが言いたいのですが。


某掲示板ではス☆レビさんの新旧ファンが昔の曲と今の曲のどっちが良いかで議論していたのを見ていて、初代キーボード脱退の時も「喧々囂々というか、侃々諤々というか」な状況だったなーと、ちょっと遠い目。
私は打ち込みよりも生音のほうが好きなので、4人になった時にライブ寄りのスタンスが強まったことを、その時は手放しで歓迎したんだけど、その後「ライブのためのアルバム」に傾きすぎたことで考えに変化が。
レコーディング技術の粋を極めて作ったアルバムがあってもいいかな、と。
「ライブでどう演奏するのか見てやろうじゃないの」みたいな。
「ボヘミアン・ラプソディ」みたいに完全再現不可の曲があってもいいわけだし。

プロの作曲家はこの限りではないけれど、いわゆるシンガーソングライター--「自分の曲を自分で歌う」スタンスのミュージシャン--において、その歌唱力は作る曲に影響する、ということは言えるんじゃないかと思う。
自分が出しにくい音域、歌いにくい節回しは無意識に避けようとするだろうから、声の劣化は作る曲にも影響が出るんじゃないか。
もともとが凄い声の持ち主だったなら、なおのこと影響は大きいだろうと。
タイプの違う曲を書く三谷さんの存在は、ボーカリスト根本要の可能性を押し広げただけでなく、ソングライター根本要にとっても刺激になっていたのかもしれない。

漫画「テレプシコーラ」に「振付師は自分が踊れる以上のものは振付けられない」という言葉が出てきて、ジャンルの違いはあるけれど、音楽にもあてはまると思うのです。
リストだって自分で演奏できなかったら、超絶技巧曲を作らなかったかもしれないし。


・・・というようなことをつらつらと考えたりしていたので、某掲示板で「杉山清貴は自分の声質や音域を軽視した曲を作る」云々という、やや批判的なスタンスの意見を見た時は、可能性を広げるという観点からすれば、それってむしろ良いことじゃん、と思ったんでした。
歌い手としても、曲の作り手としても。
そもそも、歌いこなしているんだから軽視していることにはならないけど。


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(音楽の)ファンって、好みもスタンスも多種多様でいろんな人がいるけど、基本的な関心事はシングル及びアルバムの内容とライブの満足度に尽きる、と思う。
甘口だったり辛口だったりと切り口も意見もいろいろだけど。
そんな中に、曲の善し悪しもしくは好き嫌い、声の調子、ライブのあれこれ等には一切触れず、ひたすら売り上げとか人脈とかについて語っているのを見かけると異質だなと思う。
ファンがマーケティング的切り口で語ることもあるけれど、それとは明らかに違う、完全なギョーカイ目線。
ファンにとって大事なのは自分が好きか嫌いかだから、売れる売れないって主要な関心事じゃないので、ものすごく浮いて見える。
好きなアーティストの曲がヒットするのはうれしいし、「どうお?」という気持ちにはなるから、まったく興味が無いとはいわないけど。

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