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2015年8月10日 (月)

タブー

不肖の親兄弟を持つ芸能人やスポーツ選手の話は珍しくもないけど、最近週刊誌が記事にしたフィギュアスケートの某女子選手の場合、これまでの芸能人・スポーツ選手の家族ネタとはちょっと趣が違うんだな。
その手のバックグラウンドは、普通は、大っぴらに語られるか話題としてNGにするかのどちらか。
NGになっている場合は、当人が日頃の言動から気をつけたり、露出を控えてバックグラウンドを感じさせないようにする、たいていは。
母親は娘たちにフィギュアスケート以外にも習い事をさせていたようで、報道されているような環境にいた親が子どもにお金のかかる習い事をさせるというのは、普通は上昇志向のあらわれと解釈できるし、実際、水商売の親は子どもの躾に厳しいことが多い。
でも、某選手の場合、立ち居振る舞いに気を使っている様子もなく、バックグラウンドが見え隠れするのに、テレビ出演など露出は多く、そのくせ姉以外の家族・親戚の話はほとんど出てこなくてNG状態なのが不自然だった。
決定的だったのは園遊会にリゾート柄の服を来て出たことで、選手本人及び周囲のTPOの弁えなさもすごいけど、メディアが一切触れなかったのが今でも不思議。
他の芸能人やスポーツ選手だったらメディアにバッシングされまくっただろうに。
国民栄誉賞の金メダリストがちょっとおしゃれをしただけで女性誌にバッシングされたことを思うと、「なぜ?」と思うのです。
バッシングしないのは良いけど、だったら他の芸能人やスポーツ選手にもそうしろよと。

まあ、家族のことよりも、スケート連盟があからさまに彼女にべったりだったこと、彼女が絡むと不可解な採点になること、技術的な指摘について解説者が言葉を濁す状況のほうがより問題なんですが。

くだんの選手に関して、メディアやファンが「国民的~」という表現を使いたがるのも気になる。
今回も「国民が」待ち望んだ復帰」と書いている記事を見たけど、なんでそうなるかな?
別に復帰するしないは選手の自由だし、「ファンが待ち望んだ」くらいなら否定はしないけど、「国民が」と言われるとモヤッとくる。
一時期の宮崎あおいもそうだったけど、「国民的~」というフレーズを使って持ち上げる人たち及び持ち上げられる人たちって、特殊な「無理やり感」を感じてしまう。

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