« 2015年1月 | トップページ | 2015年4月 »

2015年3月

2015年3月31日 (火)

フィギュアスケート世界選手権2015

女子シングルは、優勝したタクタミシェワがトリプルアクセルに挑戦して成功。
他のジャンプも成功した上でのトリプルアクセルだから意味があるし清清しい。
過去に伊藤みどりが成し遂げていたことではあるけれど、一時期おかしなことになっていたのでね。
日本の女子は宮原が銀。
本郷、村上もまずまずの成績だし、樋口新葉もいるし、日本の女子は楽しみじゃないですか。

羽生の「持ってる感」からつい連覇を期待してしまったけど、腹部の手術から3ヵ月足らずで銀という結果は素晴らしい。
フェルナンデスもいつかは優勝すると思われていた実力者だし。
というか、昨シーズンの初めはパトリック・チャンとフェルナンデスが抜けていて、羽生がどこまで迫れるかと思っていたのですね。その後の五輪金と世界選手権優勝で忘れていたけど。
羽生もフェルナンデスも音楽との親和性がずば抜けているけど、たとえるならば羽生は楽器を奏でるようなスケートでフェルナンデスは歌うようなスケート。

エキシビションで、羽生とフェルナンデスが後輩のグエンに四回転の無茶振りをしていたのがやんちゃで可愛かった。

アメリカのジェイソン・ブラウンの4位という結果を見て、あえて四回転をはずして完成度を狙うのも戦略としてはありかなーと思った。
あくまでも選手側の選択肢の話で、四回転に挑戦するメリットを減らせとは全然思わない。
大技にこだわりたければこだわればいいし、スケーティングが得意に選手はそれを最大限に活かせばいい。
ただ、大技挑戦がギャンブルになるのはよくないかなと。
パトリック・チャンは確実に決まるようになるまでは試合では跳ばなかったし、羽生にしても、四回転以外に得点源となる武器があるから跳んでいるわけだし。
できれば、ジャンプの点数はそのままにスケーティングスキルがもっと得点に反映される採点システムになればいいな。
演技構成点の一部ではなく、スケーティングスキルを単独の項目にしたらよいのに。
だからといってコンパルソリーの復活までは望まないんだけど。


データ放送で技術点の詳細を見られるし、技術的な解説がますます充実してきて喜ばしい限り。
それなのに、相変わらずすっぽ抜けのほうが転倒よりも減点が大きい(というか得点にならない)、総合順位はフリーとSPの合計という基本的なことを知らずにあーだこーだ言う人が後をたたないのはなんとかならないものか。

それと、↓の記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150329-00000080-spnannex-spo
プロの指摘は参考になるし、ジャンプ以外も本調子ではないと感じる部分もあったから、全体的には納得のいく内容なんだけど、「手抜き」という表現はいただけない。
「本来の動きでなかった」ことと「手抜き」は全然違う。
NHK杯の時といい、批判記事が出るのはある意味健全なことなんだけど、タイミングや対象の偏りにモヤモヤする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年3月23日 (月)

イミテーションゲーム

さほどの前知識もなく、「シャーロック」のベネディクト・カンバーバッチがエキセントリックな天才を演じるなら面白いだろうというくらいの気持ちで見に行ったのだけど、期待をはるかに越える面白さ。

ストーリーは「エニグマと天才数学者の秘密」という日本語のサブタイトルのとおり(サブタイトルのつけ方自体には異論があるが)、ドイツの暗号エニグマの解読が物語の核となっていて、その経緯ももちろん面白いのだけど、映画を見終わるとアラン・チューリングその人が気になって気になってしかたがない自分がいました。
コンピューターの概念を創った、文字通り「コンピューターの父」である人の、晩年の境遇と41歳というあまりに早すぎる死に胸が詰まります。
まあ、電子工学とか情報工学では超有名(大学では必ず学ぶ)らしいので、エニグマ解読の事実が隠されていた以外の功績は認められてはいたのだけど、もっと一般に認知・評価されて当然な人なのだなと。
なにしろ、現在私たちが享受している生活の利便性の多くを担っているテクノロジーの原型を作ったわけだから。
パソコンもスマホもチューリングなくして産まれなかった。

コミュニケーションが苦手で学生時代はいじめられるし、暗号解読チームでも孤立して、チューリングには今で言うアスベルガー症候群を思わせる部分もあるのだけど、必要になれば首相に手紙を書いたり(そして自分の意見を通す)、同僚とその親を説得したりと、処世術や如才なさをまったく持ち合わせていないわけでもないところが面白い。

