行き過ぎた当事者意識
勝村政信の寄せ書き炎上の件、ちゃんと部外者暴走への批判があるみたいでちょっとホッとした。
というか、それが当然なのだけど。
掲載したのは利用したお店のSNSだったらしいけど、そういうのをよく見つけるなーと思う。
キーワード検索でもしたんでしょうか。
メディアに取り上げられたりするとどうしても目に入ってイラっとすることはあるけど(取り上げたから、私もこうして気になっているわけだけど)、批判ネタを自分からわざわざ探しに行く熱意はない。
しかも、そういう人たちの基準が常識というよりもローカルルール。
下手するとマイルールのことも。
そんな理由や基準で断罪されましても、という感じ。
今回もヤフコメあたりで見たのは「笑って写真を撮るなんて」とか、「寄せ書きをするなんて」とか、人生経験が少ないのかなと思える反応。
お通夜や告別式で談笑したら顰蹙を買うけれど、精進落としはわりと和やかなものだし、偲ぶ会も愁嘆場とかにはならないものですよ。
なんでもかんでもSNSにアップする風潮を良しとは思わないけど、掲載を見合わせる理由が不謹慎警察を気にしてだったら、そんなふうにはなってほしくない。
Twitterとかインスタグラムの良さは気軽にちょっとしたことを共有できること。
気軽にとはいっても注意すべきことは多々あるにしても、著しく料簡が狭い人たちを気にして掲載を控え、共有する機会が失われるのはつまらない。
そんなことにはなってほしくない。彼らに仕切られたくない。
それと、シンパシーの感情が皆無なのも問題だけど、いろんなことに当事者意識を持ち過ぎるのもどうなのか。
「誰かの気持ちになって考える」ことは大切だけど、勝手に当事者意識をもって、勝手に代弁した気になるのはおこがましい。
所詮は他人事と一歩引けばそんなに熱くならないし、「自分とは違うけど、こういう形で偲ぶこともあるのか」とワンクッションおいて考えられないものだろうか。
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