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2018年1月

2018年1月21日 (日)

文春砲

以前はほぼ毎週買っていた週刊文春。
昔は芸能人のゴシップを扱うのは女性週刊誌とスポーツ新聞とテレビのワイドショー、文春は政治と社会的な事件に関わる記事が主で、女性週刊誌やおじさん系メディアを買うことには抵抗がある人も手に取れるのが新潮と文春だった。
私が新潮よりも文春を選んだのは、連載のコラムが好きだったから。スクープ記事はどうでもよかった。

芸能ゴシップが女性週刊誌やワイドショーの専売特許だった頃は、他人のプライバシーに興味を持つことに対する恥ずかしさがあったし、眉をひそめつつ、そして、あくまでも当事者間の問題であることを弁えた上で他人事として面白がる余裕みたいなものもあったと思う。
本気で弾劾する人がいたとしても声は小さかった。
文春が取り上げて文春砲とか言われだしたあたりから声高に糾弾する流れが出来てしまった気がする。
「たかが芸能ゴシップ」というタガが外れてしまったというのか、叩くことが正義と思いたい人たちを勢いづけてしまった。

ウタフクヤマで見た小室哲哉が、音楽談議にあまりノッていないように見えたので、引退を考えていたのは本当なんだろうと思った。
今回の記事はきっかけだったのだろうけど、そうだとしてもゴシップ記事がミュージシャンを引退に追いこんだことは釈然としない。
ミュージシャンは好感度で商売しているタレントとは違うし、音楽ファンなら犯罪ならともかくゴシップで音楽を聴く聴かないを左右されたりしない。そういうことで聴かなくなるのはもともと音楽を聴かない人たちだから。
俳優も、よほど良妻賢母とか好い人の役ばかり演じている場合は好感度タレントと同じ扱いになるけど、そうでなけば役と俳優は切り離して考えるものなので、本来は問題にならないはず。
小室哲哉の曲をまったく聴かない私でも会見の内容にはいろいろ思うところがあって、そりゃ人間だから自分に都合よく脚色した部分はあるだろうけど、それでも真実は含まれていると思うのですよ。
醜聞として扇情的に記事にするのではなく、「配偶者の介護にあたる人の苦悩」的なアプローチで記事にしようとは思わなかったんだろうか、文春は。
以前の安藤美姫の出産に関するアンケートの時もそうだけど、人のプライバシーとか痛みに対する感覚が相当麻痺していると思う。
メシのタネとしか思っていないというか。
いえ、メシのタネと思っていると自覚があるならまだいいけど、「ジャーナリストでござい」という姿勢なのが腹立たしい。
政治向きの記事には「報道しない自由」を行使しているのだから、読者のニーズを持ち出して正当化してほしくない。

記者の妬みが芸能人の不倫ネタを追うモチベーションなんじゃないかとさえ思う。

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このところの話題

▼黒塗り
ナチス擁護を法律で禁止している国もあるくらいなので、欅坂46のナチス風衣装が世界的にNGだったのは理解できる。ちょっと「ファッションアイテムです」では通らないなと。
でも、笑ってはいけないの黒塗りの何が悪いのかいっこうにわかりません。
着替え室から出てきた時からビバリーヒルズコップとエディー・マーフィのテロップは出ていて、エディ・マーフィの真似であることを明示していましたよ。
みんなが笑ったのは浜田の顔が面白かったからだし。
それでも、まあ、個人的に不快感を表明するのは自由だし、感じ方の一つとしては受け止める。
でも、グローバルスタンダードだと言われれば、それには大いに異論がある。
アメリカ=世界ではないので。
だいたい差別の意図が見られないのに黒塗りがダメというのなら、「オセロ」とか「アイーダ」はどうなのって話です。
オセロ(アラブ系という説もあるけれど)は、これまで黒塗りで演じられているけれど、そこに黒人を差別する意図はない。
アイーダもエチオピアの王女なので黒塗りだけど、いずれも役作りだし、批判されたという話は聞かない。
エチオピアの王女を演じるのに顔を黒くすることが問題視されたり、設定を変えることになったらそっちのほうが差別だと思う。
アメリカを基準に考える人はシェイクスピアとかオペラを見たことがないのだろうか。

