初期の村上春樹作品を自炊、批判の作法
お盆休み、思い立って村上春樹の初期作品を自炊した。
初期のものはハードカバーなので自炊するには中古の文庫を購入するところから始めることになり、やろうと思いつつ伸ばし伸ばしにしていた。
それをやる気になったのは、ある記事がきっかけ。
ここまで否定されて逆に愛着が強くなったというか。
ここらで「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」「カンガルー日和」をiPad miniに入れて、いつでも読めるようにしようと思ったのです。
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」は既に自炊済み。
自炊作業に踏み切るきっかけとなった記事がこれ↓。
嫌いな理由を論理的に分析しているのかと思いきや
「よくわからないし、ちゃんと読む気もないけど、自分がわからないのに人気があるから嫌い」という内容。
なんだこれ。
ファンが村上春樹の魅力を語れないと書いているけど、この人も「嫌いな理由」をタイトルにしながら具体的に説明できていないのはどうなのか。
私自身、今は熱心な読者ではないし、長編小説が長すぎるというくだりには大いに同意。
でも、それは「ねじまき鳥クロニクル」以降の話。
「ダンス・ダンス・ダンス」までは特に長いとは思わなかったな。
>>ただし僕が村上ファンと話をすると、いつも彼らは村上を支持する説得力ある理由を言えない。「特別な魅力がある」とか「作品の空気が好きなんだ」と言うだけで、村上が何について書いているのか、なぜ村上が重要かを理解できるようなことは言ってくれない。
そもそも、なぜ好きな作家の面白さを他人に理解できるように言わなくてはならないのか、というのもあるけど、「ダンス・ダンス・ダンス」までなら魅力は語れますよ、具体的に。
でも、「羊をめぐる冒険」を「途中まで読んでやめた人」を納得させることはできないだろうし、しようとも思わない。
この人が話したという村上ファンだって同じじゃないのかな。
「ノルウェーの森」以前は「羊をめぐる冒険」以外の作品には一切言及なしだし。
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」も。
>>村上はジョージ・オーウェルやフランツ・カフカなど他の作家にさりげなく言及する。音楽家についても同じことをよくやっている(ヤナーチェクやコルトレーンなど)。ひいき目に見れば偉大な作家たちへのオマージュだが、シニカルに見れば自分が偉大な先人に近づいたことを暗に伝えようとしたり、彼らの名声を借りようとしたりする行為だ。
自分の好みじゃなかっただけで、ここまで穿った見方をするのかって思う。
「つまらなかった」でいいのに。
この人に限らず、村上春樹を批判する人たちの多くは「村上春樹を面白く思えない自分」に焦りを感じて、その原因である村上春樹を叩いているっていう感じがする。
「なんで自分に理解できない小説を書くんだ」、と。
その焦りがよく理解できない。
どんなベストセラーだろうが大作家だろうが、しょせんは好き嫌いの話でしょう?
いわゆるハルキストにしても、読むのが当然とか理解できない人に圧力かけたりはしていないと思うのだけど。
(してるのか?)
司馬遼太郎を司馬史観で括りたがる人たちともちょっと共通しているかもしれない。
勝手に権威扱いして、勝手に否定するという。
好意的な読者は別に権威だから読んでいるわけじゃなく、面白いから読むんだけど。
ちなみに、私が村上春樹を読んだきっかけは映画監督の大森一樹のエッセイ(コラム)でした。
ここまで言うなら読んでみよう、と思ったのが始まり。
さらについでに、レイ・ブラッドベリを読んだのは山下達郎がロングインタビューで勧めていたから、でした。
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