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2016年12月18日 (日)

推定無罪

成宮寛貴の疑惑報道に関するフライデーのやり方は腑に落ちないことが多い。
好きな俳優のことだからというのもあるけど、それだけじゃなく、記事の出方とか内容とかいろいろ。
情報提供者が薬物の売買をした当事者なのがまず異例。
週刊文春が過去に薬物疑惑を報じた時の記事は、当事者ではなく、当事者の知人の話といった感じで記事を書いていたと記憶している。文春は、あくまでも当事者ではなく、情報ソースを守りますよという立ち位置。
そりゃそうだ。犯罪の当事者の話となれば、ことによると犯人隠匿になってしまうし。
証言をした「友人」とやらも、ここまでするのなら刺し違える覚悟でもあるのかと思いきや警察にはつかまりたくないという。なんだそりゃ、です。
マスコミに売り込む=欲得で動いているにもかかわらず、損得の計算が出来ないというのは始末に負えない。

あくまでも可能性の話ですが、写真はPHOTOSHOPでいくらでも加工が可能な時代で、巷には修正写真があふれている。
裁判では写真が証拠として採用されないケースもある。
音声データも加工は可能。
写真と音声では「推定」にすぎず、警察が動かない限りは推定無罪。

フライデーが証人(というか当事者)を明らかにしないことがまず矛盾しているし、「疑わしきは罰せず」の原則に反して「推定有罪」で勝手に社会的制裁を加えたことになるわけで、そこが釈然としないのです。
文春や新潮が推定無罪の原則を守っているとは思っていないけど、少なくとも気にしているフリくらいはする。
でも、フライデーはそれすらしていなくて、そこが非常に危うい。
いや、やりすぎてフライデーが廃刊になるだけなら全然かまわないけど、そこに至るまでに被害者を生むことになるので。

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