それにしても、英国では同性愛が法に触れて懲役刑に当たるということは映画「オスカー・ワイルド」で知ったのだけど、あくまで19世紀のことだと思っていて、まさか50年後の、20世紀も半ばを過ぎた時代になってもそんな法律が残っていたとは思わなかった。
しかも選択肢の一つがホルモン投与なんて、かえって残酷になっているし。
ホルモン投与などされることなく、健康体でいられたら、更なる功績を残すことができただろうに、悪法も法とはいえやりきれない。

切ない話の中で救いになったのがジョーンがチューリングに言う言葉。
「あなたが普通じゃなかったから世界はこんなに素晴らしい」
この言葉と場面を思い返すたび涙が出てきてしまいます。
ここ何年か、好きな場面のある映画はあったけど、引用したくなる台詞が出てくる映画って久しぶりな気がする。

チューリングを演じたカンバーバッチの演技はとにかく素晴らしいの一言で、映画の尺も内容もキャラクターも違うけど、主人公の描き方・掘り下げ方に「アラビアのロレンス」をちょっと思い出した。

アラビアのロレンスはアラブ独立闘争中に遭遇する出来事や移り変わる政治情勢に神経をすり減らしていく経緯がドラマティック。
チューリングのエニグマ解読の功績はつい最近まで隠されていても、解読チーム解散後も順調に意欲的に仕事をしていたし、学者として順調に過ごしていたので、そこのあたりは大きく違う。
暗号解読機開発には妨害も障害もあったけれど、それによってチューリングの神経が痛め付けられたわけでもない。
少年時代のエピソードもこの人の少年時代にこんなことがあったのね、という描写で、もちろん大人のチューリングにつながる話ではあるけれど、少なくとも「少年時代にこんなことがあったトラウマでこうなった」的な描き方ではなかった。
ぎこちなかったりはしても、それなりに充実していたのだと思われる。
現代なら、いえ後10数年後ならば罪にさえならない同性愛の罪で逮捕され、ホルモン投与という物理的な影響に心身が損なわれるまでは。
だからこそ、早すぎる死に胸を衝かれ、やりきれなさを感じるのです。
前述のジョーンの台詞は、チューリングに向けているとともに、観客が感じるやりきれなさを救うものでもあるかもしれない。

第二次世界大戦から戦後10年くらいの英国の時代背景の説明も過不足なかったと思うけれど、アガサ・クリスティとジャック・ヒギンズで脳内補完した部分もありました。
クリスティだと「NかMか」、ヒギンズだと「鷲は舞い降りた」あたり。
「NかMか」では主人公トミーとタペンスの娘が軍の暗号解読部署に配属されるので、当時から女性の活躍の場があったんだと思っていたのだけど、ジョーンが最初は他の部署にいたりと、暗号解読チームに加わるには男尊女卑の壁があったというのが意外でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

急がばまわれ

仕事の悩みで気分がふさいでいたのが、ようやく少し復活してきたところ。
気鬱の原因は非効率的な作業手順を強いられたこと。
それなりに分量もあり手間もかかるけど、仕事自体は決してイヤじゃない。
でも、ただでさえ手間のかかることを「無駄の多いやり方」でやらされる状況に陥ったのがストレスの元に。

仕事は往々にして「急がばまわれ」であることが多く、どうしても省略できないこと、しちゃいけないこともある。
そこのところの見極めがキモなんですが、省略してはいけない手順を省略されてしまったせいで、逆に作業量が増えて心身共に疲労困憊。
必要な作業を省略するのは効率化じゃなくて、ただの面倒くさがりだっての。
事前に相談でもしてくれれば、省略は無理でも作業を軽減する方法くらいはひねり出して提案できるのに、一方的に仕事を振ってきたのでそれもできなかった。
こうなることがわかっていたら「転ばぬ先の杖」をつきまくったのに、初めての仕事だったので不覚を取ってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ツアー最終日

杉山清貴ツアーの最終日、関内ホールへ行ってきました。

目的地に着いた時間が中途半端に早かったので、会場の近くの神奈川県立歴史博物館でしばし時間つぶし。
歴史的建造物の中に入るだけども楽しいけど、展示内容に見ごたえがあったので、予想以上に有意義な時間を過ごすことができました。
常設展の充実振りが素晴らしい。
もう少し早く行っても良かったかも。


さて、ライブ。
今回の選曲はバンドとボーカルの醍醐味が味わえて本当に大好き。
特に「Stormy Nightの向こう側」は、ロックのリズムやビートと声楽の超絶技巧曲を聴く時に感じる生理的快感を両方味わえる。
「魔笛」の「夜の女王のアリア」とか「椿姫」の「花から花へ」あたりを聴く時の感覚にちょっと近いかも。
美声と技巧とエモーショナルな表現力の素晴らしき融合。
会場限定のスタジオセッションCDも良いけれど、やはり生で聴くのは格別です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年3月 1日 (日)

