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2019年6月23日 (日)

長文とか長編とか

ネット記事のコメント欄を見ていると、時々「長いっ」というレスを見る。
確かに、読んでみて「なんだこりゃ」となるような冗長で見当違いな記事はあるし、それに対して言うのはわかる。
でも、長さを批判するにはあたらないと思われる場合にも「長い」というレスを見ることがあって、それはどうなんだと思う。
わかりやすくコンパクトにまとめることは大切だけど、テーマによってはまとめきれない、まとめてしまうことが望ましくないことだってあるわけです。

そういう、長文を忌避する傾向が強い人は、長編小説など読めないんじゃないかと心配だったりする。
アレクサンドル・デュマとか指輪物語とか。
苦手なのを無理に読むことはないとはいえ、そういう傾向を野放しにして読解力の低い人が増えたりすると由々しき事態。
無理して読んだ後の達成感を味わえないのは他人事ながら残念なことだと思う。

指輪物語を読んだ時、延々と続くホビット庄の紹介と古森の展開に挫折しそうになって、「この先これは面白くなるの?」と愚痴ったところ、既読者に「裂け谷を過ぎたら面白くなる。がんばれ」と励まされた。
実際、裂け谷以降は怒涛の面白さだったけど、古森で読むのを止めていたらその楽しみは味わえなかった。
かといって、古森を飛ばせばいいのかというと、そこでの苦労が後の喜びの大きさにつながるので、お勧めできなかったりもする。

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