▼MeToo
被害者が声を上げられるようになったのは良いことだけど、「口説いて失敗しただけじゃないの?」と疑わしき告発が出始めていたし、沈静化を促す頃合と感じ始めていたところ。
カトリーヌ・ドヌーヴの発言は、「性的暴力は別だが」と、MeTooを全否定しているわけではないのに、そういう意見さえ封殺しようとするのは魔女狩りと言われてもしかたがない。
レイプは言うまでもなく犯罪だし、パワハラを伴うセクハラは糾弾されるべきだけど、「口説いたけど失敗した事例」は区別しないと収拾がつかなくなる。
こんな分布図があるとしたら左下のあたりが微妙。

Figsph

発端のワインスタインは右上。
自分の誘いを断った女優のブラックリストを業界に回してキャリアを奪ったことがなにより悪質。
でも左下のあたり、セクハラ度とパワハラ度が低いケースは自分で断るなり受け流すなりできると思うし、ドヌーヴの発言はそういうことだと思うのだけど。
なお、セクハラに対する嫌悪の度合いは人によって違うだろうけど、手を握られる、食事の誘いは左下、お尻や胸は左上かなと考えます。
パワハラは、嫌み程度なら左下かと。
だからってこれからも許容すべきというのではなく、過去のことについて断罪は行き過ぎではということです。

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2018年1月14日 (日)

音楽と物語と

カバー曲好きとしては、一つの曲をいろんな人の声・解釈で聴くのが楽しみなのだけど、同様にスケートも同じ曲・同じ振付で違う人が滑ったらどうなるのか興味がある。
アイスショー(フレンズ・オン・アイスだっけ?)のスワンコラボは楽しかった。
でも、昨年末のメダリスト・オン・アイスのようにシーズン真っ只中にジュニアの選手が現役の五輪代表のプログラムを滑るというのは時期尚早。
ジュニアの選手たちだって自分たちの試合を控えているのだし、自分のプログラムがあるのだし。
現役引退後か年数が経過した後にやってくれたほうがいい。

全日本フィギュアの女子のフリーで、ニーノ・ロータのロミオとジュリエットのサントラを使っている選手がいて、好きな曲だし構成が良かったので、ちょっと応援モードで見てしまった。
ロミオとジュリエットといってもいろいろあるけど、やはり1968年の映画が一番好きで、音楽も「What is a youth」だけでなく全部好き。

紀平梨花の使用曲もニーノ・ロータで、演技前に表示が出たプログラムの説明が「ピュアで少しおかしな道化師の女の子のストーリー」となっていて、「道」の、特にジェルソミーナの説明にしてはほんわかし過ぎている感はなきにしもあらずだけど、少なくともストーリーとヒロインの特徴を理解して演技していることがわかった。
大道芸を表現している振付もていねいに表現しているし。

それから、宮原知子の衣装がいつものことながら素敵。
ピンクの濃淡が絶妙な「SAYURI」はよく似合っているし、「蝶々夫人」は和の要素の取り入れ方がとても良い。
女子の衣装に着物の要素を入れると必ずといっていいほど「くノ一」になるから好きじゃないのだけど、胸元のあわせや髪型にさりげなく和の要素を入れながら、着物着物したデザインにしなかったところが好き。
全日本フィギュアは、宮原のフリーの演技が終わった直後の濱田コーチの涙にうるっときてしまった。

樋口新葉のフリー「スカイフォール」は今季の女子のプログラムで一番のお気に入りだけど、坂本花織がグランプリシリーズ・アメリカ杯のエキシビションで滑った007もスポーティでなかなか良かった。
アメリカ杯のエキシビションではポリーナ・ツルスツカヤの「華麗なるギャッツビー」も強く印象に残ったのだけど、小説の最後の一節“Gatsby believed in the green light..”の語りに合わせて緑色のランプを持って出てくる演出が作品へのリスペクトが感じられて良かったです。

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