杉山清貴 Live tour 2015

2週間が経過しましたが、中野サンプラザのライブに行ってきました。
選曲もアレンジもロック色が強くて「バンドの音を聴かせたい!」っていう感じでカッコよかった。
「Stormy Nightの向こう側」の「ロンリーワァァァァーン」のところでは鳥肌が立ちました。
「僕のシャツを着てなさい」は葛飾でも歌っていたけど、今歌いたい曲なんだろうか。

会場限定販売のスタジオセッションCDからは「Stormy Nightの向こう側」、「My Girl」、「Midnight Confusion」をヘビーローテーションで聴いています。

グッズ売り場の混雑で開演時間に遅れそうになったけど、CD単品だけ買いたい人といろいろ買いたい人向けに売り場を分けてくれたらいいのに。
サンプラザはロビーのスペースが狭いから余計に混雑したのかもしれないけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

R.I.P.

後藤浩輝騎手死去。

インタビューやバラエティのおふざけに苦笑したりもしたけれど、騎乗に対しては真面目で向上心があっ結果も出した騎手でした。
一見ふざけたパフォーマンスも競馬をアピールするためだったし。
リハビリ中に出演した競馬中継では声の良さ・歯切れのよい口調・適確な解説と解説者としても有望な面を見せていたし、怪我から復帰した後も早くに結果を出していたから「何故」という思いが強い。というか「何故」しかない。

週末の出馬表の騎手欄に名前を見ることがもうないのだと思うと寂しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誤解を招く表現

騒がれている曽野綾子の産経新聞のコラム、例に南アをあげているのは気になったけど、「生活習慣の違う者が一緒に住むのは難しい」という主旨は理解できたのでアパルトヘイト支持とは思わなかった。
その後ネットでの騒がれようを見て、自分の読み方が浅かったのかと思ってもう一度読んでみたけど、やはりその意図はないことを再確認。
ただ、居住区を分けることの例として挙げるのなら、(批判に対する反論の中で挙げた)リトルイタリーとかリトルトーキョーを最初から例にとっていればここまでもめなかっただろうし、やはり南アとか人種を持ち出してしまったのは不適切だと思う。
新聞が「強制的アパルトヘイト支持」と批判するのは「読解力ありませんよ」と言っているようなものだけど、一般読者向けには誤解を招く表現は極力避けるべきだったと思う。

スキマスイッチのライブMC騒ぎのほうは、よくあるTwitter騒動かと思っていたら違っていた。
地方のコンサートでのご当地ネタはつきものだけど、店名を出してネタにするなら持ち上げる方向で話すものだと思っていました。

耳に入れば不愉快に思うであろうことを件の料亭の女将にわざわざ伝えた人のデリカシーのなさもアレだけど、店名を挙げて揶揄する内容のMCというのも聞いたことが無い。
「残念な話題」として話すのなら、別の土地のライブで「実名抜きで」話せば誰も傷つかないし、ご当地ではなく遠隔地なら、よしんば店名を挙げたとしても観客にとっては「何ソレ」だし、わざわざ店まで行ってご注進されることは避けられたのに。(観客のリアクションが欲しいから実名を挙げたのだと思うけど)
コンサートのMCなんて曲紹介とメンバー紹介だけでも事足りるのに、ウケ狙いで人を不愉快にしては意味が無い。
で、こっちは話の内容そのものが不適切なので、事務所の「誤解を招く表現で」という謝罪は的はずれ。
「人のおごりで店に文句を言うな」が教訓か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自称するのは自由だけど

先日、テレビ出演した浅田舞の肩書きが「プロスケーター」になっていた。
名乗るのは自由だけど微妙。
全日本選手権だったかで織田信成・鈴木明子と並んでゲスト席に座っていたのも微妙なら、スポーツバラエティで村主章枝と並んでいたのも微妙。
最近では安藤美姫とタレントとして競合しているみたいな記事が出たけど、これも微妙。
そもそも前述の3人との比較でも浅田姉ははるかに格下なのに(現役時代の成績においてもプロスケーターとしても)、世界選手権優勝2回でアイスショーで飛び回っている安藤美姫と同列に並べるのはもはやフィギュアスケートに対する冒涜です。
浅田姉本人が肩書きでプロスケーターを名乗っている以上、そこのところは線引きしてもらわないと。

去年だったか、NHK教育の本田武史のスケート講座に浅田舞がアシスタントとして出ていたのを見たけど、ジャンプ一つ跳ぶわけでなく、課題のダブルアクセルも本田武史が跳んでいて、なんのためにそこにいるのかわからなかった。
この手の番組のアシスタントって生徒に模範演技を見せることも役割の一つじゃないのかと。

いわゆる男性向けメディアに安藤美姫バッシングの記事が出るタイミングとか内容が微妙なのが不思議なのだけど、どういう狙いがあるんだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年1月 | トップページ | 2015年4月 »